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まちづくりにおける「合意形成」とマルチステークホルダー・プロセス(MSP)―資料紹介―

熱心なブログ読者から、まちづくりにおける「総論賛成・各論反対」の状況を打開するための「合意形成」に関して、参考になる「モノ」を紹介してほしいという連絡をいただきました。おそらくそれは、6月1日にアップした拙稿「市民自治とまちづくり―その立ち位置とプロセスを考える―」をご笑覧いただいたうえでのことであろうと推察します。
いま、筆者(阪野)の手もとにある「モノ」(資料)は、3冊の本と1通の報告書だけです。以下がそれです。
(1) 土木学会誌編集委員会編『合意形成論―総論賛成・各論反対のジレンマ―』土木学会、2004年3月。(以下、「1」と略す。)
(2) 猪原健弘編著『合意形成学』勁草書房、2011年3月。(以下、「2」と略す。)
(3) 倉阪秀史『政策・合意形成入門』勁草書房、2012年10月。(以下、「3」と略す。)
(4) 内閣府国民生活局企画課『安全・安心で持続可能な未来のための社会的責任に関する研究会 報告書』内閣府、2008年5月。(以下、「4」と略す。)

ここでは、それぞれの資料のなかから、個人的に注目したい「モノ」(言説)を2、3紹介することにします。なお、「2」には「合意形成学関連書籍リスト」が掲載されています。

(1) 土木学会誌編集委員会編『合意形成論―総論賛成・各論反対のジレンマ―』土木学会、2004年3月
仮に「市民は政策判断に必要な知識をもっていない」という前提を認めたとしても、そこから「専門家が市民に代わって意思決定すべきである」という結論を導く論理は飛躍している。「市民が必要な知識を専門家から学び意思決定に関与する」という論理も同時にありうる。国づくり、まちづくりに関わる喜びは専門家だけの特権ではない。(小林清司:13ページ)

合意とは、必ずしも形成するものではない。自然と形成されるものでもある。それゆえ、土木事業者が自らの信頼性を保ち、毅然とした態度をとり、人々の良識を信頼し、そして人々の信頼を確保することで人々の公共心による議論が成立するのなら、長期広域の影響をもつ土木事業においてすら、「決める」までもなく「決まる」ことも少なくないのかもしれない。
合意形成論、それは、人間の社会の根幹に関わり、そのあり方そのものを問うきわめて重大な意味をもつ議論である。(中略)いま、ここに居るわれわれにできることがあるとするのなら、それは、真の合意の達成を信じたうえで、社会全体を巻き込む合意形成の言論とその実践、それらを、各人の領分と役割の中で、一つずつ真摯に重ねていくことのほかは、ない。(藤井聡:43~44ページ)

意を同じくするのが同意であり、意を合わせるのが合意だとするなら、同意は自らの良識に基づく判断の結果として人々の意が同じくなる半ば必然的な現象を意味し、合意には何らかの妥協や打算も入り混じったうえで意を合わせるという社会的行為を意味するものではないか(中略)。「良い社会とは何か」という途方もない問題を考えるにあたり、あり得る一つの、あるいはともするなら唯一の回答は、打算と妥協を交えた合意の形成ではなく、先人たちと子々孫々との共有を前提とした良識に基づく同意の形成ではないか、と考えるに至りました。
良い社会に向けた同意の形成、そのためには、さまざまな社会的役割の中で責を負われている方々の、その責を前提とした具体的行動が、いま、ただちに、一つでも多く必要とされているのではないか、と思われてなりません。(藤井聡:173~174ページ)

(2) 猪原健弘編著『合意形成学』勁草書房、2011年3月
合意形成とは、多様な意見の存在を踏まえ、対立が紛争に至ることを回避し、より高次の解決に導くための創造的な話し合いのプロセスである。したがって、合意形成は、たんなる説得や妥協、討論のための討論ではない。また、論者のだれかが勝利を収めるための論争ではない。関係者のだれもが納得する解決策を創造するための協働的な努力である。(桑子敏雄:189ページ)

社会的合意形成とは、(特定利害関係者の間の合意形成ではなく:阪野)、社会基盤整備のように、ステークホルダー(事業に関心・懸念を抱く人びと)の範囲が限定されていない状況での合意形成である。すなわち、不特定多数の人びとのかかわる合意形成である。(桑子敏雄:179ページ)

社会基盤整備のような不特定多数を対象とする合意形成プロセスの構築は、3つの大きな要素で構成される。すなわち、制度と技術と人である。このことは、この3つの項目に対応する人びとの関係の構築であるといってもよい。すなわち、制度を代表する行政機関に属する人びと、技術や知識をもつ専門家の人びと、および事業の影響を直接受ける人びとや一般市民である。(桑子敏雄:180ページ)

「合意」は、(全員の意見の一致を意味するのではなく:阪野)、①全員が賛成すること、②反対者がいなくなること、③反対者を少なくすること、④反対者を少なくするよう努力すること、というように、幅をもってとらえられる。(猪原健弘、266ページ)

(3) 倉阪秀史『政策・合意形成入門』勁草書房、2012年10月
参加者の討議技術の違いを乗り越えて、参加者が建設的な議論ができるように、中立的な立場で議論の手助けをする立場の人がプロセスの進行を司ることが必要です。この立場の人を「ファシリテーター」と呼びます。(225ページ)

ファシリテーターには次のようなことが求められます(ファシリテーターが持つべき基本的スキル)。
①課題となるテーマから中立であること。
②すべての参加者が自分の意見を述べることができるように工夫すること。
③不公平感をもたれないようにとりまとめること。
④時間の管理に十分に留意すること。
⑤参加者と十分に打ち解け、コミュニケーションがとれていること。
⑥参加者の真意を聞き出すテクニックを持っていること。(228~230ページから抜き書き)

合意形成プロセスの参加者に求められる能力としては、大きく4つの能力があると考えます。
第一に、論理的思考力です。論理的思考力をさらに細分化すると、帰結を考える力、理由を考える力、論点整理する力などが該当します。論理的思考力が欠けていると、思い込み、鵜呑み、ムダが起こります。
第二に、発想力です。発想力は、発散思考力、結合思考力に分けられます。発散思考力とは、自分でさまざまなアイディアを思いつく能力といえます。結合思考力とは、一見関係のないようなアイディアをくっつけて新しいアイディアをつくりだす能力といえます。発想力が欠けていると、過去の事例にとらわれてしまうこと、自分の考え方に固執してしまうことが起こります。
第三に、対応力です。対応力は、即応力と適応力からなります。即応力とは、すぐに対応できる力です。適応力とは、場に応じた対応ができる力です。対応力が欠けていると、タイミングを逸してしまうこと、空気を読めない行動をしてしまうことが起こります。
第四に、コミュニケーション力です。コミュニケーション力とは、認識力(聴く力)と表現力(話す力)からなります。コミュニケーション力が欠けていると、他人の考え方を十分にくみ取れないこと、自分の意図を他人に伝えられないことが起こります。(240~242ページから抜き書き)

(4) 内閣府国民生活局企画課『安全・安心で持続可能な未来のための社会的責任に関する研究会 報告書』内閣府、2008年5月
マルチステークホルダー・プロセス(Multi-stakeholder Process:MSP)とは、平等代表性を有する3主体以上のステークホルダー間における、意思決定、合意形成、もしくはそれに準ずる意思疎通のプロセスをいう。ここでいう平等代表性(equitable representation)とは、マルチステークホルダーにおけるあらゆるコミュニケーションにおいて、各ステークホルダーが平等に参加し、自らの意見を平等に表明できるということであり、また、相互に平等に説明責任を負うということである。(61ページから抜き書き)

マルチステークホルダー・プロセスが適する条件は次の3点である。
①参加主体間に、対話が不可能であるまでの対立が発生していないこと。
②取り扱われるテーマがある程度具体性を帯びているものであること。
③最終目的が参加主体間で共有され、かつ、対話を経ることにより目的が達成される合理的な可能性(reasonable probability)があること。(61ページ)

マルチステークホルダー・プロセスによって得られるメリットは次の5点である。
①対話や情報共有等を通じて、参加主体間に一定の信頼関係が醸成されるとともに、相互にとって最善の解決策を探ろうとする姿勢(win‐win attitude)が創出される。
②広範なステークホルダーが参画することによって、対話の成果である決定や合意等への幅広い正当性(Legitimacy)が得られる。
③各ステークホルダーが主体的に参画することにより、それぞれの主体的な取組が促される。
④単独の取組もしくは二者間の対話のみでは解決できない、もしくは、十分な効果が得られない問題が、3主体以上の関与によって解決可能になる。
⑤各ステークホルダーが自己利益のみを目指して行動した場合、結果として各主体の利益が損なわれるという“囚人のジレンマ”的な状況にある問題が解決可能になる。(62ページ)

まちづくりにおける合意形成については、以上のうちとりわけ「2」の「社会的合意形成」と「4」の「マルチステークホルダー・プロセス」の言説が注目されます。ここで、それとの関わりで、2、3の基本的事項について若干述べることにします。
「まちづくりにおける合意形成は、さまざまな人々の異なる思いを『つなぐ』過程の積み重ねである」(「1」158ページ)といわれます。合意をめざす社会的事象や意見、意思などの多様性を考えると、まちづくりにおける合意形成は、例えば、①どのような社会的事象や社会的課題をテーマにするのか、②ハードあるいはソフトを中心に考えるのか、両者を組み合わせた総合的なものをめざすのか、③地元の自治会・町内会から市町村全域に至るどのレベルの範域を対象にするのか、④参加主体を特定の利害関係者に限定するのか、一般市民まで広げるのか、等々によって合意の目標や内容、合意形成プロセスの進め方、合意形成のための方法や技術などが異なります。これが一点目です。
二点目は、まちづくりにおける合意形成では、「時間」と「空間」と「ヒト」のバランスを図ることが肝要となる、ということです。「時間」については、現在の課題や市民だけでの合意ではなく、将来の課題や市民のことを考える。「空間」については、自分の地域(地元)だけでの合意ではなく、他地域を含めた広域(市域、県域など)のことを考える。「ヒト」については、活動的な市民や有識者が主体となった合意ではなく、社会的弱者や無関心層などに十分配慮する、ことが大切になります(「3」151ページ、土木学会コンサルタント委員会合意形成研究小委員会『社会資本整備における市民合意形成』科学技術振興機構Webラーニングプラザ、2007年3月、5ページ参照)。
三点目は、合意形成を推進するためには、「3」が説くファシリテーターや参加主体に求められる“技術”や“能力”を有する「人材」をどのように育成・確保するかが重要な課題となる、ということです。その点に関して、例えば、学校教育においては、小・中学校国語科の「話すこと・聞くこと」領域で合意形成を図る(めざす)学習が取り組まれています。また、シティズンシップ教育においては、コミュニケーション力とともに合意形成力を育てる学習が重視されます。なお、「3」には、大学の授業や各種企業研修などにおいて使える「参加者の能力を高めるためのアクティビティ」(「スピーチアンドクエスチョン」「全員参加型ディベート」「ロジックゲーム」「ディスカッションバトル」「ロールプレイング会議」「ネゴシエーションゲーム」)が紹介されています(「3」242~260ページ)。
いずれにしろ、多数決による安易な合意ではなく、多様な参加主体が相互信頼に基づいて深く議論(熟議)し、適切な方法やプロセスを踏まえて「納得」する合意を積み重ね、自律的・主体的に行動することがまちづくりの真骨頂(本来の姿)です。

最後に、以上で紹介したことをベースに、若干の管見も含めて、「合意」「合意形成」「マルチステークホルダー・プロセス」の関係性を図示することにします(図1)。本稿のねらいは、資料紹介に併せて、この作図にあります。

NSP7月1日最終版

戦争を知らない世代、新たな「戦前」を思う―福祉と教育―

既に周知のことであるが‥‥‥

戦争は人間が行う低劣で醜悪な行為であり、国家権力による最大の人権侵害である。

国民の生命、自由及び幸福追求の権利は、真の平和の実現によってのみ保障される。

福祉と教育は、一人ひとりの人間が世界の平和をつくるための実践であり運動である。

そして、いま言うべきことは‥‥‥

福祉と教育は、ファシズムや軍国主義に加担した痛恨の過去を繰り返してはならない、

ということである。

市民自治とまちづくり―その立ち位置とプロセスを考える―

周知のように、1998(平成10)年12月に特定非営利活動促進法(NPО法)が施行された。2009(平成21)年9月には政権交代が実現し、民主党政権によって「新しい公共」政策の推進が図られた。これらを契機に、地方自治を取り巻く大きな潮流として「ガバメント(統治)からガバナンス(共治)へ」の転換が図られ、市民運動も「抵抗・告発型から参加・自治型へ」と変質する。それは、市民は統治客体意識から脱却し、政治や行政に主体的かつ自律的に参加することが要請されるようになったことを意味する。言い換えれば、市民は、市民自治によるまちづくりを実現するために、政治や行政と前向きな議論や納得できる調整を重ねて真の合意形成を図り、また相応の責任を引き受けることが求められることになる。
以上の点に関して、湯浅誠(社会活動家)がその論考「社会運動の立ち位置―議会制民主主義の危機において―」『世界』第828号、岩波書店、2012年3月、41~51ページで、次のように述べている。参考に供しておきたい。

「こっち側」(社会運動:阪野)の役割は課題を投込むまで、そこから先は「あっち側」(政治、行政:阪野)の仕事という役割区分を過度に固定化する思考は、自分は言いたいことを言うだけ、調整と妥協という汚れ仕事のコストは回避するという形で、「あっち側」への調整コストの押しつけ・丸投げに帰結する。当然ながら満足のいく結論は出てこず、それが結論への批判と「あっち側」への責任追及をもたらし、同度に「あっち側」の世界には関わらないほうがマシという調整の忌避に至る。(47ページ)

「主体的市民による社会運動」(中略)の内実および議会制民主主義との建設的緊張関係の中身については、永遠の課題として、これまでの研究および実践の蓄積に、これからも学び続けるしかない。少なくともそれは、「こっち側」と「あっち側」の役割区分を固定的に捉えるのではなく、政治的・社会的力関係の総体を視野に入れながら、社会的領域および政治的領域における調整過程に積極的に介入し、主権者として結果に対する責任を自覚し、何かを全否定したくなる衝動を抑えながら、地道に調整を積み重ねて相反する利害関係者との合意形成を図る市民だろう。(51ページ)

次の図は、「市民自治とまちづくり」の流れをまとめたものである。そこから、市民による「現状把握・分析」から政策・制度(「あっち側」)や実践・運動(「こっち側」)による「合意形成」、「課題解決」、そして「評価・見直し」に至る過程に積極的に介入し、市民自治によるまちづくりに主体的かつ自律的に取り組む市民をいかに育成・確保するかが当面の大きな課題となるといえよう。市民自治の実践は、それへの参加そのものが教育・訓練・啓発の要素や側面をもつのである。

見直し

以上のうち、「合意形成」(consensus building)とは、それぞれの“立場”や“利害”を超えて、多様な意見や考え方をまとめ、「納得」することをいう。そのためには、(1)信頼に基づく良好な人間関係を築く。(2)異質で多様な価値観の存在を認める。(3)公正で透明性の高い情報開示(共有)を行う。(4)社会科学的・批判的な思考力や論理的・合理的な判断力を養う。(5)適正な手続き(プロセス)を踏まえた協調的な「交渉」(negotiation)を重視する、ことなどが求められよう。また、対話や交渉を支援する方法としてファシリテーション(facilitation)やメディエーション(mediation:調停)の導入も必要となる。
いまひとつ、「責任の引き受け」(take responsibility)に関していえば、政治や行政において、選挙や議会に基づく権威主義的傾向や前例主義による保守的傾向があることは否定できない。それは、市民の、政治や行政への「依存」(無関心、無理解、非協力)を反映したものでもある。「まかせておけばいい」という依存は、「責任」を伴う対等・協働(共働)の関係ではない。市民自治の主体である市民には、そうであるがゆえに政治や行政に対して積極的かつ自律的に関わり、場合によって責任を追及することが求められる。併せて市民は、当然のことながら、相応の責任を引き受けることになる。「ガバナンス」のひとつの姿である。
付記しておきたい。

注
熱心なブログ読者から、「最近の政治状況に抗する“能力や覚悟”は十分に持ち合わせていないが、確かな市民自治と平和で安心なまちづくりを推進するためには、その主体である市民一人ひとりがコツコツと実践や運動を積み重ねていくことしかないのではないか」というメールをいただいた。本稿はそのご意見に対するものでもある。

「生活綴方教育と福祉教育」に関する研究への端緒:国分一太郎の1936年論文―資料紹介―

福祉教育の歴史は終戦直後から始まると捉えるのが通説である。しかし、それは戦前の福祉教育に関する歴史をふまえたものではない。戦前に関しては、更なる検討が必要とされる2つの説があるにすぎない。それは福祉教育の遡及的原点を大正デモクラシー期の新教育運動に見出す説と、地方改良運動に見出す説である。前者に関しては村上(1994)が、大正デモクラシー期の新教育運動の中でも、とりわけ「池袋児童の村小学校」の野村芳兵衛による生活教育や修身教育の実践を、福祉教育の遡及的原点として紹介している。後者に関しては、大橋(1997)が地方改良運動の諸実践の中には今日の福祉教育と同じような実践がみられると述べている。(三ツ石行宏「<解題>福祉教育史研究の課題と展望―阪野論文に導かれて―」日本福祉教育・ボランティア学習学会20周年記念リーディングス編集委員会編『福祉教育・ボランティア学習の新機軸~学際性と変革性~』大学図書出版、2014年10月、52ページ)

筆者(阪野)は、福祉教育の歴史研究に関して、1930年代の生活綴方教育の実践や運動のなかに今日の福祉教育実践の側面や要素が含まれていたのではないかという仮説を設定している。その実証的検討の端緒になるであろうと思われる論考に、太郎良信「国分一太郎による生活綴方教育批判の検討―1936年から1939年における―」『文教大学教育学部紀要』第45集、文教大学、2011年12月、21~38ページ、がある。
太郎良信(たろうら しん)はその論考で、国分一太郎(1911年3月~1985年2月)は、1930年以降1935年までは綴方(作文)を通して生活の現実に学ぶ教育実践(「生活勉強」)について説いていた。1936年から1939年にかけての時期には生活綴方教育批判の立場に転じ、また綴方教師たちに地域における啓蒙活動に取り組むことを呼びかけた、と述べる。その点を太郎良は、生活綴方教育批判を主題としていると考えられる国分の7本の論文を時系列に並べ、丁寧かつ深く分析・検討することによって明らかにしている。
1936年は、二・二六事件が発生した年である。それは、1929年10月に始まる世界恐慌をひとつの契機に経済的・政治的・社会的矛盾と混乱が深刻化するなかで、日本が軍国主義化・ファシズム化を進め、日中戦争(1937年7月勃発)と太平洋戦争(1941年12月勃発)への道を辿るターニングポイントとなった。1936年はまた、国分にとっても特筆されるべき年である。国分がその重要な担い手であった北方性教育運動(生活綴方教育運動)が衰退傾向を示し、その運動の拠点であった北方教育社(1929年6月、秋田市に創立)が同年8月に閉鎖に追い込まれている。それは、「視学などの圧力と、内部的な脆弱性」(津田道夫『国分一太郎―抵抗としての生活綴方運動―』社会評論社、2010年1月、150ページ)によるものであった。なお、1936年の前年1月に、国分がその中心的役割を果たした北日本国語教育連盟(秋田市)が正式発足し、8月には国分がその組織強化活動に関わった北海道綴方教育連盟(釧路市)が設立されている。
さて、本稿では、太郎良が紹介・検討する7本の論文のうちから、国分が「社会事業」に関心をもち、生活綴方教育と社会事業の関係や社会事業の教育的効果などについて言及する2本の論文(以下、「1936年論文」と記す。)の重要点を紹介する。それは、福祉教育の遡及的原点をどこに見出すかということだけではない。前述の三ツ石が指摘する福祉教育史研究のひとつの課題である「戦前と戦後の福祉教育史の連続・不連続を検討する必要性」(『前掲書』54ページ)にどう応えるかという、その端緒を開くことになればという思いによる。それはまた、福祉教育史研究が手つかずの分野・領域の史資料を収集・分析・評価し、福祉教育像を豊かなものにすることを願ってのことである。

(1)国分一太郎「社会事業的文化事業的教師として」『日本文化と国民教育』第2巻第5号、東宛書房、1936年8月、74~79ページ
かうした困難なる生活を生きる子供をかゝへて青年教師は何とするか。或る人は歴史の秩序を信ずる事によつて、この現実の中に真実を、砂の中の砂金のかけら程でもいいからみつけさせて行かうと精神的になる。ある人はこの困惑は薬だといふ。この困難にまけぬやうな意志だけが大切だと説教する。乞食根性をもつなといふ。困難はやがて幸福のもとと出世美談みたいな真理を活用する。
ある青年教師は、子供とはそんな現実主義者ではない。夢の人だといつて、のびのびと、ゆるやかに魂と身を伸さうと賢明なことを言ふ。だがその子は家に帰ると、あまりにも多産な我が母のために、その弟妹をおばねばならぬ。そして背柱湾曲と統計表に計算される。
ありのまゝの現実を認識させる事だけが一番だ。あとは何も出来ないと言ふ。真実をかけ真実をみよといふ。見てどうするかと言へば答はない。あるとしても「真実のみが、未来をはらんでゐる」と深遠だ。あとはどうにもならぬとアナーキーになり、更に虚無におちいる。そこである若者どもは生活意欲をもたせようといふ。それには自分がもつ事だといふ。所が、その生活意欲とは何ぞやと質問をする先生が出る。生活意欲とは貧乏でなくなりたいといふだけものではないと答へられると、そんなら凶作の時に何故そんな事を叫び出したと叱る。もう一人はこんご、多分に空想的だと度々いふ。(76~77ページ)

そこで小学教師よ。青年教師よ。如何に生きんとするや――とせつぱつまつて来た。
曰く社会事業的教師とならん。曰く文化事業的教師とならん――とこの際答へたい。だが僕たち一人でそんな事をされるとは限らない自分の生活は困らぬから社会事業にしたがふといふわけにはいかないのが薄給中の薄給の青年教師だ。壮丁の検査成績がわるいとすぐ、保健省設置を提議できる陸軍とは何といふ羨しい熱心な存在だらう。我々教員は一番村に近くゐて、村の人々とも一番近い所にゐて、その子等の上にその人々の生活を知りつくしながら、医療国営一つ、生活安定一つの徹底をも、建議できない人間共である。漢字の存在や歴史的仮名遣ひが、如何に国民生活を不便にし子供を苦しめつゝありと知りながら、それが廃止の建議案をすら、直ちには出す事が出来ない。それをなし得る団結がほしい。
社会事業にしても、今の担当者は村の有力者や教育者の古手であつて、青年教師の手中にはない。だが、社会事業的出発のし方は大小とりまぜて色々ある。その小さい所からはじめて、日本の青年教師が手をつないで大きな社会事業をなし得る機会をまつことが大切ではないだらうか。託児所が論ぜられ、実践され、校外教育が再吟味され、地域中心の学校施設が問題とされ、生産学校が行はれはじめたのもみな、教育が社会事業の側にうごいて来た証明できる。紙芝居の教育的実践さへもがそれである。
社会事業には、解釈の浅さはあつても、行動の重要さをとらねばならぬ。よい社会事業は、よい社会改造を目標としてゐる筈だ、歴史がゆがめる社会事業があるにはあるにしても、それを駄目だと解釈して、貧しきものは貧しきまゝにして置いていい筈はない。文化の大衆への浸透、それもまたその不可能や困難をかこつより、よい文化合理化されたそれを、小刻みに与へて行く必要は十分にあるのだ。老年教師を啓蒙することもひとつだ。
じつとしてゐるよりは行動をした方がいい。行動は社会事業的な面が一番今のところ進歩的だとしたら、青年教師はそこへ行くだらう。それをきらつて、「生活を描け描け(くの字点:阪野)」とばかりいつてるのは、「貧しい事がなくなると、よい綴方が出なくなる」と心配する事の愚に等しい。
といつて、教室からとび出し、学校をはなれて、防貧や救貧事業にのり出せとか、保健衛生事業にでかろといふのではない。「純粋の情熱」や「きれいな知性」をいだいて無為に過さんよりは、社会的な悪を憂い、物事を心がけの悪さからだと考へずに、社会の矛盾がなせる業だとなして活動しようとする、社会事業家の生き方のその態度を、青年教師こそ、色々の先生方の層に先んじてもたねばならぬのだ。
かういふ物の考へ方を先生がもつことがそもそも大事な生き方の精神となるのだ。僕らが育てた国民が大きくなつたら、すべての代議士が退職積立金法案には賛成を無条件にするように、農業保健法は立派に制定してくれるやうにとか、小作法はにぎりつぶさぬやうにとねがひたいならば、まことに気永な話ではあるが、社会政策的見地にたつ考へ方を国民に充満させねばならぬ。それの尖兵隊は社会事業家であらう。その尖兵の行動を見習ふこともなくして、意欲がどうの態度がどうの、リアリズムがどうのといつた所で、それが単なる精神的な「覚悟」に終らなかつたら御目出度うだ。
僕達青年教師は、小さい頃、人道主義的見知で育てられたらしい。その頃の青年教師に。だが真にヒユーマニストとして生きてゐる人間は何人ゐよう。前述の如く孤立して僅かに情熱をセンチと化するが落ちではないか。逆に封建的な精神で人間、子供を律しようとしてゐないとは言へぬ。
青年教師が、意欲をいひ、モーラルをいふ若さは悪いといはぬ。それはよい。だが現実とそれでは、まだまだ(くの字点:阪野)距離があるやうに出来てゐるといふ方が正直だ。その距離をうづめる手段も持たないでは困るのだ。
社会を愛し、文化を愛する青年教師の全日本的聯結が、それぞれの報告にもとづいて社会事業的、文化啓蒙的教育の行動形態を建設するの急務が叫ばれて欲しい。(77~79ページ-)

本論文は、当時25歳の国分が「青年訓導の立場から」書いたものである。
国分は、絶対的貧困にあえぎ、社会矛盾にさらされている東北農村の子どもたちの「現実生活」と、それに向き合う青年教師の状況を述べる。その際、「情熱と知性」を本質とする青年教師の教育実践(生活綴方教育)を、「自嘲的」「揶揄的」に描いている(太郎良「前掲論文」28ページ)。そのうえで、国分は、自分たちが育てられた「人道主義的見地」ではなく、「社会政策的見地」に立って、青年教師に「社会事業的教師」になるよう呼びかける。「『純粋の情熱』や『きれいな知性』をいだいて無為に過さんよりは、社会的な悪を憂い、物事を心がけの悪さからだと考へずに、社会の矛盾がなせる業だとなして活動しようとする、社会事業家の生き方のその態度を、青年教師こそ、色々の先生方の層に先んじてもたねばならぬ」。「よい社会改造を目標」とする「よい社会事業」の行動は、「一番今のところ進歩的」である、と国分はいう。しかし、その言説は、青年教師に対して「社会事業家の生き方のその態度」の必要性を説くにとどまっている。国分自身の社会事業的教師として、具体的な教育実践に裏づけられたものにはなっていない、といえよう。
なお、「教育が社会事業の側にうごいて来た証明」についての指摘は、「教育福祉」の視点を示すものとして留意しておきたい。

(2)国分一太郎「文壇的批評と教壇的批評」『教育・国語教育』第6巻第10号、厚生閣書店、1936年10月、152~157ページ
主観的なものを客観的なものへ、個人的なものを社会的なものへ生活の眼をひらかせるの道は、つねに「現実生活」の把握によつて「現実生活」で証明し、現実生活にとかしこんで導かねばならぬ。自然発生的な社会認識をもつた子供を科学的な社会認識に導くことも、生物的人間を社会的人間にひきあげることも、すべて「生活」によつて証明しつゝ、あるひは他教科の各面に於て心づかひつゝあるひは子供達が村の社会的事業や、文化事業にかこまれてゐる事を自覚させ乍ら順次にわからせていかねばならぬ。(156ページ)

人間教育とか、純粋感情の教育とか(情操陶冶)といふレツテルを張つてやつて来た綴方教育が、産業の発達による社会的情勢の変化によつて、漸次、より広範囲な生活教育として、その直接的な武器として、生活態度の陶冶と、生活技術の鍛錬とにまで進展したことによるともいへるであらう。そして社会事業の方が、概念的な小学教育よりは、より教育的感化をもたらすといはれる如く、概念的な知的学科や、観念的な情操教科に比して、より現実的な綴方の方が有意義なものとされ、それには昔さながらの文壇的ひとりよがりの指導よりは、より教壇的な協働生活関係としての、生活組織器関(ママ、機関:阪野)として役立つやうに吟味されるに至つたのである。(157ページ)

僕達の綴方も、あらゆる教科が、生活を証明材料として引つさげて来り、綴方の道をゆたかにしてくれる限りは喜んでむかへるであらう。それらによつて生活の知性がたかまり、生活が充実し、生活行動が真摯になるならば、綴方にとつて其れはこのましき限りである。
それよりも却つて、綴方が綴方の垣の中にとぢこもる如きは、その機能を衰微させる自己矛盾として、むしろ警戒するに価することなのである。貧しさを深刻にかいた綴方があつてくれるやうに、貧しさよ永遠に亡ぶ勿れ――等といふのは綴方の望む処ではない。貧しさのなくなるやうに、防貧事業や救貧事業が、あるひはもつと根本的な社会事業が、学校の周囲でどしどし(くの字点:阪野)と行はれる事などは綴方にとつて慶賀すべき事である。即ち、綴方の局外よ。他教科にとどまらず、学校全般、社会全般の批判も、どしどし(くの字点:阪野)と綴方の垣を越えて来てほしいのである。かくしてこそ、綴方はますます(くの字点:阪野)生活組織としての機能を発揮するに便利であらう。(157ページ)

本論文は、国分によると、「世代の綴方論」としては「消極的駄文」であり、「児童作品批評に於ける若干の解剖」を行う「警告的駄文」(153ページ)である。
国分は、子どもの綴方に対する教師の批評は、「文芸評論」の影響を受けて、優秀な、見本(サンプル)となる作品などをよしとする「文壇的批評」の傾向にある。そうではなく、個々の子どもの「現実生活」や生活認識などに留意した「教壇的批評」が重要である、と説く。加えて国分は、現実生活を客観的・社会的・科学的に把握させることが肝要であり、「子供達が村の社会的事業や、文化事業にかこまれてゐる事を自覚させ乍ら順次にわからせていかねばならぬ」という。
そして、国分は、生活綴方と社会事業の関係について言及する。国分にあっては、社会事業によって感化されたことを綴方(作文)に書くことは、現実生活から学び、生活行動に生かすことであり、概念的・観念的な教育に比して教育的であり有意義である。また、生活綴方は国語教育にとどまらず、学校教育や校外教育への広がりをもつことによって、子どもたちの社会事業への関心を促すことになる。すなわち、「社会事業が、学校の周囲でどしどしと行はれる事などは綴方にとつて慶賀すべき事である」。

以上の「1936年論文」において、国分は、生活綴方教育についてネガティブに論じている。その際、その論拠は必ずしも明確であるとはいえない。また、社会事業による教育・啓蒙とその教育的効果への関心と期待を示している。その際の社会事業の言辞については、観念的・抽象的なものにとどまっている。とはいえ、当時、国分は、生活綴方教育の実践や運動において指導的役割を担っていた。そういうなかで、国分の社会事業に関する関心や発言は、青年教師(綴方教師)たちにどのような影響を与え、どのような取り組みを生み出したのか。その前提として、国分がよしとする綴方教師としての「教師像」はどのようなもので、どのような特質をもつものであったか。今後の研究課題とすべきところである。
太郎良は、前掲の論考で、「視学等から監視や干渉を受けて、つねに弾圧をおそれていた」国分にあっては、生活綴方教育批判は「視学等の心証を良くするためのものであった可能性がある」(36ページ)という。そうだとすれば、国分の社会事業への関心は単に、そのためのものであったのか。そうではなく、ファシズムの常態である公権力による教育の支配・統制が強化されるなかで、それに対抗する教育実践として、「社会改造」を目標とする社会事業に期待したのか。興味のあるところである。
なお、国分は、1938年3月に教職を免ぜられた。1941年10月には、左翼的傾向をもつ北方性教育運動(「抵抗としての生活綴方運動」)の関係で警察に逮捕されている。また、1938年1月に健民健兵政策を推進するために厚生省が創設され、同年4月には人的・物的資源を統制運用するために国家総動員法が公布、5月に施行された。それを契機に、社会事業は戦時厚生事業へと変質し、戦時体制の枠組みに組み込まれていく。
いずれにしろ、国分が社会事業の教育的効果に関心を示したことについては、個人的にも時代的にも厳しい状況に追い込まれていったこととの歴史的文脈・関係性のなかで考究する必要があろう。国分は、1943年7月に判決が下される過程で「転向」を余儀なくされている。国分の社会事業への関心とその呼びかけは、生活綴方教育批判を行うなかでの、「抵抗」「転向」あるいは「偽装転向」としてのそれであったのか。綴方教師たちはその点をどのように受け止め、どのような社会事業的な教育実践に取り組んだのか。それとも、綴方教師に対する弾圧が強まるなかで、取り組むことができなかったのか。あるいは、教育現場の綴方教師たちは、国分の呼びかけに対して端(はな)から一顧だにしなかったのか。それらを歴史的・実証的に明らかにすることが求められよう。
周知のように、敗戦後の生活綴方教育は、1950年7月の「日本綴方の会」(1951年9月「日本作文の会」と改称)の発足や、国分の『新しい綴方教室』(日本評論社、1951年2月)、無着成恭の『山びこ学校』(青銅社、1951年3月)等の刊行などを契機に復活・興隆する。そして、1950年代前半にひとつの頂点を迎える。それは、戦後の新しい教育(教育の民主化)のなかで、戦前の生活綴方教育を継承・発展させようとするものであったと評される。そこでは、貧困からの脱出が最重要課題とされたが、具体的に「現実生活」がどのように把握され、「生活教育」がどのように規定されていったのか。綴方教師によって「社会事業的」な教育実践は展開されたのか。「戦前と戦後の福祉教育史の連続・不連続」に関する研究課題のひとつである。

日本はいま、戦時中の社会体制への回帰が加速し、“政治”と“教育”は「危機」状況にある。戦時体制下において、綴方教師たちによる社会事業的な教育実践は、戦時厚生事業に再編されていった社会事業と軌を一にして、戦争に協力することになったのであろうか。そうだとすれば、同じ轍を踏まないためにも、こんにちの福祉教育(市民福祉教育)のあり方は厳しく問われる必要がある。あえて付記しておきたい。

注
軍国主義ファシズム最頂期の1940(昭和15)年には、「治安維持法」(1925年4月公布、5月施行)によって全国で300人を超える生活綴方教育運動の指導的立場にあった教師たちが検挙・投獄され、弾圧された(乙訓稔「国分一太郎の生活綴方教育の理念」『実践女子大学生活科学部紀要』第50号、実践女子大学、2013年3月、52ページ)。

補遺
周知のように、1937年5月に「教育科学研究会」を結成した城戸幡太郎と留岡清男は、雑誌『教育』(第5巻第10号、岩波書店、1937年10月)において生活綴方教育批判を行った(1938年生活教育論争の発端)。「綴方教育は児童の生活を理解し、生活態度を自覚せしむることはできるが、彼等の生活力を涵養することはできぬ。彼等の生活力を涵養するには彼等の生活問題を解決することのできる生活方法を教へねばならぬ」(城戸幡太郎「生活学校巡礼」48ページ)。「生活主義の綴方教育は、畢竟、綴方教師の鑑賞に始まつて感傷に終るに過ぎない」(留岡清男「酪聯と酪農義塾」60ページ)、がそれである。こうした手厳しい批判に対して、「社会事業的教師」(綴方教師)たちはどのように反応し、どのような新しい教育課題を見出し、またどのような教育実践を展開したのか。こんにちの福祉教育実践にも通じるであろう点として、興味深いところである。(畢竟<ひっきょう>⇒つまるところ、要するに。)

謝辞
本稿を草するにあたっては、文教大学教育学部教授の太郎良信先生に格別のご高配を賜った。ネット検索でも全くヒットしない雑誌『日本文化と国民教育』に掲載されている国分の「1936年論文」については、先生が私蔵されているものをコピーしご送付いただいた。感謝あるのみです。

「現実」と「生活綴方教育」の “いま” を問う―ある若い知人へのメモランダム―

第一次世界大戦後、社会的・経済的混乱や国民生活の疲弊が深刻化するなかで、1930年代に生活綴方教育実践や教育運動が興隆しました。その実践や運動のなかに、福祉教育実践のひとつの側面や要素を見出すことができるのではないか。そんな考え(仮説の設定)のもとに、「生活綴方教育」に少なからぬ関心をもっています。
先日、佐竹直子さんの『獄中メモは問う―作文教育が罪にされた時代―』を読み、北海道綴方教育連盟事件や「治安維持法と綴方教育」への関心を高め、理解を深めることの重大さを再認識しました。
特定秘密保護法の施行をはじめ集団的自衛権の拡大解釈と行使容認、地方自治の精神や原則を無視した国政の専断、そしてメディアへの強圧的な対応や報道への介入等々が進められるなかで、佐竹さんは、「国を挙げて戦争へと突き進み治安維持法に国民が弾圧された時代を、まるで現代が追いかけて再現しているように思えてならない」と述べています。強く同感するところです。北海道綴方教育連盟事件は、「遠い過去の出来事」といい切れず、「歴史は繰り返される」ようです。“不安”を超えて“恐怖”すら覚えます。
生活綴方は、子どもが「現実」の生活と向き合い、その生活について、またその生活を通して感じたり、思ったり、考えたりしたことをありのままに書くことから始まります。それは、子どもを概念的な見方や考え方から解放し、子どもが自分自身と自分を取り巻く地域・社会を見つめ、子どもの豊かな人間性や社会性を育むための教育営為です。そこでは、教師の専門性とそれを裏付ける人間性や価値観が厳しく問われることになります。
そう考えたとき、子どもが向き合う“ナマ”の生活の「現実」をどのように捉えるかが重要な問題として浮上します。
「現実」は、形成され与えられたものであると同時に、常に新しく作り出されていくものです。既成事実として認識されているからといって、その現実を無批判的・盲目的(盲従的)に是認し、受け入れることは避けるべきです。
「現実」は、多様な要因によって構成されており、その要因は複雑に絡み合っています。現実は多様性と多次元性(多層性)を有しており、現実のひとつの側面だけが強調されることがあってはなりません。
「現実」は、その時々の支配権力が選択する方向に沿って形成されます。それに対して、反対派が選択する方向は「観念的」「非現実的」と考えられがちですが、現実を変えるためには、科学的で批判的、自由で民主的な思考や態度・行動が不可欠です。
「現実」についてのこうした考えは、60年以上も前に政治学者の丸山眞男が説いたところによるものです(引用と援用)。詳細は原典に譲ります。いずれにしろ、こんにちの政治的・社会的状況は、極めて憂慮すべき“危機”事態にあるといわざるを得ません。そういうなかで生活綴方教育(作文教育)のあり方を問うとき、「現実」の概念やその特徴について十分に留意したいものです。それはまた、日常的で具体的な地域・社会生活の「現実」と“向かい合い”、地域づくりのための主体形成(成熟した市民の育成)を図る福祉教育(市民福祉教育)にも通じることです。
今回、書きとめたいことは、いま、地域・社会生活の「現実」と向かい合う生活綴方教育(すなわち市民福祉教育)のあり方を厳しく問い、「作文教育が罪にされた時代」を二度とつくらない決意をする必要がある、ということです。

注
(1) 「叩く。ける。座らせる。おどかす。そのうちに自分も妙な気持になり、『赤く』なっていた」/戦時下に、作文指導に励んだ北海道の教員が次々と治安維持法違反容疑で逮捕された「北海道綴方教育連盟事件」。2013年に見つかった元教員の「獄中メモ」を手がかりに、事件の実像に迫ったルポ。70年余りの時を経て現代に問いかけるものとは―。(佐竹直子『獄中メモは問う―作文教育が罪にされた時代―』北海道新聞社(道新選書47)、2014年12月、帯より)
(2) 北海道綴方教育連盟事件:1940年(昭和15年)11月~翌年4月に、日常生活をありのまま書く綴方教育に取り組んでいた道内の教員らが、「貧困などの課題を与えて児童に資本主義社会の矛盾を自覚させ、階級意識を醸成した」などとして逮捕された弾圧事件。逮捕者は旧内務省「特高月報」によると56人、旧文部省「思想情報」では75人。12人が起訴され、11人が起訴猶予付き懲役刑が確定(1人は公判前に死亡)。後に初代の民選札幌市長となる故高田冨与弁護士が弁護人を務めた。旭川市出身の作家、故三浦綾子さんの長編小説「銃口」の題材になった。/治安維持法:「国体」の変革、私有財産制度の否認を目的とする結社や行動を処罰するため1925年(大正14年)に制定。当初は共産党や革命的労働・農民運動の取り締まりを目的としたが、適用範囲は拡大され、思想・信条や言論の自由を弾圧し、国民生活の監視に猛威を振るった。45年10月に廃止。旧司法省のまとめでは逮捕者は計約7万5千人だが、実際にはこの数倍から数十倍に上ると指摘されている。(「北海道新聞」2013年11月17日朝刊)
(3) 丸山眞男「『現実』主義の陥穽―或る編輯者への手紙―」『世界』第77号、岩波書店、1952年5月、122~130ページ。(陥穽<かんせい>⇒落とし穴、策略。)

井岡勉「住民福祉教育の課題」(1977年3月)―資料紹介―

1954年5月9日に日本社会福祉学会が創立された。翌1955年5月5日、学会から独立分離して、日本社会事業学校連盟が結成された。
日本社会事業学校連盟は、1971年8月23、24日の両日、私立学校教職員組合愛知会館(名古屋市)で、「社会福祉教育の現状と問題点」をテーマに「(第1回)社会福祉教育セミナー」を開催した。会長・仲村優一は、「セミナー報告」(1972年11月1日)の挨拶文のなかで次のように述べている。ちなみに、そのセミナーでは、第1日目の午前、二葉学園・村岡末広が現場の立場、日本福祉大学・高島進が大学の立場からそれぞれ「問題提起」をし、午後は関西学院大学・岡村重夫が「社会福祉教育の現状と問題点」について、主として大学の社会福祉学科のカリキュラムを中心に「基調講演」を行っている。そのあとは、第2日目にかけて分科会と全体会がもたれている。

本連盟としては、以前に一度若林前会長の時にカリキュラム問題をとりあげて2日がかりのセミナーをしたことがあるので、今回のセミナーは第2回ということになると思う。
とにかく、加盟校から自由に参加していただいて、大学問題が厳しく問われている今日の状況下における社会福祉系大学が当面している問題を、ザックバランに出しあって討議してみようというのが、今回のセミナーのねらいであった。(以下、略)

その後、社会福祉教育セミナーは、毎年継続的に開催された。第6回のそれは、1976年11月21、22日の両日、湯河原厚生年金会館(神奈川県湯河原町)で「今日の社会状況に社会福祉教育はいかに応えるか」という主題のもとに開催された。そこでは、1976年11月8日に発表された中央社会福祉審議会の意見具申「社会福祉教育のあり方について」を検討するという課題も含められていたことから、各分科会では個別のテーマを設定せず、主題に基づいて討議された。そういうなかで、第2分科会では、井岡勉(同志社大学)によって、「住民福祉教育の課題」について「問題提起」された。以下に紹介するのは、井岡のそれ(以下、「井岡報告」という。)と、高森敬久(愛知県立大学)による「討議要約」である。なお、会長・松本武子は、「セミナー報告書」(1977年3月31日)の「はしがき」のなかで次のように述べている。

語り明かしたのち、あるいはわれわれは社会福祉教育のあり方に共通なものを見出し得ないかもしれない。それならばわれわれは何故共通であり得ないかを明確化し、互いに彼我の別を理解し協調し合おうではないか。まさに社会福祉教育セミナーの意義はここにあろうと思う。多様化し変動する今日社会にあっては、価値観の多様性への寛容さをもちながら、ゴールをともにすることに努力しようではないか。(以下、略)

第2分科会・問題提起/住民福祉教育の課題/井岡勉(同志社大学)

Ⅰ 今日の社会状況
1973年秋の石油ショックを契機として、日本経済が深刻なスタグフレーション状況に陥って以来、地域住民の労働と生活上には困難の度合いが強まっている。とりわけ貧困・低所得階層を中心とする社会的生活障害の担い手たちは、緊迫した生活危機・破綻の状況に追い込まれている。
こうしたなかで、雇用保障、賃金・労働条件の改善、社会保障、一般公共施策の拡充強化とならんで、社会福祉に対する社会的要求が増大して来ざるをえない。しかしこれに対して、減速経済、財政危機を理由とする「福祉見直し論」、「高福祉高負担論」が政府・財界筋から強く打ち出されている。それは、住民運動、世論、地方自治体によって前進を見せ始めた権利としての社会福祉を後退させ、実際には低福祉高負担をはかりながら、自助と相互扶助の社会福祉に転嫁しようとするものである。
最近とくに目立つ動きは、異常なまでの地域福祉ブームである。この地域福祉は、70年前後から官製コミュニティづくりが活発化するとともに、その枠組のなかに社会福祉が位置づけられ、両者の結合領域としてにわかに強調され始めた。地域福祉のなかでも、施設処遇否定のトーンにおいて在宅者福祉ないしコミュニティ・ケアが提唱され、地域組織化の目標とされるに至った。このことは、客観的には官製コミュニティづくりにみられる住民運動対策と地域再編成への政策的要請に地域福祉もまた一定の役割を担い、モダンな装いで安上がりの福祉を方向づけるものといわねばならない。かくて加えて昨今は、減速経済、財政危機下の「福祉見直し論」、「高福祉高負担論」の強調、自助と相互扶助の精神に依拠した「日本型福祉社会」を志向する「生涯設計計画」の提起という状況にあって、地域福祉が異常な期待のされ方をしている。
すなわち、福祉施策拡充の意義を事実上軽視する方向での精神主義の強調、「福祉のこころ論」の喧伝、相互扶助の助長、官製ボランティアの組織化等の傾向がそれである。
こうした上からの地域福祉を貫く支配と効率の論理を明らかにし、これに対応して生活と連帯の論理に立つ住民の側からの地域福祉を構築していくことが課題となっている。

Ⅱ 住民福祉教育の現状
地域福祉の強調とともに、近年地域住民に対する社会福祉教育、略して住民福祉教育が重視され、取組まれてきている。住民福祉教育の意義については後述するので、まず社協などの住民福祉教育の現状について、断片的であるが、みうけられる傾向、問題点を指摘しておきたい。
社協などの住民福祉教育は、一応社会福祉に対する住民の関心、理解を深めさせ、住民参加をよびおこす意図で試みられているようであるが、問題はそれが何を対象として、いかなる視点、方向づけと内容・方法でもって行なわれているのか、ということであろう。
社協の展開する住民福祉教育の状況に関して詳しいデータはないが、全社協の「昭和50年度市区町村社協基本調査」によれば、これに類する項目として「研修会・講座・大会等」があり、それらをともかく開催した社協は平均63.0%という状況である。それも法人化の有無や市・区・町・村各レベル別では大きな格差があり、最高は法人村社協で平均96.2%、最低は未法人村社協で平均42.9%に過ぎない。
住民福祉教育プログラムの対象、種類についても審かではないが、一般にみうけられるものを例示すれば、福祉教育普及校の指定、一般住民むけの社会福祉講座、ボランティア・スクール、民生委員研修、老人大学などが試みられているようである。
住民福祉教育の基調としてみうけられる特徴的な傾向は、精神主義(善意、福祉のこころ、たすけあい、物質より精神が大切などを強調)、あるいは機能・技術主義(ハウ・トウもの)、両者の結合が支配的であって、科学的社会認識と民主主義重視の方向づけ(社会問題対策としての社会福祉、権利保障、運動視点など)が欠落しがちなことである。こうした傾向は、狭義の住民福祉教育プラグラムにかぎらず、調査・広報活動、諸会合・行事その他社協活動の全過程を通じた教育的機能として現象している。
この傾向の反映でもあろうか、社協の住民福祉教育において従来から主要な対象となってきた民生委員の社会福祉意識は、一般住民と比べても落差があり、精神主義的傾斜から脱けきれていない(別表1参照)。
この傾向は、民生委員の生活保護観として、権利としてのとらえ方についての拒絶反応がおおむね過半数をこえていることと対応しているといえよう(別表2参照)。
日常的に社会福祉活動にかかわっている民生委員にしてこの程度であって(民生委員ゆえにというべきかもしれないが)、いかに近代的・民主的な住民福祉教育が徹底していないかを物語っているといえよう。一般住民に至ってはなおさら、昨今の「福祉」というコトバの氾濫にもかかわらず、社会福祉について正しい情報が知らされていないし、その学習権が十分保障されているとはいい難い。とりわけ、貧困・低所得者をはじめ社会福祉対象者への住民福祉教育の機会がほとんど欠落していることは大きな問題点である。

Ⅲ 今後の課題
住民福祉教育をめぐる今後の課題としては、まず第一にその近代的・民主的あり方としての基本的視点を確立することである。その内容としては、つぎの5点の確認が必要であろう。
①住民福祉教育の意義は、住民相互の自己教育活動として展開されるところにある。
②住民福祉教育の目的は、住民が地域・自治体の主権者として社会福祉施策を自らの意思と要求にもとづいてコントロールし、これを権利として享受することにより、人間としての最低限の生活を維持し、自己実現をはかっていくためのものであること。
③住民福祉教育の主体は住民自身であり、その対象もまた彼ら自身であること。
④行政は住民の福祉教育権を保障し、その条件整備を行なう責任を負っていること。
⑤社協など民間団体が住民福祉教育を行なう場合、とくに住民相互の自己教育活動としての性格を厳守すること。
第二には、戦後わが国社会福祉の歴史的課題であった筈の社会福祉の民主化を地域レベルから実現していくために、住民福祉教育における精神主義的傾斜や機能・技術主義を克服して遅れている社会福祉問題・政策についての科学的認識、権利保障の視点に立つ民主主義的社会福祉観に高めていくこと、そのための系統的な住民福祉教育プログラムを展開することが望まれる。
第三には、住民相互の自己教育といっても、そこに運動がなければ結局与える住民福祉教育に終ることから、域福祉要求の組織化・運動化の全過程と有機的に結びついた住民福祉教育の展開が重要である。そのなかには、①住民による調査活動(地域福祉課題の顕在化・明確化と相互確認)、②広報による問題提起、世論喚起(社会福祉問題・政策動向についての常時的情報提供を含む)、③社会福祉についての学習活動の組織化、④対策行動計画、行動の組織化、評価における実践的教育機能の導入・結合、などが含まれよう。
第四には、これまで欠落しがちであった対象者集団の住民福祉教育に力を入れることである。それは、従来の与えられた社会福祉から、対象者集団自らが相互自己教育を通じて、権利としての社会福祉を掌握し、その活用により自己実現を促進する運動過程と結びつけて展開される必要がある。そのためには、①社会福祉施設・サービスの周知徹底、②権利としての活用働きかけ、③活用しやすい条件づくり(活用の拒絶反応や地域の偏見除去)、④対象者集団の仲間づくりと結びついた権利行使、学習活動の場づくり、⑤対象者集団自らの問題対策行動の展開・対象者集団とボランティア・一般住民との相互連帯支援(障害者の住みよい街づくりなど)、等々の推進を要しよう。
第五には、社会教育との連携を強め、社会教育としての住民福祉教育を推進していくことである。
さいごに、住民福祉教育に対する(福祉系)大学の役割にふれておこう。大学においては、自由でアカデミックな研究教育を通じて、広い科学的視野と民主的センスを身につけた良識ある住民・専門家として、学生が自己実現していくための社会福祉教育が準備され、展開される必要がある。また国民に聞かれた(開かれた:阪野)大学として、住民福祉教育の基地的な役割を果たさねばならない。こうして今日、大学における社会福祉教育をめぐって、住民福祉教育の視点からあらためて問い直してみる必要があるのではないかと考えられる。

16時15分

第2分科会・討議要約/住民福祉教育は如何にあるべきか/高森敬久(愛知県立大学)

本分科会では社会福祉教育をめぐる諸問題の内で、とくに大学外における教育、すなわち住民を対象とした社会福祉教育をとりあげその内容や今後の在り方について検討した。
先づ(先ず:阪野)、現在各地で実施されている各種住民福祉教育の内容や方法からそれらの問題点が指摘された。ここでは地域的相互扶助主義、精神主義的福祉論の展開、即戦力的安直な技術主義、人間関係や家族関係の調整といった対症療法的な視点が強調され、社会問題に起因する諸問題の因果関係的把握が欠落していること。
さらにその結果として、権利保障運動意識の発展していこうとする住民の側の自主的な活動の芽をつみとってしまうおそれのあること、精神主義や技術主義は自己利益への関心をたかめることにはなっても、地域における施設受容に否定的に機能せざるを得ないこと、またこうした中での住民福祉教育では公的な責任を問うという問題意識は生まれないこと、住民の学習権を保障しようとする姿勢が一部の行政を除き、各自治体行政には殆んどみられないこと等の問題が指摘された。
こうした現状における住民福祉教育の新しい視点は、住民相互の自己教育としての福祉教育的運動の展開の必要性をふまえた学習と運動の結合による自主的福祉教育の展開をめざすべきこと、権利としての社会福祉を明確にするために社会科学的視点を住民福祉教育にとり入れること、与える福祉から権利として獲得する福祉の確立のために住民福祉教育は系統的な学習プログラムをもたなければならないこと、またこうした学習権の保障のために、制度、組織、資源などの条件整備、情報の提供、学習集団の組織化等の整備が求められていることである。
次に住民福祉教育の担い手の問題であるが、社協はその担い手の一つとして重要な部分を占めるものと考えられる。しかし現状の社協の場では権利としての社会福祉の確立は困難である。むしろ住民福祉教育にも公教育的視点が確立されなければならないとすれば、社会教育が住民福祉教育の担い手とならなければならないであろう。
以上の問題提起をうけて本部会での討論は先づ(先ず:阪野)社協の把握する市民層と社教の把握する市民層には大きなgapeがあるのではないか、したがってそのgapeを埋める方向を持たなければならない。即ちその具体的な方法として、一定所得以下のニードへの対応と、一定所得以上のニードへの対応を福祉教育の展開過程においても考慮する必要があることである。
次に住民福祉教育の担い手が学習者自身であるということは極めて妥当な方向性を持つものと思われるが、しかしたとえその教育主体、学習主体が住民であるとしても、学習の場をどのように確立するのかという論点が不明確ではなかろうか。とくに住民福祉教育においては「心の福祉論」や技術論的福祉教育には熱心であるだけに社会福祉行政に権利視点を明確にした教育を期待することは確かに困難である。さらにこうした限界は社会教育行政の側面にもみられるのである。また住民サイドにおいても住民自身の自己教育のための方法や資源をもち得ない状況があり、こうした中での住民の自己学習的住民福祉教育の確立はきわめてむつかしいのではないか。
さらに住民の自己教育論におけるこのような限界については、たとえば住民運動のどのような点が住民自身の社会認識の発展を促したかといった問題にもみられるように、一般に日本人には社会的認識の概念や意識が欠落しているので、我々はこれらを住民福祉教育の中でどう乗り越えてゆくかという問題もあろう。
また、この事と関連して“福祉の権利”という概念は日本人に非常になじみにくい。周知のように我国では西欧的な市民社会の経験は経ていないので“権利”ということばを正しく理解することが出来ない。権利という言葉をとくに使わなくても我国には昔から人間を大切にするという伝統はあったと思われる。社会福祉の教育では理解ではなく納得であり、得心させることが目標である。
この他、井岡報告においては必ずしも地域福祉の内容が具体的に示されなかったが厚生省的認識における地域福祉―在宅者の福祉対策を中心とした安上り福祉に対してはより明確な批判視点をもつべきであるといったことも強調された。
<出席者>(アイウエオ順)
井岡勉(同志社大学)、一柳豊勝(同朋大学)、上田千秋(仏教大学)、越智猛大(東北福祉大学)、菊地正治(西九州大学)、高森敬久(愛知県立大学)、土井洋一(大正大学)、原田克己(淑徳大学)、船曳宏保(福岡県社会保育短期大学)、本出祐之(関西学院大学)、待井和江(大阪社会事業短期大学)、松本武子(日本女子大学)、吉田卓司(四国学院大学)
(『昭和51年度・第6回社会福祉教育セミナー報告書―今日の社会状況に社会福祉教育はいかに応えるか―』日本社会事業学校連盟、1977年3月、53~58ページ)
 
周知の通り、2000年4月から施行された「地方分権一括法」等により、地方分権改革の推進が図られている。そこでは、中央と地方の関係が「上下・主従」の関係から「対等・協力」の関係へと改められ、市民主権・市民自治の実現に向けた行政運営や公私協働(「共働」)の取り組みが求められている。しかし、最近では、「地方創生」を掲げる国によって、地方の民意を無視して“上から目線”で、“粛々”とコトが進められ、地方自治を侵害しかねない政治状況が展開されている。それは、住民相互、住民と行政、地方と国などによる熟慮と討議の民主主義のあり方が厳しく問われていることを意味する。地方創生は、地元住民や地方自治体が自ら主導する“地域づくり”とその担い手を育成する“教育づくり”を進め、それを国が支えることから始まる。
そう考えるとき、本稿で紹介した40年近く前の「井岡報告」は、いま一度深く読み込む必要がある。また、井岡がいう住民福祉教育の視点や論点は、こんにちの「地方消滅の罠」(山下祐介)についての議論や平和・環境・福祉・教育などをめぐる危機的状況においてこそ、必要かつ重要なものである。さらに、井岡が指摘した住民福祉教育の「今後の課題」は、その多くが未だに「今後の課題」として残されている、といえよう。
こんにち、「国民の命と暮らしを守るため」という名目のもとに、「飽くなき市場原理主義の追求」とそれに基づく「地方の切り捨て」や「戦争のできる国づくり」が進んでいる。ここで、あえて“平和”について付言すれば、最近多用される「積極的平和主義」とは、本来は、軍事力を背景にした平和ではなく、人権や福祉が保障された状態を志向する立場をいう(「消極的平和」とは戦争や紛争のない状態をいう)。住民福祉教育は、そうした本来の意味での積極的平和主義に依拠した、住民による主体的・自律的な地域・社会づくりをめざすものである。それが真に豊かな国づくりにつながる。住民福祉教育(「市民福祉教育」)の探究を図るに際して常に、強く留意すべき点である。重ねて強調しておきたい。

注
(1) 日本社会福祉学会と日本社会事業学校連盟のあゆみについては、次の文献を参照されたい。
日本社会福祉学会編『社会福祉学研究の50年―日本社会福祉学会のあゆみ―』ミネルヴァ書房、2004年10月。
一番ヶ瀬康子/大友信勝 日本社会事業学校連盟編『戦後社会福祉教育の五十年』ミネルヴァ書房、1998年11月。
(2) 日本社会事業学校連盟は、2003年12月3日付けで、文部科学大臣より「社団法人日本社会福祉教育学校連盟」として設置認可された。それに先立つ同年9月21日に、新潟コンベンションセンター:朱鷺メッセ(新潟市)で「社団法人日本社会福祉教育学校連盟設立総会」が開催され、「設立趣意書」のなかで次のように述べられた。「任意団体日本社会事業学校連盟を発展解消し、新たな加盟校の責務と自律と自助努力をもって、まず小・中・高等学校における福祉教育や一般市民を対象とする生涯教育における社会福祉教育の啓蒙・普及への貢献が必要とされる」。それを受けて、2004年度以降、「社会福祉専門教育委員会」(委員長・米本秀仁)の「小委員会」として新たに設置された「小中高教育部会」(部会長・田村真広)を中心に、「学校教育・生涯教育等における社会福祉教育の啓発・普及活動」(「定款」第4条第1項第1号)が展開されることになる。

住民主体の内発的なまちづくりとコミュニティデザイン―持続可能な地域再生と住民の主体形成―

筆者(阪野)はこれまで、多くの地域で、いろいろな人たちとの「幸運な偶然」(山崎亮『まちの幸福論』119~122ページ。注(1))を手にすることができた。先月アップした拙稿「住民主導の『地域づくり』と『教育づくり』の可能性―資料紹介―」(2015年3月5日投稿)では、「地方消滅論」などをめぐって論述し、私事ながら実践的研究に求められる「善意と誠意」について“付記”した。後日、その一環として、山崎亮の本を読み返すことにした。以下がそれである。

(1) 山崎亮『コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる―』学芸出版社、2011年5月。(以下、「1」と略す。)
(2) 山崎亮+NHK「東北発☆未来塾」制作班『まちの幸福論―コミュニティデザインから考える―』NHK出版、2012年5月。(以下、「2」と略す。)
(3) 山崎亮『コミュニティデザインの時代―自分たちで「まち」をつくる―』中央公論新社(中公新書)2012年9月。(以下、「3」と略す。)

周知の通り、山崎は、「日本でただひとりのコミュニティデザイナー」「地方再生の救世主」などと紹介されることもあるという、斯界の第一人者である。山崎によると、コミュニティデザイナーとは、「モノをつくらないデザイナー」「地域の課題を、地域の人たちが解決するための場をつくるデザイナー」(「2」9、16、122ページ)である。また、「コミュニティデザイナーは『救世主』ではない。この仕事は〝主〟になってはならない仕事だ。まちづくりの主体となるのは、その地域で暮らす住人である。(コミュニティデザイナー:筆者)がリーダーシップを発揮して、『みなさんでこういうまちをつくりましょう』と言ってしまったら、住民主体のまちづくりはできなくなる」(「2」122ページ)。要するに、住民主体の内発的な「まちづくり」すなわち「コミュニティデザイン」を進めるために、人と人を結びつけ、その関係性を深める“しくみ”を「デザイン」(注(2))することが、コミュニティデザイナーの仕事である。その際、上記の前稿との関連でいえば、「地方消滅」をただ不安がり嘆(なげ)くのではなく、いわゆる「活動する市民」(注(3))を如何に確保・育成するかのプロセスをデザインすることが肝要となる。山崎は次のよういう。

社会の課題を解決するためのデザインについて考えるとき、2つのアプローチがあるような気がする。ひとつは直接課題にアプローチする方法。困っていることをモノのデザインで解決しようとする方法である。(中略)
一方、課題を解決するためにコミュニティの力を高めるようなデザインを提供するというアプローチもある。(中略)
コミュニティデザインに携わる場合、後者のアプローチを取ることが多い。コミュニティの力を高めるためのデザインはどうあるべきか。無理なく人々が協働する機会をどう生み出すべきか。地域の人間関係を観察し、地域資源を見つけ出し、課題の構成を読み取り、何をどう組み合わせれば地域に住む人たち自身が課題を乗り越えるような力を発揮するようになるのか、それをどう持続させていけばいいのかを考える。(「1」246~247ページ)

コミュニティデザイナーは、コミュニティデザインという方法によって、そのまちに暮らす住民自らがまちの現状を把握し、問題を理解し、課題を解決していくプロセスをデザインする、地域支援(まちづくり支援)の専門家である。その方法は、山崎によると、基本的には次の4段階によって進められる。

第1段階:ヒアリング
ヒアリングの内容は大きく分けて、「どんな活動をしているのか」「その活動で困っていることは何か」「ほかに興味深い活動をしている人がいたら紹介してくれないか」の3点である。
地域の情報を調べ、人の話を聴き、地域の人間関係を把握し、現地を歩いて回るうちに、その地域でどんなことをすればいいのかが少しずつ見えてくる。
第2段階:ワークショップ
地域の特徴や課題を整理、共有し、取り組んでみたいプロジェクトやその実現の方法などについて話し合う。
その手法は、ブレーンストーミング、KJ法、ワールドカフェ(カフェのようなリラックスした空間で次々とテーブル=カフェを移動しながら、違う人とミーティングを重ねる手法)など、話し合う内容や集まったメンバーによって決める。
第3段階:チームビルディング
アイデアが出そろった段階で、「誰がどのプロジェクトを担当するのか」を決めることになる。その際、自分が取り組みたいプロジェクトを選んでもらいつつ、メンバーの調整を行いながら、担当チームをつくる。
チームごとに構成員の役割を決めて、本人たちが協力してプロジェクトが進められる体制を構築する(チームビルディング)。
第4段階:活動支援
できあがったチームの活動(特に初動期の活動)を支援する。チームが活動を進めるために相談に乗ったり、情報提供を行ったり、必要なスキルを得る機会を設けたりなどする。
初動期のサポートは、チームの活動内容を見ながら徐々に減らしていく。自分たちだけで活動できるようになるのが最終目標なので、チームにできることが増えたらコミュニティデザイナーは手伝いを減らす。(「3」180~195ページから抜き書き)

まちづくりには、地域の特性や課題に応じたクリエイティブな思考やオリジナルなアイデア、斬新なセンスなどが求められる。そこから、コミュニティデザイナーには、それらを生み出す知識や情報(事例)、態度や行動、そしてアイデアを“かたち”にしブラッシュアップする(磨き上げる)技能(スキル)などが必要となる。また、個々の住民(個人的実践主体)の主体形成のみならず、それを集団的実践主体や運動主体へと育成・向上させるためのメソッド(手法、やりかた)を身につけることも肝要となる。
なお、山崎においては、アメリカの心理学者ダニエル・ゴールマン(Daniel Goleman)の「社会的知性」(SQ:Social Intelligence Quotient)に関する所説を引用し、コミュニティデザイナーには次のような能力が求められることになる。(1) “読み取り能力”(「社会的意識」:ゴールマン)、すなわち「他人の感情を読み取る能力」「人の話をしっかり聴く能力」「相手の意図や思考を理解する能力」「社会のしくみを知る能力」の4つの能力と、(2) “そのうえでどう行動するか”という能力(「社会的才覚」:ゴールマン)、すなわち「相手と同調する能力」「自分の意図を効果的に説明する能力」「他者に影響を与える能力」「人々の関心に応じて行動する能力」の4つの能力がそれである(「3」219~220ページ。ダニエル・ゴールマン 土屋京子訳『SQ 生きかたの知能指数―ほんとうの「頭の良さ」とは何か』日本経済新聞出版社、2007年1月、130~158ページ)。
いずれにしろ、まちづくりには、「まちの人たちが主体となれる方法論で(地域の:筆者)課題を解決していける人材」、つまり「ファシリテーター」が必要となる(「2」154ページ)。周知の通り、全国には、2009年度から実施されている国(総務省)の「集落支援員」や「地域おこし協力隊」の事業などを活用し、地域の課題解決やまちづくりに取り組む人材を積極的に導入している地方自治体がある。2014年度における(専任)集落支援員は221団体(5府県216市町村)、858人(自治会長などとの兼務の(兼任)集落支援員は3,850人)、地域おこし協力隊員は444団体(7府県437市町村)、1,511人を数える。その数は増加傾向にあるが、決して多くはない。また、受け入れ態勢の不備や地域(地元)住民との意識のズレなどによって、その制度が十分に機能しているとはいえない。
まちづくりのソフト事業である人材育成は、何よりも地域が取り組むべき課題である。そこでは、まちづくりをファシリテート(支援、促進)する人材の確保・育成とともに、「活動する市民」や一般住民へのまちづくに関する意識啓発・教育が必要かつ重要となる。 2014年度に東北芸術工科大学(山形市)に日本で最初の「コミュニティデザイン学科」(学科長・山崎亮)が開設された。学科の合言葉は、「ふるさとを元気にするデザインを学ぼう!」であるという。コミュニティデザイン(まちづくり)の本格的な人材育成は始まったばかりである。

例によって唐突であるが、フランスの経済学者トマ・ピケティ(Thomas Piketty)の『21世紀の資本』(山形浩生・他訳、みすず書房、2014年12月)がベストセラーになっている。そこでの言説のひとつは、先進国では経済的格差が拡大し、固定化する傾向にある。その原因は保有する資産の多寡にある。資産家は投資によってさらに資産を増やし、その一方で低所得者は、賃金が上がらない限り資産形成を行うことができない、というものである。同じような言い回しをすれば、地域では生活環境の格差が拡大し、固定化する傾向にある。その原因のひとつは、住民主体のまちづくり(コミュニティデザイン)とその啓発・教育の事業・活動の実施度にある。住民主体のまちづくりが活発な地域は、その実態(実情)や特性を活かした新たなまちづくりを推し進める。その取り組みが低調な地域では、地域の課題を発見し、それを解決するための「人のつながり」(山崎)が広がらない。筆者が本稿でいいたいことのひとつはここにある。それは、市民福祉教育に通底するものでもある。

注 (1) 「幸運な偶然」について、山崎は次のように述べている。「『偶然』と『幸運』はイコールではない。偶然を一時的な出来事で終わらせてしまうか、それとも自分の人生を豊かにする幸運に変えられるかは、本人次第である。(中略)偶然を幸運に導いてくれるのが、(肯定から入る:筆者)〝Yes,and〟のコミュニケーションでもある。(中略)『幸運』は天から与えられるものではなく、人が自分の意志で見つけていくもの」である(「2」121~122ページ)。「まちづくりで最も重要なことはコミュニケーション能力である」(「1」91ページ)。留意しておきたい言説である。
(2) 山崎にあっては、「デザイン」とは「社会的な課題を解決するために振りかざす美的な力」である。すなわち、多くの人たちに関係している課題を見つけ、それをたくさんの人が共感するような“美しい方法”で解決しようとする行為をいう(「3」233ページ)。
(3) 「活動する市民」とは、まちづくりについて主体的・自律的・能動的な態度・行動を有する住民をいう。拙稿「ソーシャル・キャピタルと市民福祉教育」(2012年8月21日投稿)などを参照されたい。

補遺
山崎は、「コミュニティデザインとまちづくりは同じではない。(中略)横文字を組み合わせたコミュニティデザインよりはまちづくりのほうが理解してもらいやすい。(中略)まちづくりという言葉は馴染みがあるのだろう。それならそれでいい」(「3」213~214ページ)としながら、次のように述べている。

(地域のさまざまな:筆者)人の集まりが力を合わせて目の前の課題を乗り越え、さらに多くの仲間を増やしながら活動を展開することを支援するのが(中略)コミュニティデザインである。これは、コミュニティの力を増幅させるという意味で「コミュニティエンパワメント」や「コミュニティオーガニゼーション」と呼ばれる手法に近いのかもしれない。あるいは、社会福祉の分野でいわれる「コミュニティワーク」や、開発途上国支援の分野でいわれる「コミュニティディベロップメント」に近い方法なのかもしれない。いずれも「つくることを前提としないコミュニティづくり」であるから、今後はこうした分野の知見を活かしながら、コミュニティデザインの実践を続けたいと思う。(「3」123ページ)

前述の「コミュニティデザイン学科」の創設は、コミュニティデザインという学問領域の成立を前提にする。実践の単なる積み重ねによる実践知だけでなく、学問としての体系化を図るためには、先ずはコミュニティデザインの精緻な概念整理や「コミュニティの力」の構成要素の分析・考察、そしてコミュニティエンパワメント等との関連性の検討などが求められよう。
なお、筆者は、取り敢えず本稿ではまちづくりとコミュニティデザインをほぼ同義に捉え、記述している。

住民主導の「地域づくり」と「教育づくり」の可能性―資料紹介―

2015年3月、2013年7月からの検討・協議を踏まえて、「豊田市地域福祉計画・地域福祉活動計画」が策定・答申された。その計画策定は、地域福祉計画(行政計画)と地域福祉活動計画(民間計画)を一体的に策定したことや、社会福祉協議会による参加型の住民懇談会を福祉教育の視点から周到かつ丁寧に、累計で61回開催したことなどを特徴とする。計画内容に関しては、27中学校区で開催された懇談会での住民の意見や意向を、各地区ごとに見開き2ページに整理したことが特筆される。「地区の概況」、「地区の現状・課題(地区の自慢できるところ、地区の困りごと)」、「みんなでつくる将来のOO地区」(キャッチフレーズ)、「私たちにできること・していきたいこと」がその項目である。
策定委員会の末席を汚した筆者(阪野)は、住民参加のプログラムである住民懇談会に、福祉教育実践のひとつとして企画立案から実施まで積極的に関わった。とりわけ豊田市に編入合併した農山村地区での懇談会では、「地域づくり」に関する新たな気づきと深い学びを得ることができた。また、住民の地域(集落)に対する熱い思いや、農山村における「地域活性化」「地域再生」への力強さを痛感した。集落は「どっこい生きている」(後述の小田切)のである。
本稿は、住民懇談会への参加を機に併読した“農山村における地域づくり”に関する本(言説)の一部を紹介し、それに若干のコメントを付したものである。そのねらいは、農山村の現実を知り、地域づくりのあり方や可能性について考えることにある。

藻谷浩介・NHK広島取材班『里山資本主義―日本経済は「安心の原理」で動く―』KADOKAWA(角川oneテーマ21)、2013年7月
里山資本主義は、経済的な意味合いでも、「地域」が復権しようとする時代の象徴と言ってもいい。大都市につながれ、吸い取られる対象としての「地域」と決別し、地域内で完結できるものは完結させようという運動が、里山資本主義なのである。
ここで注意すべきなのは、自己完結型の経済だからといって、排他的になることではない点だ。むしろ、「開かれた地域主義」こそ、里山資本主義なのである。(102ページ)

「里山資本主義」とは、お金の循環がすべてを決するという前提で構築された「マネー資本主義」の経済システムの横に、こっそりと、お金に依存しないサブシステムを再構築しておこうという考え方だ。お金が乏しくなっても水と食料と燃料が手に入り続ける仕組み、いわば安心安全のネットワークを、予(あらかじ)め用意しておこうという実践だ。(121ページ)

里山資本主義は、マネー資本主義の評価指標、たとえばGDPや経済成長率を、必ずしも大きくするものではない。それどころかまじめに追求していくと、これらの指標を縮小させる可能性もある。しかしそれは、「(自然や人間関係などの:筆者)簿外資産の活用による金銭換算できない活動が、見えないところで盛んになって、お金に換算できない幸せを増やす。ついでに、お金で回る経済システム全体の安定性も見えないところで高まっている」という話にほかならない。(122ページ)

本書は、里山の環境資源を活かした地域循環型の経済を再生し、金銭換算できない価値や真の「豊かな暮らし」を生み出す里山資本主義の実践事例の紹介を通して、その意義について説いている。それは、マネー資本主義に対して、「ささやかな異議を唱える」(308ページ)ものである。
里山資本主義とは、「身近に眠る資源を活(い)かし、お金もなるべく地域の中でまわして、地域を豊かにしようとする」(181ページ)“地産地消”の実践である。そこでは、地域(里山)における雇用の安定と経済の正・好循環、そして生活の向上などが期待される。それはまた、マネー資本主義のリスクや歪みに対処できる、あるいは補完する「バックアップシステム」や「究極の保険」、「最大で最後の対抗手段」(282~284ページ)でもある。その点において、里山資本主義は、マネー資本主義の対極に位置し、今日のグローバル経済とは違うベクトルを示しており、衆目の関心を引く造語であり言説であるといえる。
農山村は、多かれ少なかれ保守的特質を有し、閉鎖性や排他性を残している。そうした地域で里山資本主義の普及や活用を図るためには、地域の自然や歴史、文化などとのつながりをもちつつ、その実践や運動に取り組む高い意欲と能力を備えた“人”をいかに確保・育成するかが問われることになる。また、藻谷らの主張や議論の根拠となる「成功事例」の汎化性(generalization)や持続可能性(sustainability)をいかに確保するかも大きな課題である、といえよう。

増田寛也編著『地方消滅―東京一極集中が招く人口急減―』中央公論新社(中公新書)、2014年8月
推計によると、2010年から40年までの間に「20~39歳の女性人口」が5割以下に減少する市区町村数は、現在の推計に比べ大幅に増加し、896自治体、全体の49.8%にものぼる結果となった。実に自治体の約5割は、このままいくと将来急激な人口減少に遭遇するのである。本書では、これら896の自治体を「消滅可能性都市」とした。(29ページ)

東京圏をはじめとする大都市圏に日本全体の人口が吸い寄せられ、地方が消滅していくかのようである。その結果現れるのは、大都市圏という限られた地域に人々が凝集(ぎょうしゅう)し、高密度の中で生活している社会である。これを我々は「極点社会」と名づけた。(32ページ)

日本の人口減少には、人口の社会移動が大きく影響している。少子化対策の視点からも、地方から若者が大都市へ流出する「人の流れ」を変えることが必要なのである。
そのためには、地方において人口流出を食い止める「ダム機能」を構築し直さなければならない。同時に、いったん大都市に出た若者を地方に「呼び戻す、呼び込む」機能の強化も図る必要がある。地方の持続可能性は、「若者にとって魅力のある地域かどうか」にかかっているといえよう。すなわち、「若者に魅力のある地方中核都市」を軸とした「新たな集積構造」の構築が目指すべき基本方向となる。(47~48ページ)

地方における当面の人口減少は避けられない。この厳しい条件下で限られた地域資源の再配置や地域間の機能分担と連携を進めていくことが重要となる。このためには、「選択と集中」の考え方を徹底し、人口減少という現実に即して最も有効な対象に投資と施策を集中することが必要となる。(48ページ)

本書は、日本創成会議・人口減少問題検討分科会(座長・増田寛也)が2014年5月に発表した「成長を続ける21世紀のために『ストップ少子化・地方元気戦略』」と題する報告を基に、雑誌『中央公論』(中央公論新社)に掲載された論文を加筆・整理し、また「対話」を所収して再構成したものである。
周知のように、『中央公論』2013年12月号にはじまる一連の論文・報告(いわゆる「増田レポート」)で、「極点社会」や「消滅可能性都市」という衝撃的な言葉が使われた。それがマスコミ等によってセンセーショナルに報道されたことも加わって、消滅すると予測された地方自治体のみならず、地元住民の不安や危機感を煽り、怒りをかい、諦め感さえも募らせている。
その言葉以上に注目されるべきは、地方中核都市に人口や「投資と施策」を集中させるという、「選択と集中」の論理である。それは、国の人口政策や地域政策、その底流に流れる経済成長戦略の論理であり、農山村や過疎地域の切り捨てに帰結する。言い換えれば、「東京一極集中」の地方分散化(「ミニ東京化」)であり、地方創生すなわち「地方切り捨て」を手段とした持続可能な経済成長の達成である。そこには、真の「地方元気戦略」に求められる、地方自治体における「住民主権と住民自治」の論理がない、といわざるを得ない。ここに、「増田レポート」の本質的な限界や欠陥を見出すことになる。地域の維持・再生は、そこに生活する住民自身が行政や政治家、専門家などと“共働”しながら、問題を認識・理解し、課題解決に取り組むことから始まる。強く留意すべきところである。

山下祐介『地方消滅の罠―「増田レポート」と人口減少社会の正体―』筑摩書房(ちくま新書)、2014年12月
「選択と集中」は、地方・地域を巻き込んで、日本をもっと大きな変革へと待ち込もうというもののようだ。それは、カネのためなら、この国がもっと豊かになるためなら、地道な地域づくりの努力などどうなったってかまわない、グローバルな競争の中でこの国が優位に立つためなら、地域など消し飛んでも仕方がない、いや場合によってはそのほうが好都合だ――そういう意識を含んでいるように見える。(85~86ページ)

「選択と集中」に対し、私たちは「多様性の共生」を対抗理念として掲げることができる。「選択」には「画一性」への要請が潜むがゆえに「多様性」が対置され、また「集中」は「分散」と対比されるが、多様性は単なる分散ではなく、より積極的な「共生」を含意する。
加えてまた、「選択と集中」は国民の「依存」を孕み、これに対して「多様性の共生」は「自立」を基調とする。また「依存」する者をすべて包摂できない以上、「選択と集中」は「依存してよい者」と「依存させない者」との差別を生み、それゆえ「排除」をもたらす。これに対し、「多様性の共生」は「支え合い(相互依存)」を基調とすることで、多様なものの「包摂」を目指すものである。(156ページ)

人口減少・地方衰退の悪循環を断ち切り、地方が自立し、人口維持へと向かう正循環に流れを押し戻せるような具体的な方法をはっきりと示す必要がある。
こうした正循環への転換を現実に予兆するものとして、「人口回帰」現象が持ち出されることが多い。
増田レポートの人口ダム論には、回帰をとらえる視角がない。これは重大な論理的欠陥なのである。
正循環の実現を正確にとらえるためにも、回帰現象は検証されなければならない。(最近の:筆者)回帰論への注目と主張には、十分に傾聴すべきものがあると考えねばならない。(191、196~197ページから抜き書き)

本書は、上記の「増田レポート」を鋭く批判する書であるが、「単なる批判書」(24ページ)にとどまるものではない。例えば、「選択と集中」の論理に対しては、「自立と自治」を対抗軸として位置づけ、「多様性の共生」の論理を展開する。そこでは、「選択と集中」の論理や提言の欺瞞性や危険性を丁寧に解き明かし、地域を維持・再生するための道筋を提示している。
山下にあっては、人口の減少・偏在や地域消滅の問題を解決するためには、先ずは下からの住民参加と共同(協同・協働)、究極的には「自治」の実現が不可欠となる。とともに、上(国や地方自治体)からも歩み寄って、国民や住民と協同するための態勢づくり(「上下の協働」)を進めることが必要となる(162、168ページ)。
そして、山下は、具体的に、「問題解決型モデル事業」の展開を提案する。その事業展開のプロセスは、小地域の住民が抱える問題が集落から市町村→都道府県→国・政府へと上がり、かつまた逆に、その問題への対応が国・政府から都道府県→市町村→集落へとつながる。こうした「最初の問題提起が、その解決までしっかりとフィードバックできるような仕組み」(173ページ)をつくることが肝要となる、という。ただ、その実現可能性は現実的には高いとはいえないが、自立した地域づくりを進めるためには少なくとも集落(地域)と市町村、さらには都道府県の各レベルでの相互補完的な「上下の協働」が求められる。当面は、上下の総参加による課題解決へ向けた熟議の場(管見の限りでは、共働プラットホームとしての「市民活動センター」)の設置が問われよう。
なお、山下は、「ふるさと回帰」「田園回帰」や「地元志向」が注目されるなかで、地方再生のひとつのアイディアとして「二重住民登録制度」(住民票の二重登録)について提案・言及する。付記しておく。

小田切徳美『農山村は消滅しない』岩波書店(岩波新書)、2014年12月
農山村では、①人、②土地、③むら(集落)の3つの空洞化が進んでいる。①は、人口の流出・減少と高齢化である。②は、農業の担い手不足による農地の荒廃化、賃貸化、耕作放棄地化である。③は、社会的共同生活を維持する機能の低下・停滞化である。
農山村では、3つの空洞化が段階的に、そして折り重なるように進んでいる。
これらはいずれも現象面での空洞化であり、実はその深奥で本質的な空洞化、すなわち地域住民がそこに住み続ける意味や誇りを見失いつつある、「誇りの空洞化」が進んでいる。(16~23、41~42ページの要約)

地域づくりの本質的要素は、「内発性」「総合性・多様性」「革新性」の3つである。農山村における地域づくりには、この3つの要素に対応した支援策が求められる。
「内発性」については、地域住民が当事者意識を持つことを支援することである。
「総合性・多様性」については、経済面だけでなく福祉、環境、教育などにまで至る総合的支援と、地域の実情を踏まえた多様性に富んだ支援である。
「革新性」については、従来とは異なる新たな地域運営のシステムをつくる必要性が生じることから、長期(複数年)にわたる支援である。(52~55、136~138ページの要約)

都市部から農山村への移住者は着実に増加している。移住にはいくつものハードルがあり、特に大きなポイントは、「仕事」「住宅」「コミュニティ」である。近年は、この「問題」自体に変化が表れ始めている。
「仕事」については、それをめぐる問題の位相とその解決手段が、変化してきている。一見すれば、細切れでまとまった仕事にならないものを仕事の一部として捉えるような、「ナリワイ」(伊藤洋志)という働き方を支持する者もいる。
「住宅」については、特に空き家をめぐる問題が重要性を増している。
「コミュニティ」については、農山村の地域社会の閉鎖性に対する都市住民の違和感やそれによる参入障壁を、どう緩和していけるかが焦点となっている。(207~211ページから抜き書き)

本書は、上述の「増田レポート」に対するアンチテーゼを示したものである。農山村の「歩き屋」を自称する小田切は、足で集めた各地の事例を分析し、データを読み解き、農山村の“事実”を実証的かつ論理的に解明する。そして、政治的な「地方消滅(切り捨て)論」や「農村(地方)たたみ論」に対抗し、農山村における地域づくりは困難ななかでも進化・前進し確実に広がっているとして、その動きの支援策の必要性と重要性を説く。そこには、「都市・農村共生社会」の論理と展望がある。
また、小田切は、地域を動かすためには、「住民が単に当事者意識を持つだけではなく、さらに『誇りの再建』へ向けた意識を持つ必要がある」(72ページ)として、「地域づくりワークショップ」(地元学)と総称される活動に言及する。それは次のような手順で進められることが多い、という。すなわち、「①地域点検とその地図による「見える」化→②課題の整理と共有化→③地域の将来像の確立→④地域内での中間報告会の開催→⑤目標・プランの決定→⑥活動のスケジュールの決定→⑦実践」、という過程がそれである(74ページ)。首肯し得る重要な論点であり、言説である。
小田切は、「一部で集落の『限界化』は進んでいるものの、農山村集落は基本的に将来に向かって存在しようとする力が働いている」(31ページ)。農山村集落は「強くて、弱い」という矛盾的統合体であるが、基本的には強靭で、強い持続性をもっている(40~42ページ)、と言い切る。熱い思いをもって積極的に現場を歩き回り、実証的な農業・農村政策研究を続ける小田切の言辞は重い。

“まちづくりは人づくり、人づくりは教育づくり”。これは、もはや新味はないが、筆者が市民福祉教育に関して言い続けているフレーズである。まちづくりは、基本的には、国や自治体主導の上からのそれではなく、地域(地元)や住民主導の下からの主体的・自律的な実践であり運動でなければならない。そこでは、ガバナンス(governance、共治)や共働(coaction、コーアクション)についての考え方に留意しながら、地域(地元)でまちづくりの担い手をいかに確保・育成するか、住民の暮らしや生き方をめぐる価値観をいかに構築するか、などが問われる。それは、言い換えれば、人づくりすなわち教育づくりを問うものであり、教育づくりは持続可能な地域・社会を形成していくうえで最優先の事柄である、ということである。
とはいえ、まちづくりへの住民参加は必ずしも活発であるとはいえないのもひとつの現実である。それは、(1)労働を重視するあまり、社会貢献活動を軽視しがちな意識があること(例えば、「仕事が忙しく、地域活動やボランティア活動に参加する時間や暇がない」という意識があること)、(2)住民の自治意識が低く、行政依存体質が強いこと、(3)地縁・血縁によるタテ型の人間関係が残っていること(例えば、「昔からこの地域を取り仕切っているあの家の人に任せておけばいい」という姿勢があること)、(4)住民が討議に慣れていないため、合意形成が難しいこと、(5)まちづくりには制度や技法についての専門的な知識を必要とすること、(6)参加住民の思いや行動の正統性が保証されるとは限らないこと(例えば、「一部の住民が好きで、勝手にやっている」という評価やクレームがつくこと)、などによる。これらは、まちづくりすなわち教育づくりの課題でもある。
地域づくりを論考する上述の4冊では、山下が「総合学習等の導入で、地域に関わる教育を熱心に行った効果もある」(206ページ)、小田切が「公民館活動が地域づくりの母体となるケースが少なくない」(73ページ)と指摘するのみで、教育づくりについての言及は皆無に等しい。4冊が共通してもつ限界のひとつである。
教育は国家百年の大計であるといわれる。教育の重要性と長期的視点やビジョンの必要性を説いたものであろう。地域づくり、そのための教育づくりも、地域(地元)百年の大計である。地域・住民による、地域・住民のための教育づくりは、「時間の余裕は多くない」(小田切)なかで、果敢に取り組むべき喫緊の課題である。経済的格差の拡大や政治の右傾化などをはじめ日本社会が構造的に大きく変容する今日、この点の認識を欠いた地域づくりはその方向性や内容を危ういものにする。強調しておきたい。

本稿の最初に述べた「豊田市地域福祉計画・地域福祉活動計画」では、「重点取組」のひとつとして、地域課題を解決するための、住民や地域が主体となった「住民懇談会の開催」、地域福祉活動の担い手を育成する、子どもから大人までを対象にした「住民福祉教育の推進」、それに地域福祉推進のための専門的な人材である「地域福祉コーディネーター(仮称)の設置検討」(地域拠点への配置)が明記された。少なくともこの3つの事業が確実に実施され、相互補完・相乗効果を発揮し得るよう推進されることによって、「安心して自分らしく生きられる支え合いのまちづくり」(計画の基本理念)が実現することを期待したい。

注
(1) 次の文献も参照されたい。
山下祐介『限界集落の真実―過疎の村は消えるか?―』筑摩書房(ちくま新書)、2012年1月。
小田切徳美編『農山村再生に挑む―理論から実践まで―』岩波書店、2013年8月。
(2) 2015年2月17日、東京の全国都市会館において「小規模多機能自治推進ネットワーク会議」の設立総会が開催された。それは島根県雲南市、三重県伊賀市、名張市、兵庫県朝来市の4市が呼びかけたものであり、43都道府県の142自治体が参加した。今後は、全国各地における住民自治の取り組みについて情報交換や調査・研究を進め、諸課題の解決に寄与するとともに、政府主導の「地方創生」に対して地域自らが必要な政策提言などを行うことになる。注目していきたい。
なお、このネットワーク会議の会則(第2条)は、「小規模多機能自治」について次のように定義づけている。「自治会、町内会、区などの基礎的コミュニティの範囲より広範囲の概ね小学校区などの範域において、その区域内に住み、又は活動する個人、地縁型・属性型・目的型などのあらゆる団体等により構成された地域共同体が、地域実情及び地域課題に応じて住民の福祉を増進するための取組を行うことをいう」。

付記
筆者が地域福祉計画・地域福祉活動計画の策定に関わったのは、1988年7月、東京都狛江市社会福祉協議会が設置した「狛江市ボランティア活動推進事業運営委員会」(委員長・大橋謙策)の末席を汚したことが最初である。爾来、福祉教育実践の視点・視座に留意しながら、各地の社会福祉協議会の事業・活動や計画づくりに参加してきた。それを通して気づき学んだことは実に多い。
筆者は、社会福祉協議会や地域と関わる場合、その要求や必要に真摯かつ丁寧に対応するよう心がけてきた(「善意」)。また、刺身の“つま”のような立ち位置は避け、現場の住民や専門家と継続的に「共働」することをめざしてきた。その際、実践仮説の検証と探索を行うとともに、社会福祉協議会や地域・住民が新たな地域課題に主体的・自律的に対応し得る仕組みづくりや力量向上をめざして、共に学び、共に考えてきた(「誠意」)。これらは、実践的研究に求められる「善意と誠意」の姿勢や態度であろうが、筆者のその取り組みの実際や成果については汗顔の至りである。

生きること・老いること・死ぬこと―デス・エデュケーションと市民福祉教育―

筆者(阪野)は、放送大学教養学部の学生(選科履修生)である。授業には放送授業と面接授業、それにインターネット配信によるオンライン授業の3通りがあるが、もっぱらオンライン授業を受講している。ただ、その態度は褒められたものではない。半日で5、6回分の授業を視聴したり、履修登録科目以外の人文系や自然系の科目や大学院授業科目も多く視聴している。その結果、気がつけば登録した2科目4単位が修得できず、2015年度継続入学の手続きを取ることになった。
先日、「死生学入門」の15回分を一気に聴取した。そのうち、8回目の井出訓(いで・さとし)先生による「老いと死」は、その目標にかなう授業であり、前期高齢者の筆者にとっては多少なりとも興味や関心を呼び起こすものであった。「老いとともに人は肉体的な衰えを自覚し、死に対する覚悟と準備を求められる。いっぽうで老いはエリクソンが指摘したとおり、発達の最終段階としての成熟と完成に至るプロセスであり、英知という肯定的な意味を獲得しうる段階でもある。こうした老年期を生きる人々が、目の前に迫る死とどのように向き合い、何を想い、いかなる最期を迎えているのか。超高齢社会を迎えた日本社会における老いの現状をふまえつつ、老いという生の成熟と、死という生の完成について考えてみたい」というのがシラバスに記された授業内容である。
講義は、深沢七郎の『楢山節考』の一節の紹介から始まった。辰平が年老いた母おりんを背板に乗せて真冬の楢山へ捨てに行く。その帰り道、雪が舞い始める。辰平は、おりんの運の良さを告げ、「『おっかあ、ふんとに雪が降ったなァ』と叫び終ると脱兎のように駆けて山を降(くだ)った」という場面である。こうした姥捨て(棄老)は、村という社会の権力構造によって高齢者が排除され、村という社会を維持するために「弱者」を犠牲にするという“排除と差別”にほかならない。
日本は、本格的な超少子高齢・人口減少・多死社会を迎える。そういうなかで、「2025年問題」が声高に叫ばれている。「老人漂流社会“老後破産”」が深刻な状況になっている。要介護者や認知症高齢者などへの対応も後手に回っている。これらは、筆者自身の老いにかかわる問題である。またこれらから、姥捨ては形を変えて社会的・制度的に進行しており、それは伝説や小説の世界だけの風習ではない、と思えてならない。経済の効率性や生産性の回復・向上を図り、社会の一員としての社会的責任や社会貢献を果たすことが強く求められる今日の日本社会において、である。ここで、労働力の態様という観点から、高齢者を「衰退した労働力」と規定した一番ヶ瀬康子(いちばんがせ・やすこ)先生の所説を思い起こす。
授業の後半部分では、井出先生の師でありメンター(指導者)であった、看護学を専門とする中島紀恵子(なかじま・きえこ)先生へのインタビューが紹介された。中島先生の、「高齢当事者」(後期高齢者)の目線から語られる「老いと死」から多くを学んだ。中島先生の、「老いについては、死の側から生きるプロセスをみる、死から生命(いのち)を照らすという感覚がつきまとう。」「高齢者には悲哀をともなって世話になる覚悟が必要であり、依存することも自立のうちである」等々の話は意味深い。
そして、井出先生の「老いと死」のまとめは、次のようであった。「自分らしく老い、自分らしく死ぬとはどのように生き抜くことであるのか。それは、今まで自分が生きてきたように生き、そして老い、死んでいくことでしかない。」「『死生学』という視点から老いと死とを考える時、死とは何かという問いよりも、いかに老いという最後の時間を生き抜くかという、生の在り方に対する問いに軸足が置かれているべき」である、というのがそれである。
授業内容の詳細についてはひとまず置くとして、井出先生の授業による筆者の気づきや学びはおおむね以上のようなものである。ここで、宗教学者の山折哲雄(やまおり・てつお)先生の一文を想起する。

「戦後の日本の教育の主軸は、まず第一に生きる力を養うことでした。死をネガティブなものとして正面から向き合うことをしなくなってしまった。それは教育界のみならず、経済界・産業界もそうですし、宗教界までもがそうでした。気がついてみれば、生きる力一本槍で、二言目には共生、共生と言って、死という問題を真っ向から取り上げなくなった。
生きる力イデオロギーと共生大合唱の二本立てによって、いつのまにか日本人は死と向かい合う態度を忘れてしまったと言えるでしょう。
しかし冷静に考えれば、死を知ることで生の意味が本当に理解できるのであって、生きることばかり強調しても、そもそもそのこと自体に説得力がない。生きる力を磨きたいのであれば、死ぬことの意味も知っておかなければならない。」(『「始末」ということ』角川学芸出版、2011年、78ページ)

「きちんと『死』について教えない限り本当の『生きる力』は身につかないと思います。(中略)『共に生きる』という口当たりのよい言葉だけ掲げて、『共に死ぬ』ということはほとんど言わない。死んでいくときは『ひとり』、ということもあいまいになっている。(中略)すべての人間がひとりで死ぬ運命の中に投げ出されている。だから『共に死ぬ』ということになります。『共に死ぬ』すなわち『共死』とはそういう意味なのです。共に生きる者たちは当然共に死ぬ者でもある。」(『わたしが死について語るなら』ポプラ社、2010年、53~54ページ)

要するに、子どもの生活や意識、学校教育などにおいて、抽象的・理念的に「生」が語られ、「死」が遠ざけられてきた。死を見つめることによってこそ生の意味を知ることができる、というのであろう。加筆すれば、死のとらえ方には、自分自身の死(「一人称の死」)と、自分自身と関係性をもつ人の死(「二人称の死」)、そして関係性をもたない人の死(「三人称の死」)の3つがあるといわれる。死すなわち生について議論する際には、客観的で冷静な三人称の死だけでなく、むしろ一人称や二人称の視点が必要かつ重要となる。それによって、より確かな死生観や人生観の育成を図ることができるのである。
ところで、学校における福祉教育ではこれまで、高齢の疑似体験や高齢者への思いやり、そして「共に生きる」ということが強調されてきた。その際、老いについての理解を十全に行ってきたか。死そのものに向き合い、また向かい合ってきたかというと、“否”と答えざるを得ないのではないか。場合によっては、意図的に避けてきたといえなくもない。
そこで、例によって唐突の感は免れないが、本稿で筆者がいいたいのは、「デス・エデュケーション」(death education)の一環としての市民福祉教育の推進を図る必要がある、ということである。しかも、それは、子どもに対する教育営為にとどまらず、一般成人を対象にした福祉教育としての展開がより一層求められる。さらに、上述の中島先生の様にとはいわない(いかない)までも、老いと死について自分の思いや考えなどをその人らしく、その人なりに具体的に言語化できる高齢者の主体形成を図ることが肝要となる、ということである。それは、福祉教育の客体としての高齢者を解放し、高齢者をその主体に位置づけることを意味する。そこに、自立性と自律性、そして個性をもつ高齢者の姿を見出すことになる。
市民福祉教育は、デス・エデュケーションと連携していく間口と奥行きをもっている。

注
(1)石丸昌彦編著『死生学入門』放送大学教育振興会、2014年。
(2)一番ヶ瀬康子『社会福祉事業概論』誠信書房、1964年。
(3)「デス・エデュケーションは単なる『死についての教育』にとどまるものではなく、『死の準備教育』あるいは『死を見すえて日常の生を生きるための教育』である」(竹田純郎・森秀樹編『<死生学>入門』ナカニシヤ出版、1997年、197ページ)。

付記
日本の政治はいま、「戦争のできる国」づくりを進め、翼賛体制の構築を促している。戦争は犯罪であり、生きることと老いることを許さない死そのものである。こんなことに思いを致しながら本稿を草したことを、敢えて付記しておきたい。

神田均先生とやっちゃんの詩

神田均(かんだ ひとし)先生からまた、ご高著『福祉の細い道~八十路を歩みながら~』(2015年1月1日刊)のご恵贈を賜った。先生は、2014年、7回目の年男(うま年・84歳)を迎えられたという。ご高著の「まえがき」に次のような一節がある。

私は、主に20世紀を生きて来た、まさに「昭和の男」である。しかし私自身が社会人となると同時に、「福祉の道」に入ってから今日まで、「日本の福祉の歩み」を地方の片隅から、眺め続けてきた65年間でもあった。
今、日本社会は内外共に大変に多くの課題を抱えている。併し、あの戦後の混乱期を生き抜いて来た人間としては、真正面からそれらの課題に向き合って、前に進んで行くしかないと思う。
私自身に残された時間は少ないが、これからも人生の最後までボランティア精神を忘れずに、歩み続けて行きたいと思う。

先生は現在も、福祉人材養成の専門学校に出講したり、ボランティア団体の運営に関係されている。東日本大震災に際しては、自らボランティアとして現地に赴いておられる。ただただ頭が下がるばかりである。
神田先生の「生涯、ソーシャルワーカー」の生きざまをご高著から学ぶとき、15歳のやっちゃんの「ごめんなさいね おかあさん」(1975年4月)という詩に出会う。先生の「いのちの尊厳」や「いのちのつながり」の思想と実践、先生の「福祉教育の原点」を読み解くことになる詩である。以下に、転載・紹介することにする。余計なコメントは無用である。

9時
9時10分

及ばずながら福祉教育を追究し、また教師の端くれとして生きてきた筆者(阪野)にとって、やっちゃんの同級生が詩に託す「さとみは さびしい/だから 先生/もっと さとみと話して/だから 先生/もっと さとみと遊んで/だから 先生/もっと さとみをよく見て/やっちゃんが してくれたように」という思いや願いは、心に刺さる。同様に、神田先生の「八十路を歩みながら」今なお「生涯、ソーシャルワーカー」の現役のみずみずしさは、肺腑を衝く。

注
(1) 神田均先生に関しては、次の文献を参照されたい。
神田均・種石進「『100の知識より1つの体験』を大切にする」(対談)
『ふくしと教育』通巻11号、大学図書出版、2011年9月、38~41ページ。
神田均・武居敏「福祉に関わった宿命 生涯ソーシャルワーカーとして」(対談)
『月刊福祉』2013年5月号、全国社会福祉協議会、2013年5月、52~57ページ。
(2) やっちゃんの詩に関しては、次の文献を参照されたい。
向野幾世『お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい』サンケイ出版、1978年12月。
向野幾世『お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい』(必読名作シリーズ)旺文社、1988年3月。
向野幾世『お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい』(改訂版)産経新聞ニュースサービス/扶桑社、2002年6月。
(3) 「やっちゃんの同級生」の詩の「まんまんさん」は「神様、仏様の幼児語」である。