
目 次

第1部
近代日本福祉教育実践の展開
―戦前における遡及的原点の検証―
第1章
明治後期の地方改良運動にみる「自治民育」の実践
―「福祉教育」の遡及的原点を求めて―
はじめに
〇実践は歴史によって創られ、理論は歴史によって試される。実践のない理論は空虚であり、理論のない実践は盲目である、といわれる。
〇福祉教育の歴史と理論と実践は、相互の関係にあり、歴史研究と理論研究と実践研究は互いを無視しては成り立たない。とりわけ歴史研究は、福祉教育研究の基本に据えられるべきものである。しかし、福祉教育研究は、これまで、福祉教育の歴史に無関心であったといわざるを得ない。
〇例えば、日本福祉教育・ボランティア学習学会の第2回大会(1996〈平成8〉年10月)から第13回大会(2007〈平成19〉年11月)までにおける「自由研究発表」(実践報告を除く)は393本を数えるが、そのうち歴史に関する発表はわずか10本(2.5%)に過ぎない。また、学会の機関誌である『日本福祉教育・ボランティア学習学会年報』の創刊号(1996〈平成8〉年7月発行)から第12号(2007〈平成19〉年11月発行)までに掲載されている論文(基調論文、解説論文、特集論文、研究論文、研究ノート)は95本を数えるが、歴史に関するものは皆無である。ここに、福祉教育の理論研究や実践研究の進展があまりみられないひとつの要因があるといえる。
〇いうまでもなく、福祉教育研究における歴史研究は、福祉教育の歴史的事実を実証的に解明することからはじまる。すなわち、それは、たんに福祉教育の変遷を押さえるだけでなく、その変遷の意味を明らかにすることである。その際、その史実を社会的・経済的・政治的・文化的諸条件との相互関連のなかで捉えることが肝要となる。それを通じて科学的・客観的に今日の福祉教育の到達点を押さえ、それが抱える問題点や課題を発見し、その本質を把握する。そして、それを解決し克服するための適切な方向を見定め、具体的な解決策を見出す。
〇ここに、福祉教育史研究の意義と課題があり、研究の重要性を指摘することができる。要するに、現在を読み解き、未来を拓くための有効な方法のひとつに歴史があり、歴史研究があるのである。
〇福祉教育の変遷を分析、把握するためには、先ずその原点や源流を探求することが求められる。それをどこに見出すかは、福祉教育研究の視点や枠組みの設定をはじめ、そこから得られる福祉教育の対象、主体、方法などについての知見、そしてそれらを総合化・体系化してその意味内容を確定しようとする福祉教育の概念規定などによって異なる。
〇これまで、第二次世界大戦後における福祉教育の源流は、例えば、1946〈昭和21〉年に平岡国市によって創案された徳島県の子供民生委員制度や、1950〈昭和25〉年度から実施された神奈川県の社会事業教育実施校(社会福祉研究普及校)制度などに求められてきた(1)。また、村上尚三郎は、福祉教育の「遡及的原点」として、「大正デモクラシーが教育界に及ぼした所産とも目される1920年代の、いわゆる新教育運動の勃興に焦点をあて」、「池袋児童の村小学校」の訓導・野村芳兵衛の生活教育や修身教育の実践に着目している(2)。
〇本稿では、福祉教育を「地方自治」や「地域振興」の視点から捉え、その「遡及的原点」は明治40年代以降に内務省主導で展開された「地方改良運動」の取り組みのなかに見出すことができる、という仮説を設定する。そして、それを諸史料から検証することにする。
〇周知の通り、地方改良運動では、地方(地域)すなわち町村の振興を図るために「人心の開発」が重視され、町村民に対する教育と教化が推進された。そこには、今日でいう福祉教育実践のひとつの側面や要素が含まれていたと考えられる。
〇そこで、以下では、具体的にはその教育・教化活動に関する史料について紹介し、検討を加える。それを通してその福祉教育実践としての側面や要素を明らかにする。そして、それを今日の福祉教育実践やその課題につなげて考え、そこから課題解決のための手がかりや示唆を得ることにしたい。
Ⅰ 地方改良運動とその推進方策
〇地方改良運動は、日露戦争(1904〈明治37〉年~1905〈明治38〉年)後のいわゆる「戦後経営」の一環として、内務省地方局の主導のもとに推進された。すなわち、それは、戦争による国家財政の危機的状況を打開するとともに、帝国主義列強諸国に伍する地位を獲得するために、国力の充実・発展と国家的統合を図る官製運動であった。この最重要の国策のもとで、地方改良運動では、具体的には「生産事業の振励」をはじめ「地方自治の振興」「公共心の育成」などの諸施策が展開され、地方(町村)の自発的・自立的振興が促された(3)。こうした運動が強力に推進されたのは、第2次桂太郎内閣が成立し内務大臣に平田東助が就任した1908〈明治41〉年から、1914〈大正3〉年頃にかけてであった。それ以後、地方振興は、それまでの総合的な施策から農事の改良・発達を中心にした個別的な施策として展開されることになる(4)。
〇こうした地方改良運動の推進を図るに当たって、内務省地方局は次のような政策手法を採った。(1)啓蒙書や実践事例集の刊行・配布、(2)「地方改良事業講習会」の開催、(3)中央報徳会の機関誌『斯民』の発刊、(4)「模範村」の表彰、などがそれである(5)。
〇(1)については、啓蒙書として『地方自治ノ指針』(1904〈明治37〉年)、『地方自治要鑑』(1907〈明治40〉年)、『地方改良の要項』(1912〈明治45〉年)、実践事例集として『地方資料(第1編~第15編)』(1907〈明治40〉年)、『地方改良実例』(1912〈明治45〉年)などがある。
〇(2)は、1909〈明治42〉年に、地方改良運動の監督・指導に当たる全国の地方吏員を主な対象として、第1回講習会が東京市の国学院大学で開催された。この講習会は1923〈大正12〉年頃まで継続開催されたが、ほぼ同時期の1908〈明治41〉年から1922〈大正11〉年にかけて、内務省地方局によって「感化救済事業講習会」が雁行して開催されている(6)。注目されるところである。
〇(3)に関しては、1906〈明治39〉年に内務官僚の床次竹二郎(地方局長)や井上友一(府県課長)らによって、半官半民の「報徳会」(1912〈大正元〉年に「中央報徳会」と改称)が結成され、報徳運動が展開された。この運動では、二宮尊徳の報徳思想(至誠・勤労・分度・推譲)に基づいた、主として地主層に対する教化善導が行われた。しかも、それは、内務省の地方行政事務に組み入れられていった。1906〈明治39〉年には機関誌『斯民』が発刊され、報徳思想についての再評価や研究が行われた。とともに、報徳思想は、地方改良運動の中心的なイデオロギーとして全国の各町村レベルにまで波及した(7)。要するに、地方改良運動はこの報徳会を推進母体として全国展開されたのである。
〇(4)については、1905〈明治38〉年に表彰された「明治の三大模範村」(静岡県賀茂郡稲取村、千葉県山武郡源村、宮城県名取郡生出村)が注目される。この表彰施策は、1910〈明治43〉年以降、中央(内務省)だけでなく地方でも本格的に展開された。そのねらいは、顕著な業績をあげた団体や個人に対して表彰を行うとともに、地方(町村)振興に取り組む団体や個人の自発的意識を喚起し、地方改良の機運を促進することにあった。
Ⅱ 町村振興のための教育・教化と福祉教育実践
〇地方改良運動の実質的な発案者であり、主導者であった井上友一は、町村振興には「経済の開発」と「人心の開発」が重要であり、また国力の充実・発展を図るための地方自治の振興には、町村民の「自治心」の喚起が必要不可欠である、と説いた(8)。そこで、地方改良運動は、「自治民育」(「自治民」の育成)というひとつのスローガンのもとで、教育・教化運動的な色彩の濃いものとして展開された。例えば、小学校では、町村振興の地域的課題が教育活動に採り入れられ、町村の実情や、児童や町村民の実際の日常生活に即した「教授の実際化と郷土化(9)」が志向された。また、小学校を卒業した在村青年や町村民に対しては、町村振興に向けていわゆる「補習教育」が推進された。そこでは、小学校教育の補習と農業教育などの実業教育、それに勤倹貯蓄などを軸とした生活様式(生活規範と生活態度)の改良・改善を図るための教化活動(生活教育)などが行われた(10)。
〇教育・教化活動の展開に際しては、教育勅語(1890〈明治23〉年)と戊辰詔書(1908〈明治41〉年)の趣旨の徹底や浸透が図られ、報徳思想(主義)が基調とされたことはいうまでもない。周知の通り、教育勅語では、儒教的道徳思想を基礎に、忠君愛国が教育の基本であることが強調された。戊辰詔書は、国民の個人主義・享楽的傾向の是正を諭し、国民に勤労と節約を求めた。
〇こうした町村振興の教育・教化活動や運動に動員されたのは、地域の中核機関である小学校と、地方の有力者である小学校教員であった。
1 小学校における「自治民育」の実践
〇ここで、内務省が刊行した前述の『地方資料』『地方改良の要項』『地方改良実例』に収録されている地方改良実践事例から、小学校における「自治民育」の教育活動の一端を紹介する。
害虫駆除と学童貯金(史料①)
〇小学校生徒の実業思想を養成するの一事は、愛知県に於て著く其功を収めり。就中、渥美郡の施設は最も見るへきものあり。即ち教授の際を以て、或は箒掃衛生の業を行はしめ、或は害虫の駆除に従はしめ、或は花卉の栽培を為さしむる等、実用に習はしめんとして、最も其意を用る。更に家庭との連絡を通し、種々の業務を撰ひて、労働に習はしめ、又廃物利用の念を養ふことに勉めたり。かくて勤労と節約とに依りて得たる金員は、其出所を明にして之を学童貯金と為すことを奨励せるに、其効を奏せること殆と意表に出てたり。例へは、福岡小学校の如きは生徒間に於ける勤勉の風よりして、延きて其父兄を化し、一村漸く勤勉力行の俗に嚮ひ、日を逐うて旧時貧困の状より脱せんとするに至れり(11)。
出征軍人家族の慰安と小学校生徒の裁縫(史料②)
〇愛知県額田郡なる北部高等小学校(当時岩津村細川村学校組合立)及岩津村(当時大樹寺村)立大樹寺尋常高等小学に於ては曩に戦役に際し出征軍人家族に労力を供し、且慰安の一方法として無料裁縫の依頼に応したり。最初両校職員に於て、軍人家族の衣服は一切無料を以て裁縫の依頼に応し、慰安の実を挙けんことを志し、其旨を女生徒に告くるや何れも喜んて之を迎へ、誓て夜を以て日に継くも此作業を遂行すへき旨を答へたり。依て村役場より各区区長総代等に其旨を伝へ、又は年長生徒をして軍人各戸に就き材料を取集めて之を裁縫したり。されは軍人家族中此の好意に感泣せしものありと云ふ。而して其裁縫等は新古を問はす又種類を択はさりしを以て、中には洗濯洗張の上裁縫したるものも亦少なからさりしと云ふ(12)。
害虫駆除(史料③)
〇児童の勤倹の美風を喚起せしめ、併せて愛郷の心を養はしめるが為め、滋賀県甲賀郡にては、学童をして害虫駆除の事に当らしむ。且作業の当日は、教員をして兼て編纂したる郷土誌を携帯せしめ、郷土に於ける地理、歴史、博物等に就きて、一々実地の教授をなさしむ(13)。
小学校施設の老人慰藉会(史料④)
〇宮崎県西諸県郡紙屋尋常高等小学校に於ては其附帯事業として毎年一回年齢六十歳以上の老人を集めて児童の成績品書画の類を陳列縦覧に供し或は児童をして読方、話方、唱歌、遊戯等を試みしめ或は音楽隊を編制して演奏せしめ以て老人に慰藉を与ふることゝせり又平素に於ても屢々児童の成績品又は珍らしき物を老人に回送して之を慰さめつゝあり而して其の接待及回送の労は何れも児童をして之に当らしめ以て自ら老人を尊敬するの念を深からしむといふ(14)
小学校生徒の教科以外の作業(史料⑤)
〇宮城県に於ては県下の小学児童に対し勤労を重んするの観念を養成する方法として地方適切の作業を選ひ教科以外之に従事せしむることを奨励したるに今や県下各小学校に於て実行するに至れり其の概要左の如し
〇学校に理髪機械を備付け児童相互に理髪を為さしむるもの頗る多し其の方法は学校に依りて多少異なれりと雖も多くは最初教師の指導に依りて年長の児童に練習せしめ休憩時間を利用し或は放課後に於て相互に又は幼年児童の為めに理髪し其の賃金を一回二銭内外と定め之を共同貯金として蓄積し或は学校に寄附し或は学用品共同購買の資金に利用せるものあり今や僻陬の地にして理髪店なき所に於ては父兄の請に応して理髪を為すものあるに至れりといふ(中略)
〇毎朝出校前の作業として牛乳配達、新聞配達、納豆売、豆腐売、飴売等の行商に従事せる児童市街地に最も多数なり又午後の放課後及休日には菓子売、薪炭売等に従事せるものあり其の他学校に於ては学用品の共同販売を実施し其の購入、販売、記帳等の取扱を練習せしめ収益は共同貯金と為し以て商業の実習と勤倹自治の精神とを養成するに努め居れり(中略)
〇小学校に於て養鶏、養豚、養兎の業を課し以て其の飼育方法を教ふると同時に之か趣味の養成に努めたる結果家庭に於ても養蓄又は養禽を楽むもの追々其の数を増せり(15)
教師生徒及有志者より成れる長寿者慰藉会(史料⑥)
〇静岡県周智郡飯田村睦実区には睦実尋常高等小学校職員生徒及区内有志者を以て組織せる長寿者慰藉会なるものあり長上を敬ふの主旨に依り長寿者に接するに常に赤誠懇篤を以てし又年二回区内七十歳以上の老人を招待して之を慰藉す而して之に要する費用は会員の寄附金を以て支弁せり四十二年十一月三日天長の佳節に際し本会総会を同小学校内に開催したる時の如き区内七十歳以上の老人十八名は一名の漏なく或は杖に縋り或は孫児に擁せられて来会し先つ遥拝式を挙行して聖寿の万歳を祝し引続き唱歌、余興等あり又児童の手工品を縦覧せしめ記念撮影を為し特志者の寄贈に係る扇子(祝寿の文字模様あり)を配与する等会員総出にて歓待の労を採れり斯くて来会の翁媼は何れも喜色面に溢れ和気靄々の内に散会したりといふ(16)
〇史料①は、清掃、害虫駆除、花卉栽培などの勤労と、廃物利用などの節約を通して学童貯金を行うことを奨励した実践である。史料②は、出征軍人家族を慰安するために、小学校生徒が無料で裁縫の依頼に応じた実践である。史料③は、害虫駆除の保健衛生活動を通して勤倹と愛郷の意識・態度を養うとともに、郷土理解の促進を図った実践である。史料④は、敬老の精神を養うために、小学校で、生徒が中心になって行った老人慰藉会の実践である。史料⑤は、相互理髪をはじめ、牛乳・新聞配達や納豆売りなどの行商、養鶏や養豚の業などの教科外の作業を通して、勤倹自治の精神の育成を図った実践である。史料⑥は、小学校の生徒のみならず、教員や地元の有志者などによって組織された長寿者慰藉会の敬老活動の実践である。
〇要するに、これらの教育実践は、「勤勉力行」「勤倹自立」「慰安」「慰藉」「愛郷」などの規範意識や生活態度を育成し、それを通して町村振興を図るという意図のもとに実施・展開された。そして、そのための手段や方法のひとつとして取り組まれたのが、害虫駆除の保健衛生活動や高齢者を慰藉するための敬老(会)活動などであったのである。
〇前者の保健衛生活動については、1897〈明治30〉年に制定された伝染病予防法に基づいて、その後、明治・大正・昭和と時代の変遷に伴って地区衛生組織活動の推進が図られることになる。そのなかの住民各層に対する広報・教育活動の実践に、福祉教育のひとつの原型を見出すことができる。また、後者の敬老(会)活動については、時代性は異なるものの、現象的には今日の福祉教育の主要な体験活動(体験学習)のひとつである高齢者理解や高齢者との交流・共生活動に通じるものである、といえよう。
2 大阪府生野村における「自治民育」の実践
〇ここに、村田宇一郎が1910〈明治43〉年に著した『学校中心自治民育要義』(宝文館発行)と題する本がある。村田は、大阪府天王寺師範学校長として、1907〈明治40〉年から大阪府東成郡生野村において「自治民育」に関する実践・研究を行った。村田のこの著書は、自治民育の「意見」と生野村での「実験」成績をまとめたものであった。その内容は、内務省の教育・教化要求に応えるものであり、内務省によって推奨されるところとなった。生野村での実践が自治民育の「モデル(17)」や「公民教育」の「原型(18)」などと評される所以であり、各地に大きな影響を与えたことは推察に難くない。
〇以下では、生野村における村田の自治民育の実践(内容と方法)とその特徴を把握するために、上述の彼の著書のなかから注目すべき叙述部分を摘記する。
忠君愛国と富国の手段(所論①)
〇我国方今の趨勢は(中略)、一等国の地位に上つたと云つても、他の七ヶ国に比すれば金力の程度に於ては顔色がないのである。(中略)こんな貧乏世帯で世界列強の間に介在して、能く国の面目を保ち得るであらうか憂慮に堪へないのである。そこで吾々国民はどこ迄も奮発して富を作らねばならぬ、併し国を富ましても忠君愛国の思想を失ふてはならぬ、忠君愛国の思想を益々強盛ならしめると共に国を富ましむるやうな働きある国民を造成することは、我国方今の急務にして吾々国民教育者の任務も亦茲に存するのである(19)。
〇忠君愛国の思想を強盛ならしむると同時に国を富ましめんとするには、如何なる手段が必要であるかと云へば(中略)、立憲思想を普及せしむることが何よりも急務である(20)。
〇此立憲思想の普及を謀らんとするには、之が根底をなす地方自治の思想から普及してかゝらねばならぬ(21)。
公共心共同心の養成(所論②)
〇国民教育者はこの町村自治の何たることを了解して教育に従事せねばならぬ。而して更に我国自治体の現状を省みて、其病根のあるところを察すれば、自治の発展に最も肝要であると云はれて居る公共心共同心が、他の徳義心に比して割合に発達が後れて、或は英国に於ける百年以前のことを実現しつゝあるのではなからうかと思はれるのは甚だ遺憾の次第である。それで吾々教育者は小学校時代から、この公共心共同心の養成には一層の努力を要することを自覚せねばならぬ(22)。
小学校本来の立場(所論③)
〇小学校に従事せる教員達は(中略)各自の奉職して居る市町村の歴史的構造や、法律的構造や、社会的構造などを了解して、将来その市町村公民となつて各自の市町村を手塩にかけて育てるやうな人間を造るべく、その預かれる子弟に対して基礎的教育を施(す必要がある――筆者注)(23)。
〇元来小学校は、どこ迄も町村自治体に於ける文化の中心となり、その町村の程度、民風事業方針等を参照して将来并に現在の自治民を造成するの道を講ずるところとならねばならぬ(24)。
庶民教育系統の建設(所論④)
〇小学校教育に次ぐに青年団体教育を以てし、青年団体教育に次ぐに自治体教育を以てして、小供も青年も戸主も主婦も老爺老媼も永年の間にそれぞれに訓練して、一家の一員たり、市町村の自治民たるに適当する資格を養ひ、市町村そのものを秩序的に系統的に整理せねばならぬ(25)
自己の町村の了解(所論⑤)
〇町村の事情を町村民一般が知らないやうなことでは、町村に対する愛の心即ち愛町村心と云ふものが起らぬ。町村の面目の為めに町村に対する義務の為めに、自己の行動を慎まねばならぬと云ふ心持が出来ないから、是非共これ等のことを了得せしめねばならぬ(26)。
〇一般村民をして「我が村」を了解して之を愛し之を保護するの道を悟らしめたこと(27)。
〇自村の情態が分れば分る程、村民一般の公共心共同心が発揮されて、自治体の面目を思ふ観念が出来なければならぬのである(28)
公民的知識の教授(所論⑥)
〇(小学校教育の――筆者注)高等科に入りては、市町村政の大要から郡制府県制の大要に及ぼし、名誉職の何たることより自治団体の理事機関や執行機関のことを概説し、自治体に対し各自が負ふ所、并にそのために尽すべき義務を挙げ、社会の秩序を重ずべきこと、社会の進歩に貢献すべきこと(中略)なども教へられて居るのである(29)。
〇(青年団体教育の実業補習学校の修身科にありては――筆者注)町村自治のこと(代議機関、行政機関、土木衛生教育産業の状態、財政の状態、産業組合、報徳結社、商工組合、農会、在郷軍人会、神社、寺院、町村是のこと、民風興起のこと)を、各自の町村の材料について説示し、我家を理解し我村を理解せしめて、孝道の貴きこと、友愛の重ずべきことから、正直になけらねばならぬ、勤勉でなけらねばならぬ、秩序を守らねばならぬ、公共心共同心がなけらねばならぬことを知らしめ、進んでは(中略)我国の国勢の大要を知らしめて国家に対する奉公心を喚起せしめ、土地の状況によりては、対外観念を与へて海外に移住発展するやうな考を与へることも必要である(30)。
事業上における指導(所論⑦)
〇青年を指導するには、只彼等の頭を肥やしたばかりではいかない。事業をやらせて、筋骨を労せしめる其間に、実地上から指導を加へて行かねばならぬ(31)。
村民の自発性の尊重(所論⑧)
余りに故意的に急速に改善策を立てんよりも、自然に緩々と、彼等(村民――筆者注)の仲間から適切な改善策の出でんことを望む(32)
〇所論①では、日露戦争後のわが国の重要課題は国家富強(経済力の強化)と忠君愛国(愛国心の涵養)である。そのためには立憲思想の普及が急務であり、さらにその根底をなすのは地方自治の思想の普及である、と説いている。地方自治の思想の普及が愛郷心と愛国心を喚起し、町村振興と国力充実をもたらす、というのである。所論②では、町村自治の発展には公共心共同心を育成するための教育の推進が重要である、と説いている。その担い手は国民教育者である。所論③では、小学校と小学校教員は、市町村の歴史的・法律的・社会的構造などの了解に基づいて、自治民育の基礎的教育を施す必要がある、と説いている。当時、自治民育の担い手は、小学校と小学校教員以外にはなかったし、いなかったのである。所論④では、秩序ある市町村を建設するためには、小学校教育―青年団体教育(青年教育)―自治体教育(成人教育)という庶民教育系統を建設しなければならない、と説いている。子どもから大人までの総ての市町村民を対象にした庶民教育によって、自治民育が考えられたのである(33)。この系統的・継続的な庶民教育は、今日でいう生涯教育(生涯学習)に通じるものでもある。所論⑤では、公共心共同心や自治心の育成を図るためには、先ず自己の町村の状態について了解することが必要かつ重要となる、と説いている。自治民育の教育内容の基軸に自己の町村を了解することが据えられていたのである(34)。所論⑥では、小学校教育や青年団体教育では公民的知識の教授が重要である、と説いている。自治民育の教育内容のひとつとして地方自治に関する知識が重視されたのである。所論⑦では、青年を指導するには知識の教授のみならず、事業上での実地指導が必要であり、所論⑧では、村民や生徒の自発性を引き出すことが重要である、と説いている。いわば現場主義・臨地主義の教育方法と、従来の命令―服従の教育方法ではない、協議や討論などの自発性を尊重した教育方法が活用されたのである(35)。
〇以上の、村田が説く町村振興と国力充実のための自治民育の構想と実践(内容と方法)を大胆に要約するとすれば、およそ次のようになろう。すなわち、(1)小学校と小学校教員による自治民育に基づく町村社会の形成、(2)小学校教育―青年教育―成人教育という継続的・一貫的教育の促進と町村民の教化、(3)町村の歴史的・法律的・社会的構造理解(町村理解)に基づく教育内容の構成、(4)町村自治に関する法制的・公民的知識の教授、(5)実際的・実地的指導や自発性を引き出すための多様な教育方法の活用、などがそれである。
〇そして、これらは、その歴史的背景や意義、質的内容は異なるものの、今日の福祉教育が抱えるいくつかの課題に思い至らせる。住民主体・住民参加による福祉のまちづくり、ローカル・ガバナンスの地域福祉、地域再生の生涯学習、などと地域特性を生かした多様な福祉教育実践のあり方についてのそれである。
Ⅲ 自治民育と福祉教育実践の課題
〇イギリスの歴史家であるE.H.カーは、その著『歴史とは何か』(1961年)で、歴史とは「現在と過去との対話(36)」であるとした。これを引くまでもなく、歴史研究は、現在に残る史料をもとに過去の事 実について多角的・総合的な視点から検証・考察し、それを通して現在を読み解くとともに新しい歴史を築いていく指針を見出す試みである。福祉教育の歴史研究についていえば、いわゆる「歴史主義の貧困」に陥らないためにも、歴史的事実としてのその実践活動から何を学び、今後の福祉教育実践のあり方の追究に「使える」どのような、新たな着想や有益な示唆を得るかが問われることになる。
〇本稿では、福祉教育の遡及的原点を地方改良運動期における自治民育の教育・教化活動に求め、その史料の紹介と若干の考察を行った。それによって、自治民育の実践に、今日の福祉教育実践のひとつの側面や要素が含まれていたことを明らかにすることができた。ただ、その論述は、史料と紙幅の制約から限定的なものにならざるを得ず、残された課題は多い。改めて全国各自治体における地域(町村)振興策と自治民育活動に関する史料を掘り起こし、それを丹念に検証し、福祉教育の視点・視座から分析・検討することが必要となる。
〇最後に、今後に向けて、自治民育と福祉教育実践の課題をめぐって次の2点について再確認し、若干の考察を加える。それをもって本稿のむすびにかえることにする。
〇(1)地方改良運動は、行政町村の自主的・自立的振興を促し、町村を「国家のための共同体(37)」に転化させるための運動であった。したがって、それは、国家による「上から」の社会的・政策的運動として、しかも国民の指導教化に力点を置いた自治民育運動として展開された。
〇自治民育という言葉は村田が用いたターム(用語)である。前述の著書を題して「学校中心自治民育要義と云つたのは、教育者の立場から学校を中心として自治民を造成せんことを論述したからである(38)」と述べている。村田はまた、自治民育を、町村自治の担い手である公民を造ることであるとした。しかも、それは、町村振興と国力の前提的基礎となるものであり、町村や国家のために貢献する能動的な主体(公民)形成を図るものであった。いいかえれば、町村や国家が求めたのは「義務としての自治」「義務としての公共心共同心」であり、村田の自治民育論はそれに応えるものであったのである(39)。
〇福祉教育は、福祉文化の創造や福祉のまちづくりをめざして日常的な実践や運動に取り組む主体的・自律的な住民(市民)の育成を図るための教育活動である。また、それは、平和・民主主義・人権とともに、自立・共生・自治が基本的価値としてその根底に据えられるべき活動である。しかも、その際の市民とは、人間の尊厳と自由・平等・友愛に絶対的な価値をおく、権利・義務を有する民主主義の担い手をいう。そこから、福祉教育は、自治民育の教育・教化活動が「上から」の、あくまでも国家的・社会的責任=義務としてのそれであったのとは異なり、自立・共生・自治の意識に基づいた「下から」の、権利としての教育活動でなければならない、といってよい。とすれば、その権利をどのようなものとして、どのように獲得するか。また、その権利が保障されるためには、どのような社会的義務を、どのように引き受けなければならないか。地方分権が進み、市民社会の再構築が叫ばれるなかで問われるところである。
〇(2)地方改良運動の第一の課題は、地方自治体の再編策であった。この官製の国民運動は、第一次世界大戦後の社会不安に対処するための民力涵養運動(1918<大正7>年~1922<大正11>年)に継承され、昭和恐慌期における農山魚村の経済的困窮・社会的混乱を収拾するための農山魚村経済更生運動(1932<昭和7>年~1934<昭和9>年)へと、それぞれが異質な側面をもつ運動として連続する(40)。1937<昭和12>年には戦時体制化のもとで国民精神総動員運動がはじまり、ファシズム体制の確立をめざすことになる。
〇今日、国民保護法(2004〈平成16〉年)などの有事法制のもとで有事への準備が進み、国民の統制や動員が予定されている。社会福祉界では高齢者や障害者の自己責任が問われ、自立が強制されるなかで、社会福祉の後退と切り捨てが進んでいる。その一方で、地域における住民相互の「つながり」や「新たな支え合い(41)」に過度の期待がかけられている。教育界では2006〈平成18〉年の教育基本法改正の強行などにみられるように、子ども・青年の生きる力や学力が強調され、愛国心が強要されるなかで、教育の能力主義化の推進と国家統制の強化が図られている。福祉教育に関していえば、官製(的)奉仕活動の展開が推進されている。
〇このように市民生活や住民生活が脅かされ、国家による強要や統制が進むなかで、戦前の轍を踏まないためにも、「地方改良運動にみる福祉教育実践」の構造や特質を解明し、歴史的問題点や課題を明らかにすることを通して、地域・住民主権の福祉教育の可能性や方向性について追究する意義は大きいといえよう。なお、地域・住民主権の福祉教育とは、住民の生活課題や福祉課題を素材に、地域特性を踏まえた内発型の地域振興や自立的で能動的な住民自治を志向する教育活動である。そこでは「地域理解」「生活理解」を不可欠とする。
おわりに
―「義務としての自治」から「権利としての自治」へ―
〇本稿では、明治後期における地方改良運動、とりわけ「自治民育」の諸実践を分析対象とし、現代の福祉教育の遡及的原点としての歴史的性格を検討してきた。
〇通史的な視座に立てば、当時の小学校を拠点とした郷土教育や、敬老・清掃といった諸活動には、現代の福祉教育にも通じる具体的な活動形態の雛形を見出すことができる。しかし、その通底をなす思想的基盤は、国家の富強と国民統合を最終目的とした「上からの教化」に依拠しており、自治や公共心は国家に対する「義務」という形態をとって要請されたものであった。こうした歴史的位相は、現代の福祉教育が「規格化された市民」や「動員型ボランティア」を創出するための統治技術へと矮小化されるリスクを内包していることを示唆している。
〇今日、地域コミュニティの再編や互助機能の強化が喧伝される背景には、公的扶助の漸次的な後退や自己責任論の趨勢といった構造的課題が潜在している。地方改良運動の歴史的経験から得られる真の教訓は、教育実践の形式的模倣に終始することではなく、教育実践における「主体」のあり方を批判的に再定位することに他ならない。
〇今後の福祉教育の展望を拓く要諦は、かつての「義務としての自治」というパラダイムを超克し、生活者が自らの生活課題を正当な「権利」として表象し、自律的に地域社会を構想・編み直していく「権利としての自治」への転換にある。歴史的実践の批判的継承を通じて、住民主権に立脚した内発的な福祉教育を構築すること――それこそが、戦前の国民動員的な構造を峻別し、個人の尊厳を基軸に据えた現代の福祉教育に課せられた喫緊の学術的・実践的課題である。
【注】


【初出】
「地方改良運動にみる福祉教育実践―福祉教育の遡及的原点を求めて―」『年報』Vol.13、日本福祉教育・ボランティア学習学会、2008年11月、120~129頁。
本稿は、この論考を改題し「おわりに」を加筆したものである。
第2章
昭和初期の郷土教育運動における「社会奉仕」の位相
―現代の「まちづくりと市民福祉教育」への示唆―
はじめに
〇昭和初期に隆盛した「郷土教育運動」は、師範学校と小学校の教育現場を中心に、文部省の提唱・主導のもとに推進された。当時の教育界は、形式的・画一的な知識注入型教育から脱却し、生活実態に即した「教育の実際化」を求めていた。他方、社会経済的には昭和恐慌による農村の疲弊が深刻化しており、郷土の再建は喫緊の課題であった。このような歴史的状況のもとで展開された郷土教育は、単なる愛郷心の育成に留まらず、地域社会の実態を科学的に把握し、社会奉仕を通じて地域改善に寄与しようとする実践的志向を内包していた。すなわち、そこには、今日的な観点からみれば「福祉教育」に通じる側面や要素が萌芽的に含まれていたといえる。
〇当時の運動は、疲弊する農村社会の再生(地域福祉的課題)に対して、教育の側からいかなる実践を提示したのか、またそれが戦時体制の進展のなかでいかに変質し、何を喪失したのか。その点を考察することは、現代の「まちづくりと市民福祉教育」における住民主体形成のあり方を問ううえで、ひとつの示唆を与えるものである。
〇本稿では、郷土教育連盟が示したひとつの指導案の分析を通じて、当時の教育実践がめざした「郷土認識」の実態と、その限界を明らかにしたい。
Ⅰ 文部省と郷土教育連盟による郷土教育運動
〇文部省は、次のような諸施策を通して、郷土教育の振興と郷土研究の確立を図ろうとした。すなわち、1927〈昭和2〉年8月、「郷土教授ニ関スル件」について照会し、全国の師範学校付属小学校を主な対象に郷土教育の実態調査を実施した。1930・31〈昭和5・6〉年度には、師範学校に対して、郷土研究施設を整備・充実するために「郷土研究施設費」を交付した。また、1932〈昭和7〉年5月に「郷土教育資料の陳列と講話」、1932〈昭和7〉年の8月から1937〈昭和12〉年の2月にかけて「郷土教育講習会」をそれぞれ主催した。さらには、1935〈昭和10〉年から1939〈昭和14〉年にかけて、山梨県をはじめ秋田県、茨城県、香川県における女子師範学校を中心とした郷土教育の取り組みを各『綜合郷土研究』として編纂した。これらがそれである。
〇文部省が、このように郷土教育に積極的・主導的に取り組んだ背景のひとつには、教育を取り巻く時代状況があった。当時の小・中学校教育が抱えていた知識偏重教育を打破し、形式的・画一的教育を是正して、実際生活や地方の実情に沿った「教育の実際化、地方化」(外池2004:48頁)の実現が要請されたのがそれである。いまひとつには、体制的危機の経済社会状況があった。1929〈昭和4〉年10月にはじまる世界恐慌と1930〈昭和5〉年1月の金解禁による昭和恐慌が深刻化した1930年代において、農村でも深刻な農業恐慌がおこり、経済的困窮と社会的不安・混乱が拡大・深刻化したのがそれである。
〇そこで、政府(農林省)は、1932〈昭和7〉年から1941〈昭和16〉年にかけて、疲弊した農村(郷土)の復興・再生をめざし、「自力更生」と「隣保共助」の精神を育成する方策として農山漁村経済更生運動を推進した。文部省が主導した郷土教育(農村教育)は、この農山漁村経済更生運動をひとつの契機として、またそれと密接にかかわりながら郷土(農村)の地域改良や地域振興への教育的対応を内実とするものであった。
〇こうした状況のなかで、郷土教育運動の普及・啓蒙に大きな役割は果たした民間教育団体が、1930〈昭和5〉年9月に結成された。「郷土教育連盟」がそれである。連盟では、「郷土教育並郷土研究ノ徹底ヲ期スル」(連盟規約第2条)ことを目的に、月刊雑誌『郷土』をはじめとした図書の編集・発行、郷土教育ならびに郷土研究に関する調査・研究、講演会や講習会の開催などの事業を実施・展開した。1930〈昭和5〉年11月に創刊された連盟の機関誌『郷土』(1931〈昭和6〉年5月『郷土科学』、1932〈昭和7〉年4月『郷土教育』と誌名を変更し、1934〈昭和9〉年5月に廃刊)は、「現代の日本」は「極度の行き詰りに瀕し」、「思想的に生活的に、一大方向転換を画さねばならぬ重大な時機に際会して居」る。そこで、「土地と勤労と民族との三ツの綜合体であり、慈愛に充ちた伝統と希望に燃える人間の生活場」である「郷土」について「正しき認識を体得」する「一大教育運動」の促進を期す必要がある、と「宣言」した。そこには、郷土についての客観的ならびに心情的な、2つの認識が示されていた。また、この創刊の辞では、「土地と住民との交互作用に鋭き科学的認識を進め、経済と社会との相関々係に正しき体験を持つ為めに、『郷土』の合唱が高らかに響き渡らねばなりません」と、郷土を認識する方法として「科学的認識」と「体験」が提示された(伊藤2008:172~174頁)。
〇こうした郷土教育に中心的に関わった人物は、文部省普通学務局嘱託、郷土教育連盟理事を務めた小田内通敏であった(外池2004:200)。
〇以上を要するに、「昭和初期の郷土教育は、官民ともに取り組み、そして『全国的』に『一般化』された郷土教育」(外池2004:39頁)として位置づけられ、展開されたのである。そして、伊藤純郎が指摘するように、文部省の郷土教育運動は「先行研究が説くような愛郷心愛国心の涵養を目的としたものではなく、教育の郷土化、郷土の教育化といった教授上の要求を背景に、現実の郷土を正しく認識理解し、郷土の再編を志向した『郷土認識建設運動』」(伊藤2008:416頁)であった。
〇また、先行研究では「文部省系」の郷土教育論を主観的・心情的、「郷土教育連盟系」のそれを客観的・科学的として、官民の郷土教育論は対立的に捉えられてきた。しかし、両者は「けっして対立するようなものではなく、むしろ連盟は文部省と協力するなかで運動の啓蒙、普及徹底」を図り、「愛郷心愛国心の涵養を主張したのは文部省ではなく、むしろ連盟であった」(伊藤:416頁)。すなわち、両者は相互補完的な関係にあり、郷土教育連盟もまた愛郷心の涵養を重視していた点に留意する必要がある。したがって、昭和初期の郷土教育は、「教育の郷土化」と「郷土の教育化」を志向する総体的な教育運動として把握されるべきである。
Ⅱ 郷土教育と「社会奉仕」実践
〇郷土教育連盟は、1932〈昭和7〉年4月、『郷土学習指導方案』(以下、『方案』)を刊行した。『方案』は、「郷土教育をいかに実施するかに就ての具体的提案であり、実際的指導案」を編んだものであり、連盟の委嘱を受けてその編纂と執筆に関する一切の労を執ったのは雑誌『近代教育』主幹の志垣寛であった。その「第二編 各学年月次郷土学習案」では、尋常一学年から高等二学年までの8学年毎に、総計88の「題材」(単元)についての指導案が示されている。これに基づいて、全国の学校では「各地方の状況並に受特(ママ)(持)児童の心理程度に適合するやう工夫」され、授業が展開されたであろうことは推察に難くない。
〇以下に、高等一学年十月「郷土生活と社会奉仕」の指導案を紹介する(『方案』:185~189頁)。

〇この指導案の「主旨」は、「郷土生活に於ける社会奉仕の実現状況を調査し、其の精神を高むると共に更に新なる奉仕への出発を促す」ことにある。「学習事項」には、「郷土に於ける社会事業」「学童或は少年団青年団の奉仕事業」が含まれ、具体的な「取扱方」として次のような実査活動が挙げられている。
・社会事業の調査:図書館、学校、病院、養老院、孤児院などの公益施設の実状把
握。
・公徳心の実態把握:交通道徳、公共営造物(神社、公園、共同井戸、共同便所
等)の愛護状況、落書きの有無などの点検。
・職業活動の連関:農業・工業・交通運搬業・商業の活動、知識階級(医師・弁護
士等)の活動が「互に相もちもたれて」いる社会構造の図示。
〇すなわち、この指導案は、(1)郷土生活における社会事業や社会奉仕の現状を客観的に理解するとともに、公徳心の実態を把握するための「実査」(調査)活動が重視された。これは、地域課題を客観的に把握させようとする点で、現代の「まちづくり」教育(学習)に通じるところがある。(2)調査項目は、郷土の生産活動(職業活動)や生産関係を重視し、それを明らかにしようとする視点から編成された。これは、職業を通じた社会貢献を強調し、社会を「共同協力体」として捉えさせる視点を持つものである。しかし、ここでの社会奉仕や職業活動は、あくまでも(3)郷土生活のための社会的規範や公徳心、道徳心を説き、その育成を図ろうとするものであった。したがって、(4)郷土教育は「涙なしに直視する事は出来ない」現代農村の窮乏に着目し、郷土を再建・再生しようとするものであったが、指導案では態度や行動が強調され、問題の根本的な解決をめざす理論的裏付けを欠いた情感的・修養的な実践に留まった、といえよう。要するに、この指導案は、資本主義の全般的危機が進行する経済社会状況(郷土生活)を深くえぐりだす社会科学的なものとはなり得なかったのである。
Ⅲ 郷土教育と「まちづくりと市民福祉教育」
〇以上の考察を踏まえ、現代における「まちづくりと市民福祉教育」に対する示唆として、次の3点に集約する。
〇(1)1930年代・昭和初期に隆盛した郷土教育は、経済不況と社会不安が深刻化し、1931〈昭和6〉年9月の満州事変にはじまる戦況が進展するなかで、郷土についての客観的・科学的理解よりも、愛郷心ひいては愛国心の涵養を図ることが優先されがちであった。そうしたなかで、郷土の実態を歴史的・社会的に認識・理解する視点が希薄化し、郷土の諸事象や諸問題に深く切り込み、「地域再生」「地域振興」を図るような教育・学習を展開していくには限界があったといわざるを得ない。
〇とはいうものの、「郷土学習」や「郷土人の生活姿態」についての調査活動の教育方法論には、その目的や内容などをめぐる時代性は異なるものの、「まちづくり」を企図する「市民福祉教育」にとって学ぶべき歴史的教訓がある。
〇(2)郷土教育は、今日いわれるところの「地域に根ざす教育実践」のひとつであった。『方案』は、「郷土学習は郷土それ自体を以て教材とし、教室とする」として「郷土の各官公署団体特(ママ)(篤)志家との連絡」を重視した。たとえば、「人の側から云へば各種公人、学者、医師、芸術家、篤農家、古老等々を学校の講師として予め嘱託して置く必要がある」とした(『方案』:64頁)。また、郷土学習では「社会の実務に参加し、或は又一つの運動を起すが如き事もあるべきである」としている(『方案』:89頁)。要するに、郷土教育は、官製のそれであったとはいえ、住民自治的観点をもちつつ教育への住民参加(「郷土の教育化」)や住民主体形成を促す原初的な形態をなす教育実践であった、といってよい。ここに、官製「自治」意識の育成を図るひとつの教育的方途としての、「上から」の郷土教育の歴史的意義を見いだすことができる。それは、ガバナンスや地域主権・住民主権に基づく地域振興を推進するための、「下から」の「市民福祉教育」が留意すべき点でもある。
〇(3)周知のように、郷土教育運動は、戦時体制化が進み、国民精神総動員運動がはじまる1937〈昭和12〉年を境に、当初の、郷土を正しく認識・理解し郷土の再生をめざす実践的な教育運動から、郷土愛を愛国心・「尽忠報国ノ精神」にまで涵養・高揚させることを目的とする観念的な精神運動に変質する。そして、それは、日本のファシズム体制の確立を促すことになる。こうした歴史的認識を踏まえて、今日、「市民福祉教育」の推進を図るに際しては、地域社会(郷土)についての確かな理性的認識に基づく感性的認識や、するどい客観的批判や社会的抵抗をともなう「市民」参加が必要かつ重要となる。
おわりに
―歴史的限界の超克と「市民」形成の課題―
〇本稿では、昭和初期の郷土教育運動における「社会奉仕」の位相を、郷土教育連盟の指導案分析を通じて考察してきた。 当時の運動は、疲弊する農村の現実を「実査」という科学的手法で捉えようとした点において、極めて先駆的な地域教育の実践であった。しかし、その認識が社会構造の根本的な批判へと向かわず、個人の「公徳心」や「奉仕精神」という情感的・修養的な次元へと回収された点に、その歴史的限界がある。この「科学的認識の精神主義化」こそが、のちに運動が戦時体制下の国家奉仕へと純化していく分岐点となったといえる。
〇この歴史的経験は、現代の「まちづくりと市民福祉教育」に対しても重大な示唆を与えている。地域課題の解決に向けた住民主体の形成において、単なる「郷土愛」や「ボランティア精神」の強調は、時として無批判な体制補完に陥る危うさを孕んでいる。今後は、本稿で扱った指導案が実際の教育現場でどのように受容・変容されたのか、地域ごとの具体的実践例の掘り下げが必要である。郷土教育が残した「地域に根ざす教育」という遺産を、いかにして批判的・主体的な「市民」の形成へと繋ぎ直すか。この課題の解明こそが、現代の「まちづくりと市民福祉教育」に課された責務である。
引用・参考文献
(1) 郷土教育連盟(1932年)『郷土学習指導方案』刀江書院。
(2) 外池智(2004年)『昭和初期における郷土教育の施策と実践に関する研究』NSK出版。
(3) 伊藤純郎(2008年)『増補 郷土教育運動の研究』思文閣出版。
【初出】
「郷土教育運動にみる福祉教育実践―市民福祉教育をめぐる断章―」『ふくしと教育』第7号、大学図書出版、2010年4月、46~49頁。
本稿は、この論考を改題し加筆・修正を行ったものである。
第2部
戦後初期福祉教育実践の展開
―特定地域における先駆的実践の位相―
第3章
徳島県・平岡国市による「子供民生委員」制度にみる「民生村造り」
―現代の「まちづくりと市民福祉教育」への地平―

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【初出】
『子供民生委員と市民福祉教育』中部学院大学、2005年4月、7~60頁。
本稿は、この論考を改題したものである。
【参考】
『戦後初期福祉教育実践史の研究』角川学芸出版、2006年4月、13~65頁。
第4章
神奈川県における「社会事業教育実施校」制度にみる福祉教育実践
―学校における福祉教の嚆矢―
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【初出】
『神奈川県 社会福祉研究普及校制度の30年―学校における福祉教育の嚆矢―』宝仙学園短期大学、1979年4月。
本稿は、この論考を改題し大幅に加筆・修正を行ったものである。
【参考】
『戦後初期福祉教育実践史の研究』角川学芸出版、2006年4月、101~125頁。
第3部
「まちづくりと市民福祉教育」の実践・研究の展開
―その現代的意義と展望―
第5章
福祉教育論の再考と現代的展望
―大橋謙策の思想的源流から―
只今、準備中です。
第6章
「まちづくりと市民福祉教育」が拓く新たな地平
―「思いやり教育」から「権利と構造変革の教育」への転換―
只今、準備中です。
第7章
「まちづくりと市民福祉教育」の計画化と実践的展開
―“ あいとぴあカレッジ ” における立案プロセスとプログラム編成の視座―
只今、準備中です。
「まちづくりと市民福祉教育」研究
―その思想的系譜と変革の実践原理―
発 行:2026年〇月〇日
著 者:阪野 貢
発行者:田村禎章・三ツ石行宏
発行所:市民福祉教育研究所




