「老爺心お節介情報」第89号
〇皆さまお変わりなくお過ごしでしょうか。
〇私は、沈丁花の香り、フリージアの香り、クチナシの香りが好きで、庭に沈丁花やクチナシの木を植えています。クチナシは、一重よりも八重が好きです。バラの花のような八重のクチナシを書斎、トイレなどに飾り、香りを楽しんでいます。7月に咲き始めたクチナシも盛りを過ぎ、いよいよ梅雨明けです。
〇6月末に植えたナスが実り始めました。また、槿の花と百日紅の花、ヤブランの花が咲き始めました。
〇真夏日、猛暑日という用語が使われるようになったと思ったら、今や40度を超える日を酷暑日という用語が天気予報で聞かれるようになり、地球温暖化の影響が本当に懸念されます。皆さん、熱中症にはくれぐれも気を付けて、ご自愛の上ご活躍下さい。
〇この7月は、まさに東奔西走しました。富山、石川、香川、岩手、香川、佐賀、高知と飛び回っていました。3泊4日の出張から帰宅するとスポーツジムに1日通い、囲碁クラブで1日囲碁を楽しむという生活を続けていました。
〇岩手の釜石市のCSW研修の後には、三陸鉄道を利用して、山田町、宮古市を巡ってきました。東日本大震災から15年が経過していますが、復興はいまだ道半ばというより、非常に厳しい状況だと思いました。
〇「2040年問題」を考えても、新たな視点、発想で地域づくりをしないとならないと思いつつもどうしたらいいのか思い悩むばかりです。
〇7月27日からは、香川、佐賀、愛媛・宇和島、高知と1週間、CSW研修と調査研究と第23回四国地域福祉実践セミナーとで続けての出張でした。佐賀へ移動する車中で、「令和8年度熊本地震」に遭遇し、二日市駅で1時間45分の足止めを食らいました。車内の乗客の携帯電話の警報音が一斉になるとすぐに電車が「長時間」横揺れし、改めて地震の怖さを痛感しました。
(2026年8月4日記)
Ⅰ 『災害被災者支援の新しい実践システム・穴水モデル』の刊行に向けた編集会議に参加
〇7月8日~9日と能登半島地震で被災された穴水町を訪問した。
〇穴水町並びに穴水社会福祉協議会は、2007年の能登半島地震の救済・支援に駆けつけてくれたNPO法人(レスキューストックヤードやADRAジャパン等)が行った支援とその後の助言を活かして今回の2024年1月の能登半島地震への対応ができたという。
〇第1は、社会福祉協議会が開設する「災害ボランティアセンター」を「災害ボランティア・支え合いセンター」へと名称を変えて、家屋の片づけやがれき撤去のみならず、被災者の生活ニーズに対応するセンターを設置し、対応できたことが特色の一つである。
〇第2の特色は、ボランティア活動を、生活支援系のボランティア活動と技術系のボランティア活動とに分け、技術系ボランティア活動(建築、土木、水道技術系活動やブルーシート張り等)の展開は重機なども駆使して対応できたこと。生活支援系ボランティア活動は、り災証明、生活福祉資金の貸し付け業務のみならず、穴水町教育委員会が所管している住民の交流、社会教育施設「プルート」(冥王星の名前、冥王星の発見にゆかりのある人が穴水町を訪ねてきていて、穴水町のことを紹介しているので、この名前が命名された)が避難所になったのでそれへの対応と同時に、穴水町の町内にある6つの社会福祉法人の施設に避難してきた住民への対応等多様な住民のニーズに対応する生活支援を展開できたこと。
〇第3は、町内の全戸を対象に「ニーズ把握ローラー大作戦」ともいっていい、ニーズ調査が行われ、様々なニーズがあるのに発信しきれていない住民のニーズ調査が行われたことである。ただし、残念なのは、この二―ズ把握調査をNPO法人が担ったことである。筆者は、これこそ全国のネットワークを持っている社会福祉協議会が全国各市町村から駆けつけて担って欲しかったなと思った。
〇第4は、穴水町社会福祉協議会は「社会福祉法人の社会貢献事業」のモデル事業を石川県社会福祉協議会から委託を受けて、2015年から町内にある6つの社会福祉法人連絡会を組織していて、毎年地域住民との交流などの活動を展開していた。そのような活動を行っていたこともあって、各社会福祉法人は避難してこられた住民を最低3日間、長いところでは3か月間被災者支援活動を展開していたこと。
〇第5は、それらのバックアップ機能の統合化と「司令塔」の役割を果たす「穴水町、穴水町社会福祉協議会、支援に参加してきている13団体のNPO法人との3者協定」を結び、毎月1回定例会を開催てきたこと。この協議体の設置により、全体の調整等ができ、住民のニーズに対応した解決策が即時に取れたことである(この方式は、第23回四国地域福祉実践セミナーで宇和島市の災害被災者支援の活動を聞いたが、その宇和島市での救援、被災者支援の際に、このシステムの萌芽が行われていたことが分った)。
〇これらの活動の詳細は、2027年3月にミネルヴァ書房から出版される予定ですので、ぜひ読んで欲しい。
〇穴水町の被災者支援の在り方は、これからの社会福祉協議会の災害支援に新たな地平を切り開いたと私は思っている。
〇今回の穴水町訪問は、金沢駅からJR七尾線、第3セクターの能登鉄道を利用して訪問した。自動車での訪問と違って、地域の息吹、状況がそれなりに分かり、“実地踏査”の仕方について改めて考えさせられた。
〇今回の訪問では、町内の6つの社会福祉法人の理事長、施設長、事務局長から災害時対応の聞き取りをさせて頂いた。各社会福祉法人・施設は利用者用の備蓄品を創意工夫して、避難してきた地域住民にも提供して3日間持ちこたえたという。各施設には、各々数十人の住民が避難してきていた状況の中で、備蓄の食料品を使っての食事の提供を施設サービス利用者のみならず地域住民にも対応してくれたことに頭が下がる思いである。
〇今回の能登半島地震は、1月1日に発生した。住民たちは、お正月料理の「おせち」を持ち寄って対応できたというが、災害はいつ起こるか分からないことを考えると、全国に約2万4千ある社会福祉法人、約10万か所ある社会福祉施設が常日頃から地域住民の災害対応まで考えて社会福祉法人のBCPを考えてくれたら心強い限りである。
〇能登半島地震では、個々の社会福祉法人が作成するBCPの限界が露呈し、今後は地域BCPを考えなければならないと思っているが、穴水町のような社会福祉法人・施設連絡会を作り、日常的に地域住民などとの連携、協働を行っておくことが如何に重要であるかを改めて考えさせられた。
〇然しながら、これだけの対応をしてくれた穴水町の社会福祉法人・施設であるが、地域の消防団、自治会、保健委員会などとの「防災協定」を結んでいなかったということは今後検討しなければならない課題である。
〇今回の訪問でも、いろいろな人との出逢いがあったが、最も驚いたのは、穴水町の吉村光輝町長が日本社会事業大学の通信教育課程を受講し、私の授業を聞かれたとのことでした。吉村町長は、町長に担ぎ出される前は、父親が創設した社会福祉法人牧羊福祉会が経営する「能登穴水聖頌園」で常務理事(理事長は父親)をしており、かつ石川県の社会福祉施設経営者協議会の青年部長も歴任されている。私の教え子の栃木県の菊池月香さんも経営協の青年部長なども歴任していたので、お互いに親しい中だと聞いて、二重の驚きであった。 吉村町長は無事社会福祉士国家試験に合格し、社会福祉士登録されたとのことでした。
〇穴水町の夜は、レスキューストックヤードが活動の拠点にしている総合体育館の一角に手づくりされた「ボラまち亭」で、社会福祉協議会職員さんたちの手作りの料理で舌鼓を打った。
〇「ボラまち停」とは、穴水町に古来から伝わる漁法「ボラまち櫓」からとって命名されたものという。私は、その風物をしらなかったので、「ボランティアを待っているところ、ボランティアが待機する場所」と思っていたが、それとは別であった。
〇穴水町に古来から伝わる漁法「ボラまち櫓」とは、回遊してくるボラを海中に設置した櫓の上から見張り、ボラが回遊してくると網を張って、文字通り一網打尽にする漁法とのことであった。まさに「太公望」の境地である。
〇私が山口県宇部市で、防波堤からボラを釣った経験から言えば、海は濁っており、宇部の人たちはボラを殆ど食べないと聞かされてきた。食べるとすれば、「あらい」にして食べるということを聞いていた。その時の釣りは入れ食いで、よく釣れた。その体験によるイメージがあるので、回遊してくる“ボラまち”のイメージは何となくわかるような気がするが、そのボラが美味しいというイメージは持てなかった。穴水町の人たちは、ここのボラはきれいな海水の中を回遊してくるので、刺身でも「あらい」でも美味しいという。残念ながら、私にはイメージできなかった。
(2026年7月11日記)
Ⅱ 第23回「四国地域福祉実践セミナーin愛媛・宇和島」(通算29回)に参加
〇第23回「四国地域福祉実践セミナー」が愛媛県宇和島市で、8月1日~2日に開催された。
〇この「四国地域福祉実践セミナー」は、もともとは香川県琴平町社会福祉協議会が「ふれあいの街づくり事業」の一環として、1997年に第1回こんぴらセミナーを開催したのが始まりである。
〇その「こんぴらセミナー」を琴平町で5回開催し、その後“こんぴら舟舟”よろしく、四国4県に船出し、セミナーを行ってきた。
〇このセミナーはできる限り“草の根の地域福祉実践に学び、励ます機会としたい”と「限界集落」、「消滅市町村」と言われる市町村での開催を心掛けてきた(『地域福祉の真髄』を参照)。
〇今回で第23回目を迎える「四国地域福祉実践セミナー」には、筆者は7月29日~30日に掛けて行われた佐賀県のCSW研修を終えてから参加した。
〇当初の予定では、佐賀県社会福祉協議会の小松美佳さん、野添大介さんと一緒に車で、大分県佐賀関港からフェリーに乗り、八幡浜港経由で行く予定だった。残念ながら、「令和8年熊本地震」で、佐賀県社会福祉協議会が被災地支援に入ることになり、それが叶わず、急遽、福岡空港から松山空港へ飛び、松山空港で本セミナーの副実行委員長である琴平社会福祉協議会の越智会長にピックアップしてもらい、宇和島に向かった。
〇第23回「四国地域福祉実践セミナー」のテーマは「誰もが支え手となる時代に向けて、今わたし達にできることは~ROAD to 2040~」である。
〇四国4県は、文字通り「2040年問題」を先取りしている地域で、持続可能な地域福祉の推進ができるか危惧されている地域である。その上、「南海トラフ」がいつ発生するか分からないという心配な地域である。
〇会場は、宇和島市に合併前の三間町のコスモスホールで行われ、参加者は460名を超えた。
〇三間町は、四国88か所札所の龍光寺と佛木寺がある地域で、宇和島から三間町へ入ると、種田山頭火が詠んだ「分け入っても 分け入っても 青い山」を実感できる盆地である。
山頭火のこの句は、山頭火が44歳の時に熊本から宮崎へ行く山中で詠まれた句と言われているが、筆者には「四国歩き通しお遍路」で三間町に入った時にこの句が頭をよぎった。
〇三間盆地は、稲作が盛んで、水が良く、「虎の尾」という銘酒を醸造してところで、空中に水分が多いせいか、周りの山が青く見える。「四国歩き通しお遍路」は3回行ったが、3回とも三間盆地に入ると周りの山々が青く見えた。
山頭火 偲ぶ三間路の 夏遍路 兼喬
〇筆者は、セミナー初日の「豪雨で被災した宇和島の復興―2040年に向けての地域づくりー」をテーマにしたシンポジュウムのコーディネーターと2日目の総括講演を担当した。
〇宇和島市は、2018年(平成30年)7月に「西日本豪雨災害」の被災地であり、特に吉田地区のミカン栽培地が崩れ、かつ吉田浄水場が壊滅する大きな被害を被った(死者11名、関連死2名)。
〇稲作栽培に欠かせないため池の水を住民の生活用水に供給することを水利組合が英断してくれたお陰でいち早く生活用水の排水ができたとの市長の報告があった。
〇また、宇和島市は、2017年(平成29年)から、生活支援のまるごと推進事業(相談支援包括化推進事業)を国の補助事業として行っていたこともあり、住民のアセスメントを行い、ニーズ把握がいち早くできた。
〇また、被災者の生活再建に向け行政とNPO法人で作った体制(生活再建実務者会議―被災世帯の健康、生活、経済状況や見守りのプラン作成、モニタリングの機能、牛鬼会議(作業系―ボランティアニーズの把握、調整を市直営の地域包括支援センターやJVOAD等と協議、実施)、おんむすび(コミュニティ系)―ケアカフェ、ガイヤ健康体操、サロン活動等の実施)で支援活動を行い、2025年度にこの活動を終了し、2026年度からは重層的支援体制整備事業に移行し、対応していることが宇和島市保健福祉部長の岩村正裕さんから報告があった。
(註)JVOADとは、全国災害ボランティア団体支援ネットワークの略称。
〇宇和島市の災害支援に置いて、JC(青年会議所)が大きな力を発揮した。JCの全国ネットを活用し、救援物資や復旧活動に必要な資材の確保をしてくれたり、建設関係の会員の協力を得て、ボランティア活動の拠点の整備や汚泥された学校のグランドの汚泥撤去、新しい土の搬入などに大きな力を発揮してくれた活動を株式会社アクティブモアの代表取締役・久徳荘一郎(発災時宇和島JC理事長)から報告頂いた。
〇宇和島市社会福祉協議会の広瀬孝子会長からは、被害が甚大だった吉田町玉津地区の支援活動を中心に報告を頂いた。
〇宇和島市社会福祉協議会は、災害ボランティアセンターを開設し、宇和島市職員、愛媛県社会福祉協議会職員、災害支援P(全社協・災害ボランティア活動支援プロジェクトメンバーの略)の協力を得て、総務班、ボランティア受付班、ニーズ班、オリエンテーション班、マッチング班、資材班、送迎班、救護班、軽トラ隊、社協吉田支所、サテライト拠点という組織体制で活動を展開した。
〇その中で、玉津地区社会福祉協議会は、地域住民の生活課題を的確にニーズ把握し、「生活支援本部」を立ち上げて、きめ細かく支援につなげてくれた。
〇それは、2006年に玉津地区社会福祉協議会「地域社協たまつ」を立ち上げ、住民の学習活動を継続的に行い、玉津地区の地域福祉活動計画を作成し、「弱さを受援力、強さを支援力」にする福祉教育が基盤にあったと報告され、「社協は、福祉教育を基盤とした、一人ひとりの生活課題へ届く実践を創造すること」が2040年に向けて必要だと決意を述べられた。
〇分科会は、第1分科会は、「『災害にも強い』つながりがある地域づくり」をテーマに、災害対応には、建物やインフラなどのハード面だけでは不十分で、「地域での顔の見える関係づくり」が重要だとして、宇和島市吉田地区や高知県下知地区減災連絡会等の実践が報告された。
〇第2分科会は「その人らしく『生きる』を支える」をテーマに、単身高齢者、障害者の身元保証、終末期支援、死後対応サービスなどについて話し合われた。
〇第3分科会は、「『困っている人』を支える『ごちゃまぜ』チームプレー」をテーマに、今回初めてセミナーに参加してくれた香川県隣保館協議会加盟の高松市の田村文化センターの長尾香織さんや徳島県北島町で重層的支援体制整備事業を「ごちゃまぜ」の精神で、柔軟に問題対応して、地域づくりをしているNPO法人YOU&ゆうの岡田理事長等からの報告があった。
〇第4分科会のテーマは「『暮らし続けたい』を支えるー玄関から広がる生活支援を考える」で、住民の移動手段の確保が、心身のフレイル予防と社会生活フレイルの予防になることが論議された。
〇この分科会の実践報告は、「地域住民に限定したNPO法人」を立ち上げ、移動手段の確保のみならず、様々な生活支援をしており、まさに消滅寸前の地域づくりと住民の生活支援とを一体的に展開している実践報告(徳島県美馬市木屋平地区のNPO法人こやだいらと高知県佐川町斗賀野地区のNPO法人とかの元気村の「ふれあいあったかセンター」の活動)であった。
〇従来のNPO法人はテーマを共通項にして、地域とは直接関係なく、広域に同好者を集めて活動するのが特色であり、地域住民を会員にして、地域を基盤として活動する市町村社会福祉協議会との目的も組織形態も違うと筆者は考え、位置付けてきた。
〇しかしながら、今回、セミナーの分科会で報告してくれたNPO法人は、地域を限定した会員制で、多様な地域課題を解決する活動を通して地域づくりを進めているNPO法人で、これらのNPO法人の活動が広がり、定着すると、市町村社会福祉協議会の存在意義はなくなり、生き残れないと心底思った。
〇今一つの実践報告は、自動車販売会社の「ネッツトヨタ瀬戸内株式会社」(報告者大石一浩モビリティ事業部長)が社会貢献活動も兼ねて、会社がプロモートし、住民のニーズに応えた移動サービスを展開してくれている報告であった。全国各地の自動車販売会社がかようなプロモートをしてくれたらどれだけ助かるかと心底思った。しかも、実践のしっぱなしではなく、利用者が移動サービスを利用したことにより、どれだけ効果があったのかをじつに多面的に、科学的に評価されていることに驚いた。社会福祉関係者は大いに学ばなければならないと痛感した。
〇宇和島市には、歩きお遍路の関係もあり4~5回訪ねているが、今回新たな発見があり、自分の勉強不足を恥じ入るばかりであった。
〇今回宇和島に入ったのは、7月31日の夕方であったが、ホテルにチェックインしたあと、食事をしようと街を歩いていて目に入ったのが、穂積陳重の顕彰碑であった。
〇穂積陳重は、東京帝国大学の法学者で、戦前の貴族院議員、議長で、穂積重遠の父親であることは知っていたが、その人が宇和島藩出身とは知らなかった。しかも、郷土の人が穂積陳重を顕彰すべく銅像を建てようとしたら、それを固辞し、銅像よりも人に踏まれる橋になりたいと述べたという謂れが書いてあり、その顕彰碑の脇を流れる清流に掛けられた橋を「穂積橋」と命名したと記されていた。
〇その時詠んだ句が以下の通りである。
夏空の 共生き流れに 穂積橋 兼喬
〇穂積重遠は、以前書いた「老爺心お節介情報」(第58号、2024年5月5日発刊)でも紹介したが、社会事業と社会教育を両翼的に考えて、社会活動をしている。東京帝国大学の学生と一緒に、関東大震災後に柳島でセツルメント活動もしている先生で、単なる象牙の塔にこもった法学者ではない。
(註)大村敦志著『穂積重任―社会事業と社会教育を両翼にして』ミネルヴァ書房参照。
〇穂積重遠は昭和5年に宇和島市で寡婦の生活救済のために「宇和島人形」を制作している「宇和島市民共済会」を訪問し、戦前の方面委員である中平常太郎が中心になって起こした授産事業を評価する短歌を詠んでいる。
〇宇和島市社会福祉協議会の山本裕子事務局長からその「宇和島人形」を見せて頂くとともに、その由来を教えて頂いた。
Ⅲ 5町村で人口9100人の高知県「中芸広域連合」と北川村社会福祉協議会の視察
〇宇和島でのセミナーを終えて、まず佐川町斗賀野地区の「ふれあいあったかセンター」を見学すべく向かった。三間町、鬼北町、松野町、高知県梼原町、津野町を抜けるコースで佐川町に向かった。
〇佐川町斗賀野地区のNPOとがの元気村の実践は、今回のセミナーの報告も含めて3回聞いているが、地域の状況が今一つ納得できていないこともあって訪問させていただくことにした。
〇高知県佐川町は、山に囲まれた盆地にあり、人口12000人で、5つの地区があり、斗賀野地区はその一つで、人口2850人である。佐川町は山間部の鉄道や公共交通が厳しい地区かと思ったら、高知と宇和島を結ぶ鉄道も通っており、近くには斗賀野駅がある。
〇斗賀野地区の住民が地域を活性化させようとNPO法人を作り、現在165人の会員がいる。
〇NPO法人とかの元気村は、農業振興部会、自然環境部会、地域づくり部会、文化教育部会、健康福祉部会を設置している。その組織は、戦後初期の文部省公民館課長、社会教育課長をした寺中作雄が提唱した「公民館構想」そのものである。
(註)『自治公民館と社会福祉協議会とが綾なす地域福祉実践――宮崎県都城市社会福祉協議会の実践』ミネルヴァ書房、2026年刊行参照。この本で、戦後公民館の考え方などを紹介している。
〇このNPOとがの元気村が、高知県の「ふれあいあったかセンター」の運営を委託されていると同時に、「集落活動センター」も運営委託されている。文字通り、地域の自治会機能が弱くなってきている状況の中で、それに代わってNPO,法人とかの元気村が地域を支えている構造である。
(註)NPO法人とかの元気村 経常収入 約2500万円、ふれあいあったかセンターの収入約1600万円、集落活動センター指定管理料135万円。
〇「ふれあいあったかセンター」は、機能として➀集いー子供を預かる、送迎、交わる(サロンなど)、学ぶ(口座の開催)、➁一人暮らし高齢者などの生活支援訪問、➂随時の相談、➃つなぎー訪問や相談で得た情報、必要な支援を関係機関につなぐ、➄買い物支援、通院支援や時には窓ガラスや換気扇などの掃除もする生活支援、➅認知症カフェの実施などを行っている。令和2年度(2020年度)の実績では、利用延人数18047人、実人数1052人、事業開所日数1031日となっている。
〇高齢者や障害者の家庭の庭木の手入れ、草刈り、窓ふきなどの生活支援を低料金で請け負っていると同時に、農事組合法人トピアとかのを設立し、耕作放棄地をなくす活動も展開している。
〇まさに、“地域住民による、地域住民のための活動を地域単位で行っているコミューン”だと実感した。
〇このような取り組みこそが、2040年問題を解決していく取り組みであり、かつて島根県邑知郡瑞穂町社会福祉協議会の日高政恵事務局長が目指した「地域未来家族」のモデルである。
〇翌日8月2日には、高知駅から車で2時間、高知空港から1時間30分の高知県東部の「中芸広域連合」と北川村を訪問した。
〇「中芸広域連合」は、「誰一人取り残さない『地域共生社会』の実現を目指し、5町村の垣根を越えて“ワンチーム”で介護保健福祉業務を展開する」組織である。
〇5町村とは、奈半利町(人口2800人、財政力指数0・19)、田野町(2300人、0・199)、安田町(2200人、0・15)、北川村(1100人、0・20)、馬路村(700人、0・16)である。
〇高知県の森林率は84%で、全国1位であるが、中芸地区は5町村全体で92・1%、最も高いのは馬路村で96・6%である。訪問した北川村は94・9%が森林という村である。
〇中芸地区には、海岸沿いを「なはりごめん線」という鉄道が通っているが、北川村、馬路村には鉄道が通っていない。
〇ちなみに、北川村には「モネの庭園」があり、関西圏から北川村の北部にある温泉ホテルに泊まりながら、「モネの庭園」を観光する高級車に乗ったセレブの観光客が来ているという。他方、馬路村はゆずの栽培で産地形成に成功している村である。
〇「中芸広域連合」は、火葬場、衛生センター、リサイクルセンター、消防本部などの運営管理をしている広域行政組合で、その機能の一つに保健福祉業務を入れ込んで、2009年から保健福祉業務の広域化が進められた。
〇「中芸広域連合」の事業費負担は、5町村均等割りが全体の20%、残りは5町村の各自治体の基準財政需要額に応じた案分で80%を拠出している。
〇この中芸地区には、「中芸広域連合」とは別に、特養を経営している広域組合もある。また、介護認定審査会は隣の安芸市に委託している。更には、この地区には、民間介護事業者がいないので、5町村で出資して「介護公社」が設立し、介護支援専門員と訪問介護を担っている。
〇介護サービス事業者の許認可、成年後見の市町村長申し立て、介護サービスの横出し、上乗せサービスのあり方等社会福祉行政の市町村分権化が進められている中での保健福祉介護の広域行政化はどうあるべきか地域福祉研究者としても検討しなければならない。
〇中芸地区の現在の状況と「2040年問題」を考えると、いずれは社会福祉法人の合併や社会福祉協議会の広域連携等の問題を考えざるを得なくなるかもしれない中で、かように保健福祉業務を担う組織が乱立している中芸地区で、「中芸広域連合」が今後これらの錯綜している組織をどう整理し、統合化を図れるのか注目する必要がある。
〇同じような問題は長野県木曽郡の6町村も抱えており、今後相互に交流して今後の打開策を見いだせればと思った。
〇この「中芸広域連合」に高知県職員で部長職を勤めた山地和さんが定年後に事務局長で就任しており、その山地さんのお誘いで、この4月から高知県社会福祉協議会の事務局長を定年退職された白石研二さんが赴任している。
〇中芸地区の北川村は、人口1100人で、19地区・集落からなりっていたが、既に「消滅集落」が3つほど出現した。
〇北川村社会福祉協議会は高知県の「ふれあいあったかセンター」を受託経営している。そこでは、他の「ふれあいあったかセンター」と同じように、「集い」、「働く―障害者の就労支援」、「送る」、「学ぶ」、「訪問」、「相談・つなぎ」、「生活支援――通院、掃除、洗濯、調理、買い物、服薬管理、配食」等のサービスを提供している。
〇北川村の「ふれあいあったかセンター」は、他と違って、「ゆずの花―小規模多機能施設・通い、集い、泊まれる施設」、シルバーハウスを併設しており、3部屋が確保されている。訪ねた時は宿泊者はおらず、それらの部屋は中学生、小学生の勉強部屋として使われていた。高知県にある現在55か所の「ふれあいあったかセンター」で「泊まれる」機能を持っているのは、この北川村だけだという。
〇北川村社会福祉協議会では、坂本達治会長、稲毛浩美事務局長、乾あき事務局次長からいろいろ説明を受けた。
〇その説明の中で使われた「あったかふれあいセンター」事業は、「直接サービスではなく、住民と協議し作り上げる「場」そのもの。住民が活躍できる舞台づくりがあったかの一番の仕事」、「あったかふれあいセンター」事業を「住民のため」にするキーワードは「柔軟性」という言葉は、まさに地域福祉推進に必要な珠玉である。
〇北川村社会福祉協議会の2025年度の収入は約1億3700万円で、約250万円の赤字決算である。その内訳は、収入面では、受託事業費が約8700万円、介護保険収入が3600万円、支出面では、人件費が約1億円で、「あったかふれあいセンター」の常勤職員4名と非常勤職員2名、バスの運転手等の人件費に充てられている。
(2026年8月8日記)
(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(阪野貢、市民福祉教育研究所で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。
阪野貢先生のブログには、「大橋謙策の福祉教育論」というコーナーがあり、その「アーカイブ(1)著書」の中に、阪野貢先生が編集された「大橋謙策の電子書籍」があります。この書籍(大橋謙策研究第1巻~第10巻)は、ブログのフロントページ、右サイドバーの下段にも表示されています。
大橋謙策のメールアドレスは、 <o.kensak@outlook.jp> です。




