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あなたが開き、広げる万華鏡の世界:心が躍る一冊―今中博之著『壁はいらない(心のバリアフリー)、って言われても』のワンポイントメモ―

あなたは、/壁をゼロにすることを/本当に願っていますか?/他者の喜びを/自分の喜びとしたいなら、/他者の苦しみも/自分の苦しみとしなければ/道理が合いません。/共に生きることは、/生半可なことではないのです。(16ページ)

私たちは、/他者から何かを伝えられ、/それに呼応する/言葉がなくてもいいし、/自分だけの言葉を/他者に語る必要もありません。/大きな壁の中では、私たちは、/秘密をたくさん持っていて/構わないのです。(44ページ)

誰かに「勇気をあたえたい」と思うあなたは、強者で賢者です。/だから、あなたに「ワタシを守る壁」なんて必要ありません。/私は、ワタシを守るために「仏教的なるもの」が必要でした。(188ページ)

〇筆者(阪野)は今中博之(ソーシャルデザイナー。敬称略)から、「名刺代わり」のご高著『壁はいらない(心のバリアフリー)、って言われても』(河出書房新社、2020年7月。以下[本書])のご恵贈を賜った。今中がいう「名刺代わり」とは、自らの人生を綴った自分史であり、怒りや安らぎを、その時々の心情を吐露した本でもある、という意味であろうか。また、今中は、本書は「少し毒気(どくけ)のある生き方エッセイ」であるという。誰をやり込め、傷つける「毒気」なのか。その対象は、「あなた」(「壁の中に籠りがちなあなた」「壁を壊して外に出たがるあなた」、「マジョリティのあなた」「マイノリティのあなた」、「中・高生のあなた」「大人のあなた」、しかも「見て見ぬふりをするあなた」「見ぬふりをして見るあなた」)なのか、「既成の知や制度化された知」(208ページ)なのか、あるいはもしかして今中、あなた自身なのか。
〇そんなことよりも、今中がそのような「気負い」をなくすきっかけは何だったのか。筆者は、その答えのひとつを次の一節に見出したい。「壁をコントロールできるなら、すべきだと書いてきました。無理やりにでも、意図的にそうすべきだとも書きました。でも、こうも思うのです。私は何さまだ‥‥‥自惚(うぬぼ)れるんじゃない、と。/仏教は、私に『無常』を教えてくれました。『無常』の『常』とは、『ずっとそのまま』ということです。それに『無』がつくと、『ずっとそのままは無いよ』となります。つまり『うつりかわる』ということです。うつりかわるものは、『すべてのもの』です」(183、184ページ)。「ずっとそのままは無いよ」は、「あなた」へのメッセージであり、愛娘(まなむすめ)へのそれでもある。
〇筆者は、本書を読み始めて早々に、何故か(本当に何故か)、子どものころに遊んだ摩訶不思議な世界である「万華鏡」を思い出した。3枚の鏡を組み合わせたもので、その内部に封入された対象物(オブジェクト)は次の三つである。「デザイン学・仏教学(仏教的なるもの)・社会福祉学」「デザイン(企て)・人生(生き方)・自分史(内省)」「哲学(生き方)・価値(選択基準)・思想(考え方)」。これらが、「一人ひとりで、共に」という理念・原理に基づいて「ソーシャル・イノベーション」(社会変革)をもたらす。そして、今中のほどほどでない“憤り”や“怒り”と、「仏教的なるもの」による“優しさ”や“安らぎ”を映し出す(図1参照)。今中の憤りや怒りは数知れないであろうが、筆者自身も優しさや安らぎを覚えるのは次の一節である。「愛する人を守るためには、私はワタシを守らなければならない。そのために壁の中に籠ることを肯定したい。けっして心のバリアフリーだけが幸せになる行為ではない」(217ページ)。
〇以下で、筆者が注目したい今中の言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「壊すべき壁」と「自分を守ってくれる壁」―「障壁」と「防壁」―
そもそも壁は二つあります。それは、「壊すべき壁」と「自分を守ってくれる壁」です。壁をゼロにしたからといって共生(きょうせい)が叶うわけではありません。大きな壁に囲まれているから孤独になる? そうとも限りません。壁は壊すものばかりではなく、自分の手で積まなけれはならないものもあるのです。/大きな心の壁は、豊潤(ほうじゅん)な孤独をあたえてくれるし、沈黙の中で生きる意味、死する意味を学ぶことができます。小さな心の壁は、他者と適度な距離感をあたえ共生には欠かせない存在です。一方で、壊すべき壁を完全にフラットにするなんて不可能です、きっと。(1、2ページ)

「弱さ」の分だけ「強さ」がある―「イーブンの法則」―
私たちは、なにかしら生活に困りごとをもっています。完璧に健康な人間などいません。永遠に続く富者(ふしゃ)がいないのと同じです。つまり、弱さのない人間などいません。逆に、私たちには、強さが必ずあるということです。ただ、強さが弱さを消すわけではありません。弱さを抱えて生きるから強さが発見できるのです。/弱い自分なんて嫌いだと言わないでください。弱さがなくなれば、あなたの強さもなくなります。それが、イーブンの法則というものです。/アトリエ インカーブ(知的に障がいのあるアーティストとデザイナーであるスタッフが協働する公的なデザイン事務所)のアーティストたちと20年近く暮らしてきて、この法則、案外当たります。(3、26ページ)

共に寄り添う前に、一人でいることを肯定する―「一人ひとりで、共に」―
当事者研究のスローガンの中に「一人ひとりで、共に」という言葉あるんです。「一人ひとり」は「壁を作りましょう」という意味で、「共に」という言葉はそれと矛盾するようですけど、「壁に籠っている人同士でやりとりをしましょう」という、そういう両価的なメッセージです。(熊谷晋一郎)/異なる価値観をもつ人々が共に生きるには、個々に壁を立てながらもつながっていく態度が必要ですね。壁に籠りながらも、つながりをもつ。/誰一人同じ価値観をもつ人はいません。それでも共に生きる。「一人ひとりで、共に」は、これからの共生社会の原理ではないでしょうか。(135、136、157~158ページ)

〇今中がいう重要な言葉や言説のひとつに、「観点変更」がある。「ヒトもモノもコトも、見る角度によって、美しくも、醜くも、優しくも、冷たくもなることを知った。少なくともアトリエ インカーブのアーティストに出会うまでは、私の見る角度は既成概念という鎖で固定されていた。/鎖がからだから溶け出してからは、ヒトもモノもコトも、見る角度や高さを少しずつコントロールすることができるようになってきた。私はそれを『観点変更』と呼ぶ」(今中博之『観点変更―なぜ、アトリエ インカーブは生まれたか―』創元社、2009年9月、273ページ)。これがそれである。本書を読んで「観点変更」について改めて認識したとき(28ページ)、何故か(本当に何故か)、秋竜山の「福祉マンガ」の次の4コマ漫画を思い出した(秋竜山『福祉マンガNo.2 みんないいひと みんないいこと』相模原市社協、1985年3月、48~49ページ。図2参照)。多言を要しないであろう(含蓄のある作品である)。
〇いまひとつ留意すべき今中の言葉(作法)に、「閉じながら開く」がある。今中はこう説明する。困っている人の存在やその人の悩みを「知って欲しい」と思う人が、多すぎる。その人たちは「いいひと」であり、悪意のない善意の持ち主である(89ページ)。しかし、「開きっぱなしだと害虫が侵入し(疲弊する)、閉じっぱなしだとカビ臭くなる(脆弱になる)」。そこで、「壁の中に籠りながら、時が来たら壁の上から顔を出す」(91ページ)。それが「閉じながら開く」である、という。前述の万華鏡は、そのオブジェクト(今中の思考の枠組み)によって、固定概念を覆(くつがえ)す新しい世界(壁のなかで繰り広げられる世界)をそのウチに開く。そして、ひと工夫加えることによって、万華鏡は外の景色を取り込み、ソトの世界を無限に広げるのである(本稿のタイトルの意味はここにある)。
〇例によって我田引水のそしりを免(まぬが)れないが、今中の言説から、「市民福祉教育」にかかわるであろう一節を抜き出すと、例えば次のようなものがある。「マジョリティ(多数派)には、(きっと)悪意はありません。ただ、悪意のない善意ほどややこしいものはない」(21ページ)。「多様性はややこしいのです。/初めて見る規格外は恐怖です。でも、それが多様性です。/もし、あなたが、つまずくことを躊躇するなら、多様性のある社会を実現したいなんて言ってはダメです。つまづくことを覚悟するしか、多様性のある社会は実現できないのですから」(108ページ)。「私たちは、見えない障壁に囲まれて生活しているようなものです。一見、自由が保障されているようで、その実、コントロールされています。/障壁は強く強靭(きょうじん)です。抵抗しても、歯が立ちそうにない」(165ページ)。
〇これらの「ややこしさ」について、文部科学省が2020年度からその充実を図るという「心のバリアフリー」教育は、どのように認識しているのか。市民福祉教育はどのように向き合い、どのような事業・活動や運動を展開しようとしているのか。(敗戦後の混迷期のように)政治・経済・社会のすべてが「劣化」した日本のいまの在り様は、それらの教育実践の拠り所である(新しい)「哲学・価値・思想」の必要性について強く迫っている。今中の本書は、それに応えてくれる一冊でもある。

付記
「アトリエ インカーブ」と今中博之、神谷梢の言説については、<雑感>(73)/2019年1月28日/本文、(95)/2019年9月19日/本文、(112)/2020年7月8日/本文、を参照されたい。

社会劣化の時代における「しんがり」の思想と闘い―鷲田清一著『しんがりの思想』と駒村康平編著『社会のしんがり』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、鷲田清一(わしだ・きよかず。臨床哲学)が著した『しんがりの思想―反リーダーシップ論―』(〈角川新書〉KADOKAWA、2015年4月。以下[1])という本がある。[1]で鷲田はいう。「縮小社会・日本に必要なのは強いリーダーではない。求められているのは、つねに人びとを後ろから支えていける人であり、いつでもその役割を担えるよう誰もが準備しておくことである」。いま、「新しい市民のかたち」「自由と責任の新しいかたち」が問われている([1]カバー「そで」、「帯」)。
〇鷲田の論はこうである。日本は、高度経済成長の「右肩上がり」の時代から「右肩下がり」の時代に移行し、人口減少や少子高齢化などによる「縮小社会」が進行している。しかしいまだに、この国の政治・経済は「成長」を至上命題として考え、多くの人は拡大思考から解放されないでいる。
〇かつて出産から子育て・教育、看護や介護、看取りと葬送(そうそう)、もめ事解決、防犯・防災などの基本的な生活活動(生命に深く関わる「いのちの世話」)は、地域社会で住民が共同で担ってきた。しかし、高度消費社会の進展が図られるなかで、それらの活動も、納税やサービス料を支払うことによって、行政や専門家、サービス企業に責任放棄・転嫁(「押しつけ」)され、委託(「おまかせ」)されている。別言すれば、市民が「顧客」や「消費者」という受け身の存在に成りさがっている(「市民の受動化」)。それは、「責任を負う」ということをめぐっての、この社会の「劣化」であり、市民の「無能力化」を意味する。
〇いま、こうした「右肩下がり」の時代を見据えて、いかにダウンサイジング(downsizing、縮小化)していくかが問われている。そこで求められるのは、人や組織を引っ張っていく強いリーダーシップ(リーダー)ではなく、社会全体への気遣い・目配りや周到な判断ができ、「退却戦」もいとわないフォロワーシップ(フォロワー)である。それが「しんがりの思想」である。これこそが、市民が受動性から脱して「市民性」(シティズンシップ)を回復させ、それを成熟させる前提になる。「市民性」とは、「地域社会のなかで、みなの暮らしにかかわる公共的なことがらについてともに考える、そしてそれぞれの事情に応じて公共の務めを引き受ける、そんな市民・公民としての基礎的な能力」([1]88ページ)をいう。
〇そして、鷲田にあっては、「市民性の回復」すなわち(対抗的な)「押し返し」の活動は、たとえばボランティアやNPOの活動、Uターン、Iターンの動きなどに見ることができる。リーダーや市民にはいま、「しんがり」の務めと「押し返し」のアクションを行なうことが求められている。その際に重要なのは、リーダーシップではなくフォロワーシップである。
〇鷲田は[1]で、梅棹忠夫(うめさお・さだお。1920年~2010年。民俗学者)の「請(こ)われれば一差し舞える人物になれ」([1]215ページ)という一言を引いて本文を閉じる。「成熟した市民」「賢いフォロワーとなる市民」の姿である。
〇筆者の手もとにもう一冊、駒村康平(こまむら・こうへい。経済学者)が編んだ『社会のしんがり』(新泉社、2020年3月。以下[2])という本がある。[2]は、2014年度から2018年度まで慶應義塾大学で行われた全労済協会寄附講座「生活保障の再構築―自ら選択する福祉社会」をもとに、さまざまな分野や地域で、変化する社会経済が引き起こす諸課題を克服すべく格闘している「しんがり」たちの活動をまとめたものである([2]8ページ)。
〇駒村の思い・願いは、すなわちこうである。「しんがり(殿軍:でんぐん)」とは、戦いに敗れて撤退する本隊を守るために最後まで戦場に残り、敵を食い止める部隊のことである。社会や地域が大きく変化し、その対応に既存の諸制度が対応できないときに、起きている問題に格闘する人や組織は必ず必要である。そうした人々や組織を「しんがり」と呼び、「先駆け(先駆者)」だけが褒(ほ)めそやされる時代に、「しんがり」の活躍にも光を当てたい([2]8~9ページ)。
〇駒村はいう。今日の日本社会は、人口減少や格差の拡大などによる社会の劣化が進んでいる。また、戦前・戦中の適者生存や優生思想が強まり、再び危機の時代を迎えている。LGBT(性的少数者)をめぐる生産性の議論や相模原障害者施設殺傷事件(2016年7月)などがそれである。そんななかで、地域社会を維持するために自ら社会問題を考え、構想し、地域の問題は住民自身で解決するという意識のもとで行動できる市民を育てる。また、平和のために時代や場所を超えて他者の困窮(困りごと)を想像し、共感できる市民を増やす、それが強く求められる。駒村が期待する「市民」は次のようなものである([2]23~24ページ)。

(1)充実した熟議ができるような市民になってほしい
社会や国に影響を及ぼす大きな政治的な諸問題について、伝統にも権威にも屈従することなく、よく考え、検証し、省察し、議論を闘わせる市民になってほしい。
(2)他者への敬意を払うような市民になってほしい
自分たちとは人種、宗教、ジェンダー、セクシュアリティが異なっていたとしても、他の市民を自分と同等の権利を持った人間と考え、敬意を持って接するようになってほしい。
(3)他者、他国の人の気持ちを想像、共感できる市民になってほしい
さまざまな政策が自分そして自国民のみならず他国の人々にとってどのような意味、影響を持つかを想像、理解できるようになってほしい。
(4)人の「物語」を聞くことにより、人生の意義を広く、深く理解できる市民になってほしい
幼年期、思春期、家族関係、病気、死、その他、さまざまな人生の出来事について、単に統計・データとして見るのではなく、一人ひとりの人生の「物語」として、理解することによって、多様な生き方に共感できるようになってほしい。
(5)政治的に難しい問題でも自ら考え、判断できる市民になってほしい
政治的な指導者たちを批判的に、しかし同時に彼らの手にある選択肢を詳細にかつ現実的に理解したうえで、判断するようになってほしい。
(6)世界市民として自覚し、社会全体の「善」に想いをはせてほしい
自分の属する集団にとってだけではなく、社会、人類全体にとっての「善」について考えてほしい。複雑な世界秩序の一部として自分、自国の役割を理解し、人類が抱えている国境を超えた、複雑で知的な熟議が必要とされる多様な諸問題の解決を考えてほしい。

〇言うまでもなく、地域の問題は地域住民の問題であり、住民自身で解決するという意識が重要である。その地域社会(まち)のありようを最終的に決めるのは、「市民」でなければならない。その点で市民には、鷲田がいう「市民性の回復と成熟」、駒村がいう(1)から(6)の「市民性」(市民としての資質・能力)の形成が求められる。地域の問題はまた、複雑化・複合化し、多様化、困難化している。その点で市民には、多領域の専門家との「共働」が肝要となる。先ずは問題把握や解決に向けて「熟議」する公共的な“場”の構築であろう。さらに市民には、政治や行政に対する一辺倒な批判だけでなく、まちの将来展望を踏まえた課題解決活動や運動の取り組みが求められる。これらは、筆者がいう「市民福祉教育」に通底する。
〇なお、鷲田は[1]で、福澤諭吉の『学問のすゝめ』の一節、「一人にて主客二様の職を勤むべき者なり」(岩波文庫、1978年1月、64ページ)を引く。それは、「ふだんは公共のことがらを、市民のいわば代理として担う議会や役所にまかせておいてもいいが、そのシステムに致命的な不具合が露呈したとき、あるいはサービスが決定的に劣化したときには、いつでも、対案を示す、あるいはその業務をじぶんたちで引き取るというかたちで、人民が『主』に戻れる可能性を担保しておかなければならないということである」([1]197~198ページ)。これは、「顧客」「消費者」としての市民の、鷲田がいう「押し返し」である。世間から押しつけられるものではなく、地べたから立ち上がる、「責任」の新しいかたち(感覚)であ。得意げに口汚くののしるだけの市民(クレーマー)は無用であり、ときに有害でもある。付記しておきたい。

追補
(1)社会保障制度の「しんがり」としての生活困窮者自立支援制度に関するメモ
〇社会保障制度の「しんがり」として、2015年4月、旧来からの「生活保護制度」に加えて、「生活困窮者自立支援制度」が施行された。この制度は、いわゆる「第2のセーフティネット」として、「生活困窮者の自立と尊厳の確保」と「生活困窮者支援を通じた地域づくり」を図ろうとするものである。
〇生活困窮者自立支援制度は、「現に経済的に困窮し、最低限度の生活を維持することができなくなるおそれのある者」(生活困窮者自立支援法第2条)、すなわち生活保護に至っていない「生活困窮者」に対して、「自立の支援に関する措置を講ずることにより、生活困窮者の自立の促進を図ることを目的とする」(同法第1条)。実施される事業は、必須事業の「自立相談支援事業」と「住居確保給付金の支給」、任意事業の就労準備支援、一時生活支援、家計相談支援、子どもの学習支援、就労訓練などである。
〇これらの事業は、経済的・社会的自立に向けた相談支援の提供であり、現金給付はない。唯一経済給付がある「住居確保給付金の支給」とて、臨時的・緊急的なものであり、対象者や給付期間、給付要件について限定的である。また、多くが任意事業であることによって、支援事業の実施や支援内容に地域間格差が生じる恐れが大きい。
〇要するに、生活困窮者自立支援制度は、就労自立を強調・強制するものであり、福祉の目的を就労の拡大におき、福祉の受給条件として就労を求める。すなわち、就労(work)と福祉(welfare)を組み合わせる「ワークフェア(workfare)」を志向・強化するものである。それはまた、ワーキングプア(働く貧困層)や過重労働を生み出し、就労困難者を事業対象から排除することになる。
〇しかも、貧困の自己責任を前提に、「自立支援」の名のもとで、生活困窮者の私生活への介入が拡大される。そして何よりも、生活困窮者に対する新たな相談窓口が、「就労・自立支援の強化」と生活保護の「不正受給への厳正な対処」(生活保護法改正)等により、生活保護の抑制的な運用(「水際作戦」などの違法行為)を推し進めることになる。
〇さらに、生活困窮者自立支援制度では、行政や関係機関、民間団体、地域住民などによって、経済的困窮と社会的孤立の特徴をもつ生活困窮者の包括的・早期的・創造的な支援を行う「地域づくり」に取り組むことが求められている。それは、困窮(「困りごと」)や経済的貧困の問題を生活困窮者・貧困者の生き方の問題にすり替えたり、生活困窮支援や生活保護についての国家責任を地域・住民に転化したり、地域・社会に生きる生活困窮者の人権や尊厳、生存権を脅かす、そういう恐れがある。
〇いずれにしろ、「自立支援」の考え方は、貧困の原因を個人の怠惰に帰す古典的な理解に基づくものである。経済的困窮や社会的孤立の問題は公的責任に基づく対応が必要不可欠であり、そのもとでこそ地域・住民による主体的・自律的活動が可能となる。生活困窮や貧困の問題を地域・住民の善意に基づく「共助」に引き受けさせることは、社会の不安と分断を拡大させるだけである。
〇別言すれば、「しんがり」(生活困窮者自立支援制度)のなかの“しんがり”のあり方が問われる、ということである。その“しんがり”は、多様な専門家と「共働」しながら、地域経済社会の事象や問題・課題を構造的に把握し、政策・制度や行政の問題や限界を明らかにする。そのうえで、地べたをはって地域づくりに取り組む、そういう市民である。その“しんがり”にこそ、「一差し舞える主(主人)」、すなわち真のリーダーシップ(「先駆け」)を期待したい。

(2)生活困窮者支援を通じた地域づくりと「ケアリングコミュニティ」
〇「生活困窮者支援を通じた地域づくり」に関して「ケアリングコミュニティ」のことが指摘される。ケアリングコミュニティについて筆者(阪野)はかつて、仮説的に次のように述べたことがある。参考に供しておくことにする。
〇筆者(阪野)は、管見ながら、しかもその一部に過ぎないが、人と人が共に生き、共に支え合うこと(「相互依存」interdependence)によって自己成長と相互成長、自己実現と相互実現を促す地域社会、すなわち「ケアリングコミュニティ」(caring community)に関して次のように考えている。(1)地域のあらゆる住民が「安心」して暮らせるまちは、「安全」と「信頼」と「責任」のまちである。安心=安全×信頼×責任、である。(2)まちづくりは、そこに暮らす住民が相互に支援し合う(「相互支援」の)地域コミュニティを創造するために、意識と思考と行動の変革を図ることから始まる。まちづくりは相互支援であり福祉教育である。(3)「自立」(「依存的自立」)は、自己選択と自己決定、そして自己責任に基づく自己実現の過程を通して達成される。それは、個人的なものにとどまらず、歴史的・社会的・文化的状況や背景によって規定される。自立は自己実現のための手段であり、歴史的社会的性格(特徴)を持つ。(4) 自己決定と自己実現は、個人的営為ではなく、自分と他者との相互の認識と行動に基づいた自己成長と相互成長を通じて初めて可能となる。自己実現は「相互実現」である。(5)現在の日本社会では、格差社会や管理社会が進展するなかで、持続可能な相互支援型社会を如何に形成するかが問われている。管理は画一化や受動化を促進し、支援は多様性や能動性を尊重する。地域共生社会は相互支援型社会である。なお、これらとともに、またこれらを可能にするためには、まちづくりや地域福祉についての多様な政策・制度的対応や専門機関・専門家による対応などが必要かつ重要であることは言うまでもない。(<ディスカッションルーム>(68)「支援学」ノート/2017年6月1日投稿)

「仲間とつながりハッピーに生きる」:「共感」とは心に人を住まわせることである。その心に定員はない。―金森俊朗の「いのちの授業」を読む―

〇金森俊朗(かなもり・としろう)が2020年3月に亡くなった(享年73)。金森は、1969年3月に金沢大学教育学部卒業後、石川県内の小学校(小松市立小学校1校、金沢市立小学校7校)で38年間教鞭をとった。1990年前後から本格的に、「いのちの授業」(「性の授業」「デス・エデュケーション」等)に取り組んだ。それは、教育界のみならず医療や福祉の世界でも全国的に注目を集めるようになる。
〇金沢市立南小立野(みなみこだつの)小学校4年1組の「金森学級」(35人、10歳の子どもたち)が、2002年4月から1年間、NHKテレビの長期取材を受けた。それが翌2003年5月、「NHKスペシャル・こども輝けいのち 第3集・涙と笑いのハッピークラス~4年1組 命の授業~」というタイトルで放映された。それは、多くの人々の感動を呼び、国際的にも高く評価された。
〇筆者(阪野)の手もとに、金森の「いのちの授業」(教育実践とその思想)に関する本が8点ある(しかない)。以下がそれである。

(1)NHK「子ども」プロジェクト『NHKスペシャル こども 輝けいのち/4年1組 命の授業―金森学級の35人―』日本放送出版協会、2003年9月(以下[1])
NHK「子ども」プロジェクトの取材記録である。そのときのディレクターは言う。「放送後、5年生になったみんなと会う機会があった。番組を見たみんなの気持ちは、たぶん陽くんの言葉が一番うまくまとめている。『おもしろかった。たしかにおもしろかったけどな、オレらの1年間はもっと重たいもんやで』。ぐうの音も出なかった」(156ページ)。続けてディレクターは、「学校が持つ可能性、そして子どもたちが本来持っている力は、まだまだ捨てたものではないはずなのだ。実は私は、(全国の学校に)そのことを伝えたかった」のである、と言う(157ページ)。
(2)金森俊朗『いのちの教科書―学校と家庭で育てたい生きる基礎力―』角川書店、2003年10月(以下[2])
金森学級では、①給食の一限目、食材の一つひとつと丁寧に向かい合う。②“包”むという漢字から、母親の心を学ぶ。③友だちの家族が亡くなったら、共に死を考える。④父母、祖父母に話を聞いて、自分史を人体図にまとめる。⑤末期ガンの患者や障がい者と、じかに語り合う。⑥どろんこサッカーや川への飛び込み、自然のなかで激しい遊びをする。⑦日々の気持ちは仲間に宛てて、「手紙ノート」に書く。これらによる「いのちの学び」は、学校と家庭で育てたい「生きるための基礎力」である、と金森は言う(カバー「そで」)。
(3)NHK「子ども」プロジェクト編『NHKスペシャル こども・輝けいのち:ジュニア版2 涙と笑いのハッピークラス』汐文社、2004年6月(以下[3])
[1]のジュニア版である。金森学級の朝は、「手紙ノート」から始まる。毎日3人ずつ交代で、クラスメイトに宛ててノートに手紙を書く。家で書いてきたその手紙を、みんなの前で読んで聞かせる。テーマは「なんでもいい」。金森は言う。「みんながやったのは、自分をわかってもらって、そして友だちをわかろうという、そういうわかり合う努力でした」(99ページ)。金森授業の核心のひとつは「つながり合う」である。
(4)金森俊朗『希望の教室―金森学級からのメッセージ―』角川書店、2005年4月(以下[4])
本書では、どこの地でも、誰でも実践しうる基本的な日常の学びが提示される。金森は言う。「私はあえて『ガキはガキらしくせい』と繰り返し言い続けた。この場合の『ガキ』とは、もっと自分にこだわり、わがままを通そうとして激しくぶつかってもいい、一見『馬鹿げたフェスティバル文化』(ボディー・コミュニケーションの遊びや活動)をいつでもどこでも展開していいよ、との意味を込めて使ったことばである」(249ページ)。
(5)金森俊朗『子どもの力は学び合ってこそ育つ―金森学級38年の教え―』(角川oneテーマ21)角川書店、2007年10月(以下[5])
「子どもたちもいっぱい悩みを抱えている」。「どのような親・教師・学校が子どもの生きる力を育てるのか」。その問いに対して金森は、「これからは、危険や災害を見通し、備える力・いざというとき瞬時に判断する力・人と人とをつないで協力する力・困難の中でなけなしの条件を引き出す力が必須である」。それらの力=真の学力は、学び合ってこそ育つ。本書では、その力を習得、発揮するための具体的なプロセスを開示する(「帯」)。
(6)金森俊朗『金森俊朗の子ども・授業・教師・教育論』子どもの未来社、2009年1月(以下[6])
金森にあっては、「子どものリアリティから学び、人間を深く捉える」。「子どものなかに社会や時代を読む」ことが、教師としての最低要件である。「子どもの内面世界を無視した外からの『モラル』『規範意識』の徹底に、子どもたちはストレスや悲しみを自他いずれかに向かって爆発させる。社会と時代の痛みを共に背負う深い人間的な共感があってこそ、働きかけの厳しさは子どもに受容され、力につながる」のである(294、295ページ)本書では、金森授業の教育観と哲学、実践の神髄が語られる(「帯」)。
(7)金森俊朗『「子どものために」は正しいのか』(学研新書)、学研教育出版、2010年10月(以下[7])
「子どものために」という親心が子どもを追い詰めている? 子どもの個性は、「できること」にしか認められず、「できたか、できなかったか」の成果主義評価の下で悩む現代の子どもたち。厳しい現実を生き抜くために、今本当に必要な力とは?(カバー「そで」)。この問いに対して、「金森学級には理想の子どもたちがいる」と言う。①年間数千ページの本を読む。②外で友たぢと豊かに関わり遊ぶ。③家族と自分、仲間を大切にする。④高度な言語力と思考力れをもつ、がそれである(「帯」)。
(8)金森俊朗・辻直人『学び合う教室―金森学級と日本の世界教育遺産―』(角川新書)、KADOKAWA、2017年4月(以下[8])
金森にあっては、子どもは「自ら学び、友と学び合う」ことこそが「生きる力」であると分かっている。金森学級では、子どもたちが「学ぶ力」だけでなく、仲間と学び合う、競争社会を超える「生きる力」を身につける。その金森実践の根底・源泉には、日本の教育史上で“非主流”とされてきた生活綴方教育・生活教育がある(カバー「そで」)。共著者である辻は、その歴史や理念について説述し、それに基づく金森実践の本質に迫る。生活綴方教育・生活教育は「世界教育遺産」として誇られるものであり、今日の教育状況のなかでこそ、その教育が大きな意味をもっている、と辻は言う。

〇本稿では、以上から、筆者が注目したい金森の子ども観や教育観、教育実践とその思想などをめぐって、視点・視座や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

「つながり合う」と「生きる希望」
生きるということは、仲間と「つながり合う」ことである。([2]12ページ)/子どもたちが何よりも求めているのは、学ぶことの喜び、友と学び合う楽しさ、学ぶことの意義を実感することである。/それをひと言で、「生きる希望」と呼ぶ。学校は、生きる希望や夢を学ぶことによって、横並びの関係性([8]116ページ)のなかで学び合うことによって、子どもを育む場である。/この「仲間と共に希望を育む学び」に力を入れることは、決して「学力」に重さを置く教育と対立するものではない。それを内に含みつつ、はるかに超えて、生きる力に直結した言語能力や思考能力を育てていく。それが、確かな学力ともなる。/今の教育改革は、子どもを集団からばらばらにして、競争させ、自己肯定感を奪い、一緒に生きよう! という「共同の思想」をつぶすものである。([2]16ページ)

「学び合う」と「いのち輝く」
学力とは、自分と自分を取り巻く世界を読み解き、それを自分のことばで表現し、他者に伝え、交流し合う力である。その学力は、自分の存在やこれから生きる社会や自然にどのような希望があるかを見出す力として発揮されなければならない。([4]166ページ)/(すなわち)自分の真実を知り、感動した心を自分のことばで表現し、他者に伝え、伝えたことによって、返ってきた他者の考えに耳をすませ、さらに確かなものにする。つまり、交流し合う力があって初めて学びが得られるのであり、その交流し合う力まで含めて「学力」と呼ぶ。/(そこから)教育とは、自分が深くわかる、つまり人間を理解するということが、その目的であると言ってよい。それは、「いのち(が)輝く」ことであり、そのために一番大事なことは、本物の生きざまに触れ、生の大切さを学び([2]23ページ)、人間の存在の尊厳を学ぶという視点を持つことである。([5]139ページ)

「子どもの生命力」と「生活教育」
教育とは、子ども(人間)が内に持っている成長・発達の可能性を引き出し、大きく育む営みである。([8]20ページ)/現代の子どもも、動物・哺乳動物としての原始性・野性・動物性を心身の奥に秘めている。([8]26ページ)/それは、過酷な条件のなかでも生き抜くことができる逞(たくま)しい心身の力であり、生活意欲や、命の危険を察知・予知し危険を乗りこえたり、避けたりする力である。五感を中心とする鋭い感覚や感性などを意味する。([8]30ページ)/それらが全面的に発揮される時と場所を保障すれば、子どもはまちがいなく、全身、全運動・感覚器官から喜びを放射し、友とつながり、生活意欲を高める。それは、学習意欲、表現意欲・表現力、好奇心、集中力,切り替える力などを高める。([8]37ページ)/その可能性を大きくきり拓(ひら)く教育の中心柱は、生活綴方教育であり、その土台をなす生活教育である。([8]44ページ)/生活綴方教育とは、生活のありのままの様子や日頃の思いを素直に記録することを追求した作文教育である。([8]171ページ)/生活教育とは、子どもの生活実感や経験、日常生活における場面を大事にして行われる教育実践である。([8]185ページ)

「キャッチャー」と「ピッチャー」
教育実践はもちろん、子どもに関わる仕事をしている人たちは、「キャッチャー」である。子どもは「ピッチャー」で、さまざまな球を投げてくる。([4]7~8ページ)/人間が生まれて生きるのは、それぞれが幸せになるためである。そのために学校があり、人間は学び合っている。/「仲間と一緒にハッピーに生きようぜ!」。([5]173ページ)/その思いを実現するために、大人はキャッチャーになって、子どもがピッチャーとして投げる好奇心、日々の生活からの学び、内面の喜怒哀楽を全人格と全人生をかけて受け止め、豊かに返球する。すなわち、子どもに根ざした意味ある学びと生活を創造することが大切である。/「豊かな返球」のなかでも、特に大切にしていて特徴的なのは、フェスティバル文化論である。学習や行事は、人と人とをつなげ、フェスティバルのように楽しく感動的でなければならない。([5]173~174ページ)

「ボディー・コミュニケーション」と「馬鹿げたフェスティバル文化」
「(土砂降りの雨が降った日、泥水のなかに飛び込む)どしゃぶりどろんこ」「(運動場に書いたS字の陣地を、片足跳びなどで移動しながら取り合う)エスケン」「(厳冬期のプールでの)イカダ乗り」「(田んぼでの)米作りや農園作り」「障がい者や妊婦・末期がん患者らとの交流体験」など、「もの・こと・人・自然とのボディー・コミュニケーション(体感・体験)」の活動([8]32ページ)は、一年間で多彩に展開する。/「どしゃぶりどろんこ」や「エスケン」「イカダ乗り」を典型とする活動をあえて、「馬鹿げたフェスティバル文化」と呼ぶ。([4])245ページ)/一見「馬鹿げた」文化は人間が持つ攻撃性を発散させたり、豊かに育むために必要なものである。とりわけ子どもにとって、その文化は、人間が本性として持つ攻撃性を、積極性や挑戦心や人や自然と交わる力に転化し、育む大きな役割を持っている。([4]247ページ)/一見「馬鹿げた」文化は、本来子どもたちに、子どもであるがゆえに無条件に保障されるべきものである。([4]248ページ)

「共感」と「共育・響育・協育」
心拓(ひら)いてわかってもらえる努力をし、それを聞いた側がキャッチする。その時に、それを批評しない、分析しない。自分のなかにある同じ悲しみ、痛み、悩みを語る。それによって一緒に担って一緒に歩いていこう、友だちのなかに自分を、他者のなかに自分を、自分のなかに他者を発見し合って生きる。それが「共感」である。いま、その関係性を築くことが求められている。(「6」60ページ)/そこから、教育は「共育」「響育」「協育」と言い換えてもよい。([8]252ページ)/「全人格と全人生(を)かけて聞かなきゃ言ってくれない」「聞いてくれる人、聞いてくれる仲間がいれば言う」。/心の世界、「聞いてくれる人」、授業でも同じである。心の世界になるともっと、とことん聞いてくれる人にしかしゃべらない。心の扉は外側から引っ張っても、開けようとしても開かない。本人が内側から開けてくれないと。心の扉は内側にしか取っ手がないのである。(「6」100ページ)/その点でまた、教育は、子どもを通して浮き彫りになる保護者の実像に、深く共感する営みである。保護者や地域の積極的な応援・協力を必要とする。そこから、子どもと保護者、そして地域が協働して「学び」を創るために、教師の人間性や専門性、市民性や社会性が問われることになる。(「6」286、287~288ページ)

〇金森の「いのちの授業」はシンブルであり、根源的である。約言すれば、「いのち」には何の約束も保証もない。しかも、一回限りである。子どもたちは、さまざまな「生」や本物の「生きざま」に直に触れ、自ら学び、多くの友だちや大人との「つながり」のなかで学び合う。それによって、「生きている自分」と「生かされている自分」に出会い、人間の多様な存在と個人の尊厳について理解する。そして、自分らしく、またみんなが輝いて生きる喜びを実感する。「金森実践」は、こうしたことを子どもの心に「原風景」として刻み、「生きる希望、源泉」([7]204ページ)を育むのである。そこに見出すキーワードは、「いのちと生活」「表現と共感」「学び合いと感動」であり、それらに通底するのは「つながり合う」である。
〇本稿の冒頭に記したNHKの番組では、奥深い、感動的な学びの場面が多い。2003年2月、金森学級では、「いのちの授業」が続いていた。そんなある日、翼(つばさ)くんの父親が突然に亡くなった。光芙由(みふゆ)さんは、3歳の時に父親を奪われた。3月20日、金森学級の「しめくくりの会」(「お別れ会」)の日の様子である([1]152~153ページ、[3]96~98ページ)。金森実践の真骨頂を見る。

クラスのみんなは一人ひとりが板きれを持って運動場に集合した。光芙由と翼のお父さんに手紙を書くためだ。2メートル四方の大きな文字を運動場に刻む。
どのように手紙を出すかについて、はじめは気球に乗せて空に飛ばすという案も出されたが、時間的に間に合わないということもあり、「天国からでも見えるような」大きな手紙ノートを書くことになったのだ。
運動場の土は、思ったより硬くなかなか掘れない。「と」や「ち」など画数が少ない文字を掘り終えた子は、漢字に苦戦している仲間の応援に加わった。
手紙ノートの文章は、健太(けんた)が中心となって考えた。
光芙由のお父さんも翼のお父さんも若くして亡くなった。光芙由や翼をどんなに心配していることだろう。考えに考え抜いた言葉は、結果として、金森学級みんなの誓いの手紙となった。

光芙由と翼のお父さんへ
二人はいつも元気だ
私たちがそばに
いるから安心してね

書き終わった後、みんなでいっしょに、この手紙ノートを読みあげた。祐人(ゆうと)がぽつりとつぶやいた。
「死んでしまったら普通の手紙は届かないけど、心の手紙はきっと届くと思う」

付記
本稿を草することにしたきっかけのひとつは、次の記事にある(『岐阜新聞』2020年6月7日付朝刊)。

神谷梢「解説 静かでおだやかなこの物語を紡いでゆく」―今中博之著『アトリエ インカーブ物語~アートと福祉で社会を動かす~』―

〇文庫化に際し『アトリエ インカーブ物語』(単行本:今中博之著『観点変更』創元社、2009年9月)を読み終え、一編の「物語」が紡がれるほどの月日が流れたことを目(ま)の当(あ)たりにしています。
〇2002年にアトリエ インカーブ(以下、インカーブ)が立ち上がり、単行本の『観点変更』が刊行されたのが2009年なので、本書にはこれまでのインカーブ物語の前半が記されていることになります。私が今中と出会ったのは、彼のサラリーマン時代終盤のことです。本書にもそのくだりがありますが、最初は今中の個人のデザイン事務所で手伝いをさせてもらうようになったものの、当時私はまだ学生で、今振り返るのも恐ろしいほど何もできないでいました、そして同時に、インカーブの前身である作業所のスタッフになり、以来、社会福祉法人の立ち上げから運営、行政との折衝など、インカーブの黒衣(くろご)的な役どころを担っています。
〇今中は最近、菩薩様(ぼさつさま)のような目をしていると言われたそうです。でも出会った頃は、不動明王のように眼光鋭く、それはそれは厳しかった! 今、愛娘(まなむすめ)のさくらちゃんに目尻を下げっぱなしなところをみると、隔世(かくせい)の感すらあります。
〇今中には何事も「ほどほどで済ませる」ということがありません。今となっては、その厳しさの意味が分かりますが、当時は怒られどおしで、よく泣いて帰っていました。不動明王は人々を叱りつけてでも正しい道へ導こうとしている、だからあんな怒ったお顔をしていると今中に教えられました。怒りの奥にはやさしい眼差(まなざ)しがあります。それは自分の思い通りにならないことへの独りよがりな苛立(いらだ)ちではなく、小さき者、名もなき者を悲しませる理不尽な物事に対する憤(いきどお)りです。人は誰しも善(よ)く見られたいと、自分が怒っている姿をあらわにすることをためらうもの。しかし今中は、その怒りをうやむやに収めるようなことはしません。目を見開いて、相手の目を見て、ちゃんと怒ります。
〇あれから20年近く経った今だからあえてエラそうに言うと、私をはじめとするスタッフがいなければ、今中の思考や企(くわだ)てが体現され、息が吹き込まれることはなかった、はず。そんな自負をもてるほど、それをここに書けるほどに、私は今中に育ててもらったともいえるし、理想郷を実現するためにうまく育て上げられた(丸め込まれた)ともいえます。いずれにせよ今中が思い描いた大きな理想は、一人のものではなく、みんながそれぞれの胸に抱くものになりました。
〇ひとが成熟するというのは、自分が思う時にいつでも大人と子どもを行ったり来たりできることだと、精神科医の言葉だったか、聞いたことがあります。今中のなかには、まさに大人と子どもが同居しているようにみえます。これまで鍛錬(たんれん)されてきた冷静な判断力と事業の後先(あとさき)の展開を見据えながらも、未(いま)だ見ぬ物事を興(おこ)す時には期待に胸を躍(おど)らせているのがわかります。
〇本書を読み進めると、今中は初めから結果を見越して、あるいは確固たる裏づけがあって行動を起こしてきたようにみえますが、私の体験では結果の3割くらいの目処がついたところでスタートを切っています。
〇インカーブが始まって、今中の考えやふるまいが時に周り(特に同業者の方)から反感を買い、軋轢(あつれき)をうむところを見てきました。今中のそれは世の中の理不尽に対する怒りからきているはずなのに、なぜ周りとの衝突がうまれるのでしょう。
〇知的障がいのあるひとがアートの才能を活かして、あるいはアートに親しみながら暮らしてゆきたいと願うなら、それをデザインの力で叶えたいと考えることは、今中にとってごく自然で、その生い立ちからも自身のつよい信念や理想に基づいているようにみえます。一方で、インカーブがスタートした約20年前は、行政や福祉にたずさわるひとにとって、アートやデザインは未知の世界のこととして理解しにくいものであったはずです。
〇よく知らないものを警戒したり排除しようとするのは当然のことなのかもしれません。けれど、今中の思考やインカーブの事業が、正義の押し売りや今中個人の独善的な行いととられるのはとても口惜しい。そう映らないようにするには、うまく言葉で表せないのですが、アクチュアルな(実際の、本当の)肌感覚というのか、思考や企てを体現する行動が「いま」の空気感をまとっていることが大事なような気がしています。その行いが信念に照らして善いことだとしても、「いま」すべきではない社会状況ならブレーキをかける。これまで20年間、私はそんなことを心に砕いてきたように感じるのです。
〇良くも悪くも、私は大人と子どもを行き来できない、ただの大人です。むしろ意図的に、標準的な大人であろうとしていろところもあります。私はインカーブの中にいながらも、意識は一人その輪を抜け出して、いまの世の中の言葉と流れの中で「インカーブ」という存在をとらえようとしています。それは、アーティストとスタッフが、信念や理想の中ではなく、いまこの時を生きているからです。今中のソーシャルデザインの思考に乗っかりながら、アーティストとスタッフを無用な衝突から守る私なりの方法なのだと思います。
〇本書が刊行された今日も、昨日と変わらない「普通なしあわせ」(当たり前のことを当たり前に行えること)がインカーブには満ちています。でも、物語が紡げるほど長く、毎日が「普通なしあわせ」で満たされていることは、「普通」ではなく「奇跡」のようです。
〇静かでおだやかなこの物語の続編が明日からも紡がれることを願います。

※神谷梢「解説 静かでおだやかなこの物語を紡いでゆく」今中博之『アトリエ インカーブ物語―アートと福祉で社会を動かす―』(河出文庫)河出書房新社、2020年7月、288~292ページ。
※神谷梢/かみたに・こずえ/アトリエ インカーブ・チーフディレクター。
※今中博之/いまなか・ひろし/アトリエ インカーブ・クリエイティブディレクター。

「生きる」(永六輔)を「定点観測」(井上一夫)する―ワンポイントメモ―

〇「6月27日、午後1時の時報を13秒ほど前にお伝えしました」。2020年6月27日に放送された「久米宏 ラジオなんですけど」の最終回、その第一声である。「ゲストコーナー 今週のスポットライト」に登場したのは伊集院光。久米と伊集院の話のなかで、「永六輔」が何度も登場した。
〇筆者(阪野)はこの番組を、半年ほど前から、毎週土曜日の夕方か夜中にユーチューブで聴いてきた。6月27日は午後5時頃からである。その途中でふと、積読本の一冊に、井上一夫著『伝える人、永六輔―『大往生』の日々―』(集英社,2019年3月)があることを思い出した。そこで夕食後、この本を読み始め、併せて永六輔の『大往生』(岩波新書、1994年3月)を実に久しぶりに再読した。井上は1948年生まれ、元「岩波新書」編集者である。永は1933年~2016年、放送作家・作詞家である。
〇井上の本のカバー「そで」の「内容紹介」は次の通りでる。「1994年に発売されるやいなや、大反響を呼び200万部を超える大ベストセラーとなった『大往生』。担当編集者であった著者(井上一夫)はその後10年、永六輔と本作りの日々を共にし、「ラジオ」と「旅」を源泉とする「知恵の言葉」のありようを探っていく。現場にいたからこそ見えた、永六輔の実像とは――。豊富なエピソードを交え、語り継いでいく。」
〇永は『大往生』の「まえがき」で、寺山修司(1935年~1983年、歌人・劇作家)の次の一節を引いている。「生が終わって死が始まるのではない/生が終われば死もまた終わってしまうのだ」(ⅱページ)。
〇本稿では、多言を弄(ろう)さず、井上の一文と永の詞の一節に限ってメモっておくことにする(見出しは筆者)。筆者の「いま」と「これから」に、留意したい。

定点観測/井上一夫
(担当編集者が、本書は「一編集者の定点観測の記録」である、と表現してくれた。)わたしは、編集者という立場を「定点」としています。そした可能な限り永さんに寄り添いつつ、彼の魅力を「観測」してきたといってよさそうだ。
観測というアナロジー(類推、比喩表現)がぴったりと思った理由は二つあります。ひとつは、観測には観測者の能力と個性が関係していること。いうまでもないことですが、観測とは客観的なデータの羅列ではありません。読みとる行為があって、はじめて意味を持つ。そこには当然、読みとる側の課題意識が関わりますから、それなりの角度が生じます。つまり、本書に即してひらたくいえば、わたしが記憶したいと思ったことが中核になるということで、わたしの実感と照応している。
いまひとつは、観測である以上、ある客観性が求められること。記憶なるもの、ときに思い込みや思い違いの危険があります。実際の本づくりにあたっては、何度も当時のドキュメントを点検し、関係者の証言の聞きとりを行ないました。むろん完璧であるはずもなく、限界はありますが、訂正すべきは訂正する作業をへています。単なる記憶のみに収斂(しゅうれん)させては事実としても違う。つまり、わたしのなかに厳としてある「記憶の体系」をベースにしつつ、ある客観性を持った「観測記録」として本書ができたといっていい。「一編集者の定点観測の記録」、そのとおりかと思う。(237~238ページ)

生きる/永六輔
生きているということは
誰かに借りをつくること
生きてゆくということは
その借りを返してゆくこと
誰かに借りたら
誰かに返そう
誰かにそうして貰ったように
誰かにそうしてあげよう
(194ページ)

〇筆者は、「定点観測」に関する言葉として、「追っかけ」を想起する。40年以上も前からはじまった追っかけの最初の対象は、伊藤隆二と大橋謙策である。伊藤については、神戸・福祉教育・研究会/伊藤隆二編『「福祉教育」の研究』(柏樹社、1975年12月)からである。大橋については、全社協の「(第2次)福祉教育研究委員会」(1982年9月~1984年3月)からである。そしていま、鳥居一頼を追っかけている。鳥居一頼著「詩『ボランティア拒否宣言』に学ぶ“自立”と歪んだボランティア観~覚醒と受容そして意識変革を促す教材としての価値を探る~」(『人間生活学研究』第22号、藤女子大学人間生活学部人間生活学科、2015年3月)がその端緒である。ここでいう「追っかけ」は、自分の実践や研究に「使える」理論や方法を取捨選択し、それらを統合するための「仕事」(ハンナ・アーレント:工作物を製作する職人的な行為)であり、プロセスである。付記しておきたい。

共感の世界:「教育は集団的営為であり、市民的成熟に資することである」ということ―内田樹著『サル化する世界』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)は「鳥居一頼の世界」(本ブログの「鳥居一頼の世語り」)が好きである。その理由は、切れ味の良い厳しい言葉とともに、多くの発言内容に「共感」することにある。とりわけ、これまで積み重ねられた地域・生活経験や知識・知性に基づく尖鋭(せんえい)で確かな批判的言説、にである。鳥居は、多岐にわたる地域・生活の実相を多角的に鋭く分析し、的確に評価する。問題点を深掘りし、課題を容赦なく抉(えぐ)り出す。そして、それらを「散文詩」に乗せる。そのジャンルは、福祉や教育、政治、経済、社会、文化などと広い。また、たまに登場するウイットに富んだ一節も面白い。
〇鳥居は、詩作の際には、時に仏の顔になり、時に鬼の形相(ぎょうそう)になっているのであろう。しかも、その過程で鳥居がとる立ち位置や姿勢は、多様な地域・生活課題を「我が事」として引き受け、自分の言葉に体を張る、というところにある。また、その基底には、人間の実存すなわち、いまをよりよく生きようとする人たちへのこだわりと覚悟があり、その人たちとの相互実現がある。
〇鳥居にあっては、その人たちとは、人間の尊厳が踏みにじられ、地域・社会から邪険(じゃけん)に扱われ、切り捨てられる人たちである。「鳥居一頼の世界」を別言すれば、「人間愛」の世界であり、「福祉と教育の思想」である。
〇筆者は「内田樹の世界」への旅を重ねてきた。今回は内田の新刊書『サル化する世界』(文藝春秋、2020年2月。以下[1])を旅することにした。[1]は、雑誌のコラムや講演録、対談やインタビューなどを加筆修正し、再構成したものである。内田にあっては、挑発的なタイトルの「サル化」とは、「今さえよければ、自分さえよければ、それでいい」という時間意識の縮減や自己同一性の委縮した人たちが主人公になっている歴史的趨勢(過程)のことを言う。「サル」は、中国の「朝三暮四」(ちょうさんぼし)という説話に由来する(補遺① 参照)。
〇日本社会ではいま、「身の丈(たけ)にあった」「期待される」「自分らしい」生き方が推奨あるいは強制されている。それは、生き方の定型化・固定化を促すものである。「成熟」とは多様に「変化」し「複雑化」することであるが、それを認めないのが現代社会である。人びとが感じている「生きづらさ」や「息苦しさ」の原因のひとつは、ここにある。そのような視点から、内田は[1]で、自分の身の丈を超えて自由に多様に生きることを提案する。人間は、成長するにつれて、「考え方が深まり、感情の分節がきめ細かくなり、語彙(ごい)が豊かになり、判断が変わり、ふるまいが変わる」(8ページ)。それが「成熟」である(「なんだかよくわからないまえがき」)。
〇以下に、[1]で筆者が「共感」する2つの視点・言説に限ってメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

教育の主体は集団であり、「共同体の存続」をめざす営為である
教育する主体は集団である。そして、教育の受益者も集団である。教育は集団の義務である。教育の受益者は子どもたち個人ではなく、共同体そのものである。共同体がこれからも継続して、人々が健康で文化的な生活ができるように、われわれは子どもを教育する。(216ページ)。
「教師団」には、今この学校で一緒に働いている人々だけではなく、過去の教師たちも未来の教師たちも含まれている。そういう広々とした時間と空間の中で、教育活動は行われている。そして、そういうような時代を超えた集団的活動が可能なのは、教育事業の究極の目的が「われわれの共同体の存続」をめざすものだからである。(219ページ)
教育政策の適否を計る基準は一つしかない。それはその政策を実行することが子どもたちの市民的成熟に資するかどうか、それだけである。市民的成熟に関係のないこと、それを阻(はば)むものは教育の場に入り込ませてはいけない。そういう基準で教育政策の適否を判定する習慣をわれわれは失って久しい。それが現在の日本の教育の混乱と退廃をもたらしている。(219ページ)

相互扶助的な共同体は「持ち出し」覚悟の私人から立ち上がる
地域社会の相互扶助的なマインドは簡単に無くなってしまった。共同体は簡単に崩れてしまう。これから先、日本社会はゆるやかに定常経済に移行してゆく。そんななかで、相互扶助的な共同体を再生する必要がある。(260、261ページ)
相互支援の共同体を立ち上げるというのは、基本的には行政の支援を当てにするのではなく、私人が身銭を切って、自分で手作りする事業である。「持ち出し」である。私人たちが持ち寄った「持ち出し」の総和から「公共」が立ち上がる。はじめから「公的なもの」が自存するわけではない。公的なものは私人が作り出すのである。(269、270ページ)
今、市民たちはどうやって「公的なもの」から私権・私物を取り出すことができるかを競っている。政府は、国民に対して「私権を抑制しろ、私有財産を差し出せ」とうるさく命令している。逆である。国民が自発的に私権を抑制し、私有財産を贈与するときに、そこに公共が立ち上がる。(270ページ。補遺② 参照)

〇内田の新刊書に、平川克己との対談本『沈黙する知性』(夜間飛行、2019年11月。以下[2])がある。対談のテーマや内容は、言葉や世論にはじまり、日本社会の衰退やグローバリズムの終焉、そして村上春樹や吉本隆明等々、多面的かつ多層的である。ここでは、[2]における次の3つの言説だけを再認識しておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

言葉に対する怯えや覚悟
何かを語ろうとしてる人間はみな「自分が発信している言葉は、誰かの言葉をパラフレーズ(言い換え、置き換え)しているだけかもしれない」ということを自覚しておく必要がある。その自覚がないから、自分たちの思考がパターン化した思考の枠組みをなぞっているだけだという自覚もないし、逆に、お気楽に傲慢で攻撃的な言葉を発することができるとも言える。言葉に対して、怯(おび)えや覚悟というものがあってもよい。(平川:35ページ)

身体感覚と生活実感のある言葉
「ほんとうのこと」「本音」を言うためには、命を賭けなければならない。生身の身体(身体性)や現実生活の常識から乖離した言葉には、説得力がない。一方で、身体感覚に裏付けられた言葉だけではなく、抽象度の高い言葉を使っていかないと思想は形成できない。そこで、抽象度の高い言葉を、生活実感のある言葉で裏打ちしていく作業(「伝わる言葉」への変換)が必要になる。(平川:57、58、305ページ)

孤独な沈黙のなかでの知性
見聞の狭い人間は、目の前の現実を見てすぐに「前代未聞」だと浮き足立ったり、有頂天になったりする。知識人は逆に、何を見ても「これはどこかで見たことがあるんじゃないかな」というところから吟味(ぎんみ)をする。そして、どういう文脈で「こういうこと」が起きたのか、過去の事例を参照しながら理解しようとする。知識人の、この孤独な沈黙のなかでの営為が、未来を切り拓く。これが本物の知性である。(内田:106、109ページ)

〇なお、筆者はかつて、「まちづくり」のための市民性形成(市民的資質・能力の育成)と市民運動に関して、次のように述べたことがある。「市民運動は通常、自らの、あるいは他者の尊厳や生命・生活が脅かされるときに、多くの市民が集合し、集合行為として展開される。その際、その運動は、必ずしも環境や立場を同じにする人びとが集まって展開されるものではない。運動に参加する人びと(運動主体)は多様であり、運動の目的も直接的に自らの利益や地位向上などのための利己的なものではない。運動主体の多くは、利己主義を超える人間観や社会観をもっており、社会的な事象や出来事に積極的に関与し、自己決定し、共通認識のもとに連帯して行動する自発的で能動的かつ自律的な個人である。また、その個々人は、運動展開の過程で他者理解を深め、自己を再発見し、自己変容・変革を促す。それを通して、他者との相互連携がより深化・発展するのである。」(<まちづくりと市民福祉教育>(3)福祉のまちづくり運動と市民福祉教育/2012年7月4日投稿)。これは、まちづくりのための市民運動や市民福祉教育についての理念的な管見である。本稿のサブタイトルに関して付記しておくことにする。

補遺 ①
中国の春秋時代の宗(の国)にサルを飼う人がいた。朝夕四粒ずつのトチの実をサルたちに給餌(きゅうじ)していたが、手元不如意(てもとふにょい。家計が苦しく金がないこと)になって、コストカットを迫られた。そこでサルたちに「朝は三粒、夕に四粒ではどうか」と提案した。するとサルたちは激怒した。「では、朝は四粒、夕に三粒ではどうか」と提案するとサルたちは大喜びした。
このサルたちは、未来の自分が抱え込むことになる損失やリスクは「他人ごと」だと思っている。その点ではわが「当期利益至上主義」者に酷似している。「こんなことを続けていると、いつか大変なことになる」とわかっていながら、「大変なこと」が起きた後の未来の自分に自己同一性を感じることができない人間だけが「こんなこと」をだらだら続けることができる。その意味では、データをごまかしたり、仕様を変えたり、決算を粉飾したり、統計をごまかしたり、年金を溶かしたりしている人たちは「朝三暮四」のサルとよく似ている。([1]22ページ)

補遺 ②
スモールサイズの「顔の見える共同体」で、地域・住民自らが医療や福祉・介護などに関するサービスや事業活動を相互支援的に手作り・手売り・手渡しし、自律的なコミュニティをつくることが肝要である。「こんなところで小さくやったって社会は変わらないよ」ではなく、逆に「小さくやるから変われる」のである([1]324~325、326ページ)。
次の新聞記事を紹介しておきたい(『岐阜新聞』2020年1月18日付朝刊)。キーワードのひとつは「覚悟を決める」「便利や割安を我慢する」(持ち出す、身銭を切る)である。

「講」:福祉思想の基本原理としての「自然」と「生」(存在・生きる)を考える―テツオ・ナジタ著『相互扶助の経済』のワンポイントメモ―

夕食後、「念仏講に行ってくる」と言って父がでかけることがあった。その時に限って父の帰りが待ち遠しかった。心待ちにしていたのは、蓮の葉の印が型焼された白い饅頭である。しっかり覚えている。また、「講」に行った父がお金を持ち帰ることもあった。その時、父と母の間には「よかった」という言葉があり、安堵感が漂った。かすかに覚えている。

〇筆者(阪野)は、本ブログの<雑感>(106)/2020年4月26日投稿で、「定常型社会」を提唱する広井良典の7点の著作について述べた。その1点に、『人口減少社会のデザイン』(東洋経済新報社、2019年10月。[1])がある。そこで広井は、「福祉思想」を構築するにあたって「示唆深い導きの糸を与えてくれる著作」として、テツオ・ナジタ著・五十嵐暁郎監訳・福井昌子訳『相互扶助の経済―無尽講・報徳の民衆思想史―』(みすず書房、2015年3月、以下[2])を挙げている。
〇「2」は、日本の近世ないし江戸時代に焦点をあてて、民衆の経済活動や相互扶助の社会的実践、その背景にある思想史(民衆思想史)の文脈を明らかにしたものである。その骨子を、広井が「1」で次のように整理している。(291~292ページ)。

① 近世までの日本には、「講」(頼母子講、無尽講、「もやい」などと呼ばれる、不測の事態などに備えて仲間内で助け合うためお金を積み立てる仕組み)に代表されるような「相互扶助の経済」の伝統が脈々と存在していた。
② しかもそれは二宮尊徳の報徳運動に象徴されるように、村あるいは個別の共同体の境界を越えて講を結びつけるような広がりをもっていた。
③ 明治以降の国家主導の近代化の中でそうした伝統は失われあるいは変質していったが、しかしその“DNA”は日本社会の中に脈々と存在しており、震災などでの自発的な市民活動等にそれは示されている。
④ そして上記のような相互扶助の経済を支えた江戸期の思想においては、「自然はあらゆる知の第一原理であらねばならない」という認識が確固として存在していた。

〇以上のなかで広井は、ナジタの「自然」の言説に注目する。ナジタは、徳川時代の思想家は「自然」を知識と行動の第一原理(最も根底的なもの)として捉え、すべてがその「自然」から分け隔てなく、平等に“恵み”(生命と生命を維持するエネルギー)を受けると認識していた、という。ナジタのこの議論は、広井においては、福祉思想を考えるにあたって重要なヒントとなる。広井はいう。「『自然』というものが、何らかの意味で普遍的な理念として把握されるに至って初めて、それは個々の共同体ないしコミュニティを超えた『つながりの原理』として成り立つことになる」(295ページ)。筆者なりに別言すれば、「すべてが自然(その営みや秩序)のなかに、自然とともに生きる」という普遍的な価値原理であろうか。
〇[2]のカバーには「内容紹介」が記されている。筆者なりに一部加筆すると、次のようになろうか。

慢性的な飢饉に苦しんでいた徳川時代の民衆は、緊急時の出費に備え、村内で助け合うために「無尽講」(むじんこう)、「頼母子講」(たのもしこう)、「もやい講」(もやいこう)、「備荒」(びこう)、「結講」(ゆいこう)などの「講」を発展させた(100ページ)。「無尽」は「尽きることがない」「制限のない」資源を意味し、仏教に由来する(95ページ)。「講」は、寺や神社に集まって仏教経典について教えていた「講義」を意味する(100ページ)。当時の民衆の識字率は高く、商いや貯蓄に関して議論し、冊子を作り、倫理は社会的実践に不可欠であるという明確なメッセージも発信したのである。その思想の根底には、伊藤仁斎(1627年~1705年)、安藤昌益(1703年~1762年)、貝原益軒(1630年~1714年)、三浦梅園(1723年~1789年)などの思想を汲む確固たる自然観があった。
徳川末期になると、二宮尊徳(1787年~1856年)のはじめた報徳運動が、村の境界を越えて講を結びつけ、相互扶助的な契約をダイナミックに広げた。その運動は、「報徳」思想――至誠(しせい。誠を尽くす)・勤労(きんろう。よく働く)・分度(ぶんど。身をわきまえる)・推譲(すいじょう。世の中のために尽くす)」に基づいた、主として地主層に対する教化善導が行われた。しかもそれは、明治40年代以降に内務省(井上友一の風化行政)主導で展開された地方改良運動に取り込まれ、その中心的なイデオロギーとして全国の市町村にまで波及した。すなわち、報徳運動は、国力の充実・発展と国家的統合を図る官製運動になっていった。しかも、その精神性が強調され、救済事業の社会制度化を遅らせることになる(筆者)。
その後、講の手法は信用貸付会社である「無尽会社」を経て「相互銀行」に引き継がれていく。「無尽会社」は、伝統的な相互扶助組織である講の倫理的な理想や慣習を受け継いだことに加え、近代経済の複雑さに適応できなかった中小規模の事業者にとってなじみやすく、すぐに受け入れられた(245ページ)。無尽会社の発展は、民衆が新政府によって無理に押しつけられたと思われるものに対して抵抗し、抗議したという明治時代初期の歴史の大きな流れのなかで理解されるべきである(248ページ)。
1931年6月に「無尽業法」が制定され、無尽会社は銀行としての範疇に含められたものの、「銀行」を名乗ることはできなかった。太平洋戦争中、無尽会社の数は激減した。それは、戦費をまかなうために地方銀行の資産を統合しようとする政府方針を反映したものであった。戦後になると、1942年の136社から1950年には66社へと、認可を受けた無尽会社の数はさらに減少し、このころに「相互銀行」と名称を変更した(280、285,287ページ)。
いずれにしろ、明治初期の混乱や太平洋戦争後の激動を庶民が生きのびたのは、講のDNA(精神)が脈々と受け継がれたからでもあろう。そして、講の相互扶助と救済の思想(実践倫理)や実践(小地域活動)には、まちづくりや地域福祉のひとつの源流を見出すことができる(筆者)。

〇ここで、前述の広井の整理([1])に留意しながら、ナジタの言説([2])について改めて確認しておきたい点をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

民衆経済と精神史
日本の長い歴史が示しているのは、「民衆経済」が、不可避な事態に備えるセーフティ・ネットになっているということである。自助と相互扶助の取り組み(「講」)は、こうした関連を裏づける十分な証拠である。(中略)〈二宮尊徳の、講とその発展形態ともいえる〉報徳運動は、極貧に陥らないようにし、飢餓という現実に備える人びとの心がけそのものである。こうしたことのすべては、公的秩序の範囲外で、つまり行政機関の政策決定がおよばず、政治的なできごとがおこなわれる中央舞台から遠く離れたところで起きた。(中略)これは、長い期間にわたって社会を動かす潜在的な精神の一端だということもできるだろう。あるいは、「精神史」と呼ぶこともできよう(326ページ)。

相互扶助の思想と組織
相互扶助と救済に関する思想は、どうしたら民衆が自分たちの経済活動をやり遂げることができるかという課題について長期にわたって影響をおよぼした。他者救済には、救済するために「整える」という意味もあった。徳川時代の民衆にとって、整えるとは正確な詳細について合意し、これを合意書あるいは契約書に書きこむことを意味した。徳川時代後期から明治期にかけてさかんになった契約にもとづく相互扶助組織によって、銀行制度がなくても庶民がおたがいに貸し借りをする制度ができあがった。そうした契約にもとづく相互扶助組織は村落や町で実践され、20世紀になると事業志向の会社(小規模事業者向けの信用貸付〈銀行〉としての「無尽会社」)となった(325ページ)。/太平洋戦争後は「相互銀行」へと移行し、各県のどの市にも存在した。(中略)そうした銀行は、地域の人びとから集められた資本は地域に残るべきだと考え(地域志向)、大規模な都市銀行の陰で運営されてきた(243ページ)。

協同組合的自治と相互関係性
1995年1月の阪神淡路大震災のあと、非公式に組織された130万人以上のボランティアが復興を支援したといわれている(327ページ)。/広い社会において、かならずしも隣近所の住民ではない市民を支援することは協同組合的な自治のあらわれである。ほかの市民運動とおなじく、上下関係も永続的な権威をふりかざす指導者もなく、職員や永久会員も、決まった政治的イデオロギーもないことがその特徴である。そこに満ちているのは、緊急時に他者に手を差し伸べるという根本的な原則と、共生あるいは共存という、よく知られた思想、生命と存在、つまりすべての人間の相互関係性である(328ページ)。

第一原理としての「自然」の概念
飢餓に対する「対抗戦略」としての講は、村が存続するために不可欠だった。講という相互扶助組織の実践に埋めこまれた個人と個人の信用は、念仏を唱えるという初期の集まり(「念仏講」)での個人どうしの信仰の上に成り立っていた。神や菩薩は手を差し伸べてくれる寛大な存在かもしれないが、命を救うために行動しなくてはならないのは人間だった。人が神に感謝し、信奉するのは、神が他者を助けるために行動するよう導いてくれるからだ。大いなる恐怖にさらされながらも、講をとおして村人が主導権を握り、共同体の人びとを助け、村のだれをも死なせないという絶対的な道徳上の約束は、信用と契約の重要な土台となっていた。その根底には、「生―生のみ」(仏教の「生―死」ではなく、宇宙には「生だけ」が存在し、死は生命の過程の一部である)という自然概念にもとづく強力な実践倫理があった(123ページ)。

〇「ヒト」は、他者や共同体(コミュニティ)との「共働」による相互支援や相互実現を通して、また程よい距離感と確かな信頼関係のなかでこそ自分らしく生きられる(「生」の異質性・多様性)。しかし、日本社会ではいま、地域・社会やコミュニティへの意識が希薄化し、地域・社会が包摂していた連帯性や互助性が失われてしまっている。
〇また、個人の「主体性」が標準化され、「市民主体」の集列化や同質化が進んでいる。そこでは必然的に排除の論理が働き、格差と分断が生まれる。そんななかで、情緒的・感情的な「絆」や「つながり」が多義的に強調されている。しかもそれは、「上から」「下から」、そして「横から」も押し付けられている。その結果、同調圧力による管理の社会化と内面化が進み、全体主義的統制が深刻の度を増している。
〇そのような時代や社会にあっていま、地域・社会の「あるべき」変革や発展を促す新たな「福祉思想」の探究や構築が求められる。そこでは、地域・社会の共働性をいかに“創り、編みなおす”か、すなわち「創造と再生」がひとつの重要な課題となる。
〇「福祉思想」というと、ノーマライゼーションやソーシャルインクルージョンの思想を思い起す。また、ナジタがいう「協同組合的な自治」、すなわち地域・住民によるローカル・ガバナンス(共治)といった観点が想起される。加えて、本稿の叙述から、人間の「生」(存在・生きる)は「自然」を基盤にする、「自然」と一体化しているという根源的な人間観・生命観に留意したい。

「断絶の時代」に「分断社会」を考える―井手英策ほか著『分断社会を終わらせる』読後メモ―

〇スローガンだけの「今」の政治では社会は変わらない。そのことを知りつつも、響きの良い言葉に淡い期待を寄せてきたのではないか。そのあいだに地域・社会では、静かに地殻変動が起こり、「断絶」(「不連続」)すなわち新たな時代への兆候が見られる。コロナ禍における地方自治体の地域主権の取り組みや、「#検察庁法改正案に抗議します」というツイッターデモなどが注目される。「今」を「過渡期」と前向きに評価するのは、楽観的すぎるだろうか。「マネジメントの父」と言われ、グローバル化などを説いたP.F.ドラッカーの『断絶の時代―来たるべき知識社会の構想―』(林雄二郎訳、ダイヤモンド社、1969年1月)を想起する。
〇筆者(阪野)の手もとに、そのタイトルに「分断」「分断社会」という文言が入っている本が4冊ある(しかない)。

(1)井手英策・古市将人・宮崎雅人『分断社会を終わらせる―「だれもが受益者」という財政戦略―』筑摩書房、2016年1月(以下[1])
他人に対して冷淡で不機嫌な社会――。それが今の日本だ。世代間、地域間、性別間、所得階層間それぞれの対立が激化し、人々は、バラバラな存在へと追いやられている。永続的な経済成長をあてにする「勤労国家レジーム」が、こうした状況を生み出した。井手らは本書で、財政を通じて(財政社会学によって)日本社会の閉塞状態を解き明かし、打開策を示す。すなわち、分断社会を終わらせるべく、すべての人の基礎的ニーズを満たすという「必要原理」に基づく財政戦略を提唱する。そして、暮らしの安心の実現が、格差是正と経済成長を実現させることを説き、来るべき未来を構想する。(カバー「そで」、15ページ)
(2)塩原良和『分断と対話の社会学―グローバル社会を生きるための想像力―』慶應義塾大学出版会、2017年4月(以下[2])
マイノリティや社会的弱者への排外主義・社会的排除という風潮がある。マイノリティとは、その人が有する差異に基づいて社会的に不利な立場に固定化されてしまった人々をいう。そういう人々や、障がい者や貧困層といった社会的弱者が置かれている立場や思いに対する「想像力」が不足している。あるいは、想像すること自体を拒絶していると思わざるをえない出来事が頻発している。塩原は本書で、現代のグローバリゼーションという社会変動とそれに伴って出現する「分断」の時代状況を読み解く「想像力」と「対話」について考える。塩原にあっては、他者に対する「想像力」とは、「個人が知識を活用しながら自らの共感の限界や制限を押し広げて、他者を理解しようとする努力」である。急激な変化の時代においては、現状の問題点を見極め、より良い社会と人間の生き方を考えていく「批判的思考」が不可欠である。その前提となるのが、社会と歴史に対する「批判的想像力」である。塩原にあっては、「対話」とは、「人間であるかもしれないし、そうではないかもしれない『他者』との共約不可能な差異を前提としつつ、それでも他者を理解し承認するためにその声に耳を傾け、それに応答しようとする営み」である。その際の「他者」に関して、「対話」とは人間同士のコミュニケーションと、自然や歴史・科学などに注意深くあることを意味する。「共約不可能」とは、両者を単純に比較してどちらが正しいのかを比較することができないことをいう。(1、4、6、11~12、15、25、193~194ページ)
(3)井手英策・松沢裕作編『分断社会・日本―なぜ私たちは引き裂かれるのか―』(岩波ブックレットNo.952)岩波書店、2016年6月
なぜ、日本社会は正規労働者と非正規労働者、非正規労働者と生活保護受給者というように、「彼ら」と「われわれ」が引き裂かれ、分断されているのか。分断は、人々の存在を尊重することの欠如に由来する。分断が問題なのは、社会のいたるところに境界線が引かれ、相手の立場や境遇を理解する前提ともいうべき「想像力」が次第に失われていくことである。その時どきの支配者は、社会の凝集力を維持するために、もっともらしい装いをした偏ったイデオロギーによって人々を理念的に結合し、社会や国民を力ずくで「建設」しようとする。こうした分解と国家的・理念的結合が、全体主義の時代を生むメカニズムである。社会が他者への想像力をなくし、価値を分かち合えなくなったとき、社会は人間の群れとなる。井手・松沢らにあっては、分断をなくし、対立点をなくするためには、この社会に無数に引かれ、混線してしまっている分断線を一つひとつ解きほぐしていき、新しい秩序や価値を創造し、痛みや喜びを共有することを促すような仕組みを作り出していくしかない。今の「分断の政治」を「共通の政治」に変えられるかどうかである。(2、15、61、78、85~86ページ)
(4)吉川徹・狭間諒多朗編『分断社会と若者の今』大阪大学出版会、2019年3月
今の若者は「日本社会のあり方について肯定的になっている」、「価値観がゆるやかに保守回帰している」、「日常の活動が消極的でおとなしくなっている」などの傾向にあると言われる。吉川らは本書で、2015年1月に実施した「第1回階層と社会意識全国調査」のデータに基づき、さまざまなトピックから、若者(20~30代の若年成人)における「今」の捉え方に「分断」が生じていることを明らかにする。「今」の捉え方とは、今という時間や今の自分、今の社会をどのように考えているのか、ということを意味する。そこで扱う若者の意識や態度・行動は、「現在志向(将来のために努力するよりも今現在を楽しむことを重視する態度)」「権威主義的態度」「自民党支持」「消費」「幸福感」「大学進学志向」「働き方と自由」「性別役割分業意識」などである。要するに吉川らは、今の若者は一括(ひとくく)りにすることはできない。社会的な立ち位置(社会階層の高低)によって、それぞれの意識に強弱があり、複雑な様相を呈していることを描き出す。(2、255~258ページ)

〇以上のうちから本稿では、[1][2]の2冊の本から筆者なりに再認識しておきたい言説や論点のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

[1]井手英策ほか『分断社会を終わらせる』
「勤労国家レジーム」と「分断社会」
「勤労国家レジーム」とは、「成長や所得の増大がなければ人間らしく生きていけない枠組み」をいう。それは、所得減税と公共投資(公共事業)を骨格とする。そのもとでは、社会保障は就労ができない人向けの現金給付に集中し、育児・教育・医療・福祉・介護などの現物給付(サービス)を個人や市場原理に委(ゆだ)ね、租税負担率を低く抑えるレジーム(体制)となる。それは、財政の「限定性」(現物給付の占める割合が限定される)、「選別性」(給付が低所得層や高齢者、地方部などに集中する)、そしてその背景となる「自己責任性」(国民の自助努力と自己負担が前提となる)として特徴づけられる。それはまた、歳出の抑制・削減を意味する(25~27ページ)
高度経済成長期に原型が育まれ、1970年代に定着し、1990年代に全面化した勤労国家レジームは、長期にわたって人々の生活や考え方に強い影響を与えてきた。だが、経済環境、社会構造、財政ニーズの変化を受けて、このレジームは明らかに社会の不安定要因となりはじめている。勤労国家レジームの機能不全とその負の遺産が、所得階層間、地域間、政府=納税者間、世代間の対立を強めている。「分断社会」はこうして生み出されたのである。(41ページ)

勤労国家の「負の遺産」(「3つの罠」)
「勤労国家レジーム」の3つの性質(「限定性」「選別性」「自己責任性」)は、それぞれ複雑にからまり合いながら、「再分配の罠」「自己責任の罠」「必要ギャップの罠」を日本社会にもたらし、生きづらさや閉塞感、不安感を人々に与えてきた。(28~41、182ページ)
「再分配の罠」は、低所得層や地方住民を救済することによって受益者にし、負担者になる中高所得層や都市住民が不信感(政治不信)を強め、所得再分配への合意を難しくすることをいう。(29~30、41~42ページ)
「自己責任の罠」は、自己責任社会・日本では、経済成長が難しくなり政府の役割・期待が大きくなると、経済成長へのさらなる依存が進み、新たなニーズに対応できない政府への不信感も強まるという逆回転(負の循環)をいう。(36~37、41~42ページ)
「必要ギャップの罠」は、例えば、現役世代(子育て)と高齢者(介護)の必要(ニーズ)がズレることによって生み出される対立の構図をいう。(38~39、41~42ページ)
「受益のないところに共感はない」というリアルな現実が人々の目の前に横たわっている。(32ページ)

「救済型の再分配」と「共存型の再分配」
所得再分配政策の肝は、受益者の範囲を広げて、社会全体で課題を共有することで対立を解消する「したたかさ」にある。これこそが日本の政治に欠けていた視点であり、限界性や選別性、自己責任性を重視してきた勤労国家の負の遺産である。
貧しい人を助ける「救済型の再分配」だけが再分配なのではない。そのような再分配だけで財政ができているわけでもない。慈善心が財政を作ったのではない。人間の必要が財政を作り出したのである。
歳をとって所得を失うリスク、失業するリスク、病気になるリスクなどは、個人で完全に対処するのは難しいし、リスクに直面すると、誰しも身動きがとれなくなる。誰にでも訪れうるリスクをメンバー全員で共有できるような再分配、困った時はお互いさまという意味での「共存型の再分配」も、財政の重要な機能である。(58ページ)

「必要原理」と「分断社会」
日本社会が陥っている「3つの罠」から抜け出すためには、人間の生存・生活にかかわる基礎的ニーズを財政が満たすというアプローチが肝要である。その核となるのが「必要原理」である。それは、経済成長を前提とした、「市場原理」に基づく「救済型の再分配」とは別物である。「人間に共通する利益」に着目し、幅広い受給者のニーズを満たしていく、「広く負担を課し、広く給付する」「だれもが受給者」という理念や財政戦略をいう。従来の「成長=救済型モデル」を「必要=共存型モデル」に取って代えることである。(32、142、182~183ページ)
中間層を受益者とすることで「再分配の罠」を乗り越える。自己負担ではなく社会でリスクを共有し合うことで「自己責任の罠」から脱出する。人間の生活に必要なサービスをライフスタイルに応じてバランスよく配分することで「必要ギャップの罠」を解消する。「誰かの利益」を「みんなの利益」に置き換え、これらを束ねた結果として経済成長や財政再建を実現する。
これは、必要原理を起点として、少しずつ受益者の範囲を拡大し、人間と人間が対立する原因を消失させ、分断社会そのものを終わらせようというものである。(183ページ)

[2]塩原良和『分断と対話の社会学』
マジョリティの「勘違いの共感」
マジョリティ(「ふつう」だとされる人々)側に立つ人々がマイノリティに「共感」(他者の経験や感情を自分のことのように感じること)したからといって、それが直ちに「加害可能性」への気づきをもたらすとは限らない。加害可能性とは、自らが知らないうちにマイノリティにとっての加害者になっていたのかもしれないという意味である。また、共感が「連累」(れんるい)への自覚をもたらすとは限らない。連累とは、自らが受益してきた社会構造によって他者が苦しみを被ってきたという意味である。そのような共感は、マジョリティの人々が自らとマイノリティを過度に同一視し、そもそも社会構造的に異なる立場にあるかれらを、あたかも自らと同じ立場に立つものであるかのように錯覚することになりかねない。
「あなたの痛み、私にもわかる」というマジョリティ側からの共感の表明が、マイノリティ側からの「あなたに何がわかるのか」という拒絶にしばしば直面する理由がこれである。そんなとき、マジョリティの人々はマイノリティの人々の「傷つきやすさ」をわかったつもりになっているが、実は他者という鏡に映った自分自身の「傷つきやすさ」を眺(なが)めているにすぎない。要するにそれは、マイノリティの境遇に同情する「善意の」マジョリティが陥りがちな「勘違いの共感」なのである。(4、9、166~167ページ)

マイノリティの「傷つきやすさ」
マイノリティの置かれた不公正な状況の是正をめざすためには、そうした不公正がいかにして歴史的に形成され、社会的に構造化されてきたのかに注目する必要がある。それは必然的に、今を生きるマイノリティが抱える「傷つきやすさ」が、マジョリティの人々の「傷つきやすさ」と安易に同一視できるものではないという理解を導く。そしてそうした独特の「傷つきやすさ」を緩和するために、マイノリティが置かれた経済社会的なヴァルネラビリティ(不安定さ)を緩和する措置が、ときには優先的に与えられねばならなということになる。これが、マイノリティへの支援・優遇措置を正当化する論理である。(167ページ)

「とりあえず、なりゆき」任せの対話
「想像力」を養うためには、他者との「対話」が必要になる。それは、とりあえず「なりゆき」に任せてやってみることが、意外と有効で実践的な戦略である。
グローバリゼーションの時代とは、自分が始めた小さな行為がきっかけとなり、それが他者とつながることで、大きな流れになることが可能な時代である。それゆえ他者との対話と想像力を推し進めていくために、とりあえず身近な誰か、あるいは何かとの真摯な対話の試みから始めて、なりゆきに任せてみるのも悪くない。その可能性を信じる勇気と楽観性を持てるかどうかが、この見通しの悪い世界のなかで「リアル」でいられるか、現状追認や大勢順応に陥ってしまうのか、分かれ目になる。一つひとつの小さな対話がつながり、やがて大きな対話的想像力のネットワークになっていけばよい。それが社会(世界)を変えることになる。(207~208ページ)

〇「今」の社会は、「地域共生社会」「全世代型社会保障」といったスローガンだけが躍り、その実は子どもから高齢者まですべての人が「生きづらい」社会である。表現の自由が失われ、監視と検閲がまかり通り、公務員やメディア関係者らも委縮する「息苦しい社会」である。近未来の全体主義社会を風刺し、警鐘を鳴らしたイギリスの作家ジョージ・オーウェルの小説『1984年』(高橋和久訳、早川書房、2009年7月)を想起する。
〇正義感をひけらかして政権批判を繰り返し、政策や制度の問題点や課題をあげつらうだけでは、社会は変わらない。「批判」は、「既存の常識を疑い、それとは異なる(オルタナティブな)新しい発想、価値観、方法を創造すること」([2]14ページ)である。
〇「今」求められるのは、「断絶の時代」認識と、「分断社会」についての“熱い胸”と“冷たい頭”すなわち感性的認識と理性的認識、そして主体的認識である(一番ヶ瀬康子。<雑感>(68)2018年11月27日投稿、参照)。
〇日本の政治や経済、社会は未曽有の危機にある。教科書で学んだ「先進国」や「経済大国」そして「民主国家」のニッポンは、地に落ちた。「がんばろう」「大和魂」「絆」などには危うさがつきまとう。そんななかで、ネットなどを通じた”共働”によってコミュニケーションの幅を広げ、新たな市民運動を展開することを経験している。また、「次の選挙であなたの対立候補に投票しますよ」(相澤冬樹)という言いまわしを再認識した。「ふつう」の市民が政治について自由に語り自律的に行動することが、民主主義を豊かにし、健全なものにする。その民主主義を支えるのはメディアである。その先に「生きやすい」「ゆったりとした」社会の”共創”があろう。そこで問われるのが井手や塩原らがいう「(批判的)想像力」と「対話」であり、その育成や推進である。自戒の念を込めて、改めて確認しておきたい。