阪野 貢 のすべての投稿

いまを描く

限られた 生命(いのち)
限られた 時間(とき)
限られた 思索(おもい)

穏やかに 血を巡らせよう 
静かに 血を滲(にじ)ませよう 
強く 血を滾(たぎ)らせよう

いまを描くということ
広く ことばを思い浮かべよう
深く ことばを吹き込もう
豊かに ことばを手繰(たぐ)らせよう

いまを描くに足りぬということ
己の無能さを 心に留め置こう
己の非力さを 心に思い知らそう
己の無知さを 心に刻もう

いまを描くに足るということ
いのちと暮らしを脅(おびや)かすものの 正体を明かす
世の非情と不条理を許すことを 拒否(こば)み続ける
人の情けの深さを 広く世に知らしめ連帯(つなが)る
人生の喜びと悲しみを感受し 共に甘受する

宇宙の悠久の時(とき)の流れの一瞬に
いまを生きるということ
いままで生きてきたということ
確かに紡いできたと信じる
いのちとこころの営みを 
まだ許されるなら 描き続けたい

〔2020年5月18日書き下ろし。なぜ書くのか、いつも葛藤している〕

「断絶の時代」に「分断社会」を考える―井手英策ほか著『分断社会を終わらせる』読後メモ―

〇スローガンだけの「今」の政治では社会は変わらない。そのことを知りつつも、響きの良い言葉に淡い期待を寄せてきたのではないか。そのあいだに地域・社会では、静かに地殻変動が起こり、「断絶」(「不連続」)すなわち新たな時代への兆候が見られる。コロナ禍における地方自治体の地域主権の取り組みや、「#検察庁法改正案に抗議します」というツイッターデモなどが注目される。「今」を「過渡期」と前向きに評価するのは、楽観的すぎるだろうか。「マネジメントの父」と言われ、グローバル化などを説いたP.F.ドラッカーの『断絶の時代―来たるべき知識社会の構想―』(林雄二郎訳、ダイヤモンド社、1969年1月)を想起する。
〇筆者(阪野)の手もとに、そのタイトルに「分断」「分断社会」という文言が入っている本が4冊ある(しかない)。

(1)井手英策・古市将人・宮崎雅人『分断社会を終わらせる―「だれもが受益者」という財政戦略―』筑摩書房、2016年1月(以下[1])
他人に対して冷淡で不機嫌な社会――。それが今の日本だ。世代間、地域間、性別間、所得階層間それぞれの対立が激化し、人々は、バラバラな存在へと追いやられている。永続的な経済成長をあてにする「勤労国家レジーム」が、こうした状況を生み出した。井手らは本書で、財政を通じて(財政社会学によって)日本社会の閉塞状態を解き明かし、打開策を示す。すなわち、分断社会を終わらせるべく、すべての人の基礎的ニーズを満たすという「必要原理」に基づく財政戦略を提唱する。そして、暮らしの安心の実現が、格差是正と経済成長を実現させることを説き、来るべき未来を構想する。(カバー「そで」、15ページ)
(2)塩原良和『分断と対話の社会学―グローバル社会を生きるための想像力―』慶應義塾大学出版会、2017年4月(以下[2])
マイノリティや社会的弱者への排外主義・社会的排除という風潮がある。マイノリティとは、その人が有する差異に基づいて社会的に不利な立場に固定化されてしまった人々をいう。そういう人々や、障がい者や貧困層といった社会的弱者が置かれている立場や思いに対する「想像力」が不足している。あるいは、想像すること自体を拒絶していると思わざるをえない出来事が頻発している。塩原は本書で、現代のグローバリゼーションという社会変動とそれに伴って出現する「分断」の時代状況を読み解く「想像力」と「対話」について考える。塩原にあっては、他者に対する「想像力」とは、「個人が知識を活用しながら自らの共感の限界や制限を押し広げて、他者を理解しようとする努力」である。急激な変化の時代においては、現状の問題点を見極め、より良い社会と人間の生き方を考えていく「批判的思考」が不可欠である。その前提となるのが、社会と歴史に対する「批判的想像力」である。塩原にあっては、「対話」とは、「人間であるかもしれないし、そうではないかもしれない『他者』との共約不可能な差異を前提としつつ、それでも他者を理解し承認するためにその声に耳を傾け、それに応答しようとする営み」である。その際の「他者」に関して、「対話」とは人間同士のコミュニケーションと、自然や歴史・科学などに注意深くあることを意味する。「共約不可能」とは、両者を単純に比較してどちらが正しいのかを比較することができないことをいう。(1、4、6、11~12、15、25、193~194ページ)
(3)井手英策・松沢裕作編『分断社会・日本―なぜ私たちは引き裂かれるのか―』(岩波ブックレットNo.952)岩波書店、2016年6月
なぜ、日本社会は正規労働者と非正規労働者、非正規労働者と生活保護受給者というように、「彼ら」と「われわれ」が引き裂かれ、分断されているのか。分断は、人々の存在を尊重することの欠如に由来する。分断が問題なのは、社会のいたるところに境界線が引かれ、相手の立場や境遇を理解する前提ともいうべき「想像力」が次第に失われていくことである。その時どきの支配者は、社会の凝集力を維持するために、もっともらしい装いをした偏ったイデオロギーによって人々を理念的に結合し、社会や国民を力ずくで「建設」しようとする。こうした分解と国家的・理念的結合が、全体主義の時代を生むメカニズムである。社会が他者への想像力をなくし、価値を分かち合えなくなったとき、社会は人間の群れとなる。井手・松沢らにあっては、分断をなくし、対立点をなくするためには、この社会に無数に引かれ、混線してしまっている分断線を一つひとつ解きほぐしていき、新しい秩序や価値を創造し、痛みや喜びを共有することを促すような仕組みを作り出していくしかない。今の「分断の政治」を「共通の政治」に変えられるかどうかである。(2、15、61、78、85~86ページ)
(4)吉川徹・狭間諒多朗編『分断社会と若者の今』大阪大学出版会、2019年3月
今の若者は「日本社会のあり方について肯定的になっている」、「価値観がゆるやかに保守回帰している」、「日常の活動が消極的でおとなしくなっている」などの傾向にあると言われる。吉川らは本書で、2015年1月に実施した「第1回階層と社会意識全国調査」のデータに基づき、さまざまなトピックから、若者(20~30代の若年成人)における「今」の捉え方に「分断」が生じていることを明らかにする。「今」の捉え方とは、今という時間や今の自分、今の社会をどのように考えているのか、ということを意味する。そこで扱う若者の意識や態度・行動は、「現在志向(将来のために努力するよりも今現在を楽しむことを重視する態度)」「権威主義的態度」「自民党支持」「消費」「幸福感」「大学進学志向」「働き方と自由」「性別役割分業意識」などである。要するに吉川らは、今の若者は一括(ひとくく)りにすることはできない。社会的な立ち位置(社会階層の高低)によって、それぞれの意識に強弱があり、複雑な様相を呈していることを描き出す。(2、255~258ページ)

〇以上のうちから本稿では、[1][2]の2冊の本から筆者なりに再認識しておきたい言説や論点のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

[1]井手英策ほか『分断社会を終わらせる』
「勤労国家レジーム」と「分断社会」
「勤労国家レジーム」とは、「成長や所得の増大がなければ人間らしく生きていけない枠組み」をいう。それは、所得減税と公共投資(公共事業)を骨格とする。そのもとでは、社会保障は就労ができない人向けの現金給付に集中し、育児・教育・医療・福祉・介護などの現物給付(サービス)を個人や市場原理に委(ゆだ)ね、租税負担率を低く抑えるレジーム(体制)となる。それは、財政の「限定性」(現物給付の占める割合が限定される)、「選別性」(給付が低所得層や高齢者、地方部などに集中する)、そしてその背景となる「自己責任性」(国民の自助努力と自己負担が前提となる)として特徴づけられる。それはまた、歳出の抑制・削減を意味する(25~27ページ)
高度経済成長期に原型が育まれ、1970年代に定着し、1990年代に全面化した勤労国家レジームは、長期にわたって人々の生活や考え方に強い影響を与えてきた。だが、経済環境、社会構造、財政ニーズの変化を受けて、このレジームは明らかに社会の不安定要因となりはじめている。勤労国家レジームの機能不全とその負の遺産が、所得階層間、地域間、政府=納税者間、世代間の対立を強めている。「分断社会」はこうして生み出されたのである。(41ページ)

勤労国家の「負の遺産」(「3つの罠」)
「勤労国家レジーム」の3つの性質(「限定性」「選別性」「自己責任性」)は、それぞれ複雑にからまり合いながら、「再分配の罠」「自己責任の罠」「必要ギャップの罠」を日本社会にもたらし、生きづらさや閉塞感、不安感を人々に与えてきた。(28~41、182ページ)
「再分配の罠」は、低所得層や地方住民を救済することによって受益者にし、負担者になる中高所得層や都市住民が不信感(政治不信)を強め、所得再分配への合意を難しくすることをいう。(29~30、41~42ページ)
「自己責任の罠」は、自己責任社会・日本では、経済成長が難しくなり政府の役割・期待が大きくなると、経済成長へのさらなる依存が進み、新たなニーズに対応できない政府への不信感も強まるという逆回転(負の循環)をいう。(36~37、41~42ページ)
「必要ギャップの罠」は、例えば、現役世代(子育て)と高齢者(介護)の必要(ニーズ)がズレることによって生み出される対立の構図をいう。(38~39、41~42ページ)
「受益のないところに共感はない」というリアルな現実が人々の目の前に横たわっている。(32ページ)

「救済型の再分配」と「共存型の再分配」
所得再分配政策の肝は、受益者の範囲を広げて、社会全体で課題を共有することで対立を解消する「したたかさ」にある。これこそが日本の政治に欠けていた視点であり、限界性や選別性、自己責任性を重視してきた勤労国家の負の遺産である。
貧しい人を助ける「救済型の再分配」だけが再分配なのではない。そのような再分配だけで財政ができているわけでもない。慈善心が財政を作ったのではない。人間の必要が財政を作り出したのである。
歳をとって所得を失うリスク、失業するリスク、病気になるリスクなどは、個人で完全に対処するのは難しいし、リスクに直面すると、誰しも身動きがとれなくなる。誰にでも訪れうるリスクをメンバー全員で共有できるような再分配、困った時はお互いさまという意味での「共存型の再分配」も、財政の重要な機能である。(58ページ)

「必要原理」と「分断社会」
日本社会が陥っている「3つの罠」から抜け出すためには、人間の生存・生活にかかわる基礎的ニーズを財政が満たすというアプローチが肝要である。その核となるのが「必要原理」である。それは、経済成長を前提とした、「市場原理」に基づく「救済型の再分配」とは別物である。「人間に共通する利益」に着目し、幅広い受給者のニーズを満たしていく、「広く負担を課し、広く給付する」「だれもが受給者」という理念や財政戦略をいう。従来の「成長=救済型モデル」を「必要=共存型モデル」に取って代えることである。(32、142、182~183ページ)
中間層を受益者とすることで「再分配の罠」を乗り越える。自己負担ではなく社会でリスクを共有し合うことで「自己責任の罠」から脱出する。人間の生活に必要なサービスをライフスタイルに応じてバランスよく配分することで「必要ギャップの罠」を解消する。「誰かの利益」を「みんなの利益」に置き換え、これらを束ねた結果として経済成長や財政再建を実現する。
これは、必要原理を起点として、少しずつ受益者の範囲を拡大し、人間と人間が対立する原因を消失させ、分断社会そのものを終わらせようというものである。(183ページ)

[2]塩原良和『分断と対話の社会学』
マジョリティの「勘違いの共感」
マジョリティ(「ふつう」だとされる人々)側に立つ人々がマイノリティに「共感」(他者の経験や感情を自分のことのように感じること)したからといって、それが直ちに「加害可能性」への気づきをもたらすとは限らない。加害可能性とは、自らが知らないうちにマイノリティにとっての加害者になっていたのかもしれないという意味である。また、共感が「連累」(れんるい)への自覚をもたらすとは限らない。連累とは、自らが受益してきた社会構造によって他者が苦しみを被ってきたという意味である。そのような共感は、マジョリティの人々が自らとマイノリティを過度に同一視し、そもそも社会構造的に異なる立場にあるかれらを、あたかも自らと同じ立場に立つものであるかのように錯覚することになりかねない。
「あなたの痛み、私にもわかる」というマジョリティ側からの共感の表明が、マイノリティ側からの「あなたに何がわかるのか」という拒絶にしばしば直面する理由がこれである。そんなとき、マジョリティの人々はマイノリティの人々の「傷つきやすさ」をわかったつもりになっているが、実は他者という鏡に映った自分自身の「傷つきやすさ」を眺(なが)めているにすぎない。要するにそれは、マイノリティの境遇に同情する「善意の」マジョリティが陥りがちな「勘違いの共感」なのである。(4、9、166~167ページ)

マイノリティの「傷つきやすさ」
マイノリティの置かれた不公正な状況の是正をめざすためには、そうした不公正がいかにして歴史的に形成され、社会的に構造化されてきたのかに注目する必要がある。それは必然的に、今を生きるマイノリティが抱える「傷つきやすさ」が、マジョリティの人々の「傷つきやすさ」と安易に同一視できるものではないという理解を導く。そしてそうした独特の「傷つきやすさ」を緩和するために、マイノリティが置かれた経済社会的なヴァルネラビリティ(不安定さ)を緩和する措置が、ときには優先的に与えられねばならなということになる。これが、マイノリティへの支援・優遇措置を正当化する論理である。(167ページ)

「とりあえず、なりゆき」任せの対話
「想像力」を養うためには、他者との「対話」が必要になる。それは、とりあえず「なりゆき」に任せてやってみることが、意外と有効で実践的な戦略である。
グローバリゼーションの時代とは、自分が始めた小さな行為がきっかけとなり、それが他者とつながることで、大きな流れになることが可能な時代である。それゆえ他者との対話と想像力を推し進めていくために、とりあえず身近な誰か、あるいは何かとの真摯な対話の試みから始めて、なりゆきに任せてみるのも悪くない。その可能性を信じる勇気と楽観性を持てるかどうかが、この見通しの悪い世界のなかで「リアル」でいられるか、現状追認や大勢順応に陥ってしまうのか、分かれ目になる。一つひとつの小さな対話がつながり、やがて大きな対話的想像力のネットワークになっていけばよい。それが社会(世界)を変えることになる。(207~208ページ)

〇「今」の社会は、「地域共生社会」「全世代型社会保障」といったスローガンだけが躍り、その実は子どもから高齢者まですべての人が「生きづらい」社会である。表現の自由が失われ、監視と検閲がまかり通り、公務員やメディア関係者らも委縮する「息苦しい社会」である。近未来の全体主義社会を風刺し、警鐘を鳴らしたイギリスの作家ジョージ・オーウェルの小説『1984年』(高橋和久訳、早川書房、2009年7月)を想起する。
〇正義感をひけらかして政権批判を繰り返し、政策や制度の問題点や課題をあげつらうだけでは、社会は変わらない。「批判」は、「既存の常識を疑い、それとは異なる(オルタナティブな)新しい発想、価値観、方法を創造すること」([2]14ページ)である。
〇「今」求められるのは、「断絶の時代」認識と、「分断社会」についての“熱い胸”と“冷たい頭”すなわち感性的認識と理性的認識、そして主体的認識である(一番ヶ瀬康子。<雑感>(68)2018年11月27日投稿、参照)。
〇日本の政治や経済、社会は未曽有の危機にある。教科書で学んだ「先進国」や「経済大国」そして「民主国家」のニッポンは、地に落ちた。「がんばろう」「大和魂」「絆」などには危うさがつきまとう。そんななかで、ネットなどを通じた”共働”によってコミュニケーションの幅を広げ、新たな市民運動を展開することを経験している。また、「次の選挙であなたの対立候補に投票しますよ」(相澤冬樹)という言いまわしを再認識した。「ふつう」の市民が政治について自由に語り自律的に行動することが、民主主義を豊かにし、健全なものにする。その民主主義を支えるのはメディアである。その先に「生きやすい」「ゆったりとした」社会の”共創”があろう。そこで問われるのが井手や塩原らがいう「(批判的)想像力」と「対話」であり、その育成や推進である。自戒の念を込めて、改めて確認しておきたい。

現代政治ことわざ誤用集(その2)

〈七転び八起き〉
権力者が 民に要求すること

〈花より団子〉
桜を見る会のこと
どんな団子が与えられたのでしょうね

〈無理が通れば道理が引っ込む〉
国会運営の手法です
無理を通して 道理は消されること
 
〈蛙の面に水〉
スピード感をもった鈍足
真摯に丁寧にと使う枕詞(まくらことば)
慣れると何にも感じない 

〈帯に短し襷に長し〉
適材適所の要職に収まる議員がいないこと

〈転ばぬ先の杖〉
検察庁法の改正そのもの

〈船頭多くして船山に上る〉
コロナ後のどんぐりの背比べ
誰が船頭になるのやら 自民党議員の悩み深し
着く船頭で 大臣の椅子が決まるからね

〈棚からぼた餅〉
公明党の仕掛けた 手柄の横取りみたいなこと

〈蛙の子は蛙〉
だから 2世3世議員がゴロゴロ
ゲロゲロ鳴いて 金集め

〈聞くのは一時の恥 聞かぬは一生の恥〉
専門家の意見を聞いてと たぶらかすこと

〈頭隠して尻隠さず〉
妻の監督不行き届けです

〈仏の顔も三度〉
信仰がないから 三度くらい許されても意味はない
だから何度悪さしても こりないということ

〈瓢箪(ひょうたん)から駒〉
マスクで人気を取りましょう
やってしまった!

〈急いては事をし損じる〉
緊急事態宣言を解除した“いま”だよ!

〈情けは人のためならず〉
人に情けはかけてはならない
すべては自己責任だということ

〈知らぬが仏〉
ヤバいのに不安をあおらぬよう 緊急事態宣言の解除をすること

〈紺屋の白袴〉
議員は 先に自分の袴を染めてます

〈芸は身を助ける〉
議員の多くは 太鼓持ち

〈可愛い子には旅をさせる〉
米国留学は 箔を付けることだっけ

〈親の心子知らず 子の心親知らず〉
親子のコミュニケーション不足だけでなく
政権と国民との関係のこと

〈弘法も筆の誤り〉
間違っても 言い訳だけがうまくなるということ

〈岡目八目〉
政権に 諫言をしてくれる人がいないこと

〈縁の下の力持ち〉
国民のこと

〈能ある鷹は爪を隠す〉
能がない鷹は バッチを爪にすること

〈一寸の虫にも五分の魂〉
壱千万件のツイッターも 一寸の虫扱いにすること

〈後の祭り〉
間に合わなければ 何の役にも立たない
予想される コロナ禍後のドタバタのこと

〈言うは易し行うは難し〉
緊急事態宣言解除後の自粛生活

〈笑う門には福来たる〉
その日が待ち遠しい
だから 笑顔を絶やさすにいよう
えっ マスクでわからない
だから 暗い世間です

〈身から出た錆〉
ボーとしていた議員が 首を洗って待つ日を数えること

〈早起きは三文の得〉
夜の宴会なくなって 資金繰りが難しい早寝の議員 
三文で我慢して

〔2020年5月17日書き下ろし。第2集です。まだまだ続けるつもりです〕

現代政治ことわざ誤用集(その1)

〈急がば回れ〉
スピード感をもってと言いながら
いつも遅きに失すること

〈二兎を追う者は一兎をも得ず〉
オリンピックと改憲
欲張ったツケは 国民が払うということ

〈柳の下の泥鰌(どじょう)〉
一度上手くいったからと
決めつけて 墓穴を掘ること

〈猿も木から落ちる〉
コロナで 手痛いしっぺ返しを受けること

〈失敗は成功のもと〉
失敗は 周りがみんな尻拭いしたから
彼らにあげた褒美(ほうび)を喜んだということ
“失政は出世のもと”ともいう

〈好きこそものの上手なれ〉
野党をからかうのは大好き
どんどん話術も態度も上達すること

〈人の振り見て我が振り直せ〉
民が政治家の振り見て 考え直すということ

〈楽あれば苦あり〉
次の選挙は 落選の憂き目にあうということ

〈出る杭は打たれる〉
だから官僚は 従順に仕事をするということ

〈逃した魚は大きい〉
ツイッター壱千万件を無視したつけが 議員の首を絞めるということ

〈取らぬ狸の皮算用〉
非常事態宣言を解いて 経済回復を目論んだ途端に挫折するということ

〈暖簾に腕押し〉
マスク配ります 支援金出しますって
頑張ったところで 大した手応えが返ってこないこと

〈鬼に金棒〉
検察庁法の改正 やる気満々
後に続く者への置き土産

〈先んずれば人を制す〉
先を越されて あわてて取り繕い
やってる感を演出するということ

〈火のない所に煙は立たぬ〉
いつも消火器を用意して さっさと消し回ること
広島の夫婦は 消しきれなかったことが悔やまれる

〈類は友を呼ぶ〉
党という看板の下で 友だちごっこすること

〈雨降って地固まる〉
コロナ禍で そう思いたいそうありたいと願う心境のこと

〈塵も積もれば山となる〉
7年もやってれば 掃除しきれない塵は出てくる
いまじゃふんぞり返った政治家が ゴミの山になったということ

〈溺れる者は藁をもつかむ〉
これから始まる党内の政権争い 楽しませてほしい

〈大は小を兼ねる〉
政治家は小ばかりで大がいないから 兼ねられない
でも “山椒は小粒でもピリッと辛い”のは 大歓迎です

〈負けるが勝ち〉
と思った瞬間 その座から滑り落ちるので
決して負けを認めず “真摯に丁寧に”を繰り返すだけのこと

〈下手な考え休むに似たり〉
リタイヤしてほしいと 多くの民は願いを込めている

〈喉元過ぎれば熱さを忘れる〉
“もりかけ”そばにして 喉越し良く飲み込もうとしても
次から次へと問題が起こって 忘れることができず嘆きが続く

〈朱に交われば赤くなる〉
小泉進次郎環境相です

〈口は災いの元〉
森まさこ法相です

〈思う念力岩をも通す〉
壱千万件のツイッターの声が集まった
政治の新しい流れが生まれる可能性を信じたい

〈蒔かぬ種は生えぬ〉
政治家のスキャンダル 
蒔いたから生えてきただけのこと

〈論より証拠〉
これで7年間 逃げおおせた名言

〔2020年5月17日書き下ろし。第1集です。楽しめましたか?〕

嘘つき

女は 可愛いらしく嘘をつく
男は コロリとだまされたフリをする
女は ニコリと笑顔を返す
男は ニヤッとかしずくフリをする

男の嘘は 見苦しい
男の嘘には 笑えない
男の嘘ほど 始末に悪い

男は 嘘つきだった
男が 嘘を嘘と言ったら…
真実に なるのだろうか
男が 嘘を嘘の嘘と言ったら…
真実に 近づけるのだろうか

遠い昔 カルカッタと呼ばれた地に
マザーテレサに 逢いに出かけた
バスの車窓から垣間見た
ヒンズー教徒が群がる聖なる巡礼地 
ガンジス河のほとり

異教徒である男が 
嘘で固めた 言葉の屍(しかばね)を
ガンジスの河原で 荼毘(だび)に伏し
その灰を流したら 
言霊(ことだま)は 転生するのだろうか

〔2020年5月16日書き下ろし。男たちの嘘が世界を覆う。悪夢の終わりはあるのか〕

捨てると捨てられる

捨てる
捨てるだけのものは 持ち合わせてはいない
捨てきれないでいるものは 少なからず持っている

捨てる
捨てるしかないものを 未練たらしく持ち続ける
捨てるところがないものは 仕方なく捨てたフリをする

捨てる
捨てなければならないものは さっさと捨てて身を軽くしたい
捨てても悔いのないものは その価値(あたい)はすでに切れている
捨ててこそ あたい(私)は生き延びる

なになに 捨てたのは「壱千万の民(私たち)の声〕だって
あたい(私)の価値(あたい)を 見せつけた
この思いっきり すごいね えらいね さすがだね

ちょっと 待って!
捨てるのは 思ったほど簡単じゃない
あたいが捨てたつもりでも 
ほんとは 捨てられているってことになってない

お役御免って 周りが言えば
捨てられるって 惨めなことかもしれない
お役御免って 先に言えば 
潔(いさぎよ)しと カッコつくかもしれない

でも ほんとはもう捨てらちまったって
よく聞く 巷(ちまた)の話だよ

〔2020年5月16日書き下ろし。身の引き方の潔さって、政治家にあったっけ?〕

お疲れさん

やればやるほど 空回り
やる事なす事 後手後手で
やる事なす事 不評を買った

やればやるほど 疲れが丸見え
語れば語るほど やる気は失せた
語れば語るほど 支持率落ちた

動けば動くほどに 本気は萎んだ
もがけばもがくほどに 根気も消えた
あせればあせるほどに 仲間が減った

出せば出すほどに 軽く見られた
支援のお金で 立て直し
支援のお金の 出し惜しみ
支援のお金は いまは手切れ金と相成った

休んでもいいですよ
潮時です
次の人に託しても 誰も困りません
あなたがそこにいるので みんな困っています

もう休んでいいですよ
潮時です
あなたなりに 頑張りました
かなり白髪(しらが)が 増えてきましたね

責任? 十分果たしました
これ以上 何も求めません
これ以上 無理をしないでください
これ以上 無駄なことはしないでください
これ以上は 期待してません

あなたが頑張ってきたことは 忘れません
精一杯 仲間のために尽くしました
オリンピックまでは 持ちこたえられないって
みんなわかっています
改憲も キッパリとあきらめてください
これも人生と 割り切るしかないでしょう
これからは 音楽と読書で 喜楽にしてください

ほんとに ご苦労さんでした
心から お疲れさんでした

〔2020年5月15日書き下ろし。昨夜の記者会見を見て、やさしく諭してあげたい。周りは退場のタイミングを計るしかないかと〕

無上なるもの

悄然(しょうぜん)と 立ち尽くす
視界が遮(さえぎ)られ 
鬱蒼(うっそう)とした静寂な森に入るように 
光明の見えぬ不安と恐怖心で 足がすくむ
それでもなお 半歩進まねばならぬ

世界を覆った 残忍な新型コロナウイルス
自然の脅威に 晒され振り回される
誰かまわず無差別に 音なき殺戮を繰り返す 
このまま立ちすくんでいれば 多くの死者を見送る
躊躇(ためら)い 苦悩(なや)みながらも
もどかしさを振り切って
半歩前に踏み出し 闘いに挑む

その勇気は
信頼という名の無比なるもの
その決断は
確信という名の無二なるもの
その行動は
信託という名の無我なるもの

そこで為される施政こそ
共存共生という名の無上なるもの

〔2020年5月14日書き下ろし。いま指導者に求めたい。前に進むための指導力がほしい〕

憤怒とことば

憤りを口にする
露わな憤怒(いかり)の感情は 
自制の効かぬ己を 貶(おとし)める
憤りを口にする
勢いで発せられたことばで 
暴力的な汚辱(おじょく)に 己が塗(まみ)れる 

憤りを書きとめる
憤怒は ことばに置きかえられ 
生じた理由(わけ)の 感情の整理が始まる
憤りを書きとめる
辛辣(しんらつ)なことばが 次々と吐き出され
憤怒が さらなる勢いを取り戻す

己の世の中への小さき憤り
非力ではあるが 無力ではない
己の小さき存在
ひとりではあるが 決してひとりではない
己から発せられ記(しる)されたことば
腐るかもしれないが 腐らしてはならない

憤怒を 批判力にかえて
人と世のあり方を問い続ける
ひとりではあるが 決してひとりにはならない

〔2020年5月13日書き下ろし。世相への憤(いきどお)りに憤怒(ふんど)のことばを綴り続けることしかできない〕

コロナ禍後の分断

生き残りし者たちは
生き残るに足る環境のなかでいた

生き残りし者たちは
ダメージも小さくストレスだけが大きかった

生き残りし者たちは
社会は以前には戻らないことを知っていた

生き残りし者たちは
すぐに暮らしを取り戻す体力を温存していた

ようやく生き残りし者たちは
いのちあることが唯一だった

ようやく生き残りし者たちは
仕事を失い暮らしの基盤を失った

ようやく生き残りし者たちは
カツカツの暮らしを余儀なくされた

ようやく生き残りし者たちは
高いつけを生涯負わされていくことを知った

生き残りし者たちと
ようやく生き残りし者たちとの
心の深い分断があからさまになった
支配する者と
支配される者との
貧富の確かな分断があからさまになった

コロナ禍後 世界は
新たな権力闘争の絵を描き始めた
新たな支配地図を描き始めた

コロナ禍後 世界は
支配する者たちの欲望が むきだしにされていた
支配される者たちの絶望で 打ちのめされていた 

〔2020年5月12日書き下ろし。コロナ禍後の世界をネガティブに想像することは、そうならないための叡智を求めていくことになる〕