阪野 貢/「コモンズ」基礎考 ―オストロムの「8つの設計原理」と李妍焱の「市民的コモンズ」についてのワンポイントメモ―

「まちづくりと市民福祉教育」は、地域の空間や資源を共同で利用・管理するだけでなく、その共同実践(共働)を通じて人と人との関係性や市民性を共有資源として形成・蓄積していく、重層的なコモニングの過程として捉えることができる。

〇「コモンズ(commons)」(共有資源)への関心を呼び起こすひとつのきっかけとなったものに、斎藤幸平の『人新世の「資本論」』(集英社新書、2020年9月)がある。斎藤はいう。「〈コモン〉とは、社会的に人々に共有され、管理されるべき富のことを指す」。「〈コモン〉は、市場原理主義のように、あらゆるものを商品化するのでもなく、かといって、ソ連型社会主義のようにあらゆるものの国有化を目指すのでもない。第三の道としての〈コモン〉は、水や電力、住居、医療、教育といったものを公共財として、自分たちで民主主義的に管理することを目指す」(141ページ)。そして、「無限の経済成長ではなく、大地=地球を〈コモン〉として持続可能に管理すること」(190ページ)によって初めて、「マルクスが最晩年に目指したコミュニズム、(すなわち)平等で持続可能な脱成長型経済」(195ページ)が実現する。要するに、斎藤にあっては、資本主義によって解体されてしまった〈コモン〉を再建する「脱成長コミュニズム」――つまり国家主導・統制ではなく、市民が協同で〈コモン〉を共有し民主的に管理する社会こそが、「持続可能で公正な社会」の実現を可能にするのである。( ⇨ 参照
〇こうした「コモン(common)の議論は、より広く「コモンズ」をめぐる議論の一部として位置づけることができる。ただし、そこには系譜の異なる二つの流れがあることに注意しておきたい。ひとつは、斎藤のようにマルクス主義の系譜に立ち、資本主義批判・脱成長論として〈コモン〉を、「こうあるべき」であるというように規範的に語る思想的な議論である。もうひとつは、森林や漁場、入会地(いりあいち)や牧草地などの伝統的な自然資源から、市場(私)と国家(公)の二元論を超えて人々が協同で管理・運営する生活基盤や資源まで、その実態を実証的・制度分析的に解明しようとする研究の系譜である。
〇両者は問題意識(資本主義批判/制度の実証分析)を異にするが、いずれも「市場か国家か」という二項対立に収まらない共有・協働の可能性を探る点で通底している。前者の斎藤の議論におけるコモンは、「資本の論理から切り離し、市民が自治的に管理する共有資源」である。後者において主導的な役割を果たしたのが、アメリカの政治学者・制度派経済学者のエレノア・オストロム(Elinor Ostrom、1933~2012)である。彼女は、『コモンズのガバナンス(Governing the Commons)』(1990)などにおいて、コモンズが国家による管理や私有化に頼らずとも、利用者自身の自主的なルール形成によって持続的に運営され得ること、すなわち国家による一元的管理や私有化だけでは捉えきれない、利用者による自己統治の可能性を実証的に示し、2009年にノーベル経済学賞を受賞した。
〇コモンズについては、みんなが自由に使えば誰もが自分の利益を優先して資源を使い尽くしてしまうという「コモンズの悲劇」(ギャレット・ハーディン、1968年)が語られてきた。それに対してオストロムは、世界各地の現場(地域社会)を調査・分析し、長期にわたって安定してコモンズを維持しているコミュニティが実際に存在すること、そしてそこには共通してみられる制度上の特徴があることを見出し、それを「コモンズの8つの設計原理」として整理・提示した。
〇ここで、筆者(阪野)の手もとにある、エレノア・オストロム著、原田禎夫・齋藤暖生・嶋田大作訳『コモンズのガバナンス―人びとの協働と制度の進化―』(晃洋書房、2022年12月。以下[1])から、いわゆる「オストロムの8原理」についてメモっておくことにする(抜き書き。小見出しの括弧内と「すなわち」以下は筆者)。資本の論理から切り離し、市民が自治的に管理する共有の富

オストロムの「コモンズの8つの設計原理」
1.  明確な境界(資源と利用者の範囲が明確であること)
資源ユニットを利用する権利をもつ個人や世帯は、共的資源の境界と同様に、明確に区分されていること。(107ページ)
すなわち、資源の範囲と、それを利用できる人の範囲が明確であること。
2.  地域的な条件と調和したルール(ルールが地域の条件に適合していること)
時間、場所、技術および/または資源ユニットの量を規制する占用ルールは、地域の条件に、そして労働や資材の提供および/または費用負担を定めた供給ルールと調和したものであること。(108ページ)
すなわち、資源を利用する際のルールや、資源を維持管理するための負担のルールが、その土地の自然的・社会的条件(気候、地形、慣習など)や、利用によって得られる便益と負担との関係に配慮されていること。
3.  集合的選択への参画(利用者がルールづくりに参加できること)
運用ルールの影響を受ける人が、ルールの修正に参加できること。(109ページ)
すなわち、資源を実際に利用する人が、外部から一方的にルールを課されるのではなく、ルールの決定や変更そのものに加わることができること。
4.  監視(資源と利用状況に対する監視が適切に行われること)
監視役は、共的資源の状況や占用者の行動を積極的に監視し、占用者に対する説明責任を負っているか、自身もまた占用者であること。(110ページ)
すなわち、資源がどのような状態にあるのか、利用者がどのように資源を利用しているのかを、利用者自身または利用者に対して責任を負う者が把握する仕組みがあること。
5.  段階的な制裁(違反に対して段階的な制裁があること)
占用者が運用ルールに違反したとき、他の占用者、または占用者に説明責任を負う役員、あるいはその両方によって、(違反の深刻さと状況に応じて)段階的に制裁を科されると見込まれていること。(110ページ)
すなわち、ルール違反に対して、いきなり厳罰を科すのではなく、違反の深刻さや頻度に応じて段階的に罰則が重くなるという制裁があること。
6.  紛争解決メカニズム(紛争を身近な場所で解決する仕組みがあること)
占用者や役員は、地域の話し合いの場に低費用かつ迅速にアクセスでき、占用者間、あるいは占用者と役員の間に生じた紛争を解決できること。(117ページ)
すなわち、利用者同士、あるいは利用者と管理者の間でトラブルが起きた際、低コストかつ迅速に解決できる場(仕組み)が用意されていること。
7.  組織化における最低限の権利の承認(自治が外部から認められていること)
外部の政府権力が、占用者自らの制度づくりの権利を侵害しないこと。(118ページ)
すなわち、利用者が自分たちでルールを定め、組織化する権利を、政府などの外部の権威が一定程度認め、保障していること。
8.  入れ子状の組織(多層的な組織によって統治されること)
占用、提供、監視、実効化、紛争解決およびガバナンスが、入れ子状(多重構造――引用者注)に組織化されて行われていること。(119ページ)
すなわち、大規模なコモンズの場合、末端の小規模な地域組織からより広域の組織までが複数のレベルにわたって重層的に組織され、相互に連携していること。

〇この8つの設計原理は、オストロムによれば推論的な示唆に留まり、あらゆるコモンズへ適用すべき必要条件や一律の公式ではない。むしろ、持続的で自己統治的なコモンズの事例に観察される共通パターンを示したものである。すなわち、コモンズは、外部からの強制的な管理か、あるいは民営化かという二者択一ではなく、利用者が自分たちでルールをつくり、監視し、違反には段階的に対応し、紛争を解決する、という仕組みを持つことによって資源を長期的・共同的に維持する自己統治の可能性を持っているのである。

〇もう一冊、筆者の手もとに、李妍焱(リ・ヤンヤン)著『市民的コモンズとは何か―理論と実践者との対話―』(ミネルヴァ書房、2025年3月。以下[2])がある。李は[2]において、「市民」や「市民社会」、「コモンズ」などの議論をレビューし、また事例研究を通して、社会変革の仕組みとなる「市民的コモンズ」の概念の構築をめざす。
〇李にあっては、「市民」とは、「他者や社会、公共的な事柄と豊かにつながる生き方をする個々人」、「一種の『市民的センス』を自然に身に纏(まと)っている人」(2~3ページ)、「自分にとっての義務や経済的利益にとらわれることなく、社会的・公共的な事柄に参加する人々」(66ページ)である。その意味で、「市民とは、人間と社会がもつべき新しい価値観を意識し、一定の市民的資質を持って、所属するコミュニティにおいて主体的に実践する者であり、かつコミュニティ内に限定されないフラットでオープンな感覚を持ち合わせている存在である」(67ページ)と定義されることになる。それは、表1のように整理される(68ページ)。

表1「市民性」を物語る諸項目

〇次に、「市民社会」(「市民セクター」)について、李は次のように言う。「➀何らかの共有される課題やテーマに対して、自らの価値観と思いに基づき多様な様式で取り組む多様な人々の、➁(所有ではなく)共有と協同によって成り立つネットワーク、組織やつながり方、および➂その実践内容と構築した仕組み、といった『実体』を指し示す内容だけではなく、➃このような人々による問題提起や思潮とその社会的インパクトの側面も含めたい」(13ページ)。それは、表2のように整理される(14ページ)。

表2「市民社会」(「市民セクター」)の概念

〇そして李は、地縁的な共同体が自然資源を共同管理する「伝統的コモンズ」と、知識やデジタル領域にまで対象を広げた「新しいコモンズ」についての議論を俯瞰し、その系譜の整理を踏まえて「市民的コモンズ」について定義する。すなわち、市民的コモンズとは、「具体的な資源を媒介とするコモニーングの過程であり、多様な目的を持った多様な人々が関わり、オープンなコミュニティづくりによってエンクロージャーに抵抗し、市場システムで切り捨てられてきた価値の再構築を行い、自生する社会秩序を志向する協治の仕組みである」(152、226ページ)。
〇この定義を構成要素に分解すると、➀モノや空間などの何らかの「資源」があること、➁その資源を共同で利用するだけでなく、新たな資源やその価値を共創すること(コモニーング)、➂同じ目的を持つ人だけでなく、立場を超えた多様な人が参加すること、➃仲間内に囲い込むこと(エンクロージャー)を避け、新たな参加者を受け入れること、➄市場では価値がないとされたものを、市民が再評価すること、➅行政などが上から管理するのではなく、市民の協同実践によって秩序を形成すること、になろう。ここでは、コモンズ(共有資源)という状態・対象よりは「コモニング(commoning)」([2]では「コモーニング(communing)」と表記)、すなわち具体的な資源を媒介として、人々が共同でその利用・管理・価値づけ・関係の形成を行い、新たなコモンズと社会秩序を形成している実践・プロセスそのものが重視される。

〇以上のコモンズ論を「まちづくりと市民福祉教育」に引き寄せて一言する。例えば、商店街の空き店舗を利活用した居場所づくり、空き家を活用した住民の交流拠点づくり、あるいは地域のサロン活動を通じた住民同士の関係づくりなどがある。こうした実践は、単に物理的な空間を再生・活用する「まちづくり」の活動に留まらない。それは、いわば「空間的コモンズ」を形成・再生する実践であると同時に、そこへの参加や協働を通して、共感力や対等性、行動力などの市民性(表1参照)が育まれ、それらが住民同士の関係のなかで共有され、蓄積されていく「関係的コモンズ」を形成する実践でもある。公共的な空間をつくる過程と、住民同士の支え合いや学び合いの関係を育てる過程とは、同じ実践のなかで相互に結びつきながら進行しており、空間をつくることが人と人との関係をつくり、その関係がまた空間を支え、育てていく――ここに、「空間的コモンズ」と「関係的コモンズ」の相互作用を見ることができる。
〇したがって、「まちづくり」と「市民福祉教育」を二分して捉えるのではなく、「まちづくりと市民福祉教育」という不可分で一体的な実践として捉えることが重要になる。「まちづくり」が地域の公共的な空間や資源をつくり出す営みであるとすれば、「市民福祉教育」は、その営みへの参加と協働を通して人と人との関係性や市民性を育て、それらを地域の共有財産として蓄積していく営みである。両者は別々のものではなく、コモンズをつくり、育て、次の実践へとつないでいくひとつのプロセスとして理解することができるのである。
〇その点について、牽強付会(けんきょうふかい)ではあるが、オストロムの「8つの原理」を「まちづくりと市民福祉教育」の文脈に読み替えてみると、例えば次のようになろうか。1(明確な境界)は、地域の課題や資源とともに、担い手の範囲を明確にする。2(地域的な条件と調和したルール)は、地域の歴史や文化、生活実態を重視する。3(集合的選択への参画)は、子どもや高齢者、障がい者など多様な住民が参加し、共働する。6(紛争解決メカニズム)は、住民間のトラブルは当事者同士で話し合い、解決する。8(入れ子状の組織)は、自治会や地区・市町村社協、行政などと重層的に連携し、支え合う。ただ、当然のことながら、「8つの原理」を無批判的に読み替えることには限界がある。1については、都市の地域社会では流動性が高く、明確な「境界」(範囲)を設定することは困難である。2については、「地域の条件」をめぐって新旧住民間で認識のズレが生じうる。3については、住民の高齢化や担い手不足が進む地域では、「集合的選択への参加」は難しい。6については、「紛争解決」の方法や内容が住民間の力関係に左右されうる。8については、「重層性」が縦割り構造に陥りやすく、末端組織の自律性が損なわれる懸念がある。留意したい。