阪野 貢 のすべての投稿

原田正樹「『ボランティアの輪』連絡会議の歩みとその特徴について」

出典:原田正樹「『ボランティアの輪』連絡会議の歩みとその特徴について」『「広がれボランティアの輪」連絡会議25周年記念誌―「いつでも、どこでも、誰でも、気軽に、楽しく」ボランティア・市民活動に参加できる環境づくり、気運づくりをめざして―』「広がれボランティアの輪」連絡会議、2020年10月、13~19ページ。

備考
(1)「広がれボランティアの輪」連絡会議とは

出典:『同上書』6~7ページ。

(2)ボランティア・市民活動と「広がれボランティアの輪」連絡会議の動き


出典:『同上書』20~22ページ。

法と秩序

為政者にとって 
不都合な法は 変えねばならぬ
不利益な法は 言い方を変えればいい
不自由な法は 無視するだけでいい

為政者が優位に立つには 法で規制すれば事足りる
為政者が権力を行使するには 法を味方につければ事足りる
為政者が対立する勢力には 法を盾に攻撃すれば事足りる

刃向かう者たちは 徹底的に叩きつぶす
敵視した者たちは 無法者だと口汚く罵(ののし)りつぶす
妄信的な支持者には 銃を持てと唆(そそのか)す

為政者にとって 
秩序は 格差を維持するだけのものだった
秩序は 格差を確立するためのものだった
秩序は 分断を決定づけるためのものだった

為政者の醜き欲望が 渦巻くアメリカ大統領選挙
あるべき法と秩序を 取り戻すことができるのか
トランプか 反トランプか
それだけの戦いだけのこと
4日 審判が下る

〔2020年11月2日書き下ろし。いまの国政にも類似点がある。再選されると悪夢が続く〕

指導という悪意

今日もまた 子どもの心をいたぶる
明日もまた 子どもの心をもてあそぶ
時に子どもを 死の淵に立たせる

教育という尊い仕事を
教師の仮面をかぶった者たちが 汚してゆく
指導という 教育に名を借りた陰湿ないじめが
なんのお咎めもなしに 繰り返される

傷ついた子どもの心
刻まれた学校と教師への 強い不信
沈黙と登校拒否は 幼き抵抗
時間では解決できぬ 深い心的外傷

指導という名目で 徹底的に体罰を加える
指導という職務で 徹底的にいじめ抜く
指導という詭弁で 徹底的に憂さを晴らす
指導という武器で 徹底的に心にダメージを与える

悪意に快感を覚え 魔性に生きる者よ
廃れた権威を傘に着た 卑劣で哀れな者よ
身を厳しく律せず 愚劣な偽善者よ
辞する時を知らず 生き恥を晒す者よ

心ある教師たちよ
あなたは そんな教師を許せますか
あなたは そんな子どもをほっとけますか
子どもの痛みを とってあげてください
子どもの悲しみを いたわってください
子どもの苦しみを いやしてください
子どもの笑顔を とりもどしてください

〔2020年11月1日書き下ろし。指導死はない。犯罪である。同僚よ、傍観する事なかれ〕

陰湿ないじめ

昨年確認された いじめの件数61万件超
過去最高は 積極的に実態把握の成果だと文科省
2割は 命や長期欠席に関わる重大事態
対応遅れで 悪化のケースも少なくない

道内では 2万4千件を数えた
判明したきっかけは アンケート調査 
教員が見つけたのは 1割に満たない

重大事態が 2割発生していながら
教員が気づいたのは 一体その何割なのか
先の1割よりも きっと数値は小さくなる

道徳教育の効果も 薄いのは当たり前
国語の読解さながらの授業で
心を育てようとは 笑止千万
教科書でしか教えぬ徳は 心に響くはずはない

教育の専門家だから いじめに対処できるなんて 嘘っぽい
早い段階で把握して 解決のために指導するって ほんとかな
調査しなきゃわからなかったと 言い訳めいて受け入れがたい
ほとんど気づかずに 放置していただけのこと

教員だからと 過信してはならない
あれもこれもを処理する能力は 決して高くはない
能力以上のものを求めても 無理な要求であるのは確かだ
学力向上にシフトして 生徒指導がおぼつかない
いじめを見つけたら 一人で決して抱え込まないでほしい
出来なければ 学校そのものが機能不全に陥っているだけのこと

子どものために一生懸命汗かくかどうかの 区別はしておこう
えっ 自分の子どもに不利かどうかで 判断するって
先生って その時々に上手くつき合うだけのこと
学校と揉めても面倒くさいし お互い根に持ってしまうから
先生との距離は 適当に取っておくのがいい
割り切ってつきあうしかないのが いまの学校の現実か

問題は 調査は子ども対子どものいじめという前提にある
教員対子どもの問題は どれだけカウントされているのだろうか
果たして教員のいじめを書けるだろうか
書いても 子どもの戯言(たわごと)と握りつぶす
指摘されても 誤解だと釈明する
子どもは その後が怖くて学校に行けるはずはない

そもそも恐ろしくて 書けるはずはない
問題教員は自覚することなく 仲間も黙認して放置する 
問題教員の指導は いつか正当化され立場の弱い子らに君臨する
かつ熱心な先生という評判までついたら もう手に負えない

露見すれば 学校は指導の正当性を主張し弁明する
証拠が挙がれば 仕方なく指導の行き過ぎでしたと 謝罪する
そもそも子どもに寄り添えるかどうかに 生徒指導の本質が問われる
それで一件落着かと思えば アホな教員はまた繰り返す
そこに校長の管理能力の欠如と 教員個々の無干渉の体質が露わになる
学校の隠蔽体質は なかなか改まらないことを承知しておこう
教員のいじめは 決してあってはならぬこと
「ない」という前提への疑問を 提起したい

子どもには 良き大人に出会って欲しい
教育者としての力量と人間性を高めようと
日々頑張る人がいることを 信じたい
いじめられている子どもらの 拠り所になってほしい
「忙しい」という言い訳は もう通用しない

〔2020年11月1日書き下ろし。10月24日文科省から発表されたいじめの統計から、ここには表れない「指導という名のいじめ」に許しがたき強い憤りを感じていた〕

78億人の水と食料

世界の人口は
1年に6千万人が亡くなり
1億4千万人が産まれる
1分に156人
1日で22万人
1年で8千万人 増えていく
いま(10月30日23時32分現在)
推計で 77億7889万人を超えた

このまま増え続ければ 
30年後には100億人を突破する
果たして 予想通りに増え続けるだろうか?
人口増加は 決して青天井ではない
地球上に生き残れるのは 誰か?
苛酷な生存競争が 始まっている

新型コロナウイルスの世界の感染者は
30日昼 累計で4474万人を超えた
死者は117万人を上回る
まだまだ感染力は 衰えることを知らず
世界中に 再び恐怖のウイルスを拡散させている
これは 地球上の人口抑制のほんの始まりに過ぎない
自然との共生を拒んだ 手荒なしっぺ返し
自然の摂理を破壊した 辛辣な報復
自然による無慈悲な 人口淘汰

安全な水と食料が 確実に不足する
温暖化による天候異変が続き 農業被害は甚大だ
海洋資源の乱獲と 海流の異変で不漁は続く
炭酸ガス放出の規制以上に 温暖化は進む 
食糧不足や栄養失調で 重篤な疾病や餓死が起こる
森林の伐採や火災で 地上の砂漠化が一層進み
農地は枯れ果て 水と食料の確保はさらに困難となる
追い打ちをかけるように 
新たな流行性の重篤な疾病や 大きな自然災害による被害が
多くの人類を 死へと強制的に誘う

水と食料が公平に分配される世界を 想像できるだろうか?
多くの犠牲を強いられるのは 
確実に貧困層であり 子どもたちである

水と食料の略奪は 
いまも治安の不安な国や地域で起こっている
大統領選挙を目前にして
暴力で支配することを容認し けしかけているリーダーもいる
銃社会の米国では もっと深刻な事態が起こるやも知れない
国民が分断された状況の中で 銃は一体誰に向けられるのか

一国の問題にあらず 世界にその火種は燻(くすぶ)り続ける
領土を守ることに汲々とする時代が 始まろうとしている
水と食料を得るために 仕向けられた戦いは避けられるだろうか
核拡散防止条約は 核保有国が核兵器で世界を支配する
核兵器は 戦争抑止の延長線上にあり 世界を威嚇し存在をアピールする
核兵器なき世界は理想と化し 核兵器の新たな開発にしのぎを削る
核兵器禁止条約が発効されても 核保有国と日本も頑として参加を拒否する  
核の抑制は いつか独善的なリーダーによって解放されるかもしれない
核の傘は 鰯の頭も信心のような価値でしかなくなるだろう

水と食料をめぐる攻防は 絵空事では決してない
核戦争という悲惨な事態を引き起こせば 
後戻りの出来ない 地球の破滅が現実化する
そこには 勝敗はない
あるのは 人類の滅亡へのカウントダウンである

宇宙船地球号の命運は 一体誰が握っているか

〔2020年10月30日書き下ろし。戦争の火種は確実に大きくなろうとしている。核のボタンを押せば、核の傘に庇護される保障はなにもない〕

付記
新型コロナ超えるパンデミック、自然破壊により今後頻発の恐れ 専門家報告
人間が自然界との付き合い方を変えない限り、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)よりも多くの死者を出し、世界経済に深刻な悪影響を及ぼすパンデミック(世界的な大流行)が頻発するようになると、国連(UN)の専門家組織が29日、警告を発した。
「生物多様性および生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム(IPBES)」の特別報告によると、新型コロナウイルスのように動物を宿主とし、ヒト感染の恐れのあるウイルスは現在、最大85万種が存在する。
生物多様性とパンデミックに関する特別報告書の執筆者らは、動物たちの生息地が破壊され、消費活動が拡大を続けていけば、動物由来の感染症がヒトに感染する確率は今後、これまでよりずっと高まると指摘。パンデミックは人類の「存続に関わる脅威」を表していると述べている。
感染症予防に取り組む国際NPO「エコヘルス・アライアンス(Ecohealth Alliance)」の代表で、特別報告書を作成したIPBES専門家ワークショップを取りまとめたピーター・ダザック(Peter Daszak)氏は、「気候変動と生物多様性の損失を引き起こす人間活動が、農業への影響を介してパンデミック発生の危険性をもたらす」と語った。
IPBESはCOVID-19について、1918年のインフルエンザ(いわゆるスペイン風邪)大流行から数えて6つ目のパンデミックだとした上で、その全ては「完全に人間の活動が引き起こしたものだ」と指摘した。こうした人間活動には森林伐採や農地開拓、野生生物の取引と消費といった持続可能でない開発が含まれ、いずれも動物と人間との濃厚接触の機会を増やし、動物の保有する病気と人間との距離を縮めることにつながっている。
IPBESは、毎年5つ前後の新たな感染症がヒト間で発生し、そのどれもがパンデミックに発展する可能性があると警鐘を鳴らしている。
第一線の専門家22人が参加してリモート形式で開催されたIPBES専門家ワークショップでは、パンデミック再発リスクを低減するため各国政府が取れる対策も取りまとめられた。
専門家らは、COVID-19の経済的損失は今年7月時点で最大16兆ドル(約1670兆円)に上ると試算した上で、将来的なパンデミックを予防する対策を講じる方が、パンデミック発生後に対処するより100倍も経費を節減できるとし、これは「社会変革に向けた強力な経済的動機となる」との見解を示した。(AFPBB News 2020年10月30日)

核禁条約、来年1月発効 「核兵器は非人道的で違法」 
核兵器の開発や製造、保有、使用などを全面的に禁じる核兵器禁止条約の批准国・地域が24日、条約の発効に必要な50に達した。条約は90日後の来年1月22日に発効する。「核なき世界」を求める国際的な声に後押しされ、核兵器を非人道的で違法だとする初めての国際条約が動き出す。(朝日2020年10月26日)

「ふつう」別考―深澤直人著『ふつう』と佐野洋子著『ふつうがえらい』等のワンポイントメモ―

〇「ふつう」は私とあなたの「あいだ」にある。(私は、周りのあなたとの類似性を重視し、そこに安寧や安心を感じる。私は、周りのあなたとの相異性に緊張し、そこに不安や劣等感を感じる。)/私は「ふつう」を求め、あなたを「ふつう」にさせる。(私は、人並みを求め、周りから目立つあなたを攻撃する。)/「ふつう」は私とあなたの「ふだん」にある。(私が「ふつう」を意識するのは、日常の生活場面においてである。)/そして、「ふつう」の隣に「特別」がある。(私には独自性欲求があり、それが自尊感情を高める一方で、孤独感や差別意識・偏見を生む。)
〇こんなことを思いながら、深澤直人(ふかさわなおと)の『ふつう』(D&DEPARTMENT PROJECT、2020年7月。以下[1])と佐野洋子の『ふつうがえらい』(新潮文庫、新潮社、1995年3月。以下[2])を読んだ。深澤は世界的に有名な(身の回りにあるさまざまな製品をデザインする)プロダクトデザイナーである。深澤のデザイナー活動のテーマや哲学は、「ふつう」という概念にある。それは、「ふつう」という価値が日本人の生活の根底をなすことによる。[1]は、その「ふつう」について雑誌に15年間にわたって連載したコラムを書籍化したものである。佐野(1938年~2010年)は、絵本作家、エッセイストであり、代表作に絵本『100万回生きたねこ』(講談社、1977年10月)がある。[2]には、佐野が自分を「生きる」ことの思いや行動を装飾のない「なま」の文章に乗せた73篇のエッセイ(「世間話」)が収められている。それらは単純明快で、歯に衣着せぬストレートなところが面白い。
〇[1]では、「ふつう」の良さに気づき、「ふつう」は「日常のあたりまえに通り過ぎる出来事を自覚したときに感じるもの」(26ページ)であるという思いに至る。そんななかから、筆者が留意したい一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

知識の世界とリアルな世界の「ふつう」 ―経験に基づくリアルな世界の「ふつう」が人間を幸せにする―
頭で勝手に思い込んでいるものと、目で見ているものの形は違う。人間は実際にそのものを目の前にして見ているときでさえも、思い込んだ形をしているように捉えてしまう。極端な言い方をすれば目に見えるすべてはその人の概念であって先入観が成す世界なのかもしれない。先入観を成すものは経験なしに得た情報である場合が多い。デザインをしていると二つの世界の存在が見えてくる。一つは他から得た情報とその集積の知識が成す世界。これを「常識」とか「ふつう」とか言うのかもしれない。もう一つは先入観なく見た、あるいは感じたそのままの世界。経験から得た情報とその集積としてのリアルな世界である。これも言ってみれば「ふつう」である。人間はこの二つの世界観と二つの「ふつう」を持ち合わせ、そこを頻繁に行き来している。人は後者のようなリアルな「ふつう」に出会ったとき、自己の思い込みや先入観に気付き、「あ~、な~んだ、これもふつうなんだ」などと安心したり、驚いたりしていい気持ちになる。身体は常にリアルに触れているのに、思考は与えられた情報を信じている。だから既に触れていた感触を何かによって自覚させられたとき、はっとするのだ。(中略)リアルな世界の「ふつう」に触れたとき人間は幸せになる。(52~54ページ)

「変える」ことと「変えない」デザイン ―デザインはしっくりいっていないことを正し、改善することである―
長く使われてきたものは、もう生活の分子になっているから簡単に変えようとしてはいけない。「保守的」といわれるかもしれないが、「保守」ということばには二つの意味がある。一つは、「正常な状態を保つこと」。もう一つは、「旧来の風習・伝統・考え方などを重んじて守っていこうとすること」。それは、まさしく長い年月を経て「ふつう」になってきたことを「ふつう」のままにしておこう(と)することだと思った。保守の反対は革新で、その意味は旧来の制度を改めて新しく変えることである。制度を改革するのであって、よいものを新しく作ることとは違う。変えるのではなく、しっくりいっていないことを正し、改善すること。デザインは「変える」こととか「新しく」作ることだと思い込んでいる人は少なくない。そういったデザインの一般論に反抗して「変えない」ということは易(やさ)しくない。「自分のデザイン」というような気持ちを捨てなければならない。でも、そうやっていいものを継承して現在の生活に合わせて少しずつ直していこうとすれば、いつか自然に新しいものがぽろっと生まれる時がある。新しいのに、ずっといいものと繋がっているようなものができる時がある。(201~203ページ)

「美しい」と「いい雰囲気」をつくるデザイン ―デザインは暮らしという全体の「雰囲気」をつくることである―
椅子や家具をデザインする時も、心がけるのは、もはや「形」とか「自己表現」などでは、毛頭ない。いい雰囲気を醸(かも)し出す物かどうか、を問いながら、私はデザインする。(中略)いい雰囲気とは、調和の事かもしれない。(中略)「綺麗」とか「美しい」という事は、それがよい物かどうかを決める、最も重要な事ではない。「雰囲気がいい」事のほうが上である。物が、単一で美しい、などという事など、ないのだ。雰囲気を醸し出す物でなければ、「いいデザイン」とは言えない。新しければいい、などという事はデザインの基準ではない。/「いい感じ」を醸し出す物が、「いい雰囲気」をつくる。デザイナーは、物だけをデザインしてはいられない。暮らしという全体の「雰囲気」をつくらなければいけない。結局は、空気をつくるのだ。(310~312ページ)

〇以上を要するに、①事実(本物)に触れる経験、②「ふつう」になったものを「変えない」デザイン、③空気(意識)を醸成するデザインが重要であるというのであろう。唐突ながら、これらは「まちづくりと市民福祉教育」にも通底する。誤解を恐れずにそれを別言すれば、まちづくりはそのまちの歴史や文化によって生み出された「ふつう」を磨くことである、と言えようか。
〇[2]では、「ふつう」はシンプルであり、「えらい」は生まれてから死ぬまでの、誰もが行う人間の野性的な、普段の営みにこそあるという思いに至る。ここでは、河合隼雄(1928年~2007年。臨床心理学)の「解説」文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

ふつうの人とえらい人 ―「ふつう」は「生き物であれば、誰でも持っているもの」であり、「よくいきている」ふつうの人のほうがえらい―
「正しいというのは正義というのではない。」(192ページ)/「正義」の方は必ず理由をもっている。「かくかくしかじか」という理由によって正しいという。それは理由によって支えられており、その理由はイデオロギーとかによって支えられている。つまり、それは正しい理論、正しい認識、などというものによって支えられ、立派に見えるけれど、そこから知らぬ間に生きた人間が消え去ってしまう。それに対して、佐野洋子のいう「正しい」は、まず生きた人間が先行している。生きた人間の存在を通して、正しいという叫びがとびだしてくる。「私は野性の中にある知性こそが、本当の知性だ、そして、それは人間が生き物であれば、誰もが持っているものだと思う。」(193ページ)と書かれている。/「誰でも持っているもの」を言いかえると「ふつう」になる。その「ふつうがえらい」のだ。(中略)現代人は自分が「生き物」であることを忘れているのだ。うまくやったり、努力したりすれば何でもできる、と思いすぎている。今世紀になってテクノロジーが異常に発達したので、うまくやれば何でも可能と思いすぎているのだ。「えらい」人を見ると、自分も同じように「えらく」なろうとする。そのことによって無理をしすぎて、「生き物」である自分を見失ってしまうのだ。そのような偽物の「えらさ」ではなく、「生き物であれば、誰でも持っているもの」としての「ふつう」のところに、でんと腰をすえると、世間の評価と関係のない「えらさ」を獲得できる。しかし、そのためには、人はひとりひとり個人差があり、自分ではどうしようもない欠点が沢山あることをはっきりと認識する必要がある。(285~286ページ)

〇筆者の手もとに、精神科医である泉谷閑示(いずみやかんじ)の『「普通がいい」という病』(講談社現代新書、講談社、2006年10月。以下[3])と車椅子の「障害当事者講師」である小林亮平の『普通じゃなくなった人生』(文芸社、2014年3月。以下[4])がある。[3]にこういう一文がある。

ある親御さんが、「私は、息子に普通の子になって欲しかった。ある時、息子は『普通って何!』と言った。私は、何でもいいから普通に、みんなと足並みを揃えて欲しいって思って育ててきた。普通じゃないと他人に説明できないから、ただ分かりやすい人になって欲しいという気持ちだった」と、話されたことがありました(中略)。/しかし、どんな人も、決して最初から「普通」を求めていたはずはありません。/この親御さんの場合は、ご自身が幼い頃から周囲の視線や言葉によって傷ついてきた歴史があって、「普通」でないことはこんなにもまずいことなのかと考えるようになった。それで、どこか窮屈さを感じながらも、「普通」におびえ、「普通」に憧(あこが)れ、「普通」を演じるようになった。そして、わが子もそうやって生きるべきだと考えるようになったのです。(41、42ページ)

〇この一文から、「普通」は「考えや行動が同じ」であり、「他人に説明しなくても分かる状態」をいうのであろう。また、「普通」は、「一般的」「標準的」「多数派」といった意味をもち、自分が所属する「世間」(集団や組織)との関係性の調和を重視する日本文化(日本人)の伝統的な価値観である。「普通」の認知領域や設定基準によって、積極的・肯定的、消極的・否定的、あるいは好意的・非好意的な感情や思考・行動を生む。そして、周りの人への気配りが共有され、周りの人と調和したときのポジティブな感情や思考が、幸福感や満足感(well-being)として意味づけられる。上の一文から、こうした言説を想起する。
〇小林は、大学時代、突然「小脳出血」を発症し、重篤な後遺症が残ることになる。その治療やケア、リハビリが壮絶なものであったことは想像に難くない。小林はいう。

普通に大学を卒業して、普通に就職して普通に結婚したかったです。平凡な結婚生活で、子供もできて‥‥‥。でも、もう僕の人生は普通じゃなくなりました。あんな病気さえしなければ、その望みだって叶ったかもしれないのに。あんな病気さえしなければ、大学時代の思い出をもっと作れたかもしれないのに。あんな病気さえしなければ、大切な人の気持ちが離れていかないように何かしらできたかもしれないのに。ちくしょう‥‥‥。ちくしょう‥‥‥。/しばらくは、ただ何となく時間だけが過ぎていきました。新しい自分の人生を受け入れるのが嫌でも、時間というものは正確に流れていくもので、それはそれとして「とりあえず何か始めなければ」と漠然とですが、しだいにそう思うようになりました(56~57ページ)。

〇[4]で小林は、病状や治療、リハビリなどについて冷静に振り返り、また日々の出来事とその感情的な心の動き(心情)や偽りのない本当の気持ち(真情)を淡々と吐露(とろ)する。小林は、授業中に発症したときに保健室に連れて行ってくれた大学の友達と、自分の人生を受け入れて前向きに生きることを教えてくれた、一緒にリハビリをした女性、その二人の“死”に直面する。そんななかで、自らの“死”を考え、凄絶(せいぜつ)な苦悩を経験した小林は、「しっかりと生きる」ことを覚悟する。そこには、<自分が周りの人との関わりのなかで、自分を引き受け、ありのままの自分を考え、人生を描き、それらを伝え合う、そしてそのなかで自分を生き抜く、それが「普通」である。また、そうでなければならない>という小林の強い意志がある。そして、「自分を放(はな)ち、自分を育(はぐく)む」小林の姿を見る。筆者(阪野)にはそう思えてならない。

模様眺め

道内のコロナの感染者の数字は 高止まりが続く
鈴木直道知事は マスクもかけずに記者会見
平静さをアピールしても 深刻度は増すばかり
もう模様眺めどころではなくなった
警戒レベル2の発令で 再度の自粛体制に入った
さて年寄りは インフルエンザの予防接種に出向こうか

千葉県の来春の知事選挙
自民党県連が推した 鈴木大地前スポーツ庁長官
森喜朗元総理が擁立に反対する
その鶴の一言で 鈴木は立候補を見送る
県連内の覇権争いに巻き込まれ 汚れてはならぬ 
模様眺めでは済まされないと 親心でチャラにする
それだけ醜い政治の世界に 今さら気づく
政治を裏で仕切る力に衰えなしと 老体をさらす

米大統領選も1週間を切った
連日マスコミが垂れ流すニュースや論説に振り回される
どっちが勝つのか 確固たる優勢さは見出せない
模様眺めも そうはしていられなくなるだろう
トランプ不利の状況も 土壇場での逆転勝ちは残されている
年寄り二人の争いも 4年の賞味期限こそ不確定と心得たい

26日から臨時国会が始まった
所信演説に続く代表質問
さっぱり心躍らぬ 論戦始まる
年寄りの ちまちました詭弁と 
代わり映えしない者たちの 哀れな自己陶酔
露呈した口先だけの「国民のために働く内閣」
しばらくは 模様眺めするしかない
大事な時に 関心が政治から乖離する
それがねらいか 議場の雛壇に座す老人たち

立候補予定者は 総選挙の準備に余念がない
こちらも 模様眺めするしかない
老いし身は 手ぐすねひいてお持ちしています

〔2020年10月29日書き下ろし。模様眺めが許されぬ事態が起こる予感がする。この内閣に早くも論議拒否が始まった〕

男女ペアの訪問活動

はじまりは
平成12年 介護保険制度のスタートだった
地域に暮らす高齢者への 目配りが欠かせなくなった
老化や病気による身体機能の衰えで 暮らしに支障をきたしていた
ボケ(認知症)も 社会問題になっていた
在宅介護できない高齢者は 社会的入院を余儀なくされた
老人福祉施設も 措置から契約への大転換期(ビッグバーン)が起こった
サービスを受ける家の前に 介護の車が駐車すると
親の面倒も見られないのかと 陰口を叩かれた
世間に肩身を狭くして サービスを受ける時代でもあった

それでも 
在宅で暮らす高齢者が 介護保険サービスを受けることで
地域や自宅で 少しでも長く暮らしていけるように
介護で苦労する家族の負担が 少しでも軽くなるように
サービスを受けることに 負い目を感じることがないように
行政と連携して 民生委員も担当地域を精力的に回った

はたと
回って見て 気づいた
独居の女性宅に 男性委員が訪問することのためらい
相手との相性で 受け入れてもらえないわだかまり
孤独死に立ち会い 誰にも相談できなかった無念さ

だから
困っている人の 本当の困りごとを聞き取れるよう
男と女のペアを組んだ
ケースバイケースで 対応した
携帯番号は 男の方を伝えた
更新の度に 地域の男女の配置が崩れぬよう人選を求めた

いつか
民生委員の成り手不足が 起こっていた
行政OBも 担ってくれるようになった
ただ男女のペアを維持するのは 難しくなっていた
それでもペアの活動は 有効だった
地区を担当する委員を ひとりぼっちにさせてはならない
互いに支え合う関係は いまも新任に引き継がれていく
これが 民児協の活動の底力に 力強く変換されていく

〔2020年10月29日書き下ろし。道北の士別市民児協の20年に及ぶペア制度を取材した。きっかけは丁寧にお話を伺うという基本中の基本のスタンスだった。〕

マップづくりと新任民生委員

去年の12月 
全国一斉に 民生委員児童委員が改選された
その後 世界をコロナウイルスが襲った
夏GOTOトラベルで 移動制限が緩るんだ
10月道内の感染拡大は 止まることを知らず
気の緩みもあってか 道内各地に拡散した 
クラスターも ところ構わず発生しだした
鈴木道知事の2月3月の記者会見
いつもマスクをしながら 緊急事態をアピールしていた
いまは 平然とマスクを外し 「警戒2」を呼びかける

民生委員の日常的な活動は 自主的に規制された
いまも十分な活動は 難しい
定例会も専門部会も 三密を回避しながら工夫をこらす
訪問活動も インターホーン越しの安否確認
マスク越しでの会話に 難渋する人もいる
心許ないと思いつつ 委員はマチを今日も歩く

富良野市の民児協(民生児童委員協議会) 
12年間「支え合いマップ」づくりに取り組んできた
年に一度の 更新時期がやってきた
割り当てられた地区を 新人たちは精力的に駆け回る
緊張の日々が続く
分からないことは 前任者がしっかりとフォローする
アドバイスを受けながら 地域と人を学んでいく
町内会や老人クラブに 顔を売る
顔なじみになることが 活動の糧となる
そう信じて 気配りは欠かせない
要援護者に 周囲がどんなふうにどれだけ関わっているのか
頭の中に その人の暮らし方や難儀さが見えてくる
地域の暮らしにくさを和らげる 人のつながりも見えてくる
一枚の地図を書き上げる頃には すでに新人ではなくなっていた

地域でつながる仕方が 少しずつ身についてきた
地域で為すべきことが 少しずつ見えてきた
地域で支え励まされる喜びを 少しずつ感じてきた

新人の不安は 前任者のフォローで軽くなった
新人の戸惑いは 要援護者の笑顔で救われた
新人の意欲は 温かい仲間の支えで高まった

民児協の「支え合いマップ」づくり
代々つないできたバトンは
地域福祉を耕す力となって 新人たちをつないでゆく
新人が育つゆく 確かな研修システム
コロナ禍でも 渡されたバトンを引き継ぎ
富良野のマチの 福祉を担う熱い人へと育ってゆく

〔2020年10月28日書き下ろし。昨日の富良野市民児協でのヒヤリング。民児協に集う委員のおもいの熱さと意欲に圧倒されながら、3人の新人たちへのインタビューから、マップづくりを通した新人育成プログラムの可能性を見出した〕

※「支え合いマップ」:福祉のまちづくりのために、住民の支え合いに実態を住宅地図に記入して、地域の取り組みを明らかにし、その課題解決に向けて支え合いの取り組みを進める手法。

付記
「警戒2」28日移行 新型コロナ 道、出勤抑制など要請
道は28日、新型コロナウイルス感染対策の警戒ステージについて、出勤抑制などの行動自粛を要請する「ステージ2」に引き上げる。今後2週間を集中対策期間とし、道民に3密(密閉、密集、密接)を回避できない会合の自粛などを要請するとともに、発熱患者を受け入れる医療機関や検査体制を拡充。午前に対策本部会議を開き、正式決定する。
新規感染者の急増や医療体制の逼迫(ひっぱく)の恐れを受けた措置で、引き上げは運用を始めた8月25日以降初めて。全道を対象とし、発熱やせき症状がある場合の外出自粛、テレワークや時差出勤の推進などを要請。飲酒を伴う会合など感染リスクの高まる場面での対策を求め、特に飲食店関連のクラスター(感染者集団)が相次いでいる札幌市での呼びかけに力を入れる。(北海道新聞2020年10月28日)

特別じゃない

日々の暮らしの中で
いつものように何気なく気遣う
日々の活動も
いつものように何気なくこなす
時々の集まりも
いつものように和気藹々(わきあいあい)だった

誰かに凄いと言われるまで
そのことが特別なこととは思わなかった
誰かに褒められるまで
そうしていることの値打ちを知らなかった

驚いた
みんなもそうしているものだと思っていた
嬉しかった
みんなと違う大事なことをしていた

一人ひとりが自分のおもいを伝えるだけ
これが当たり前だと思っていた
一人ひとりの発言をまていに聴くだけ
これが当たり前だと思っていた

小さなまちの民生委員児童委員の定例会
事例を持ち寄り協議する
個々の抱える問題が語られる
個々の抱える悩みが共感される

腹にためたおもいを吐き出す
発言はさえぎられず受けとめられる
腹にためたおもいは共有される
発言は仲間に認められ元気を取り戻す

会議は生もの
悩む仲間の訴えは 心に響く   
会議は生もの
落とし所は みんなで探す
会議は生もの
飾らぬ言葉は 躍動する

ひとりぼっちにしてはならない
そのおもいが凝縮した空気の会議
不安や戸惑いを抱える新任委員も
臆することもなく この空気に触れて成長する

会議は発言者がいなくなるまで続く
一人ひとりを尊重し 認め合う当たり前
損なうことなく構えることなく 続けられた当たり前
明日への活動へのおもいを 確かめる当たり前

まちの福祉の担い手は
当たり前の値打ちを知って
今日もマスク越しに笑顔をふりまき
普段着のまま 御用聞きに伺います

〔2020年10月27日書き下ろし。いま民生委員児童委員の研修活動について、道内3つのまちに出向いてヒヤリングを道民児連が実施。それに同伴して大事な当たり前を学んだ〕