老爺心お節介情報/第92号(2026年10月18日)

「老爺心お節介情報」第92号

〇皆様お変わりありませんでしょうか。ようやく天気も安定し、秋晴れの日々が続きます。
〇今号は、10月13日から15日まで歩いた「中山道よろよろへとへと道中記・中編」がメインです。
〇それ以外では、10月5日に石川県穴水町を訪ねてきました。ミネルヴァ書房から来年『災害被災者支援の新しい実践システム・穴水モデル』を刊行しますが、その編集会議に出席してきました。今回は初めて能登空港を使いました。機上から見える能登半島はまさに山々でした。帰りは電車を使いました。
〇穴水モデルと銘打つ被災者支援の新しい実践システムは、これからの社会福祉協議会の災害支援の在り方を大きく見直すことの必要性を提起した内容になっています。穴水町での夜の懇親会には吉村光輝町長も参加してくれ、大いに話が盛り上がりました。
(2026年10月18日記)

中山道六十九次
よろよろへとへと道中記
中 編
(和田宿、須原宿~野尻宿、大妻籠~馬籠宿、馬籠宿~中津川宿)

2026年10月13日~15日

(はじめに)
〇2026年4月に行った「中山道歩き」は残念ながら、足裏のまめの悪化で妻籠宿で中断した。
〇今回も小池正志さんのサポートとコーディネートで、前回歩き残した長久保宿の大和橋から和田宿を経て、和田峠の入り口までの区間と須原宿から野尻宿までの区間、そして大妻籠から馬籠宿を経て中津川宿までの踏破ができた。心から感謝とお礼を申しあげたい。
〇初めから区間を決めての区切り打ちをしていないので、歩き損ねたこの区間を歩くことは、バスの便もなく、かつ電車の便も悪く、多くのサポーターがいないと実現できないコース取りであった。
〇小池正志さんの呼びかけで、長久保宿の大和橋から和田宿を経て、和田峠の入り口までの区間は、萱津公子さん(元長野大学教授、現上田市社会福祉協議会会長)が車を出してくれてサポートしてくれたし、木曽路は杉村信子さんが車でサポートしてくれたことで4月に歩けなかった中山道の道を歩くことができ、日本橋から中津川宿まで一応歩いたことになった。この紙上を借りて、改めて3人に厚く感謝とお礼を申し上げたい。

(10月13日、長野快晴、長久保宿・大和橋~和田峠登山口入口・10キロ、1万8千歩)

〇10月13日、小雨の降る中、午前5時50分に家を出発。新宿・大宮駅経由で上田駅に午前9時01分に着く。
〇前日まで、何故か佐久平駅に迎えに来てくれるという認識が私の頭を“占領”していて、前日の夜、待ち合せ場所は長野新幹線戦上田駅だということを漸く納得、理解できた。なぜ、佐久平駅と思い込んでいたのかは不明だが、小池正志さんのメールで気づかされてもらい、事なきを得た。
〇上田駅には、長野市役所に勤めている市原綾子さん、市原武琉さん親子が迎えに出てくれていた。今日の中山道歩きにお付き合いしてくれるとのこと心強い。
〇迎えに来てくれていた小池正志さんの車で、4月にスキップした長久保宿の大和橋まで連れて行ってもらい、そこから市原親子と歩き始める。大和橋には萱津公子さんも車で来てくれていて、お二人は和田峠に向かい、小池さんの車を和田峠に停め、小池さんは萱津さんの車に同乗して、和田宿を歩いている我々一行に合流するという段取りである。
〇長野県民歌「信濃の国」の歌詞に謳われている4つの平の一つ、佐久平は秋晴れで、歩くのには少し暑いくらいである。4月の時に社会福祉法人木曽社会福祉事業協会の田上理事長から頂いた木曽ヒノキの笠を被り歩き始める。
〇和田宿は羽田孜元総理の出身地であり、お墓もある。羽田家は、日本の地域福祉に関わる人脈の一つである。

(註)羽田孜さんの父親は、松田甚次郎の本を出版した羽田書店の社長・経営者で、後に衆議院議員を務めた羽田武嗣朗氏である。
松田甚次郎は、宮沢賢治の教え子で、宮沢賢治の考えを実践したと言われる山形県稲舟村鳥越(現新庄市)に農村隣保館を建設(1933年)し、その実践を『土に叫ぶ』(初版1938(昭和13)年、『続 土に叫ぶ』(初版1942(昭和17)として上梓する。その出版社が羽田書店であった。
松田甚次郎の実践は、戦後の地域福祉の戦前的遺産の一つであると言われている。

〇和田宿を歩きながら、市原武琉さんとは“人生如何に生きるか”、“自分探し”とはどういうものか等話しながら歩く。市原武琉さんは、通信制の大学の1年生だということなので、時間を有効に使って本を読み、各地を歩く喜びと大切さについて話をする。お母さんの市原綾子さんも、青森県浅虫温泉の出身なのに各地を歩いて自分探しをしたのだから、武琉さんも国内外を歩いて見分を広めた方がいいという話をしながらの道中であった。
〇途中、「杉の屋」で昼食休憩。かつ丼ともり蕎麦半分を注文するも、かつ丼のボリュウムがあり、全てを食べられず。
〇和田峠の上り口に就き、車はどこに停めたのと聞くと峠に停めたとのこと。私は、4月に登り口から峠を越えて下諏訪まで歩いているので、萱津さんの車に小池さんが乗り、峠に停めてある小池さんの車を取りに行ってもらった。
〇和田峠の上り口で、萱津さんとはお別れをして塩尻に向かう。萱津さんがいなかったら、この交通不便な和田宿を歩けなかったし、和田峠口から木曽谷への移動も困難であった。萱津さんに心から感謝とお礼を申し上げたい。
〇長野市へ帰るという市原親子を塩尻駅で降ろし、一路木曽谷に向かう。木曽谷の宿泊所・寝覚めのホテルには午後4時40分に着く。ひと風呂浴びて、碁を打っていると懇親会の関係者からの呼び出し。碁は打掛にして懇親会場に向かう。
〇懇親会場の坂下家に着くと、木曽谷の町村社会福祉協議会の事務局長たちと長野県社会福祉協議会の面々が顔を揃えていた(木曽郡の大桑村の社会福祉協議会の事務局長のみ欠席)。参加者は、王滝村社協の中島素道事務局長、木曽町社協の鈴村謙司事務局長、上松町社協の武居秀臣事務局長、木祖村社協の永島博之事務局長、南木曽町社協の麻生正道事務局長に加え、社会福祉法人木曽社会福祉事業協会田上昭彦理事長、鈴木正信事務局長、更に長野県社会福祉協議会まちづくりボランティアセンター林部多美子さん、須野原一彌さん、青柳與昌さん、地元のかけはしプロジェクトのメンバーの杉村信子さんで、小池正志さんと私を加えて13人の盛大な懇親会になった。
〇懇親が始まる前に、今年の8月1日~2日に、愛媛県宇和島市で行われた第23回四国地域福祉実践セミナーで報告された高知県佐川町NPO法人元気村の実践と徳島県美馬市のNPO法人こやだいらの地域住民限定のNPO法人による地域支え合い活動(移送サービス、生活支援サービス等)の実践をスライドで見てもらい、木曽谷でも同じような取り組みをする必要性を説明した。
〇懇親会がたけなわの頃、隣室で行われていた懇親会に出席していた村田広司上松町長が顔を見せてくれ、木曽谷の地域福祉の今後について少し話をした。ほぼ、同一の見解をお持ちの様で、いろいろご協力頂きたいとお願いをした。
〇ホテルに戻り、打掛の碁を再開、この碁は勝ったものの、その後も含めて3日間で2勝2敗の打ち分けとなった。

(10月14日午前、雨、須原宿~野尻宿、7キロ、1万2千歩)

〇朝から雨の中、車で野尻駅まで行き、8時21分の電車に乗り、須原駅にて下車。須原駅には、今日同行する木曽谷の王滝村、木祖村、上松町の社協局長の他に、工業デザイナ-で木曽町に移住してきた下木修一郎夫妻、10年間地域おこし協力隊で活動し、現在は王滝村社会福祉協議会で「プロジェクトかけはし」の事務局を担っている倉橋孝四郎さん、上松町社協の尾崎陽子さん、木祖村社協の湯川壮公さん、杉村信子さんも待っていてくれ、小池正志さん、私を含めて総勢11人の中山道歩きである。
〇大桑村須原宿在住の杉村信子さんがガイドを兼ねて先導してくれ、歩き始める。
〇途中、木祖村社会福祉協議会の永島局長に木材のことを聞くと、現在切り出している木材は戦後初期に植林した80年ものだという。カラ松の板を中に、木目のきれいな杉板を表面に加工した合板が売れているということでした。
〇臨済宗妙心寺派の定勝寺の大きな伽藍や奇麗な庭園も案内してもらう。
〇途中、大桑村社協の事務所が近くにあるというので、表敬訪問した。丁度、社協会長が出勤日とかでご挨拶をした。大桑村社協の隣には、社協経営のデイサービスセンターがあり、利用定員30名のところ、現在登録者80名で稼働しているとのことでした。
〇大桑村の道の駅で小休憩を取り、丸い団子の五平餅を皆で頂いた。胡桃みそ味の美味しい五平餅だった。私は、この大桑村から下伊那の飯田市に抜ける大平峠で、草鞋型の五平餅を食べ、とても美味しかった記憶があるせいか、なにか団子の五平餅には違和感がある。4月に食べた馬籠宿での五平餅も団子だった。
〇野尻宿は、木曽11宿の中でも奈良井宿についで街並みが長い宿場だったということであるが、大火で面影はない。それでも、外敵を防ぐために「七曲り」という地形は実感できた。
〇野尻宿で杉村さん、尾崎さん、下木夫人、小池さんを除いた他の人とは別れる。杉村さんの先導で、妻籠宿のはずれの蕎麦やに向かい昼食を摂る。
〇昼食後、大妻籠まで送って貰い、下木夫人、尾崎さん、私の3人で馬籠宿目指して中山道を歩く。杉村さんと小池さんは、車を馬籠峠に移動し、そこから我々に合流するという段取りである。

(10月14日午後、曇り、大妻籠~馬籠宿、6・5キロ、1万歩)

〇大妻籠から旧中山道に入り、昔ながらの石畳などを歩く。すれ違う人は外国からのインバウンドの方ばかり。
〇途中、一石栃白木改場所跡のところに出る。木曽地方は平地がなく、田んぼがないので、年貢米の変わりに、「木年貢」という制度があり、かつ住民にはコメが支給されたという。それだけ、木曽の木材は重宝されていたので、木曽五木(ヒノキ、サワラ、アスナロ、コウヤマキコウ、ネズコ)という木材が無断で搬出されないよう「白木改め場」があったという。この改め場所は後に落合宿に移されたようであるが、妻籠宿から馬籠宿に抜ける途中にその跡地があった。
〇その跡地の傍に、熊の捕獲用の罠が設置されており、熊の出没があることがわかった。旧中山道のところどころに鐘が設置されていて、道行く人が鳴らせるようになっていたが、それはどうも“飾り”ではなく、本当にクマ除けの鐘だったようである。
〇馬籠峠は標高790メートルで、この峠以降は馬籠宿に向かって下り坂である。
〇馬籠峠で杉村信子さん、下木夫人、尾崎さんと別れ、小池さんが車を停めてあるという馬籠宿の駐車場に向かう。歩いてすぐという話であったが、どうしてどうして結構山を下ることになる。4時前に車を止めてある馬籠宿の入り口の駐車場に着く。それから一路土岐市へむかう。
〇中央高速道路のスマートインターチェンジの神坂インターから乗るといいと杉村信子さんに教えられていたとの事だが、カーナビは下道を案内し、結局中央高速道路には中津川 インターから乗ることになった。それでも、土岐市のルートイン土岐に5時過ぎに着き、ひと風呂浴びて着替えをすることができた。ルートイン土岐には、長野県社会福祉協議会まちづくりボランティアセンター所長・長峰夏樹さんが電車で駆けつけてくれていた。長峰所長は、翌日木曽社会福祉事業協会の田上理事長と相談があるとのことで参加してくれた。
〇岐阜県の関係者との懇談会は、土岐駅近くの「美濃寿司」に設定されていた。中部学院大学の人間福祉学部長、通信教育部部長の飯尾良英先生がホテルまで迎えに来てくれて会場に行く。飯尾良英先生とは先生が岐阜県社会福祉協議会に勤めていた時代からの付き合いであるが、それでもお会いするのは30年振りくらいであろうか。
〇懇親会場には、元中部学院大学の阪野貢先生、現教員の宮島淳先生(日本社会事業大学大学院で高橋重宏先生の下で博士の学位取得)、同じく佐甲学先生(元全社協民生部長)と田村禎章先生(東海学院大学講師、阪野貢先生の教え子)の計8名の懇親であった。阪野貢先生とはメールでのやりとりは頻繁にあるが、先生曰く、会うのは10年振りだという。また、宮島先生と会うのも約20年振りくらいで、本当に懐かしい顔ぶれとの懇親になった。とても美味しい料理でお酒も進み、あっという間に時間過ぎてしまった。

(10月15日、快晴、馬籠宿~中津川宿、10キロ、1万7千歩)

〇朝、7時に食事を摂り、出発までの時間小池さんと囲碁を打つ。
〇朝8時30分にホテルを出発。今度は中央高速道路の神坂スマートインターで降りることができ、馬籠宿の妻籠宿よりの入り口に9時20分過ぎに着く。そこで降ろしてもらい、一人歩き始める。
〇馬籠宿は4月の時には足が痛かったけど、2度と来られないかもしれないと無理して歩いた宿場である。明治時代に大火にあっているので、妻籠宿のような風情はない。それでも藤村記念館を覗いたり、外敵を守る枡形の地形を見たりして馬籠宿を抜ける。
〇馬籠宿から落合宿までの旧中山道は、のどかな里山の道を歩いたり、十曲峠の杉林の中の石畳み道(約900メートル)を歩いたりと、昔の旅人が味わったであろう風情ある道の一人歩きを楽しんだ。道で出合う外国人も少なく、ゆったりと下り坂を歩く。
〇落合宿も大火にあったとのことであるが、大火後加賀藩から贈られた本陣の門は保存状態も良く残っていた(本陣そのものは修理中であった)。
落合宿からは国道を行くのかと考えていたが、旧中山道が良く保存されており、ところどころ国道で分断されていて分かりづらいところもあったが、中津川宿まで続いていた。
〇落合宿から中津川宿までは、下り坂だけかと思いきや、標高差60~70mはあるであろう丘があり、その丘の勾配がかなりきつい。その丘が3つくらいある。落合宿をかなり過ぎた急こう配の坂の途中で、地元の人に中津川宿までどのくらいですかと聞くと約25分もあれば行くだろうという。ところがあにはからんや約1時間かかった。
〇中津川宿には午後1時に着く。食事をするところを探すが、多くの飲食店が休みの日とかで閉まっている。ハンバーガーを食べさせるお店が開いていたので入ったが、客は外国人ばかり。照り焼きバーガーを食べた。美味しかったが高かった。
〇中津川駅1時50分の電車に乗り、塩尻駅、八王子駅、橋本駅経由で午後6時30分に無事帰宅する。

(おわりに)
〇今回の3日間の歩きで、漸く日本橋から中津川宿まで繋がることができた。中山道530キロのうち、約330キロを歩いたことになる。残りは、約200キロで、一日15キロのペースで歩いたとして、約14日間で歩ける計算である。
〇自宅近くの毎日の散歩で1万歩、約7キロを歩いていることを考えれば、例え15キロほどのリュックを背負っていたとしても15キロの行程は無理なく歩けそうである。要は、旧中山道が整備されているかどうか、また適当なところにホテルがあるかどうかが問題である。できれば、体調を整えて、来春4月には京三条大橋まで歩きたいものである。
(2026年10月18日記)

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(阪野貢、市民福祉教育研究所で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。
阪野貢先生のブログには、「大橋謙策の福祉教育論」というコーナーがあり、その「アーカイブ(1)著書」の中に、阪野貢先生が編集された「大橋謙策の電子書籍」があります。この書籍(大橋謙策研究第1巻~第10巻)は、ブログのフロントページ、右サイドバーの下段にも表示されています。 大橋謙策のメールアドレスは、 <o.kensak@outlook.jp> です。