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“いつか来た道”を憂う―「戦時厚生事業」の再考を求めて―

憂うべき事態が進行している。例えば、(1)2004年6月に成立し、同年9月に施行された「国民保護法」(「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」)の規定により、「有事」の際にボランティア活動等が「国民の協力等」の一環として奨励されていること。(2)2013年12月に成立、公布された「特定秘密保護法」(「特定秘密の保護に関する法律」)の規定により、「情報は民主主義の通貨である」(アメリカの社会運動家:ラルフ・ネーダー)、「情報公開がないと民主主義は成立しない」などといわれるなかで、国民の「知る権利」が著しく侵害されかねないこと。そして(3)2014年3月に文部科学大臣が直接、沖縄県の「教科用図書八重山採択地区協議会」(石垣市、竹富町、与那国町)が選定した育鵬社版の中学校公民教科書を採択していない竹富町教育委員会に対して、地方自治法(第245号の5第4項)に基づく「是正の要求」を出したこと、などがそれである。
(1)の国民保護法は、戦後初の「国民保護」と銘打った有事法制である。それは、一瞥する限り、武力攻撃や大規模テロなどの有事を前提にした「国民の保護」のための措置等について規定したものである。しかしその内実は、名称とは裏腹に、「国家の安全」の確保が優先され、また有事における国民の「協力」という名の「動員」や基本的人権の制限あるいは侵害が行われる危険性がある。「自主防災組織及びボランティア」の取り組みを前提とした「国民保護計画」が、既に全ての都道府県やほとんどの市町村で策定されていることを考えると、「国民の自発的な意思にゆだねられる」とされている「協力」が「強制」されることは火を見るより明らかである。「ボランティア」については、その官製的な活動の振興が図られることになり、ボランティアの基本的性格である自主性や主体性が無視あるいは否定されることになる。以下は、国民保護法第4条の規定である。

(国民の協力等)
第4条  国民は、この法律の規定により国民の保護のための措置の実施に関し協力を要請されたときは、必要な協力をするよう努めるものとする。
2  前項の協力は国民の自発的な意思にゆだねられるものであって、その要請に当たって強制にわたることがあってはならない。
3  国及び地方公共団体は、自主防災組織(災害対策基本法 (昭和三十六年法律第二百二十三号)第二条の二第二号 の自主防災組織をいう。以下同じ。)及びボランティアにより行われる国民の保護のための措置に資するための自発的な活動に対し、必要な支援を行うよう努めなければならない。

(2)の特定秘密保護法は、戦後初の包括的な秘密保全法制である。それは、主として次のような条項によって構成・規定されている。①行政機関の長(大臣や官僚など)は、「その漏えいが我が国の安全保障に著しい支障を与えるおそれがあるため、特に秘匿することが必要であるもの」(第3条)を「特定秘密」として指定する。②行政機関の長は、「特定秘密」を扱うことが想定される行政機関の職員や行政機関との契約事業者(民間人)に対して、家族の状況や犯罪・懲戒歴、精神疾患、飲酒についての節度などについて「適正評価」(セキュリティ・クリアランス)を実施する。それは、「その者が特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないことについての評価」(第12条)をいう。③「特定秘密の取扱いの業務に従事する者がその業務により知得した特定秘密を漏らしたとき」(第23条)は、厳しい懲役および罰金に処する、ことなどがそれである。
その内容については、日本弁護士連合会(『秘密保護法とは何か?~その危険性と問題点~』2014年3月)をはじめ多くの機関や団体などによってさまざまな問題点が指摘されている。①特定秘密の範囲が不明確で曖昧であり、過度に広範囲に及んでいる。②国民のプライバシーが侵害され、広範囲の個人情報が収集・管理されかねない。③処罰の範囲が広いために取材・報道の自由が阻害され、国民の「知る権利」が侵害される恐れがある、などがそれである。これらを要すると、特定秘密保護法は国家権力による「監視社会化」(「管理社会化」)を進めるものである、といわざるを得ない。
(3)の文部科学大臣による市町村教育委員会(竹富町教育委員会)への初の教科書是正要求は、教科用図書八重山採択地区協議会が、石垣市の(保守系)首長や教育長の主導により、不透明で、不適切かつ強引な手法によって教科書の採択を答申したことを発端とする。
この是正要求は、元をただせば、「教科書無償措置法」(「義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律」)と「地方教育行政法」(「地方教育行政の組織及び運営に関する法律)」の二つの関連法における規定が矛盾していることによるものである。前者はその第13条第4項で、同じ採択地区内の市町村の教育委員会は、協議して同一の教科書を採択しなければならないと定めている。その一方で、後者はその第23条第1項第6号において、市町村の教育委員会に教科書の採択権があることを認めている。こうした法律の矛盾点が是正されず、これまで放置されてきたことに問題があることはいうまでもない。
周知の通り、「是正要求」は、法的には前述の地方自治法第245条の5第4項の要件を満たすことが求められる。「市町村の事務の処理が法令の規定に違反していると認める場合、又は著しく適正を欠き、かつ、明らかに公益を害していると認める場合において、緊急を要するときその他特に必要があると認めるとき」がそれである。竹富町においては、これらの事態は生じていない、といわれる。また、国の関与は、同法第245条の3第1項の規定に沿うものでなければならない。すなわち、「その目的を達成するために必要な最小限度のものとするとともに、普通地方公共団体の自主性及び自立性に配慮しなければならない」ことになっている。
いわれるように、民主主義教育を推進するためには、教育行政への政治的介入の排除、教育内容の中立性や公正性の確保、教育現場の自主性や自律性の尊重、教育における地方・住民自治と住民参加の保障、などが要請される。
以上の諸点を考え合わせると、今回の是正要求は、一面的な解釈と強権的な振る舞いに基づく、説得力に欠けるものであり、政府の違法行為である。竹富町教育委員会には何ら違法性はない、といえよう。
ここで、育鵬社の中学校公民教科書から、「平和主義」と「公共の福祉」に関する記述を紹介する。

「平和主義」
第二次世界大戦に敗れた日本は、連合国軍によって武装解除され、軍事占領されました。連合国軍は日本に非武装化を強く求め、その趣旨を日本国憲法にも反映させることを要求しました。
このため、国家として国際紛争を解決する手段としての戦争(侵略戦争)を放棄し、戦力を保持しないこと、国の交戦権を認めないことなどを憲法に定め、徹底した平和主義を基本原理とすることにしました。戦後日本が第二次世界大戦によるはかりしれない被害から出発したこともあり、この平和主義は国民にむかえ入れられました。(48ページ) 

「公共の福祉による制限」
憲法は、国民にさまざまな権利や自由を保障していますが、これは私たちに好き勝手なことをするのを許したものではありません。
憲法は、権利の主張、自由の追求が他人への迷惑や、過剰な私利私欲の追求に陥らないように、また社会の秩序を混乱させたり社会全体の利益をそこなわないように戒めています。
憲法に保障された権利と自由は、「国民の不断の努力」(12条)に支えられて行使されなくてはなりません。憲法では、国民はこれらの権利を濫用してはならず、「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任」があると定めています(12条)。(46~47ページ)

以上から、育鵬社版の中学校公民教科書では、「平和主義」について、連合国軍によって押し付けられたものであるといういわゆる「押し付け憲法論」に基づく記述になっているといえる。それは、国家主義的立場に立って、「一面的に過ぎる特異な見解のみを強調している」と指摘されるところでもある。また、「公共の福祉」に関しては、それによる人権の制限やルール・義務を強調した記述になっているといえる。この点に関して、例えば東京書籍版の中学校公民教科書では、次のように記述されている。「何が『公共の福祉』」にあたるのかを政府が一方的に判断して、人々の自由な人権の行使を制限することがあってはなりません。人権が『公共の福祉』によって制限されるといっても、その人権の制限が具体的にどのような公共の利益のためなのか、考えていく必要があります」(53ページ)。特定の歴史観や国家観に偏らないバランスのとれた記述であるといえよう。
このようなことから、育鵬社版の公民教科書は、教科書としての公正性や中立性、適格性に欠けるものであり、政治的手段のひとつとして作成された政治的教科書である。それはまた、教科書検定の公正性や信頼性を厳しく問うことにもなる、などといわざるを得ない(自由法曹団『法律家による「つくる会」系公民教科書(育鵬社・自由社)の検証』2011年、等参照)。
しかし、こうした内容の育鵬社版教科書の採択状況をみると、それは増加傾向にある。民間会社(株式会社学習)による「平成24年度教科書採択一覧表」(中学校:2012年度~2015年度)をみると、全国603の教科書採択地区のうち27地区(4.5%)で育鵬社版公民教科書が採択されている。占有率が最も高いのは東京書籍の323地区、53.6%である。ちなみに、その一覧表では、沖縄県八重山地区(石垣市・八重山郡)は「未決定」と表示されている。
いずれにしろ、文部科学省の竹富町教育委員会に対する教科書是正要求は、育鵬社版公民教科書の採択を強要するものである。国家権力による特定教科書の押しつけは、地域の多様性や学校現場の教師や子どもの自主性を無視したものである。とともに、戦前の国定教科書への回帰を促すものでもある。それは、戦後民主教育の形骸化と破壊に繋がる。育鵬社版公民教科書の採択率(シェア)が伸びていることに併せて、強く認識することが求められるところである。

憂うべき事態が進行している。それは、政府による国家主義的な政策の、強圧的な取り組みに見ることができ、日本国憲法の3大基本原理といわれる「国民主権」(民主主義)、「基本的人権の尊重」(人権保障)、「平和主義」(戦争放棄)の侵害や形骸化に繋がるものである。それについて、「国家主義の復権」や「戦前への回帰」と断ずることはひとまず置くとしても、福祉・教育関係者は大いに関心をもち、発言し、行動しなければならない事態である。

ところで、唐突ではあるが、以上の叙述は、今日的な「憂うべき事態」を「戦時厚生事業」との相関のなかで考えてみたいという筆者(阪野)の漠然としたひとつの思いに基づくものである。
筆者は、古川孝順の「研究者世代論」によると第3世代の最末期に属するのであろうが、当時の学部学生にとっての必読書の一冊は孝橋正一の『全訂・社会事業の基本問題』(ミネルヴァ書房、1962年)であった。周知の通り、孝橋は、マルクス主義(史的唯物論)に立って「社会事業」を資本主義国家による政策として捉えるいわゆる「孝橋理論」を形成し、当時の社会福祉研究を先導したひとりである。孝橋は、その著作のなかで、「世界恐慌・戦時態勢と社会事業」に関して次のように説述している。「1931年の満州事変、1937年の支那事変、そして1941年の第二次世界大戦への突入から敗戦までの過程において、‥‥‥社会事業はファッシズムの侍女として自分自身を位置づけていった。‥‥‥社会事業は厚生事業として、その活動のあらゆる領域で戦時生産力の拡充のために協力し、また戦時態勢と戦争のもたらす被害の後始末にまわった」(290~291ページ)。
社会事業は「ファッシズムの侍女」であり、「戦時態勢と戦争のもたらす被害の後始末にまわった」という孝橋の指摘は、小倉襄二の次のような叙述によって、より明確になる。「戦時厚生政策(戦時厚生事業:筆者)を解明するキイ・ワードは〈統制〉に在る。‥‥‥明治以降、マイナーで体制の日陰に位置を保持して恒に公的救助義務主義を回避しつづけた官治の権力の対極にあった救済―社会事業領域が日本ファシズム体制下の一連の〈統制〉によって天皇赤子論、国体論や大政翼賛の総動員体制のなかに編入、強制されることによって或る種の確たる地歩と、“陽の当る場所”、戦時体制にとって重要な一分肢としての機能を付与されることになった」。「戦時厚生政策はわが国のファシズムの“産物”であった。日本ファシズムは戦時厚生政策の前提である」(小倉襄二『右翼と福祉』法律文化社、2007年、7~8、82ページ)。
なお、ここで、「厚生事業」の理論的指導者であった、同志社大学の竹中勝男の一文(「社会事業に於ける厚生の原理:国民厚生事業序説」『厚生学年報』第1輯、同志社大学厚生学研究室、1942年7月)を紹介(転載)しておくことにする。「戦時厚生事業」は「客観的に外部から社会事業に要請した結果である」という、その論理が展開されている。ちなみに、同志社大学の文学部に「厚生学専攻」が設けられたのは1941年4月からであり、その後、「時代の脚光を背負った領域として厚生学科として残る」ことになる(上野直蔵『同志社百年史』(通史編二)同志社、1979年、1531ページ)。

「社会事業が『厚生』といふ問題を採り上げるやうになつたことは、決して社会事業の本来的内部機構的な発展の結果からでなく、戦時国防国家建設の目的遂行が、客観的に外部から社会事業に要請した結果であると言はねばならない。換言すれば、それは社会事業がその組織化体系化の理論的発展が要求した必然な問題であつたのでもなく、高度国防国家体制の進展に応じて、軍事的、経済的産業的充実整備がそれ自からの進行過程に於て、国民の人口資源、体位保健状態に於て、それらの基底となつている庶民生活の地盤に於て全く新らしい角度と認識目的に立つて採り上げるに至つた課題であつた。換言すれば、それは『要救護性』の戦時的認識であり、それの全体主義的理念に立つた把握であり、その歴史的特殊性を止揚してそれを国民階層一般への相対化に於て変容し、要救護性の庶民的拡がりとそれへの国家的保護対策の確立を前提として把握された『国民的要保護性』であると言ふ事が出来る」(小倉『同上書』、124ページ)。

今日的な「憂うべき事態」について、主権を有する国民の主体的・自律的な意思に基づいた、真の「是正」を図るための方策は何か。いま求められるのは、「戦争責任」や「戦争協力」についての浅薄な議論ではない。「戦時厚生事業についての研究が困難(であり:筆者)、関心をもつ研究者が少ない」(小倉『同上書』、77ページ)といわれるなかで、戦時厚生事業の政策や理論・思想について科学的・体系的に再考することではないか。その際、国家主義を主張するファシズムが忌避したのは、「民主主義」であり、「人権」や「人間の尊厳」などであったことを再認する必要がある。そして何よりも、「憂うべき事態」が強権的に作り出される時流に迎合しない、「批判と抵抗」の姿勢が求められる。本稿で筆者がいいたいのはこれらの点である。「戦時厚生事業」と同じような轍を踏まないためにも。

今、改めて問われる「村を捨てる学力」と「村を育てる学力」―資料紹介―

筆者(阪野)は先日、G市社協主催の「福祉教育講演会」に招かれ、「福祉によるまちづくりと市民福祉教育―地域福祉は福祉教育ではじまり、福祉教育でおわる―」という「演題」のもとに、「市民福祉教育」の基礎的・基本的事項をめぐってレクチャーする機会に恵まれました。例によって、演題とともにレクチャーの中身も特段目新しいものではありませんでしたが、筆者にとって講演会は、学校の先生方や社協の役職員、民生委員、ボランティアなどの皆さんから新たな学びや気づきを得ることができ、有意義なものとなりました。
レクチャーの導入部分では、「雑感」(2014年3月1日)にアップした拙文――「『地元』への思い、それぞれ」の一部を紹介しました。その際、「地域福祉活動計画」「住民懇談会」「中学生」「教師」「地元」「総合的な学習」、そして「村を育てる学力」という事項(用語)に留意しながら、「まちづくり」「まちづくり学習」「市民性形成」などに関する卑見の若干を開陳しました。
レクチャー後に、参加者の一人から、「村を育てる学力」についてもう少し紹介してもらいたい旨の申し出を受けました。G市は、県内でも代表的な中山間地域で、多くの限界集落を抱えています。本格的な超少子高齢人口減少社会を迎え、G市では、それに対応する安全・安心で持続可能(サスティナブル)な地域生活の実現やそのための「まちづくり」が強く求められています。そういうなかで、その質問者は、「村を育てる学力」の対極にある「村を捨てる学力」にも関心をお持ちのようでした。
いうまでもなく、「村を捨てる学力」と「村を育てる学力」の出典は、東井義雄(1912年~1991年)の『村を育てる学力』(明治図書、1957年)です。東井は、1950年代に「村」と「学力」の問題に焦点をあて、「生活綴方教育」の実践者(「綴方教師」)として高い評価を受けた一人です。
当時の綴方教師たちの関心は、おしなべて(1)「子どもたちの貧困からの脱出」と(2)「戦後日本の新しい政治的および道徳的価値の形成、浸透、定着」にあったといわれます(奥平康照「戦後生活綴方教育全盛の時代―1950年代前半の子どもの生活と戦後教育実践―」『和光大学現代人間学部紀要』第1号、2008年、8ページ)。(1)に関しては、1954年12月に高度経済成長が始まったばかりで、子どもを取り巻く経済的状況は劣悪であり、「貧困からの脱出」は学校教育における最も重要な基本的課題でした。(2)に関しては、伝統的な村落共同体的社会組織や社会関係が残る「家」や「村」(地域)では、家父長的ないしは封建的な伝統や因習からの解放が大きな課題になっていました。
東井は、以上の点をめぐって、また「『生き方』の教育だといわれて来た」り、「生活教育と結びつけられて考えられて来た」(180ページ)「綴り方」の教育について、その著書のなかで次のように述べています。

「『村を育てる学力』を志向するにしても、単に、村の子どもの学力のおくれを打開するにしても、問題は、村の子どもの生活の狭さと、主体性の貧困をどうするかに、まとまってくるようである。
さて、村の子どもたちの生活の狭さと、主体性の貧困は、何によって救えばいいのであろうか。この問題を考える時、私は『作文的方法』に対して注目せずにはおれない。
生活を耕やすということは、……子どもの一人一人が、まず、自分の内面的な意識活動や、それに関連して行われる生活行動に対して、自分の方から注目し、その生命活動の一ひら一ひらを大じにしようという心構えになってくれることが先決問題である。ところが、このためには、作文、ないし綴り方をとり入れることが、まことに都合よく、また、効果的なのでる。」(179~180ページ)

次に、「村を育てる学力」に関する東井の言説について、注目すべきところを多少長きにわたりますが、そのまま紹介することにします。

「進学指導・就職指導によって、たしかに村の子どもの学力は伸びるだろう。農村人口の都市へ移行も必然的な動向であろう。
しかし、村の子どもが、村には見切りをつけて、都市の空に希望を描いて学ぶ、というのでは、あまりにみじめすぎる、と思うのだ。そういう学習も成り立つではあろうが、それによって育てられる学力は、出発点からして『村を捨てる学力』になってしまうではないか。」(38ページ)

「ただ私は、何とかして、学習の基盤に、この国土や社会に対する『愛』を据えつけておきたいと思うのだ。『村を捨てる学力』ではなく『村を育てる学力』が育てたいのだ。みじめな村をさえも見捨てず、愛し、育て得るような、主体性をもった学力なら、進学や就職だってのり越えるだろうし、たとえ失敗したところで、一生をだいなしにするような生き方はしないだろうし、村におれば村で、町におれば町で、その生れがいを発揮してくれるにちがいない、と思うのだ。」(38~39ページ)

「『愛』とは何か。『わたしのもの』……、『自分のこと』という意識のことだ。私はそう思う。
主体的な『愛』は、ものを、自分のものとしてかわいがり、育て、しらべていく、行動的な学習を通してのみ、育て得るものだと私は信じている。」(50~51ページ)

「……『村を捨てる』立場から育てられた『主体性』が、『村を捨てる学力』を形成していくことは必然だが、……
この行き方に欠除しているものは『土』への『愛』である。『村』は、愛することもできないほど、暗く、貧しい。しかし、それがそうであればあるほど、それは、何とかせねばならぬ。『愛』が注がれねばならぬ。このような村をも愛することができるなら、この貧しい『国土』をも愛してくれるだろう。そして、そのことの中に、『生きがい』を見つけてくれるようにもなるだろう。たとい、村を出ていくことになっても、行ったところで、生きがいを切りひらいていってくれるだろう。
そして、そのような立場からの学習が、私は可能だと思う。客観的、普遍的な学問の価値が、そのような立場から消化されたら、どんなにすばらしいことだろう。」(173~174ページ)

要するに、「作文的方法」すなわち「綴り方」の方法に基づいて「生活を耕やす」ことによって、子どもたちは、自分たちの生活に目を向け、いわゆる「我が事化」し、生活についての自分の「感じ方、思い方、考え方、行い方」(180ページ)に注目するようになる。そして、それを通して生活を改善していく力、「村の停滞性を突き破っていき、新しい生産様式をきり拓いて行くような、そういう学力」(32ページ)、すなわち「村を育てる学力」を形成していく。東井はこうように考えていたといえます。
その際、東井の教育実践は、学校内部に留まらず、「村」(地域)の歴史的社会的状況との繋がりを重視するとともに、「村」全体が育っていく必要性を説いています。改めて指摘しておきたいところです。この点に関して、東井は次のように述べています。

「『生活』には、明らかに地域性がある。村の子には村の子の『生活』があり、『生活の論理』(「感じ方・思い方・考え方・行ない方のすじ道」:東井)がある。価値がどのように普遍妥当なものであっても、それが子どもの生活に消化された時、地域のにおいを持ってくるのは当然である。」(171ページ)

(村の現実が、教育によって育てられた、農業や農村の生活に対する「批判の目」に堪えられないなら)、「批判に堪えるような村を築きあげようとする、積極的、建設的、生産的、意欲的な人間を育て、そのように身構えさせる役割を、教育は背負うべきだ。」(34ページ)

「市民福祉教育」は、福祉による“まちづくり”のための主体形成を図る教育活動です。東井の「村を育てる学力」に関する所説や言説は、市民福祉教育に通じるところがあります。いささか唐突ではありますが、付記しておきます。それにしても、戦前に教師として「あやまった時期をもつ」(3ページ:国分一太郎)とはいえ、東井の「子ども」「村」、そして「教育」に対する「熱い胸と冷たい頭」にはただ敬服するのみです。筆者もそうありたいと願いつつ……。

地域丸ごと児童館―実践報告―

地域丸ごと児童館―実践報告―/古田稔幸(柳津児童館)

柳津児童館は、老人福祉センター(A型)との複合施設ということもあり、現在、0歳から97歳までの地域住民の利用で日々賑わいを見せている。施設の不備と少ない職員のなかで、地域の学校や諸団体・サークル、隣接する商業施設などのさまざまな社会資源との連携・協働を図っている。その現状と児童館活動の実践を報告する。

◆ 柳津児童館の概要
岐阜市公式ホームページ(福祉部子ども家庭課)は、「柳津児童館の概要」について次のように紹介している。

明るく利用しやすい児童館として気軽にご利用いただいています。建物には高齢者福祉センターも併設されており、高齢者の方とのふれあい事業も実施していて、あったかい雰囲気漂う児童館づくりを目指しています。
・小学生を対象に文化的行事、体育的行事、季節的行事、ふれあい行事等、土曜日を中心に実施しています。
・就園前の幼児とその保護者を対象に幼児クラブ、わいわい広場等を実施しています。
子育て中のお母さんを対象に、育児・発達等の相談を経験豊かな職員が随時受付けています。プライバシーは、厳守します。(必要に応じて専門機関への紹介もいたします。)
・中・高校生及び保護者を対象とした相談及びボランティアの育成、移動児童館(児童館の出前)を実施しています。

柳津児童館(開設当時は「柳津町児童館」)は、1966年に岐阜県で初めて開設された、歴史のある施設である。2002年には、当時の柳津町福祉会館内のコミュニティセンターであった2階部分に移設された。ちなみに1階部分は、福祉会館が開設された1987年の当時から、老人福祉センター(入浴施設付き)として現在に至っている。
その後、2006年に柳津町は岐阜市と合併し、柳津町児童館は「柳津児童館」(以下、「当施設」という。)と改称して再スタートをきった。同時に所管が岐阜市に移り、それまで柳津町社会福祉協議会(岐阜市社会福祉協議会と合併)が運営を担当していた当施設は、岐阜市から指定管理者制度に沿って社会福祉法人岐阜市社会福祉事業団に運営委託され、今日に至っている。
また、合併以前から実施していた「留守家庭児童会」は、引き続き当施設内で開設している。現在、その所管は岐阜市教育委員会であり、第2、第3教室が別の施設に増設されて定員は合併前の30人から80人に増えている。
前述のように、当施設は、その特徴のひとつとして、岐阜市で唯一、老人福祉センター(「柳津高齢者福祉センター」)との複合施設となっている。2006年の合併以前は、老人福祉センターの入口が1階に、当施設のそれは外階段を上って2階にあり、利用者の交流もさほどなかったと聞き及んでいる。合併以降は、当施設の特徴を生かした世代間交流の促進を図るために、外階段を閉鎖して入口を1階に統一した。その結果、当施設へは内階段を利用しての入館となるため、1階のロビーでくつろぐ高齢者の横を通って2階へ続く階段へ向かう子どもたちを見て微笑む高齢者の姿が見られるようになった。まさに複合施設のメリットを活用した当施設の自慢である。自然な世代間交流を生んでいるのである。
当然のことながら、機会を作って合同のふれあい交流事業も実施している。初夏の七夕飾りでは、1階玄関内に天井(「天上」)まで届く2本の竹笹を用意し、子どもと高齢者が同じ竹笹に願いごとを書いた短冊を飾る。秋の敬老の日近くでは合同の茶会を開催するなど、複合施設ならではの効果を狙った事業を展開している。
これらは、広い意味では、意図的あるいは無意図的な「福祉教育」に繋がるものでもあろう。

◆ 柳津地域の特性
当施設が立地する柳津地域は、農業、商業、軽工業、住宅地域が混在するとともに、保育所・幼稚園から小・中・高等学校、大学まで揃った文教地域でもある。
地域に居住する住民は、地域との結びつきが強く、“元気”である。例えば、秋祭りの「子ども御輿」の際には、父母が付き添って子どもたちが地域内を練り歩くが、祖父母たちが交通安全協会員として見守り役を務める。そこには、世代毎の役割(役割期待、役割遂行)があり、その結びつきは強い。とりわけ祖父母たちにとっては、居場所と出番を実感するときである。
地域全体の行事も盛んである。春の「桜まつり」、「どんと!こいこい祭り」(子ども向け)、夏の「夏祭り・花火大会」、「サイエンスフェスティバル」(子ども向け)、秋の「柳津ふれあいフェスティバル」、冬の「凧あげまつり」(2013年から実施)等々、地域・住民総出で開催される。また、文化的行事として秋に開催される「柳津美術展」「柳津芸能祭」では、地域住民の持つ多彩な趣味や特技に触れることができる。その他、地域内の各地区毎では、住民参加・住民協働による、多種多様なふれあい交流事業が実施・展開されている。
こうした地域住民の地域への思いや地域との結びつきが、当施設との関わりを広め、深め、高め合うことによって、日頃の当施設の諸事業・活動(児童館活動)にもプラスに機能していることは疑いのないところである。

◆ 児童館の広報・啓発活動
児童館は、児童の健全育成や子育て支援、地域組織化活動等の多様で高度な機能を持っている。しかし、地域や住民は、その点について十分に認識しているとはいえないのも事実である。児童館の機能を認識していなかったり、それを有効活用できていないことは、地域や住民にとって「宝の持ち腐れ」であるといわざるを得ない。
そこで、当施設では、児童館についての「広報・啓発活動」を重視し、その取り組みに力を入れている。具体的には、地域の公民館等の公共施設内に当施設専用の、職員手作りの「掲示板の設置」をお願いしたり、小学校の昼休みの放送(金曜日)で、土曜日に当施設が実施する「行事の案内」を依頼したりしている。

◆ 社会資源の活用と児童館活動の活性化
当施設では、利用者のニーズの把握を大切にし、それに基づいて事業・活動の精選と拡充を図ってきた。それに伴って、「新規企画のニーズ対応の仕方」「大きな企画を実施するに際しての人手不足」「行事に参加する幼児の弟妹の託児に係る人員不足」「駐車場不足」等々の問題が出てきた。その都度、職員自らが地域内を見回し、地域に出向いて積極的に働きかけることによって協力者や支援者を得て、活路を見出してきた。児童館内に座していては、とても協力者や支援者は得られないし、事業・活動の拡充も望めない。常日頃の積極的・主体的なコミュニケーション活動を通して、地域や住民との多様で重層的なネットワークを構築することが、児童館とその事業・活動の拡充にとっては必須となる。
例えば、当施設の利用者のための駐車場を借用する目的で始まった、隣接する商業施設との関わりが、商業施設内での「移動児童館」(児童館のアウトリーチ活動)の実施を促し、それが「児童館の周知」と「店の集客」というメリットをそれぞれにもたらした。さらに、その商業施設に出店しているベビー用品店と「マタニティー教室」を共同開催するなど、新しい分野への進出・展開が図られている。
また、地域行事で一緒になったことがきっかけで、地元の大学の学生たちとの交流も進み、今では当施設の必要かつ重要な“人財”となっている。特に彼・彼女らは、行事の際の「お手伝い」(ボランティア)だけでなく、個人的にも時間を作って当施設に足を運び、子どもたちの相手をしてくれている。教員や保育者をめざす彼・彼女らにとっては、「教育実習」という限られた学習機会よりも、自由に来館して子どもたちと真に向き合い、接することが、重要な学びの機会や場になっている。その際、当施設職員の資質や力量が厳しく問われることは多言を要さない。
さらに、当施設では、託児ボランティアをはじめ多くのボランティアを受け入れている。その一方で、地域や住民が独自に開催する子育てに関する企画については、教材の貸与や講師の派遣などをおこない、良好な関係を築いている。また、地域の高齢者の「ふれあいサロン」に職員が出向き、交流を深めている。それがまた、高齢者の孫やひ孫の当施設の利用促進に繋がっている。
これらを一例として、地域や住民との関係を広げ、深めていくうちに、当施設を中心とした複合的・重層的なネットワークが構築され、それがまた地域や住民における当施設の存在感を高めている。

こまめに地域を回って得た協力者や支援者は、児童館のみならず、子どもたちの良き理解者にもなる。それがさらに、地域・住民による、地域・住民のための子育て環境の整備を進めることになる。まさに「地域丸ごと児童館」である。それは、福祉のまちづくりに繋がる。
児童館は、“地域福祉の時代”といわれて久しい今日において、その時代の要請に応える地域福祉施設であり、(福祉の)まちづくりの拠点のひとつである。今後も、地域内を動き回って児童館を中心とした大きな仲間の輪(「絆」)を築き、地域や地域の子どもたち、そしてすべての住民の“幸せ”(福祉)のために、住民主体・住民参加・住民協働のまちづくりをめざして活動していきたいと念じている。それは、そこに児童館の今日的な重要な役割や存在意義のひとつを見出すことができる、と考えるからに他ならない。

まちづくりと市民活動を推進する組織・機関―自治基本条例と市民福祉教育(第2報)―

筆者(阪野)がその末席を汚した「関市自治基本条例策定審議会」が、去る2月4日、市長に対して「関市自治基本条例に関する答申書」を提出した。それを受けて市では、3月1日から31日の期間、「関市自治基本条例素案」(以下、「素案」と略す。)についてのパブリックコメントの募集を行っている。本稿では、素案における若干の条文内容の紹介とそれに関する一隅の管見を述べることにする。
先ず、地元新聞の2紙が報じた素案答申の記事を紹介する。

岐阜新聞/2014年2月6日(朝刊)
関市の自治基本条例/審議会が素案答申
関市の市自治基本条例策定審議会(会長・鈴木誠愛知大学地域政策学部教授)は4日、条例の素案を尾関健治市長に答申した。
市では市民主権・市民自治のまちづくりを目指そうと、条例制定を進め、2012年に審議会が発足。公募委員や団体代表ら28人が今年1月まで計13回の審議を行った。
素案は、▽子どもやお年寄り、障害者もまちづくりに参画できる権利を明記▽地域委員会、まちづくり市民会議、満足度調査、住民投票の実施を規定▽条例の進ちょく評価や見直しを市長に提言する推進委員会の設置―などを盛り込んだのが特徴。また、策定には広く市民の意見を求める―などの付帯意見も付けた。
市役所で行われた答申では、鈴木会長が尾関市長に答申書を手渡した後、尾関市長が審議会委員に「住民自治の理念を市民に理解してもらうことが大切。今後も見守ってほしい」とあいさつ。同席した委員からは、「将来地域を担う子どもたちに、まちづくりに参加してもらうための工夫が必要」などの意見が出された。
答申を受け市では3月に市民の意見を募集。また、住民説明会も開催し、市議会6月定例会への提出を目指す。

中日新聞/2014年2月8日(朝刊)
「市民が主役」前面に/関市の審議会 自治基本条例素案を答申
関市自治基本条例策定審議会は、市民自治の実現に向けた条例の素案を尾関健治市長に答申した。市民や議会、行政の役割や責務を明確にし「市のまちづくりに関して最も大切な理念」と定めた。
素案では、市民全員がまちづくりに参画できるよう子どもやお年寄り、障害者の役割を明記。議員や行政には市民の意見を反映するよう盛り込み「市民が主役のまちづくり」を前面に出した。
市長は市民が政策を提言する会議を開いたり、まちづくりの満足度調査を実施、公表したりする独自の参画案も採用。市民の意見を募るパブリックコメントや住民投票の手続きも記した。
審議会は学識経験者や公募の市民ら28人で構成。市は2012年末に諮問し、今年1月まで13回の審議を重ねた。
答申は市役所であり、審議会長で愛知大地域政策学部の鈴木誠会長尾関市長に答申書を手渡した。鈴木会長は「条例を平易な文にしたり、解説書を作成したりして市民に周知する必要がある」と強調した。
市は3月ごろにパブリックコメントを実施し、6月定例市議会に条例制定案を提出する予定。

以上からも分かるように、素案で注目されるのは、「地域委員会」「市民活動センター」「まちづくり市民会議」「まちづくりに関する満足度調査」についての条文である。この条文は、市民と行政が連携・協働してまちづくりを進めるための “仕組み” について明記した重要な規定であり、高く評価される。この仕組みについて、市のホームページにアップされている「関市自治基本条例素案の概要について」では、「関市の独自施策」であることが朱書きされている。以下がそれぞれの条文案である。

9 参画及び協働
(4)地域委員会
1 市民は、地域の課題を解決するため、小学校区を基本として、自治会、各種団体、事業者等の多様な団体及び個人で構成される地域委員会の設立に努めます。
2 市民は、誰もが参加できる地域委員会の運営に努めます。
3 市民は、地域委員会が取り組む活動方針及び事業を定める地域振興計画の策定に努めます。
4 行政は、地域委員会の設立及び活動を支援します。
5 地域委員会の支援に関し必要な事項は、別に定めます。
(5)市民活動及び市民活動センター
1 市民は、まちづくりに関する市民活動の意義を理解し、その活動の推進に努めます。
2 行政は、市民、市民活動団体等の主体性及び自律性を尊重し、協働して市民活動を推進します。
3 市長は、市民と行政との協働を推進するため、市民活動センターを設置します。
4 市民活動センターの運営に関し必要な事項は、別に定めます。
(6)まちづくり市民会議
1 市長は、市民とともにまちづくりを進めるため、市民が市政に関する施策を提言するまちづくり市民会議を開催します。
2 市民は、まちづくり市民会議に主体的に参加します。
3 行政は、まちづくり市民会議から提案のあった施策を尊重し、その実現に努めます。
(7)まちづくりに関する住民の満足度調査
1 市長は、まちづくりに関して住民の満足度調査を毎年実施します。
2 市長は、住民の満足度調査の結果を公表し、市政に反映します。

以上のうち、「地域委員会」は、住民自らが地域の課題を検討・解決し、地域の特性を生かした住民主体のまちづくりを進める組織である。概ね小学校区単位での設置が促進されている。市は、地域委員会の設立をはじめ、活動のための交付金の支給や職員の派遣などを行っている。既に、2013年度に1地区で「上之保ふれあいのまちづくり推進委員会」が設置され、武儀と田原の2地区で「地域委員会準備会」が立ち上がっている。
「市民活動センター」は、公益的な市民活動に関する総合相談・支援の窓口・拠点となる機関である。市では、2005年3月に「地域福祉計画」を策定し、「ボランティア・市民活動センター」(仮称)の創設や「ボランティア・市民活動センター設置検討委員会」(仮称)の設置が計画化されていた。それを受けて、2010年1月、市民による主体的・自律的なまちづくりを推進するために、相談・助言・コーディネート等の支援やNPO法人の設立支援などを行う「中間支援組織」として、市民活動センターが設置されている。その管理運営業務は、「まちづくりの推進を図る活動」(特定非営利活動促進法第2条第1項の別表)を行う市内のNPO法人に委託されている。そこでは、次の「運営方針の4つの柱」のもとに、市民活動(ボランティア、NPO法人、自治会等の地域の活動など)に対する「支援」が行われている。「(1)市民活動・ボランティアに対する、関市民へのすそ野を広げる。(2)NPO法人だけではなく、自治会町内会等、地域活動もサポートし、地域型コミュニティ、テーマ型コミュニティが協働して地域社会の活性化を目指す。(3)既存のボランティア活動支援との協働、行政との協働支援。(4)地域課題に対し、周りを巻き込みながら直接アプローチする」、がそれである。
「まちづくり市民会議」は、市政全般に関する問題点や課題を市民の視点から洗い出し、行政へ政策提言ができる、市民で構成する「会議体」である。類似の先行例のひとつに、愛知県新城市の自治基本条例(2013年4月施行)に規定されている「市民まちづくり集会」がある。「(市民まちづくり集会)第15条 市長又は議会は、まちづくりの担い手である市民、議会及び行政が、ともに力を合わせてより良い地域を創造していくことを目指して、意見を交換し情報及び意識の共有を図るため、3者が一堂に会する市民まちづくり集会を開催します。」というのがそれである。市長は特別な事情がない限り、年1回以上、「市民まちづくり集会」を開催しなければならないことになっている。ちなみに、2013年8月に「第1回市民まちづくり集会」が開催され、約400人 (総人口約50,000人の0.8%) の市民が参加している。関市にとって参考になろうか。
「まちづくりに関する満足度調査」は、市長が毎年、まちづくりに関する市民の意識調査を実施し、施策の改善や充実を図るためのものである。2013年1月に、18歳以上の市民3,000人を対象に実施された「平成24年度アンケート調査(まちづくり通信簿)」の結果が、同年3月に報告されている。
ところで、市長がマニフェストに掲げる「日本一しあわせなまち」をめざして、「市民主権・市民自治」によるまちづくりを確かで豊かなものにするためには、「地域委員会」「市民活動センター」「まちづくり市民会議」のそれぞれの機能が有機的・総合的に発揮され、三位一体の運営がなされることが必要不可欠となる。策定審議会や素案においては、この3つの組織・機関の連携・協働・相互補完に関して言及も規定もされていない。「関市自治基本条例の答申に関する附帯意見」として、次のような一文が付されているだけである。「5 協働施策の周知と推進/地域委員会、まちづくり市民会議などの協働施策について、広く市民に知られていないので、積極的な施策の周知に努めてください。また、市民活動センターは、自治会、福祉団体など多様な団体の参画のもとに運営されるよう望みます。」というのがそれである。
「まちづくりは人づくり、人づくりは教育づくり」といわれる。この考えに立って、以下に、「地域委員会」「市民活動センター」「まちづくり市民会議」と「日本一しあわせなまち」づくりのための主体形成を図る教育(「市民福祉教育」)の相互関係を図示することにする。
素案では、「住民」を「関市内に住む人」、「市民」を「住民、市内で働く人、市内で学ぶ人、事業者等」と定義づけている。筆者が作成した図 1では、「市民」(citizen)を、素案が規定する「市民」とは異にし、市民社会における主権者としての意識を自覚的に持ち、まちづくりに主体的・自律的に参画する、独立したひとりの理性的な人間として捉えている。また、「市民性形成」は、市民性(市民としての資質と能力)を育成するための教育(シティズンシップ教育)を意味する。「まちづくり学習」は、すべての住民の生命(生きる力)と生活、そして人生の質的向上の実現をめざし、多様な主体が連携・協働して、住民が抱える個別具体的な生活問題や地域の社会問題を解決するために主体的・自律的に行動する実践的な態度や資質、能力を育成する教育・学習活動をいう。図中の「市民」「市民性形成」「まちづくり学習」の用語について筆者は、とりあえずこのように考えている。
10月26日17時
図 2は、「市民活動センター」に関する管見を示したものである。それは、次のようなメモ書きとともに、2013年1月に開催された第13回策定審議会に個人的見解として提示したものである。
(1)市民活動センターは行政が設置し、その運営は行政、社会福祉協議会、自治会連合会、民生委員児童委員協議会、NPО・ボランティア団体、まちづくり協議会等による「協働運営方式」を採る。
(2)市民活動センターには、行政(福祉政策課、市民協働課、生涯学習課)と社会福祉協議会等の職員(コミュニティソーシャルワーカー、ボランティアコーディネーターなど)を配置する。
(3)市民活動センターに、自治会連合会や民生委員児童委員協議会等の事務局を置く。
(4)市民活動センターは、業務のひとつとして「地域委員会の設立と支援」「まちづくり市民会議の開催と運営」を所掌する。
(5)市民活動センターを、市民や行政等から具体的な生活課題や地域課題を持ち寄り、課題解決のための「プラットホーム」を設立し、市民や行政が連携・協働して課題解決にあたる、文字通りの、市民の・市民による・市民のためのセンター(市民活動の拠点)とする。
(6)およそ以上のような市民活動センターを構想・設置するとすれば、その場所は、例えば「わかくさ・プラザ」(学習情報館、総合福祉会館、総合体育館の3つの施設で構成される複合施設で、人々が行き交う「出会い」「ふれあい」の場、そして「生涯学習のまちづくり」の拠点となっている。)内に置くことが望まれる。
10月26日 図2
最後に、筆者が策定審議会で提案したもののうち、明確には素案に規定されなかった「学ぶ権利」について一言述べておきたい。
市長がマニフェストに掲げる「市民主権・市民自治」を実現するためには、子どもから大人まですべての市民を対象にした、関市の「まち」に関する理解・診断と「まちづくり」に関する「意識」「知識」「スキル」の醸成・育成が必要かつ重要となる。素案には、「市民の権利」のひとつとして、「まちづくりに関して学習し、意見及び要望を提案できること。」という規定がある。それについては、「市民は、まちづくりに関することを学び、意見や要望を自由に提案できます。これは、誰にも阻害されることはありません。」と「解説」されている。この解説をみるかぎり、「学ぶ権利」についての規定は必ずしも十分ではなく、曖昧なものにとどまっているといわざるを得ない。また、この権利保障を担保する規定も明文化(条文化)されているわけではない。そこで、「市民主権・市民自治」を画塀に帰させないためにも、主体的・自律的に「学ぶ権利」を独立条文として規定することが極めて重要となる。例えば、次のような規定が考えられよう。

(学ぶ権利)
1 市民は、まちづくりに関して、自ら考え行動するために学習することができます。
2 行政は、市民のまちづくりに関する学習の機会を確保するとともに、自主的な学習活動を支援します。

なお、同じ岐阜県内の大垣市では、2015年度から地元の歴史や文化、産業等を学ぶ「ふるさと大垣科」(仮称)が新設され、すべての小・中学校で授業が開始される。その内容等については不明であるが、ここで、戦前の「郷土教育」が浅薄な愛国心の育成(「愛国心教育」)に繋がった “負の遺産” を持っていることには十二分に留意する必要があることを付記しておく。筆者がいう「学ぶ権利」は、ユネスコの「学習権宣言」(1985年3月)に基づくものであり、すべての市民が主体的・自律的に学習する権利である。強調しておきたい。

付記
2月20日付けで、関市長から筆者(策定審議会委員)に「関市自治基本条例素案の答申のお礼について」と題する文書が届いた。そのなかで、「今後は、条例素案のパブリック・コメントを実施し、より多くの市民から意見を求めるとともに、市民や議会に素案の内容を丁寧に説明し、条例を制定する上で最も大切である普及啓発に努めてまいります。」と記されている。「市長、議会及び行政」による今後の取り組みを見守りたい。

「地元」への思い、それぞれ

T市は、人口約42万人、高齢化率約19%を数える、全国有数の企業城下町である。地域の自治組織や社会資源が整備され、住民の連帯意識や自治意識の高い地区も多い都市(中核市)でもある。そして、「平成の大合併」を経て、以前にも増して豊かな自然や歴史・伝統・文化など多くの地域資源に恵まれた “まち” になっている。
そのT市では、昨年7月から2か年の予定で、行政の「地域福祉計画」と社会福祉協議会(以下、「社協」と略す。)の「地域福祉活動計画」の策定に取り組んでいる。そこでは、二つの計画を一体的、戦略的に策定することとし、同時並行的にその作業が進められている。そして、地域福祉を推進するための基本的理念や目標の同一化を図り、二つの計画が相互に補完し合う関係になることをめざしている。
筆者(阪野)は昨年来、策定委員の末席を汚しながら、策定委員会やワークショップ、住民懇談会などに積極的・主体的に参加し、多くを学んでいる。
行政の地域福祉計画の策定に関しては、これまで、「地域福祉に関する市民アンケート調査」と「地域福祉計画策定に係るワークショップ」が行われた。社協の地域福祉活動計画の策定に関しては、本年の2月を中心に、「第1回/みんなが参加する『地域福祉活動計画』策定のための住民懇談会」が市内の27中学校区ごとに実施されている。
こうした取り組みは、策定のプロセスを重視し、住民参加を促すことを特徴とする地域福祉(活動)計画にあっては、とくに目新しいものではない。そういうなかで、社協では、丁寧に住民懇談会を開催し、それを福祉教育実践のひとつとして位置づけ、今後も計画的・継続的に取り組むことを予定している。それは、地域福祉活動計画の内容の主軸には福祉教育(「市民福祉教育」)を位置づけるべきである、という社協の思いや考えに基づくものである。
筆者は、先日、同じ日に開催されたA地区とO地区の住民懇談会に参加した。人口は、A地区が約8,700人、O地区が約4,000人、高齢化率はともに約34%を数える中山間地である。
住民懇談会は、往々にして行政に対する不平・不満を放談したり、要求・要望を突きつけたりする場になりがちである。それを避けるために、今回の懇談会では、先ず、懇談会開催の「趣旨説明」と地域福祉やまちづくりについての「講話」に40分ほどの時間が割かれている。それを受けて、参加者は、「(1)私が住んでいる “まち” の安全・安心なところ、自慢できるところ」と「(2)普段の暮らしのなかで、私にとっての“心配ごと” “悩みごと” “困りごと”」という二つのテーマをめぐって、それぞれがひとりの住民として、対等・平等な関係や立場で自由に話し合い(対話)を行う。具体的には、社協職員がファシリテーター(推進役)を務め、参加者個々人はKJ法を用いて地域理解・診断を行い、地域の生活問題や福祉課題についてその認識や理解を深めていくことになる。なお、今回の懇談会は、初回であるということから、地元における地域福祉リーダーの育成と彼・彼女らの福祉意識の醸成・高揚を意図して、地域組織・団体の役職者(キー・パーソン)を対象としている。
2時間の懇談会を通じて、(1)のテーマに関しては取り敢えず、A地区では「自然と歴史と文化が豊かで、人と人とのつながりが強く、郷土愛に満ちているまち、A」、O地区では「自然が豊かで、伝統があり、人の気持ちが広く、住民同士が知り合い、触れ合いのあるまち、O」というフレーズが作成された。(2)のテーマに関しては、一面では(1)の裏返しでもあり、A地区・O地区ともに、中山間地ならではの地域の生活問題や福祉課題が抽出・提示された。今後は、(1)(2)に関する住民の “生の声” を、A地区・O地区の地域特性を生かした地域福祉を推進するための基本的理念や目標に昇華・止揚していくことが求められる。とともに、課題解決のための具体的な諸事業・活動が計画化されることになる。そこで、本年の6、7月以降に予定されている2回目の懇談会では、「(3)私が住んでいる “まち” が、こんな “まち” になったらいいな」「(4)(3)を実現するために、私ができること、私たちがしなければならないこと」がテーマとなる。
ところで、A地区の懇談会には、「総合的な学習」の一環として、地元の中学校1年生を代表して5人の生徒が教師に引率されて参加した。当初は1年生全員の参加を計画したが、会場の都合で代表者に限定したということであった。生徒たちは、地元の大人たちに交じって、子どもならではの目線から(1)(2)のテーマをめぐって積極的に意見や考えを述べ、終了時には丁寧な挨拶をして学校に戻っていった。生徒を引率してきた教師もまた話し合いの輪に加わった。席上で筆者は、何故か “すがすがしさ” と “力強さ” を感じたが、それは筆者だけのことではないと思われた。
その日の夜に開催されたO地区の懇談会には、40人余の地元住民が参加した。開催するにあたって、社協支所の職員は、地元の小・中学校に赴き、懇談会への参加を依頼した。その時、教師から返ってきた言葉は、「私の『地元』ではありませんから‥‥‥」というものであった。しかも、全ての学校の教師の回答がそれであったという。O地区の小・中学校に通う生徒は地元の子どもたちである。教育は、一面において、地元の地域生活に学び、地域生活に生かすための営みである。また、教育は、今日においても、「村を捨てる学力」ではなく、「村を育てる学力」(東井義雄、1957年)を身につけるための営みであることが求められる。福祉教育もまた然りである。こう考えたとき、教師の言葉と回答に、虚しさと寂しさを感じ、失望感を禁じえないのは筆者だけであろうか。教師の「地元」はどこにあるのだろうか。まさか20坪の「教室」ではあるまい。そしてまた、学校や教師の回答から、社協支所やその職員の、「地元」に根ざした福祉教育(「市民福祉教育」)に関する考えや姿勢、これまでの取り組みがうかがい知れる。本稿でいいたいのはこの点である。

「偏見」を助長し、「逆差別」を生み出す福祉教育実践(第2報)―Y氏の雑感―

「雑感」(2014年2月10日)にアップした拙文――「『偏見』を助長し、『逆差別』を生み出す福祉教育実践」に関して、早速、熱心なブログ読者のY氏から次のようなメールをいただきました。それを、議論を深めることができればという思いから、「Y氏の雑感」としてアップすることにしました。

前段について‥‥‥
(1)聴講者が「重度の障がい者がその障害を乗り越えて‥‥」を前提にした「講演」として聴いたことは、否定できないことかもしれません。また、おっしゃる通り、その場限りの「人生の応援歌」であるかもしれません。しかし、少なからぬ人々に感動を与えたのではないかと思います。正直、自分の障害を話題(ネタ)にしているといえばそれまでですが、少なくとも私は、他の人に対してあれだけの「人生の応援歌」を熱唱することはできません。あのような「人生の応援歌」を期待し、それを待っている人(聴講者)がいるということを考える必要があると思います。要は、障害のあるなしではなく、その人がその人の生き様を、どんな内容で話ができるかが重要だと思います。
(2)私は、「障碍」(人が困難に直面していること)は、なにも「障がい者」だけにあるものではないと考えます。それぞれの人がそれぞれの障碍を抱えています。そして、「障碍とともに生きることが人生である」といえるかと思います。「障碍を乗り越える」、それは自分自身のことであっても、多くの人々の力を借りながら乗り越えていることは確かなことだと思います。このことは彼女も私も同じです。
(3)講師を務めた彼女の今の生き方は誰が決めたのでしょうか? 彼女自身であると考えます! もし、人によって決められたものであるなら、それは至極悲しいことです。彼女自身も解ったうえで、今の活動をしているのかもしれません。彼女に対し最も偏見や差別のない第三者は、ご両親ではないでしょうか? ご両親は、今の彼女の生き方をどう思っていらっしゃるのでしょうか?
 
中段について‥‥‥
(4)彼の「普段の、普通の暮らし」の話に関して、前段の彼女の話は、「普段の、普通の暮らし」の話ではないということでしょうか? 福祉教育実践は、「普段の、普通の暮らし」の話が必要不可欠であり、彼女のような華やかな話は必要ないということでしょうか? 確かに一部の華やかな話に惑わされて、「普段の、普通の暮らし」が隠れてしまってはいけないことだと考えます。
(5)彼女の様子と比較するために、あえて次の一文を入れられたのでしょうか?
「彼は、一杯のお茶をストローで啜(すす)り、車椅子に乗ってひとりで帰っていかれました。」

後段について‥‥‥
(6)先生が今回の「雑感」で真に伝えたいことは、「社会福祉協議会による福祉教育の取り組みが、障害や障がい者に対する『偏見』を助長し、『逆差別』を生み出してきたのではないか。また、障がい者間の偏見や差別の問題を見過ごしてきた、いやあえて避けてきたのではないか。」ということだと理解します。
これは、社会福祉協議会の福祉教育実践に関して、核心を突いたご指摘であり、重要な問題提起だと思います。
(7)「障害」「障がい者」「障がい者の暮らし」についての理解の仕方と、「共に『活きる』 」まちづくりにつながる具体的な実践方法などについて、ご一緒に考えたいと思います。
(8)私は、何も分からぬままにこの仕事に就いたとき、「障がい者のあいだにも偏見や差別がある!」ことに驚きと寂しさを強く感じました。しかし、その偏見や差別に抗する術(すべ)はありませんでした。障がい者に対する福祉教育も重要だと考えています。

筆者(阪野)から、若干のコメントを付しておきます。
(1)に関して‥‥‥
「人生の応援歌」を全否定するつもりは毛頭ありません。筆者も、彼女のような「人生の応援歌」を大熱唱することはできません。
自分の人生について熱く語ることができる人がいる反面、何らかの事情によって語れない人、あるいは語りたくない人がいることも事実です。そこに偏見や差別が存在するであろうことも、想像に難くないと思います。
「障害のあるなしではなく、その人がその人の生き様を、どんな内容で話ができるかが重要だと思います」。このご指摘には同感であり、異を唱えるものではありません。
「講演」は、「関心」と「感動」、そして何よりも「変化」と「行動」を呼び起こすものでありたいものです。
(2)に関して‥‥‥
「障碍(人が困難に直面していること)とともに生きることが人生である」。心に留めておきたいフレーズです。
(3)に関して‥‥‥
誤解を恐れずにいえば、「障害」や「障がい者」に対する偏見や差別のうちで最も強いものは、家族のそれかもしれません。
親子の「血の繋がり」や家族の「絆」という言葉(美辞麗句)のもとで、日常的に無自覚に偏見・差別や抑圧・強制などが行われ、障がい者本人の自立と自律(二つの「じりつ」)が妨げられていることも事実ではないでしょうか。
ここでは、「基調」講演を企画した福祉関係者の「福祉教育観」こそが、厳しく問われるべきだと考えます。
(4)に関して‥‥‥
彼女と彼の「普段の、普通の暮らし」の話に注目すべきです。それよりも、ここでとりわけ目を向けてほしいのは、「地域・地元で偏見や差別と闘っている」彼の暮らしと、障がい者自身による市民運動としての差別撤廃運動や福祉の(による)まちづくり運動についてです。そして、障害があるなしに関わらず、同じ思いや志(こころざし)を持つ者同士が「共闘」することです。さらには、それを通して「共生」の道を探求することです。
(5)に関して‥‥‥
その通りです。彼女の講演は、「福祉教育」の分科会で、「基調」講演として行われたものです。しかし、その内実は「記念」講演というべきものでした。当日は、複数の分科会が準備され、著名な方々が基調講演を行っていました。そういうなかで、何故か、花束が贈呈されたのは彼女だけでした。たかが花束ですが、筆者はこの点を看過することはできません。
(8)に関して‥‥‥
障がい者と地域住民等との連携・協働とともに、障がい者や障がい者団体等の相互の連携・協働も必要かつ重要です。また、障がい者の自立生活運動や自立支援運動の推進を図るための福祉教育のあり方を問う必要があるのではないでしょうか。
筆者は、以前から、福祉サービスの利用者とともに、福祉従事者に対する「市民福祉教育」の必要性と重要性について指摘してきました。その際の市民福祉教育とは、福祉文化の創造や福祉の(による)まちづくりの主体形成(市民性形成)を図るために行われる意図的な活動をいいます。

「偏見」を助長し、「逆差別」を生み出す福祉教育実践

福祉教育の研修会で、重度の身体障害のある女性の講演を聞くことになりました。彼女は、普段あまり見かけない車椅子に乗って、颯爽(さっそう)と登壇し、美しい声で話し始めました。舞台の脇には、マネージャーと思われる人がそれらしい姿で立っていました。講演の終盤に差しかかると、彼女は色紙にサインをし、最後には花束を抱えて、満面の笑みを浮かべながら退場していかれました。まるでアーティストの全国ツアーのひとコマのようでした。講演は、自身の著作に記されている過去の “出来事” についての話に終始していました。その内容は、「ありがとう」「笑顔」「支え合い」「絆」をキーワードに、自分の “生い立ち” とこれまでの “頑張り” を説く、その場限りの「人生の応援歌」でした。
  
学校における福祉教育実践の場で、脳性マヒ者の男性の講話を聴く機会に恵まれました。彼は、地域・地元で偏見や差別と闘っている普段の、普通の暮らしについて話し始めました。生徒たちは、彼の吃りながらの、重みのある一言一言に何かを見出 し、何かを掴みとろうと、真剣に耳を傾けていました。講話の内容は、障がい者は特別の存在ではなく、健常者と障がい者が共に「活きる」ためには、互いを知りあうことが大切である。とりわけ障がい者は、地域社会の一員として、地域のみんなに自分の意思を伝えることが大事である。それが、明日につながる、福祉のまちづくりのための障害者運動である、というものでした。講話が終わると、彼は、一杯のお茶をストローで啜(すす)り、車椅子に乗ってひとりで帰っていかれました。

筆者(阪野)は、彼女と彼の生き方については、とやかく言えないし、言うつもりもありません。このことを断ったうえで、あえて言えば、彼女の基調講演と彼の講話が、ともに社会福祉協議会の催 しによるものであることが気にかかります。両者の違いについて考えるなかで、関係者の「福祉教育観」を厳しく問い直す必要があるのではないか。そして、これまでの福祉教育実践は、障害や障がい者に対する「偏見」を助長し、「逆差別」を生み出 してきたのではないか。また、障がい者間の偏見や差別の問題を見過ごしてきた、いやあえて避けてきたのではないか。そんなことを考えてしまいます。また、それ故にか、彼の、福祉のまちづくりをめざして 「 共に『活きる』 」、 という言葉の重みが心に響きます。それは筆者だけでしょうか。

“車椅子”のつぶやき

ブログ読者 (K氏) からメールをいただきました。意味深長なものであり、アップすることにしました。ご感想やご意見等をいただければK氏にもお伝えしたいと思っています。

私は車椅子です。

私を利用してくれるのはKさんです。
Kさんは、地元地域 (ホーム) で、仲間とともに偏見や差別と闘っています。
また、Kさんは、学校などで、
自分の障害や家族生活などについて話をすることがあります。
そのときのKさんは輝いているように見えます。

Kさんと外出すると、いまだに、私は多くの人びとの注目を浴びます。
後ろで、私を押してくれる人がいるときも、視線はその人に注がれます。
私を利用して移動するのはKさんです。Kさんが主役です。
主客が転倒しているように思えてなりません。

私には、 「ボランティア」 という古い友人がいます。
その友人は、最近、地震や水害などの自然災害が起こったとき、
“動員” や “派遣” という形で、大活躍しています。
その友人の性格が分からなくなってきています。

先日、私は、背の高い、美しい仲間と出会いました。
彼女は、遠方各地 (アウェイ) で講演活動をしている人といつも一緒だそうです。
タレントのようなその人の話は、「人生の応援歌」でした。
逆に、Kさんらの生き方が心配になってきます。

日常生活上の “葛藤” や “ゆらぎ” に福祉教育の本質を見出したい

昨年12月28日にアップした「よんださんの子」をめぐって、複数のブログ読者から貴重なご感想やご意見等をいただきました。そのうちのSさんとは、「ディスカッションルーム」上で、N氏の散文とそれに対する筆者(阪野)のコメントをめぐって、若干の意見交換を行いました。その際、筆者は、「厳しい差別の現実に向き合わない福祉教育」「ICFの理念に酔っている福祉教育」等の、やや自虐的なフレーズをSさんに投げかけています。それらを踏まえて、筆者は、「よんださんの子」の原稿に、新たに 「 『偏見』や『差別』の現実を軽視した『共生』と『福祉教育』への想い 」 というサブタイトルを付けることにしました。
以下に、Sさんのご感想をアップさせていただきます。議論が深まることを期待します。

私が福祉教育の実践をしていて感じるのは、子どもたちに伝えられるのはどうしても「かたち」だけにとどまりがちである、ということでしょうか。
「差別」に関しても、おっしゃるように「共に生きる」が優先され、「上辺」だけというか、「かたち」だけになりがちです。
私のつたない経験談で申し訳ないのですが、私が中学・高校生の折、筋ジストロフィーの双子が同じ学校に通っておりました。二人とも車いす生活でしたが、そのころの学校にはエレベーターなどあるはずもなく、3階まである校舎を、移動教室があるたびに、「人力」で上へ下へと移動していました。その人力として活躍したのは、双子の同級生たちであり、他学年の生徒たちでした。
いまでは安全面からそのようなことは考えられないと思いますが、彼ら双子の周りにはいつも人がいて、みんなで助け合うことが当たり前になっていたのです。助け合うことは、生徒たちのごくごく自然な心情であり、態度であり、行動でした。
高校生のときに、双子のひとりは本当に残念ながら他界されました。もうひとりの子は、国立大学を卒業したと聞いております。私自身、彼らの生き方から実に多くを学ぶことができました。そこには、「福祉」や「価値観」について、学校や教師からの一方的な押しつけなどありませんでした。
日常の暮らしのなかで、相手の気持ちを考えたり、自分の行動を見つめ直したりする。一般的には間違いであったり、悪い感情として捉えられたりするような気持ちのやり取りや「葛藤」を経験する。こうした「ゆらぎ」があってこそ、いろいろなコトや面についての新たな“気づき”や考え方の“軸”が得られ、自分らしく、豊かに「生きる」ことができるようになるのではないか。このあたりに、福祉教育のめざすべきものがありそうだと思っています。
日常のなかでそういった経験ができた私は、ある意味「しあわせもの」だったかもしれません。
子どもたちを対象とした「福祉」の体系的な学習は、福祉教育を推進する側からするとやりやすいのですが、限られた時間のなかでは福祉教育の本質には近づけないということも理解できます。福祉教育にのめり込むほどに、福祉教育についての認識と実践に関して、矛盾やジレンマ、もどかしさを感じています。

蛇足ながら、筆者から一言。
人や社会の思考と行動には、冷たさと温かさ、弱さと強さ、狭さと広さ、などが同居しています。それらとどのように向き合い、それらをどのような角度で掘り下げ、そしてそれらをいかに鋭くあぶり出すか。それによってはじめて、Sさんのいう福祉教育の「本質」に迫る“糸口”を見出すことができるのではないでしょうか。

「福祉」と “ふくし” 、そして幸福学

昨年8月にH県社協で行った講演後に、受講者のお一人(民生委員)から「福祉」と「ふくし」のことに関していま一度確認したい旨のご連絡をいただいておりました。そのことが、2013年12月末にその年の手帳を読み返していた折に分かりました。遅ればせながら、次のように回答させていただきます。

「福祉」・・・「ふだんの くらしの しあわせ」「ふくし」
「しあわせ」・・・「満足していて、楽しいこと」
「福祉」・・・自分の、そしてみんなの「ふだんの くらしの しあわせ」(「ふくし」」)について、「いま」「ここで」、自分で、そしてみんなで「考え、汗を流すこと」

「しあわせ」(「幸福」)に関して、付け加えておきます。
ご案内のように、「幸福」(happiness、well-being)についての科学的な研究(「幸福学」)は、20世紀後半以降、心理学をはじめ経済学や社会学、医療や福祉の分野などで進められてきています。その用語や概念については、多義性をはじめ多様性や重層性、そして曖昧性をも多分に含んでいるといわざるを得ません。
一般的には、「幸福」は、「主観的幸福」(subjective well-being)と「客観的幸福」(objective well-being)に分けられますが、前者は「ネットワーク」「思いやりの心」「帰属意識」、後者は「健康」「所得」「地位」などをそれぞれ内実・要素として構造化されると考えられます。また、それらの関係をあえて図示するとすれば、図1のようになるのではないかと思います。
なお、蛇足ながら、「満足していて、楽しいこと」に関して、happiness(幸福)には「楽しさ」という意味もあります。また、19世紀のスイスの哲学者であるH.F.アミエルは「幸福の真の名前は満足である」といっています。さらに、生活満足度(life satisfaction level)は、生活の豊かさやゆとり、その質などに関する生活者本人による主観的な査定に基づくものであり、幸福度(happiness level)は「満足」をベースにした、生活者本人の健康状態や社会的境遇などによる心情的な評価に基づくものである、と考えられます。

「幸福」についての研究には、そのひとつとして、ソーシャル・キャピタル(社会関係資本:Social Capital、以下「SC」と略す。)についての研究枠組みやそれに関連する知見が「使える」のではないかと思料します。そこで、以下に、かつて筆者(阪野)がSCと市民福祉教育(Citizens Socio-education)に関して記した拙文を、多少長くなりますが、再掲します。なお、「教育」は、それによって環境やその変化への適応を可能にするという意味において、間接的に幸福に寄与することもある。しかし、教育自体としては主観的幸福(感)との関連性はほとんどない、という言説もあることを付記しておきます。

〇SCとは、人々の協調行動を活発にする「ネットワーク」(network:社会的つながり)と、そこから生まれる互酬性の「規範」(norm:「~べきである」と表現することのできる行動や判断の基準・手本。法律や道徳・倫理・ルール・慣習など)、それに一般的な人々に対する「信頼」(trust)の3つの内実・構成要素からなる状態をいう。3つの関係については、「ネットワーク」は「信頼」や「互酬性の規範」(norms of reciprocity:お互いさまの支えあい)を生み、「互酬性の規範」や「ネットワーク」から社会的な「信頼」が生まれるというように、互いに他者を増加・強化させる関係にある、といわれる。それは、SCが多く蓄積されている地域・社会では、豊かなネットワークのもとに人々の協調行動が起こりやすく、人々は互いに信頼しあい、互いに支えあって、地域・社会の発展を促す、という論理である(R.D.バットナム)。
〇SC論の中心には、人々の「個人的つながり」あるいは「社会的ネットワーク」は価値のある財産(「公共財」)である、という前提が据えられている。これは、イギリスのことわざである「(大切なのは)何を知っているかでなく、誰を知っているかだ」(It is not what you know but who you know )に通ずるものでもある。
〇SCと市民福祉教育の関係について論じる場合、先ずは、SCの形成にとって市民福祉教育はどのような役割を果たすのか、市民福祉教育の展開にとってSCはどのような意味をもつのか、ということが問われよう。
〇SCの醸成・蓄積・向上によって人々のつながりや社会的ネットワークが豊かに構築されるところでは、人々の、福祉の(による)まちづくりやそのための市民福祉教育への関心や理解、参加はその度合いを高める。また、福祉の(による)まちづくりや市民福祉教育への関わりが高い人々は、パーソナルネットワーク(個人を中心とした他者とのネットワーク)や社会的ネットワークとの親和性や価値を高め、SCの蓄積・向上を促すことになる。
〇地域に根ざした、地域ぐるみの豊かな市民福祉教育の実践はSCを形成する。豊かなSCの蓄積は、より豊かな市民福祉教育の推進につながる。換言すれば、SCは市民福祉教育を推進するためのひとつの資源であり、またSCを醸成するプロセスは市民福祉教育の推進のプロセスの一部でもある、といえよう。その点において、市民福祉教育の進展の度合いは、SCのひとつの指標になり得るといってよい。
〇SCと市民福祉教育の関係は相乗的に互いを促進しあう関係(好循環関係)になり得るが、場合によっては、その関係性がマイナスに機能することもある。例えば、前近代的な小地域において、人々の旧来のつながりが強いところでは、福祉の(による)まちづくりやそのための市民福祉教育の関心や理解、参加は抑制される。情報提供や意見交換、社会参加活動が普段のインフォーマルな関係のなかで事象的にはスムーズに行われるがゆえに、それがかえって計画的な福祉の(による)まちづくり施策の推進や系統的な市民福祉教育の展開などについての認識や理解を鈍らせることになるのである。
〇SCは、それ自体の醸成・蓄積を図るための取り組みのなかから形成されるものではない。それは、人々が抱える生活問題やその重要な一部分である福祉問題の解決を図り、福祉の(による)まちづくりを進める取り組みを通して、統治パフォーマンス(遂行能力)を高め、より良き統治を実現する、その過程のなかから生まれるものである。
〇SCと市民福祉教育の関係については、図2のように示すことができよう。
(『Lecture Notes 地域福祉・まちづくり・市民福祉教育』2012年、57~59ページ)

1月6日17時