〇この度は、拙著『「まちづくりと市民福祉教育」の研究』(私家版)に対して、複数のブログ読者から、丁寧かつ率直な感想と評価、さらには批判的な指摘をお寄せいただいた。拙著に目を通し、その内容について真摯に論じていただいたことに衷心より感謝とお礼を申し上げたい。本稿では、こうした評価や批判を踏まえながら、拙著におけるいくつかの論点について、筆者の意図と方法的立場を補足するとともに、そこから見えてきた今後の研究課題について述べておきたい。
1 歴史的「原型」の概念規定をめぐって
〇先ず、第1章および第2章に対して寄せられた、「拡大解釈で、かなり無理がある」との批判についてである。これは、地方改良運動や郷土教育運動における一部の活動をもって「福祉教育の一つの原型」と捉えることには、思想的・理念的・歴史的な無理があるのではないか、という指摘である。
〇これに対して、筆者が拙著において試みたのは、当時の教育・教化活動を今日の福祉教育と同一視することではない。むしろ強調したかったのは、当時の活動が「上からの義務としての自治」という性格を強く帯びていたのに対し、今日の福祉教育が本来立脚すべきものは「下からの権利としての自治」であり、両者はその思想的基盤において大きく異なる、という点である。したがって、筆者がそこに見出そうとしたのは、単純な思想的・制度的連続性ではない。本文中でも「歴史的性格を検討」し、「批判的継承」の必要性を論じている通り、一見した現象的な類似性の背後にある思想的な断絶を確認したうえで、その断絶を踏まえてなお、後の福祉教育につながりうる契機を歴史的に検討しようとしたのである。
〇もっとも、「遡及的原点」という語を用いるにせよ、ある歴史的実践を、何を基準として「原点」あるいは「原型」と位置づけるのかについては、より明確な概念的・歴史的基準を示す必要がある。この点において、今回の批判は、筆者自身が「原型」(斉藤利彦「地方改良運動と公民教育の成立」1983年)という概念の設定根拠をなお十分に精緻化できていなかったことを自覚する契機となった。歴史的実践のなかに今日の福祉教育につながる契機を見出すことと、そこに「原点」や「原型」が存在したと断定することとの間には、慎重な概念的操作が必要である。したがって今後は、「原点」や「原型」という文言を、歴史的実践のなかに何が継承可能な契機として存在したのか、また今日の福祉教育との間にどのような断絶があるのかを、より具体的に検証していくことが求められる。この点は、今回の批判を受け止めつつ、今後さらに検討を加えるべき課題として引き受けたい。
2 実践家の言説を思想的素材とすることの危うさと意義
〇次に、第9章において、小松理虔や奥田知志といった同時代の実践家の言説を、学術的な理論的素材として位置づけたことへの危惧についてである。これは、第7章で大橋謙策の「福祉教育原理論」を基軸として福祉教育論の系譜と課題を論じたことと、小松や奥田といった現場発の言説や思想を取り上げたこととを、学問的な厳密さという観点から同列に扱うことへの違和感であったと受け止めている。
〇この点もまた、筆者にとっては意図的な方法的選択であった。ただし、明確にしておきたいのは、学術的に体系化された理論と実践家の言説とを、その学問的地位において同列に扱おうとしたわけではない、ということである。筆者が意図したのは、両者を同じ「理論」として並列化することではなく、それぞれ異なる性格をもつ言説や思想を、今日の福祉教育を考えるための「思想的素材」として読み直すことであった。拙著で取り上げた国分一太郎の綴方教育も、小松のいう「共事者」も、奥田の実践と言説も、それぞれ異なる歴史的・社会的文脈に置かれている。しかし、それらを今日の福祉教育という問いから読み直すならば、既存の枠組みを問い直すための重要な思想的契機を見出しうると考えたのである。
〇もちろん、実践家の言説を思想的考察の素材として扱う以上、学術的な体系性や概念的整序をいかに確保するかという問題は残る。実践の言葉をそのまま思想として扱えば、概念の曖昧さや論理的飛躍を招く危険がある。その意味で、この方法には一定の「危うさ」があることを筆者も認識している。それでもなお、その危うさを引き受けようとしたのは、福祉教育を、教室や研究室の内部だけで完結する実践や理論としてではなく、地域や生活の現場において生成される実践と思想との往還のなかで捉え直したいと考えたからである。今後は、実証的資料、理論的・思想的言説、実践家の「語り」をそれぞれの性格に応じて区別し、そのうえで相互に照射させる読解の方法を、より明確に提示する必要があると考えている。
3 拙著全体を貫く理論的骨格と今後の課題
〇こうした問題意識から振り返ると、拙著全体を通じて筆者が追究しようとしたのは、市民福祉教育を歴史・原理・哲学という三つの次元から捉え、それらの構造的な連関を明らかにすることである。第1章と第2章では福祉教育の歴史的性格を検討し、第7章では福祉教育論の思想的系譜を整理し、そして第9章では、小松や奥田の言説を手がかりとしながら、依存や共生をめぐる哲学的な問い直しを試みた。歴史における断絶と連続、原理における体系と継承、哲学における当事者性と構造変革――この三つの次元は、それぞれ独立した論点ではなく、相互に参照し合うことによって初めて、「市民福祉教育」という営為の全体像が浮かび上がると考えたのである。
〇そして、この歴史・原理・哲学という三つの次元を、「まちづくり」という実践の場において接続・統合し、具体的な実践構造として示そうとしたのが、第6章から第9章にかけての議論である。第6章では「まちづくり」の構造モデルを描き、第7章での議論を第9章で「依存の権利化」「権利と構造変革の教育」へ、すなわち哲学的な問い直しへと接続することを試みた。この三つの章(第6章・第7章・第9章)を通して、「まちづくり」と「市民福祉教育」を別個の実践領域としてではなく、人びとの参加、関係形成、自治、相互依存、権利の実現をめぐる一連の実践として捉え直すこと。それが拙著全体の基本的な構想であった。第8章では、「市民福祉教育」がいかに計画化され、「まちづくり」の基盤として構造化されていったかを実証的に解明しようとした。それは、第6章・第7章・第9章で展開した理論・思想モデルに対し、実際の制度や地域計画との間をつなぐ実証的な架け橋として機能させることを意図したものである。
〇第6章を「本書の肝である」と評していただいたこと、第9章について「絶望の書にも読める内容であるが、その逆の希望の書でもあろう」と指摘していただいたことは、筆者にとって印象深いものである。また、第6章以降では、議論の図表化に努めたが、最も難儀したのは第6章の図2(「『まちづくり』と自律的市民形成の循環モデル」)である。それについては、「著者の考える市民福祉教育概念が図解的に理解できた」との評価をいただいた。そして、第9章の図2(「『まちづくりと市民福祉教育』のプロセス」)において、「依存の権利化」を中核に「存在肯定(在る)→共働参加(関わる)→相互依存(動く)→共生共創(創る)」という四つの実践的プロセスを提示した試みについても、独自の理論構築として受け止めていただいたことは、いずれも大きな励みとなった。拙著には多くの不十分さや論理矛盾が残されていると思われるが、そこに込めた構想の核心を読み取っていただいたように感じている。
〇もっとも、こうした評価によって、拙著が抱える方法論上の限界が解消されるわけではない。歴史的事実の連続性をどのような概念枠組みで捉えるのか。実践家の言説をいかなる学術的手続きによって思想的素材として位置づけるのか。そして、「まちづくり」と「市民福祉教育」との関係を、単なる実践上の接点としてではなく、存在肯定、共働参加、相互依存、共生共創という観点からどこまで理論的に捉えうるのか。これらは、今回の批判によって改めて浮かび上がった、今後掘り下げるべき課題である。
おわりに――批判を次の研究への契機として
〇「研究」は、完全に完成したかたちで終わるものではない。とりわけ、歴史と理論と実践を横断しようとする試みには、概念の曖昧さや方法論上の揺らぎがつきまとう。しかし、その限界を隠すのではなく、自らの研究の限界として引き受け、そこから次の問いを立ち上げていくこともまた、研究を続けていくうえでのひとつの姿勢であると考えている。拙著は「完成した理論」を提示したものというより、歴史と理論と実践をどのようにつなぎ、そこからどのような福祉教育の可能性を構想できるのかを探ったひとつの試論である。今回寄せていただいた批判や疑問は、その試論を擁護するために退けるべきものではなく、次の研究へと開いていくための重要な契機として受け止めている。今後とも、忌憚のないご意見やご批判をお寄せいただければ幸いである。




