阪野 貢 のすべての投稿

一筆啓上

マスク着用の件につきましては
決めたのはそちらさんです
もろにピント外れの感覚に
呆れかえっています

もう議員をお辞めになり
豪邸に隠棲する潮時です
誰にも害は及びません
そうなれば諸手を挙げて感謝いたします

〔2021年3月20日書き下ろし。麻生さんの発言への一国民の率直な回答です〕

付記
麻生太郎財務相全発言
「(緊急事態宣言を)これくらい長くやっていると、なんとなく…いわゆる…。なんだろうね。どれくらいやってるかね。マスクなんて暑くなって、口の周りがかゆくなって最近えらい皮膚科がはやっているそうだけど。(マスクは)いつまでやるんだね?真面目に聞いてるんだよ、俺が。あんたら新聞記者だから、それくらい知ってんだろ。いつまでやるの?これ。マスクはいつまでやることになってるの?」(2021年3月19日閣議後の記者会見)

正しく怒ろう

心優しい人だった
人を疑うことなど ほとんどなかった
善意あふれる人だった
人の過ちを咎めることなど したことはなかった
信望の厚い人だった
人の悪意をなじることなど 一度もなかった

相手の不誠実な態度と公務怠慢に 憤りを感じながらも
心優しい人は 自責の念にかられた
自分の人格的な未熟さが 事態を招いたのではないか
自分の軽率な言動が 反発を招いたのではないか
相手を責めることなく 自らを叱責した
自己否定の感情が 心を支配してゆく

心優しい人は 自壊寸前だった
自分の立ち位置が だんだん見えなくなった
急速に思考力も判断力も萎えて 不安が心を満たした
負のスパイラルから なかなか抜け出せなかった

心優しい人は 苦しみながらも問題の本質を理解した
相手の人間性とその公務意識に そもそもの問題があった
憤りが沸々と湧いてきたが 怒ったことの経験がなかった
その憤りに どう向き合うのかわからなかった
その憤りを どう処理するのかわからなかった

相手は人の良さを当て込んで 優しさにつけ込む
相手は反撃のないのを見込んで 甘く見てつけ入る
相手はしたたかに立ち回って 責任逃れの詭弁を準備する 

相手に怒りをぶつける
どう怒りをぶつけていいのか 戸惑うばかりだ
相手を責める
どう責めたらいいのか 皆目見当もつかない
相手が改心する
どう改心させるのか 不穏な気持ちが先立った 

私憤ではない 公憤である
私憤としての怒りは 時に自身の人格を傷つける
公憤としての怒りは 正当性が担保されなければ誹謗となる
仲間の支持を取り付け 正しく怒ろう
身勝手を許してはならない
仲間の支持をバックに 正しく怒ろう
公務怠慢を放置してはならない
仲間とともに ブレることなく正しく怒ろう
曖昧な妥協は 根治には決してならない

心優しい人たちの公憤とは
感情論ではなく 不始末への正当な改善要求そのもの
建前論ではなく 本音で迫る人材配置への改革要求そのもの
理想論ではなく 市民参画の道を拓く協働要求そのもの

〔2021年3月19日書き下ろし。人の良さにつけ込む言動が、有能な人材を失望させ市民活動を後退させる。市民は行政への正しい怒り方を身につけたい。要検証〕

民生委員信条に生きる

憤りに 小さく震える肩
悔しさに きつく噛む唇
やるせなさに 萎えてゆくおもい
傷心に のしかかる重責

不本意な諍(いさか)と抗(あらが)い
踏みねじられる誠意
許しがたい仕打ち
放置できぬ対応
避けられない対立

無能な者が 我が物顔で職責を汚す
そうでなければ まだ交渉の余地はある
無能な者は 人事考課の結果が示す
そうでなければ 異動まで我慢はできる
無能な者ほど 自己顕示欲を誇示する
そうでなければ やるべきことをわきまえる

市民とつなぐ 民生委員担当の無能さが際だった
なぜここに配置されたのかも 不思議だった
定年間近でも変わり者でも 市民は受け入れる
無能と評価されても 市民が支えてくれる
我慢してもらえるなら御の字 とでも考えたのか

開き直ったその言動は
利己的な気質と 職務へ軽視をさらした
心ある民生委員の意欲は 低下してゆく
心ならずも離叛し 寛容を捨てるしかなかった
活動が滞ることへの ジレンマに苦しみもがく

市民と協働して 積み上げねばならぬ福祉
市民が寄り添うことで 支えなければならぬ福祉
ますます重要な福祉の担い手を 支えきれなければ
まちの福祉施策は頓挫する
綿々と積み上げてきた実績を 評価しなければ
まちの福祉施策は信頼を失う
他人事に時間を費やすボランタリーな人を 尊重しなければ
まちの福祉施策は人材を手放す

まちの人も予算も収縮してゆく時代に
市民が担うべき福祉の現場とその人なりを 育て支えることこそ
行政が為さねばならぬことと わきまえたい
安直に福祉に思いなきものを配置する愚弄は 不信を増長させる
福祉と市民をつなぐ心ある人材は いまこそ求められている
コーディネーションする福祉の資質は 市民が育てることを心したい

行政と市民との板挟みになりながら
時に逃げ出したくなる事態に 心を折りながらも
プレッシャーに 押しつぶされそうになっても
焦燥感にかられ 立ち止まってしまっても
気力をふり絞り 福祉と向き合う民生委員がいる
決してひとりぼっちにしてはいけない
民生委員信条に生きる 気高き市民と協働してこそ
福祉の施策は 血の通った温情となる
民生委員は 行政の僕(しもべ)では決してない

※民生委員児童委員信条
わたくしたちは、隣人愛をもって、社会福祉の増進に努めます。
わたくしたちは、常に地域社会の実情を把握することに努めます。
わたくしたちは、誠意をもって、あらゆる生活上の相談に応じ、自立の援助に努めます。
わたくしたちは、すべての人々と協力し、明朗で健全な地域社会づくりに努めます。
わたくしたちは、常に公正を旨とし、人格と識見の向上に努めます。

〔2021年3月18日書き下ろし。自治体の人事異動の時期である。福祉行政の上で不適切な人材の処遇を本当に配慮しているのか、疑問である。市民力を見下してはならない〕

コラム:岡村理論の思想的源流と理論的発展課題(草稿)

出典:大橋謙策「コラム・岡村理論の思想的源流と理論的発展課題(草稿)」『大橋謙策学長最終講義』日本社会事業大学、2010年3月、29~36ページ。

ともに在る道

人生に物足りなさを 感じています
存在そのものが 薄っぺらな気がします
幸せの実感は ほとんどありません
かといって 不幸というわけでもありません
物足りなさや薄っぺらさは 一体どこから来るのでしょう

あの男は いつもエネルギッシュで楽しそうだ
あの子は 思いっきり存在感をアピールしている
あの人は 誰にでも笑顔を周りにふりまく

幸せの実感の軽重
幸せの比較の大小
幸せの時間の長短
幸せの本質の貧富

どんな物差しで計るのか
どんな秤で量るのか
どんな数値が満足度となるのか

いつも幸せの度合いを 他人と比べる
時に安心し 時に不安になり
行ったり来たりで 疲れてしまう

他人と比べるって つまんなくない?
他人よりも幸せって ほんとかな?
幸せを競い合って なんぼのもの?

そこに見える利己心
さもしい妬(ねた)み
卑しい嫉(そね)み
心根の歪(ゆが)み
そして醜い貪欲さ

自己本位の秤に振り回されて
存在を薄っぺらにしてしまう
せめて他人の信託を秤にかけて
存在の重さを計ってみませんか
ゼロならば救いようはない
ちまちまと孤独に生きようか

そうなりたくないのなら
他人と比べて一喜一憂するよりも
他人と〈ともに在る道〉を見つけたい

〔2021年3月18日書き下ろし。他人と自分の境遇を比べる根柢に、さもしい利己主義が顔を出す〕

生き地獄をみる

自助と互助を 声高に世間は訴える
自分の身も家族も護れないものは 自業自得だと突き放す
自己責任が取れぬものは 存在する価値もない
極貧であろうが重篤であろうが 知ったことか
仕事をなくし 家をなくしても 差し伸べる手はない
この世は 生き残るに値するものだけが選ばれる
去りゆくものは ただ苦しむだけの運命を嘆くしかない
疫病・飢餓・天災・不況の波は 助かるものしか残さない
命乞いしても 不幸の連鎖を招くだけだと諦める
生きていることすら 無駄なことと悟るがよい
無知・無能なものは 無下に捨てられていくしかない
ましてや つまらぬ同情を求めても仇となる
死を選ぼうが 嘆き悲しむものすらいない
そもそも 世の乱れは愚なるものたちがいるだけのこと
虐げられ卑しめられ辱められ屈しながらも
生きながらえるには 息を殺して影に生きるしかない
選ばれしものも いずれ奈落の淵にいることを自覚せよ
 
今生に生き地獄がある
選ばれた人間の欲が蠢(うごめ)き 弱者をいたぶり殺す
今生に生き地獄をみる
選ばれぬ人間の欲は萎み 強者にいたぶられ殺される
今生に生き地獄を知る
利己心に憎悪が満ちて 互いの身も心も殺戮しあう

希望の一筋の光すら届かぬ世界で 
恥辱にまみれるものたちが 悲歎のうめき声を吐く
絶望の危機に瀕するものたちを 救うのは何だろうか?

〔2021年3月17日書き下ろし。地獄図以上の悲惨な世界が今生で起きていることに目をつぶってはならない。こんな世界を許してはならない〕

老爺心お節介情報/第22号(2021年3月2日)

「老爺心お節介情報」第22号

〇大変ご無沙汰しています。新型コロナウイルスへの感染予防に留意しつつ、再開された各地でのコミュニティソーシャルワーク研修等で時間に余裕がなく、今日になってしまいました。申し訳ありません。

Ⅰ 「シルバー産業新聞」に連載の「地域共生社会に向けた実践――自立生活支援とケアマネジメントの考え方」の第2回目の記事「救貧的福祉サービスからその人らしさの生活を支えるサービスへ」を添付します。

Ⅱ 日本社会福祉学会の「学会ニョーズレター」に寄稿した拙稿を添付します。名誉会員として若手研究者向けに、社会福祉学の研究方法について書いてほしいとの要請で書きました。

Ⅲ 社会福祉関係者は“数字に弱い”と言ってきました。できるだけ、数字を活用しながら、取り上げるニーズの推計とその問題解決方法を考えようと、今各地のコミュニティソーシャルワーク研修でそのシートを取り上げています。今回添付した「地域包括ケアに関する基本情報シート」は富山県CSW研修の中で作成したもので、富山県社会福祉協議会地域福祉部の魚住浩二さんが整理してくれました。これを参考に、各地でこのような情報シーートを作り、共有してほしいですね。

Ⅲ―2 社会福祉実践における数字の持つ意味ですが、障害者分野では「一人暮らし障害者」の実数、実態も十分把握されていません。障害者分野における「障害者の数」は実は「推計値」なのです。「厚生の指標」(2021年2月号、厚生労働統計協会)で、「障害者手帳所持者数はなぜ『推計』値か」という論文が掲載されています。面白く読ませてもらいました。

Ⅳ 厚生労働書の助成事業で、富士通総研が取り組んだ「災害福祉広域支援ネットワークの構築に向けた災害時の福祉的支援の在り方と標準化の調査研究事業」(2018年3月)の検討会の座長を務めましたが、その報告書に基づくDWATづくりが各県で取り組まれています。やや遅い感がありますが、富山県でもDWATが結成され、その内容が『福祉とやま』(2021年3月号、N0.456)で紹介されています。よくまとめられていますので、ご参照ください。

Ⅴ 「大橋塾」の再開
新型コロナウイルスに伴う「緊急事態宣言」を受けて、中断していました「大橋塾」を下記の通り再開します。
『大橋塾』3月例会
2021年3月20日 午後1時~4時30分 発表とコメント/午後4時30分~6時 交流会  場所/日本地域福祉研究所2階会議室
① 参加希望者は、事前に日本地域福祉研究所にメールで申し込んで下さい。/② 原則として、参加者は研究報告、実践報告を行うこと。/③ 発表に印刷物は各々20部印刷持参すること。

添付資料(1)
シルバー産業新聞連載記事第2回

「救貧的福祉サービスからその人らしさの生活を支えるサービスへ」

「戦後第3の節目」といわれる「地域共生社会政策」を具現化させていくためには、戦後培われてきた社会福祉の考え方や囚われてきた社会福祉観を改革しなければならない。それは3点ある。
第1は、1950年に制定された社会権的生存権を保障したといわれる現行生活保護法にみられる国民の「申請権」の“負の側面”の改善である。
国民の生活の困窮を救済するための法制は、戦前、国の公的扶助義務は認めるものの、国民が政府に対し救済を申し立てる権利という申請権は認めてこなかった。漸く、1950年に制定された現行生活保護法において、生活困窮者が国に対し生活保護を申請できるという国民の権利としての申請権を認め、ここに社会的生存権が認められたといわれている。昨年来の新型コロナウイルスの件で、厚生労働省は生活保護を申請するのは国民の権利であるから、生活困窮に陥った際には申請してほしいと異例の呼びかけまでしている。
ところが、この申請権の“負の側面”ともいえるもので、社会福祉行政に“待ちの姿勢”を創りあげてしまった。国民が有している権利なのだから、“申請してこないということは、必要性がないからなのだ”という考え方に基づき、積極的に生活のしづらさや困窮を抱えている人々に社会福祉行政がアプローチして、潜在化しているニーズを掘り起こすという姿勢に欠ける面があった。連載の第1回目で取り上げた「地域共生社会政策」に関わる文書において、厚生労働省は“行政は「待ちの姿勢」ではなく、対象者を早期に、積極的に、「アウトリーチ」という考え方に立って問題の把握に努める”ことの必要性を指摘したが、社会福祉行政は窓口に相談、申請に来た人にだけ対応するという“待ちの姿勢”が強かった。
第2には、その生活保護に代表されるように、福祉サービスの考え方、水準を“国民の最低限度の生活保障”に留めてしまった。福祉サービスを利用する人は“自助”ができず、国の“公助”に頼ることになるので、“公助”の負担をできる限り軽減するために、かつ“怠民養成”ではないという“一種のみせしめ”的に福祉サービスの水準を低く抑えるという“最低限度の生活保障”という福祉サービス観、救貧観を創り上げた。
第3には、生活困窮者を救済するのは、憲法第89条の規定(公の支配に属さない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し公金を支出してはならない)により、福祉サービスは行政がやるもの(もしくは行政から委託を受けた団体、組織)という認識を国民に定着させ、国民の行政依存体質を作り出してしまった。地域で自立生活を営もうとすれば、住民と行政との協働は不可欠であるが、その考え方が全面に出されるのは厚生労働省の文書では2008年の「地域における「新たな支えあい」を求めてーー住民と行政による新しい福祉―」という文書が出てからである。
このような状況の中、社会福祉サービス提供組織は、国により制度化されたサービスを、行政から委託を受けて、行政が認定したサービス利用者に対して制度の枠組みの中で提供すればいいという“受け身的な姿勢”になり、住民が抱えるニーズを積極的に把握し、かつそれを解決するための新しいサービスの開発や新しいシステムを創出するという姿勢が欠けることになった。
ところで、筆者は1960年代末から、社会権的生存権を巡って争われた朝日訴訟や障害者の学習・文化・レクリエーションの機会提供にかかわる実践を通じて、社会福祉は憲法第25条に基づく最低限度の生活保障だけではなく、憲法第13条の幸福追求権に基づく社会福祉の考え方、福祉サービスの提供を考えるべきではないかと考え、主張してきた。憲法第25条は、国民の生活を守る最後のセーフティネットとしての役割があり、評価するが、それ以上に必要なのは、“この世に生きとし生きるものの幸福追求であり、自己実現である”のではないかと考えた。戦後の社会福祉が囚われてきた「貧困観の貧困」、「人間観の貧困」、「生活観の貧困」を克服し、高齢者も障害者も自分らしく、自己実現できることを支援するのが社会福祉の目的、哲学にならなければいけないと考えたからである。
フランスの1789年の市民革命は身分制度を廃止し、この世に生まれてきたものは皆平等であり、自由であり、幸福を追求する権利があることを明らかにした。そのためには、“公の救済は社会の神聖な責務の一つである”として、「自由」、「平等」とともに「博愛」の重要性を理念として掲げた。
1995年の総理府社会保障制度審議会の勧告「社会保障の再構築」では、“1950年当時は、戦後の社会的・経済的混乱の中にあったので、当面、最低限の応急的対策に焦点を絞らざるを得なかった”が、“今日の社会保障体制は、すべての人々の生活に多面的にかかわり、その給付はもはや生活の最低限度ではなく、その時々の文化的、社会的水準を基準と考えるものとなっている”として、“広く国民に健やかに安心できる生活を保障することである”と考え方を変更した。それは、まさに憲法第25条の最低限度の生活保障ではなく、憲法第13条の幸福追求権に基づく、その人らしさの自己実現を支える福祉サービス、社会福祉への転換を求めたものである。
「地域共生社会政策」の実現には、社会福祉関係者の中に潜在化している戦後の社会福祉観を見直し、新たな視点、新たな姿勢に基づく実践が求められている。

添付資料(2)

(2021年3月2日記)

【備考】
2021年3月13日、大橋謙策先生から「老爺心お節介情報」第1号(2020年5月28日)から第22号(2021年3月2日)を拝受する。
3月13日/第1号~第10号、3月14日/第11号、3月16日/第12号~第19号、3月17日/第20号~第22号をそれぞれアップする。