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老爺心お節介情報/第31号(2021年9月20日)

「老爺心お節介情報」第31号

―井上英晴先生の「岡村重夫理論」の考察を読んで―

〇井上英晴先生の存在を認識したのは。先生が福岡県嘉穂郡穂波町社会福祉協議会の福祉活動指導員として、産炭地における生活課題に取り組んだ実践レポートを読んだことが最初であると記憶している。
〇その後、井上先生が大学院での論文を基に刊行された『福祉コミュニティ論』を読み、それを日本社会事業大学の大学院で教材文献として紹介し、その批判検討をした記憶がある。その本では、井上先生は、大橋謙策の福祉コミュニティ論の考え方は間違っていて、岡村重夫の福祉コミュニティ論が正しいと、大橋謙策論文を批判していながら、最後は大橋謙策の考えを何か肯定しているかのような論説の仕方をされていたことを思い出している(手元にその著書がないので確かめていない)。
〇この度、井上英晴先生が鳥取大学を退職して、高松大学発達科学部に移られてから書かれた、以下の論文を読み、久しぶりに“知的好奇心と興奮”を覚えたので、その一端を紹介したい。

①『岡村重夫の生活者原理(社会福祉の援助原理)には個別性の原理が含まれるのか』(高松大学研究紀要第51巻、P1~21、2008年投稿、
②『岡村重夫なのりこえられたかーー「地域社会関係(原理)」について』
(高松大学研究紀要第52=53巻、P1~24、P39~80、2009年投稿)
③『岡村重夫による和辻哲郎の需要と批判』
(高松大学研究紀要第56―57巻、2011年投稿)
④『死あるいは死ぬということと、岡村重夫の死の援助』
(高松大学研究紀要第58―59巻、P1~56、2012年投稿)

〇井上英晴先生は、岡村重夫先生の(岡村重夫講演「現代の社会福祉の特徴」『大阪市社会福祉研究』特別号、2002年、大阪市社会福祉協議会・大阪市社会福祉研修センター) “日本の研究者を見ていると、社会福祉の問題は一体何なんだということが研究されていない。社会福祉の本がたくさんあるが、どれを見ても全くつまらない。中身は大学の先生なんかが来ているんですけども、みんな紙屑みたいなものだと思いますね。・・・見たら全くつまらない。お金と時間のムダなんですね。それは何故かというと、社会福祉の「固有性」、社会福祉は何なのかということ、他のものとは違う、ここに特色があるんだということが研究されていない・・・福祉がなければ社会がつぶれてしまうという、そういう必然性があるんだということを証明していかなければならない”という言説を引用しつつ、岡村重夫先生の理論を多角的に、多面的に検討した論稿を書かれている。
〇上記した大学紀要の論稿はいずれも長文で、引用文献も哲学分野も含めて、多面的に引用されて、諸々の論説を丁寧に批判検討されている。先に述べた岡村重夫先生の言説の持つ意味を多くの社会福祉研究者並びに地域福祉研究者に考えて欲しいと思った。

①の論稿では、私は個別性が問われるのは“支援する側”の視点であり、“主体性”はサービスを必要とする人の側の論理であり、その両者の“合意”が重要であると考えた。訓詁学的に論議をするのではなく、“求めと必要と合意に基づく支援”の展開を心がける必要性を改めて感じた。
②の論稿では、岡本栄一先生の論説を巡っての検討であるが、そもそも岡本栄一先生の論説の立論に問題があると私は考えており、1970年代の岡村重夫先生のコミュニティケアの考え方や私の「施設の社会化論と福祉実践」(1978年)で書いた域を超えてはいないと感じた。
③の論稿は、岡村重夫理論が和辻哲郎の考え方を援用したものだということがよく分かった。ただ、主体性についての岡村重夫理論の考察はやや浅く、岡村重夫はどうしたら主体性が確立できるのかについて論説しきれていないことをもっと深めるべきではなかったかと感じた。この点は、戦前の海野幸徳等の積極的社会事業論との関係なども深めるべきではなかったかと感じた。
④の論稿は、岡村重夫の「死の援助」についての言説(岡村重夫は「死の援助」――死の相談を受けられないソーシャルワーカーは落第―と述べている)であるが、学生の「死の援助」に関わるレポートも引用しながら展開しており、福祉教育の教材、方法論の上でも考えることが多々ある論文である。ここでも、岡村重夫の社会福祉の「固有性」について論じている。

〇井上英晴先生のこれら一連の論稿は、今日の地域共生社会政策を考える上で、とても考えさせられる論点が多く含まれている。
〇老爺心お節介情報」第30号で書いた、特例貸付の方々や生活のしづらさを抱えた人日を支援する際に、その事象のみに囚われず、それらの事象を引き起こす社会構造が、ある人には強く働き、ある人は乗り越えるという“違い”を意識しつつ、それらの人々への支援のあり方を考えることこそが、対人援助としての社会福祉の「固有性」であると改めて考えた。「老爺心お節介情報」第30号共々読んで頂きたい。
〇また、私は、岡村重夫理論については、その原著は読んできたし、松本英孝著『主体性の社会福祉論――岡村社会福祉学入門―』(法政出版株式会社、1999年)や『岡村理論の継承と展開』善4巻、ミネルヴァ書房、2012年)も読んで、それなりに理解してきたつもりではあるが、こういう見方、考え方もあるのかと改めて岡村理論を見直す機会になった。

(2021年9月20日記)

小さな願望

最期までクリアな頭でいるには無理がある
死に方を選べるなら苦しみたくはない
たくさんのパスタをぶら下げられるのは御免被る
死を宣告されたなら延命治療は勘弁願おう

最期はきっと意識もなく逝くだろう
無信仰であっても光に導かれるかもしれない
魂や霊がしばらく彷徨(さまよ)うかもしれない
今生の別れを告げに来たと勘弁願おう

最期を自ら演出はできないだろう
予感もなく遮断されるかもしれない
躊躇なく下された最期に意識はきっとない
いまからでも少しずつ断捨離はしておこう

最期までの一刻一刻を大事にしよう
デタラメで気ままな暮らし方も面白い
その日の気分と体調で寝たり起きたりするのがいい
まだやるべき事があるからと死に神は遠ざけておこう

〔2021年9月20日書き下ろし。72歳の誕生日。最近82歳の師とよく死生観を話題にする。40歳の時に書いた延命拒否の文書を妻に託している。納得して迎えるには、いまをどう生きるか。大事な人たちから学び勇気づけられている〕

隗より始めよ

政治王道への回帰
安倍1強の終焉
官邸主導の改革
政高党低の是正
立法権の回復
リスク管理体制の強靱化
特に感染症への万全な危機管理
科学と人へのリスペクト

党内改革への本気度
旧習堅持の体制改革
派閥統制の悪弊打破
派閥領袖の世代交代
多元性の復活促進
私利私欲の言動制御

選ばれし者
隗(かい)より始めよ

〔2021年9月19日書き下ろし。まずはここからかな〕

阪野 貢/言葉とフレーズと福祉教育 :福祉教育は障がい者から感動や勇気をもらい、自分を演じるための教育的営為か? ―荒井裕樹を読む―

〇1970年代から80年代にかけて、日本脳性マヒ者協会「青い芝の会」神奈川県連合会の横田弘(よこた・ひろし)や横塚晃一(よこづか・こういち) らは、「障害者は不幸」「障害者は施設で生きるしかない」「障害者は殺されてもやむを得ない」といった固定的な価値観(常識)と闘った(下記[3]134ページ。注①②)。その後、「完全参加と平等」(1981年の「国際障害者年」)をはじめ「バリアフリー社会」「自立生活」「地域生活支援」「地域共生社会」、あるいは「共生共育」(インクルーシブ教育)などの実現をめざした障がい者運動が展開された。2016年4月に「障害者差別解消法」(「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」)が施行され、同年7月にはその対極に位置する「相模原障害者施設殺傷事件」が起きた。「差別を解消するための法律を作れば、そのうち差別は克服される」といってしまえるほど、この社会は単純な仕組みにはなっていない([3]13ページ)。元施設職員の犯人・植松聖(うえまつ・さとし)は「重度障害者は不幸をばらまく存在であり、絶対に安楽死させなければいけない」と断言した。そしていま、早くも事件の風化が進んでいる。ここに障がい者差別の「現在」があり、青い芝の会の「過去」の闘争やその思想が浮かび上がる。
〇筆者(阪野)の手もとに、荒井裕樹(あらい・ゆうき。専門は障害者文化論、日本近現代文学)の本が5冊ある(しかない)。(1)『まとまらない言葉を生きる』(柏書房、2021年5月。以下[1])、(2)『車椅子の横に立つ人―障害から見つめる「生きにくさ」―』(青土社、2020年8月。以下[2])、(3)『障害者差別を問いなおす』(筑摩書房、2020年4月。以下[3])、(4)『障害と文学―「しののめ」から「青い芝の会」へ―』(現代書館、2011年2月。以下[4])、(5)『差別されてる自覚はあるか―横田弘と青い芝の会「行動綱領」―』(現代書館、2017年1月。以下[5])、がそれである。
〇荒井は、「この社会に存在する数々の問題について『言葉という視点』から考えること」を仕事にする気鋭の「文学者」である。専門は、厳しい境遇に追いやられている「被抑圧者の自己表現活動」([1]20ページ)である。主な研究対象(テ―マ)は、障害や病気と共に生きる人たちの「言葉」であり、障がい者運動や患者運動に関わる(関わった)人たちの表現活動である。荒井はいう。1970年代に、障がい者の苦労をわかってもらうのではなく、世間の障がい者差別と闘った「青い芝の会」神奈川県連合会の横田は、「障害者は不幸」「障害は努力して克服すべき」という考えが常識だった時代に「なんで障害者のまま生きてちゃいけないんだ?!」と言った([1]151ページ)。障がい者運動家たちからもらった最大のものは、「『正しい』とか『立派』とか『役に立つ』といった価値観自体を疑う感覚」([1]244ページ)である。「ある人の『生きる気力』を削(そ)ぐ言葉が飛び交う社会は、誰にとっても『生きようとする意欲』が湧(わ)かない社会になる。そんな社会を次の世代には引き継ぎたくない」([1]29ページ)。荒井が依拠する基本的な視点や認識のひとつであり、ひとりの「学者」としての覚悟(姿勢)である。
〇[1]は、「言葉」に潜む暴力性を明らかにし、その息苦しさ(「言葉の壊れ」)に抗(あらが)うための18本のエッセイ集である。荒井は、「言葉の殺傷力」、特に2010年代以降に顕著になった「言葉が壊されている」現実に、猛烈な危機感を持つ。「言葉というものが、偉い人たちが責任を逃れるために、自分の虚像を膨らませるために、敵を作り上げて憂さを晴らすために、誰かを威圧して黙らせるために、そんなことのためばかりに使われ続けていったら、どうなるのだろう」([1]247ページ)。これが[1]の各エッセイに通底する問題意識である。空虚なスローガンやキャッチフレーズとともに、質疑や質問に向き合わず、討論やコミュニケーションを遮断した安倍政権の汚く卑劣な言葉やフレーズを思い出す。
〇[2]は、学術誌に掲載した論文と文芸誌やネットジャーナルに寄稿したエッセイの14本の論考から成っている。荒井の研究者人生「最初の10年間の総括」([2]222ページ)である。ほとんどの人が「車椅子の横に立つ人」を障がい者の「身内」か「介護者(福祉職)」と決めつけてしまう。障害や障がい者をめぐるある種の固定観念や思い込み(ステレオタイプ)にとらわれ、それを定型的・限定的に捉えてしまう狭い範囲での想像力は、何から生み出されるのか。障がい者が経験する現代社会における「生きにくさ(生きづらさ)」や、それをめぐる「語りにくさ(語られにくさ)」を言葉でどう捉えるのか。こうした「にくさ」が交錯(こうさく)する問題について考える端緒を開こうとするのが[2]である。そして荒井はいう。「いつか(その)正体を見極めて、ぶち壊したいと思う」([2]34ページ)。
〇[3]は、1970年代から80年代にかけてさまざまな抗議行動(闘争)を繰り広げた「青い芝の会」神奈川県連合会の問題提起を、その運動に参加した障がい者たちの言葉やフレーズ、思想や価値観などを通して丹念に振り返り、「障害者差別を問い直す」。例えば、青い芝の会が「障害者と対立関係にある健康な者」「障害者を差別する立場にいる健康な者」を「健全者」([3]73ページ)と呼んだ。あるいは、憲法第25条に規定された「生存権」を「生きる権利」「この世に存在する権利」([3]194ページ)という意味で使ったことなどに言及し、そこに青い芝の会の思想をみる。そして荒井はいう。「障害者本人たちが、障害者抜きに作られた『常識』に対して、異議申し立てを行なってきた経緯」([3]22ページ)について、その具体的な事例を一つひとつ調べていくことが重要である。障がい者差別についてあまりにも早急にあるいは短絡的に「解決」を求める発想は、「弱い立場の人に我慢や沈黙を強いたり、そうした『解決』に馴染(なじ)めない人たちを排除したりする方向へと進みかねない」([3]252ページ)。複雑に入り組んだ障がい者差別の問題について考える荒井のスタンス(立場)である。
〇本稿では、例によって我田引水的であるが、福祉教育(とりわけその実践)に関してしばしば見聞きする言葉やフレーズのいくつかを[1][2][3]から抜き出し、荒井のその論点や言説をメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

「障害」という言葉と定義
これまで「障害」は「不幸の代名詞」「生きにくさの象徴」のように考えられてきた側面がある。([2]192ページ)/「障害学」のなかでは、「障害」は二つに分類される。個人の身体的な欠陥や欠損、あるいは機能不全という意味の「インペアメント(impairment)」(医学モデル・個人モデル)と、社会的障壁という意味の「ディスアビリティ(disability)」(社会モデル)である。([2]187、188ページ)/「障害」は立場や見方によって定義がさまざまに変化し得る相対的なものである。([2]189ページ)
人は程度の差こそあれ、何らかの障害を抱えながら生きていると考えた方がよい。[2]190ページ)/自分には何ができて、何ができないのか。どこからが自分の手に負えない状況になってしまうのか。何かできないことに直面した際、誰に、どれだけのサポートを求めれば良いのか。自分のなかに「障害」を見出すというのは、こうした点について考えることでもある。([2]192ページ)
ここでいう「障害」とは、「ある特定の文脈や状況のなかで、他の多くの人がそれほど苦労せずにできることができず、そのことで日常生活に支障をきたすこと」という意味である。([2]194ページ)/人は誰しも「障害的要素」や「障害者的側面」をもっているはずであり、そうした内省(リフレクション(reflection))を通じて、社会を捉え返すことが大切である。([2]195ページ)

「障がい者」に対する紋切り型の表現
障害者に対する紋切り型の表現は、これまでも繰り返し批判されてきた。記憶に新しい例で言えば、Eテレの情報バラエティ番組「バリバラ(Barrierfee Variety Show)」が、日本テレビ系列の有名チャリティ番組「24時間テレビ」にぶつけて「障害者×感動の方程式」と題した番組を組み、障害者が感動や勇気を与える存在として描かれることを「感動ポルノ」(Inspiration porn)と批判したことが話題になった。([2]24ページ)
もともと「感動ポルノ」という言葉は、豪州(オーストラリア)のジャーナリスト、ステラ・ヤング(Stellar Young)のものとされている。Eテレの同企画を詳細に報じた『朝日新聞』(2016年9月3日)の記事は、当日の番組の様子を次のように伝えている。<番組では冒頭、豪州のジャーナリストで障害者の故ステラ・ヤングさんのスピーチ映像を流した。ステラさんは、感動や勇気をかき立てるための道具として障害者が使われ、描かれることを、「感動ポルノ」と表現。「障害者が乗り越えなければならないのは自分たちの体や病気ではなく、障害者を特別視し、モノとして扱う社会だ」と指摘した。([2]27ページ)
「不幸」や「悲劇」を健気(けなげ)な努力によって乗り越える障害者の姿が涙とともに「消費」されることは珍しくない。([2]113ページ)

障がい者の「役に立たない」という烙印
戦時中の障害者たちは、「お国の役に立たない」ということで、ものすごく迫害された。「国家の恥」「米食い虫」という言葉で罵(ののし)られた。/そうした迫害に苦しんだ人たちだからこそ、「障害者を苦しめる戦争反対!」とはならない。むしろ、なれないのだ。/迫害されている人は、これ以上迫害されないように、世間の空気を必死に感じ取ろうとする。どういった言動をとればいじめられずに済むか、自分をムチ打つ手をゆるめてもらえるかを必死になって考える。([1]104~105ページ)
誰かに対して「役に立たない」という烙印を押したがる人は、誰かに対して「役に立たないという烙印」を押すことによって、「自分は何かの役に立っている」という勘違いをしていることがある。/特に、その「何か」が、(「国家」「世界」「人類」などの)漠然とした大きなものの場合には注意が必要だ。/「誰かの役に立つこと」が、「役に立たない人を見つけて吊るし上げること」だとしたら、断然、何の役にも立ちたくない。([1]107ページ)

「障がい者はもっと遠慮するべきだ」という暴力
老若男女、障害や病気の有無にかかわらず、「遠慮」をまったく感じないでいられる人は現実的にはほとんどいない。だから、みんなが、どこかで、誰かに「遠慮」している。/それでも、障害や病気がある人の「遠慮」は、場合によっては命に関わる。([1]178ページ)
日本の障害者運動が最初に闘ったのは、「遠慮圧力」だった。/<生きるに遠慮が要るものか>というフレーズは、障害者運動の神髄だとさえ言える。/「みんな、それなりに遠慮しているのだから、障害者も弱者なんていう言葉にあぐらをかかず、もっと遠慮するべきだ」/いまでも、こうした意見を持つ人がいる。/でも、この世の「遠慮圧力」は、みんなに等しく均一にかかっているわけではない。やはり、どこかで、誰かに、重くのしかかっている。([1]183ページ)
自分たちが生きる社会のなかで、「生きること」そのものに「遠慮」を強いられている人がいることを想像してみてほしい。「遠慮圧力」が、ときには人を殺しかねないことを想像してみてほしい。/確かに、ある程度の「遠慮」は美徳かもしれないけれど、誰かに「命に関わる遠慮を強いる」のは暴力だ。([1]184ページ)

「障害は個性」「みんな違ってみんないい」という言葉
1990年代以降、「障害は個性」や「みんな違ってみんないい」といった言葉が、障害者との共生をめざす文脈でしばしば見かけられるようになった。しかし、これらの言葉は、どちらかというと「障害者と仲良くするための言葉」であり、障害者差別という人権侵害を抑止したり糾弾したりする「闘う言葉」ではないようである。([3]231~232ページ)
ある差別について語る言葉がない(少ない)ことは、その社会に差別が存在しないことを意味しない。むしろ、差別について語る言葉が少ないほど、その社会が差別に対して鈍感であることを意味している。([3]232ページ)

「障がい者も同じ人間である」というフレーズ
障害の有無にかかわらず、人は皆、等しくかけがえのない存在であり、等しい尊厳を有した存在であるという意味において、「障害者も同じ人間」というフレーズはまったく間違ってもいなければ、無力なきれいごとでもない。([3]235ページ)
「人間」とは極めて普遍的で抽象的な言葉だからこそ、ともすると、個々人の抱えた事情を一切無視して、少数者を多数者の論理に従わせたり、多数者の価値観を少数者に受け入れさせたりする抑圧的な言葉として、いかようにも転用できてしまう。/つまり、「障害者も同じ人間なのだから」という表現は、障害者に対して我慢や自制を強いる表現としても使われかねないのである。([3]236ページ)
障害者たちが障害者運動のなかで叫んできた「障害者も同じ人間」というフレーズは、「障害者も生物学上『人間』に分類される存在である」などといった意味ではない。運動の蓄積に鑑(かんが)みるならば、この言葉は「障害者も社会のなかで共に生活する者である」といったメッセージとして育て上げられてきたフレーズである。/「障害者も同じ人間」というフレーズは、「他の人々に認められている社会参加への機会や権利は、障害者にも等しく認められるべきである」といった意味内容で使われなければならない。([3]239ページ)

障がい者の「差別と区別は違う」という定型句
「差別と区別は違う」というのは、障害者差別が起きたときにも出てくる定型句である。/「差別」は不当に「されるもの」であり、「区別」は不利益が生じないように「してもらうもの」である。/「不利益の生じる区別」は「差別」だし、そもそも属性を理由に「不利益」を押しつけることは許されない。/「差別と区別は違う」というフレーズは、「それは差別だ!」と批判された側が思わず口走るというパターンが多かったように思う。([1]124、125ページ)
この社会は「権利」という概念に鈍(にぶ)いけど、それと対になって「差別」への感性も鈍い。「差別」への感性を鈍らせないためにも、「権利」に敏感でなければならない。([1]126ページ)

「隣近所」で生きる障がい者との「闘争(ふれあい)」
障害者が排除されるのは抽象的な「地域」ではなく、具体的な「隣近所」であることから、横田は「障害者は隣近所で生きなければならない」と言った。これは、「障害者は、目に見えて、声が聞こえる距離で生きなければならない」ということだ。障害者が身近にいない社会では、障害者はどんな人なのかといった想像力が希薄になる。([2]77ページ)
逆に、障害者にとっても、様々な人たちが混在している社会のなかで生きなければ、「自分とは何者か」「自分と社会はどのような関係にあるか」について考える機会を失う。「障害者が遠い社会」や「障害者にとって遠い社会」では、障害者について語る言葉も、障害者と語らう言葉も貧困になる。言葉が貧困なところに想像力は育まれない。([2]77、78ページ)
横田は、障害者は周囲の人々と軋轢を起こしながら・起こしてでも(「隣近所」で)生きなければならないと言った。小さな諍(いさか)いは、相手と言葉を交わし、相手が何者なのかを考える契機になる。横田が「闘争」という言葉に「ふれあい」というルビを振ったことは有名なエピソードだ。([2]78ページ)

「自己責任」という言葉とその不気味さ
「自己責任」という言葉に、おおむね次の三点において不気味さを覚えている。
一つ目は、2004年の「イラク邦人人質事件」で騒がれた時から、「自己責任の意味が拡大し過ぎている」という点だ。/これまでも、病気・貧困・育児・不安な雇用などで生活の困難を訴える人が、「甘え」「怠(なま)け」といった言葉でバッシングされることはあった。近年では、こうした場面にも「自己責任」が食い込んできた。([1]189、190ページ)
二つ目は、「自己責任」が「人を黙らせるための言葉」になりつつある、という点だ。/社会の歪みを痛感した人が、「ここに問題がある!」と声を上げようとした時、「それはあなたの努力や能力の問題だ」と、その声を封殺(ふうさつ)するようなかたちで「自己責任」が湧き出してくる。([1]190~191ページ)
三つ目は、この言葉が「他人の痛みへの想像力を削(そ)いでしまう」という点だ。/「自己責任」という言葉には「自らの行ないの結果そうなったのだから、起きた事柄については自力でなんとかするべき」「他人が心を痛めたり、思い悩んだりする必要はない」という意味が込められている。([1]191ページ)
「自己責任」というのは、声を上げる人を孤立させる言葉だ。/「従順でない国民の面倒など見たくない」という考えを持った権力者は、今後も「自己責任」という言葉を使い続けていくだろう。国民が分断されていることほど、権力者にとって好都合なことはないからだ。([1]195ページ)

人が「生きる意味」について議論すること
人が「生きる意味」について、軽々に議論などできない。障害があろうとなかろうと、人は誰しも「自分が生きている意味」を簡潔に説明することなどできない。「自分が生きる意味」も、「自分が生きてきたことの意味」も、簡潔な言葉でまとめられるような、浅薄なものではないからである。([3]234ページ)
私が「生きる意味」について、第三者から説明を求められる筋合いはない。また、社会に対して、それを論証しなければならない義務も負っていない。もしも私が第三者から「生きる意味」についての説明を求められ、それに対して説得力のある説明が展開できなかった場合、私には「生きる意味」がないことになるのか。/だとしたら、それはあまりにも理不尽な暴力だとしか言えない。([3]234ページ)
この社会のなかで、誰かに対し、「生きる意味」の証明作業を求めたり、そうした努力を課すこと自体、深刻な暴力であることを認識する必要がある。/重度障害者に対し「生きる意味」の証明作業を求めるような価値観は、必ず、重度障害者以外に対しても牙(きば)を剥(む)く。([3]235ページ)

〇上記の[4]は、「障害者によって描かれた文学」作品を研究対象に、それらの作品が生み出された文学活動の歴史と意義について考察する。具体的には、俳人で運動家の花田春兆(はなだ・しゅんちょう)と文芸同人団体「しののめ」、詩人で運動家の横田と「青い芝の会」神奈川県連合会をとり上げる。そして、「障害者自身がいかに自己の存在意義について悩み、いかに自己と社会との関係性について折り合いをつけてきたのか、その内省的な思索の変遷過程を、可能な限り同時代の障害者自身の文学表現から読み解いていく」([4]8ページ)作業を行う。それは、障がい者や障がい者運動の「内面史」を語ることでもある。荒井はいう。戦後日本の障がい者運動のなかでは、「文学は決して周縁的・副次的な存在ではなく、人脈を繋ぎ、思想を練磨していく上で、むしろ中心的な役割を果たしていたとさえ言える」([4]8ページ)。
〇上記の[5]は、横田が1970年5月に書き上げた「青い芝の会」の「行動綱領 われらかく行動する」(「補遺」参照)の解釈を通して、その歴史や思想、その意義について考察する。「行動綱領」は、「一人の重度脳性マヒ者が、この社会に厳然と存在する障害者差別に頽(くずお)れてしまわないために、自分を鼓舞し支えようとして綴った言葉」([5]299ページ)である。「青い芝の会」の活動には、「『自分たちの苦労と悲しみをわかってもらいたい』という迎合的な姿勢や、『障害のある人もない人も、共に手を取り合ってがんばろう』といった朗(ほが)らかな雰囲気は微塵もなかった」([5]14ページ)。彼らは、差別者を容赦なく徹底的に糾弾し、非妥協的で戦闘的な姿勢を貫き通した。荒井によると横田は、差別者と対峙して自覚的あるいは無自覚な差別を問いただし、その壁を乗り越えて明日を切り拓き、自分自身を解き放つためには「差別されてる側の自覚から湧き上がる怒りが必要だ」([5]299ページ)とした。障がい者(被差別者、被抑圧者)の「自覚」がキーワードである。ここに、『差別されている自覚はあるか』というタイトルの意味をみる。

社会のすべてが、障害者と共生する時が来るとは私には考えられない。/私たち障害者が生きるということは、それ自体、たえることのない優生思想との闘いであり、健全者との闘いなのである。(横田:[4]225ページ)

私達は生きたいのです。/人間として生きる事を認めて欲しいのです。/ただ、それだけなのです。(横田:[5]103ページ)

注
① 1970年5月に起きた実母による障がい児殺害事件に対する減刑嘆願反対運動をはじめ、優生保護法改悪反対運動および「胎児チェック」反対運動(1972年から1974年)、川崎バス闘争(1977年から1978年)、養護学校義務化阻止闘争(1975年から1979年)などがそれである。その概要と詳細は[3](41~47、128~145、150~176、188~220ページ)を参照されたい。
② 横田と横塚の言説(思想)については次の著作を参照されたい。
横田弘著『障害者殺しの思想』JCA出版、1979年1月
横田弘著、立岩真也解説『障害者殺しの思想(増補新装版)』現代書館、2015年6月
横塚晃一著『母よ!殺すな』すずさわ書店、1975年1月
横塚晃一著、立岩真也解説『母よ!殺すな(増補復刻版)』生活書院、2007年9月

補遺
横田の手になる「行動綱領 われらかく行動する」は、次の通りである([5]29~30ページ)。

荒井による各項目の解説文(「注釈めいたもの」)をメモっておくことにする([5]121~142ページの抜き書きと要約)。

一、われらは自らがCP者である事を自覚する
障害者運動は障害者が主体となり、障害者の主体性が発揮されるかたちでなされなければならない。そのためには自分がCP者(脳性マヒ者)であることを自覚し、CP者としての思考や考え方がなければならない。それがすべての原点である。
一、われらは強烈な自己主張を行なう
障害者が障害者のまま生きていくために、障害者としてしか生きられない自分の存在を「自己主張」すべきである。この社会の常識自体が障害者の存在を否定的に捉えている。そんな常識を<健全者エゴイズム>として捉え直さない限り、障害者は<自己解放>の道を歩むことはできない。
一、われらは愛と正義を否定する
母親がわが子を愛するが故に障害児を殺した事件が起きた。その愛を圧倒的多数の人たちが支持すれば、それは正義になる。その「愛と正義」の名のもとに、障害児は殺され、あるいは施設へと送られた(送られている)。「障害者のためを思って」という健全者だけに都合のよい「愛と正義」について、人間の心を凝視しなければならない。「福祉は思いやり」という発想も怖い。非常時に真っ先に犠牲になるのは障害者である。
一、われらは問題解決の路を選ばない
障害者が成し得ることは、「不満があるなら何か具体的な対案や代替案を示せ」という発想に応えることではなく、次々と問題提起を起こす以外にない。安易な問題解決は<安易な妥協>を生む。安易な妥協は、「正義」として受け止められ、「誰」が「何」を考えなければならないのかという点を曖昧にしてしまう。妥協は、弱い立場の者がしぶしぶ折れる(折られる)ことになる。

付記
本稿を草することにしたきっかけのひとつは、次の記事にある(『岐阜新聞』2019年9月5日)。

有言不実行

嘘を真のようにのたまう
耳障りのいい言葉を並べ重ねる
賢人ぶりを言動に匂わす
何度騙されても虚仮(こけ)にされても
そこから選ぶしかない 与党のリーダー

影で操る者たちのパワーゲームが始まった
駆け引き上手で老獪さを競うもう一つのゲーム
居並ぶ者の糸をいかに引くのか手腕が試される
何度も騙して裏切り自由なこの世界
いつも汚れていく与党のリーダー

中身のない誇大広告もどきの言葉が乱れる
やるかやれぬではないその場しのぎの言葉の羅列
やらなくてもやれなくても煙に巻く技だけ磨いている
矜持(きんじ)も沽券(こけん)もアクセサリーでしかない
有言不実行を実行する与党のリーダー

総裁になりたいだけの八方美人
鵜呑みにできない言葉が踊る表明ごっこ
アベに斟酌(しんしゃく)批判は封印さもしさ募る
綺麗事を並べて微笑むナルシスト
暗澹(あんたん)たる気分にさせる与党のリーダー

国会開けとこの期に及んで気勢を上げる
言葉に力のない者たちのもの悲しさが残される
批判に批判を重ねるだけで虚構に満ちた現実逃避
大同団結に乗じる大胆さの欠片も感じない
チャンスをみすみす逃す敵対するリーダーたち

有言不実行の世界は続く
だれも逆らうことなく諦める
だれも批判することなく甘受する
だれもが信ずることなく追従する

無言実行の世界は続く
だれも傍観するだけで言葉は要らぬ
だれも嘲笑するだけで言葉が弱る
だれもが沈黙するだけで言葉は消える

〔2021年9月17日書き下ろし。17日自民党総裁選候補者の所信発表に感じた言葉の軽さ〕

あずまし食堂オープン

黄色く色づけられたターメリックライスと
ルーを使わずスパイスだけで味付けられたチキンバターカレー
チキンは前日から煮込まれ柔らかく仕上がっているメインの一品
玉ねぎと人参のピクルス
カボチャチップスと野菜のサラダ
デザートにはカレーの辛さを和らげるヨーグルトムースのフルーツ添え

16日 空知管内月形町月形温泉ホテルのレストラン
あずまし食堂が家移りした記念の500円ランチメニュー
緊急事態宣言が30日まで延期されたので試食会はならなかった
ホテルの広い厨房で忙しく立ち働くボランティアに挨拶をした
出来上がったランチが運ばれ一人テーブルに座り試食した
カレーは汗をかくほどに心地良い辛さと旨味に舌鼓をうった
デザートを平らげると満腹感が襲った

正午過ぎパック詰めにされたランチを取りに三々五々やってきた
社協の役員・地域福祉実践計画あずまし推進会議の面々
久々に会う推進会議の方々と親しく挨拶を交わした
用意された50個の弁当は完売した
みんないい顔でオープンを祝い料金箱には千円札が貯まっていった
本来ならば町民こぞって祝いたい日であった
それでも関係者に社協の事業とボランティアの活躍の一端を
見てもらうには効果的な一日ともなった

食堂は社協のあずましプランの事業のひとつとして始まった
毎月第3木曜日 ボランティアが腕を振るった
味もボリュームも満点だった
コロナ禍でホテルの経営がままならずレストランを閉鎖した
再開するにはダメージが大き過ぎた
ホテルの宿泊客も素泊まりになった
併設する温泉は町民が利用しているが営業は苦しい
厨房の施設設備を腐らすのはもったいないと
町から社協にその使用が許可された
1年半眠っていた厨房をオープンにこぎ着けるまで
清掃や設備のメンテナンスはどれだけ大変だったろうか
プロ仕様のキッテンまわりと広さを見て納得した
ここを拠点に町民の集うしゃべり場づくりが目的となった

月形町社協の地域福祉実践計画あずましプランは第3期の策定に入った
町民主体の計画づくりのアドバイザーを任じられ今日のオープンに参加した
社協の本気度と町民のやる気を身近に感じた食堂オープンとなった
片付けが一段落してO事務局長は事務所に戻った
30分後局長と共に若い二人の担当者との打ち合わせが始まった
今日の仕事のメインは来月の計画策定のための推進会議の運営だった
2期目5年の実践の内容と評価を含め事業の検討を諮る準備をした
11月に開催する町民フォーラムのグループワークのテーマをランダムに挙げた
地域の共通課題を抽出して町民の意向を反映する協議の下ごしらえだ
一晩うるかして翌日改めて協議することにした

人のぬくもりが溢れた一日だった
温泉に身を沈めて疲れを癒やした
コンビニで買い求めた酒と肴で夕食を済ませた
まだひとつ仕事が残っていたが疲れと酔いがまわった
朝4時からパソコンの前で昨日の情景を思い出している
来月のあずまし食堂が町民の憩いの場となることを強く願った
そしてその場にいてそのぬくもりを共に感じたいと切に願った

〔2021年9月17日書き下ろし。社協の福祉実践計画を月形町では「あずましプラン」と呼ぶ。あずましいとは「ゆったりして落ち着く、心地よい、気持ちが良い」という東北や北海道の言葉である。あずましいコミュニティづくりをめざした計画は10年目を迎え、次の5年第3期の計画づくりに入ったが、対面での会議が開かれず、委員はみな10月の開催を持ち臨んでいる〕

青虫と大根の葉

初めて秋大根の種を蒔いた
おでんにしようと企んだ
芽が出てしばらくして間引きした

葉も大きくなってきた矢先
突然虫に食われ始めた
自然の摂理とわきまえてほったらかした

虫の侵攻は止まるところを知らず
葉脈を残すばかりとなった
骸骨みたいな無惨な姿をさらした

今朝何気なく間近で観察した
葉脈に沿って青虫が張り付いていた
全く気づかなかった

無農薬で枝豆もトマトもゴーヤーも育ってきた
多少虫に食われても分かち合いを楽しんだ
ここまでやられた以上はちょっと許せなかった

青虫を一匹ずつ指でつまみ退治した
さてさて無知なる失敗から回復するのか
これからの大根の観察が楽しみになった

いのちを喰(く)らうものとのせめぎ合い
小さな畑で起こった生存競争
そこに人間の欲が絡んで青虫は駆除される

権力を弄(もてあそ)ぶ大根役者のせめぎ合い
三人三様でも同根でしかないお粗末さ
そこに改革の芽があれば青虫に駆除される

〔2021年9月16日書き下ろし。どの世界にもいる青虫、監視は続けることにするか〕

おまえさんが嫌い

偉そうに語るばかりで
優柔不断で束ねられぬ
おまえさんが嫌い

言葉が軽くて
信用されず説得できぬ
そんなおまえさんが嫌い

誰かの顔色うかがい
なまずるい魂胆見える
だからおまえさんが嫌い

取り巻きも不機嫌そうな顔揃え
守るばかりか内輪でもめる
そんなおまえさんが嫌い

右も左も懐柔する懐もない
自愛な小心者に誰がつく
だからおまえさんが嫌い

一発で世の中なんて変わらない
そもそも覚醒させる度胸もない
そんなおまえさんが嫌い

チャンスに凡打を繰り返す
先も読めないビジョンも乏しい
なおさらおまえさんが大嫌い

居座り続けて檄飛ばす
心に響かず反感招く
いまさらやっぱり嫌いなおまえさん

〔2021年9月15日書き下ろし。嫌いなおまえさんって誰かって? 誰かな?〕

83歳が描く終活の里づくり

NPO法人理事長Y氏のビジョンに 強いインパクトを受けた
御年83歳は いまも矍鑠(かくしゃく)としてリーダーシップを発揮する
登別市内で 地域食堂「ゆめみーる」を仲間とともに運営する
いまはフードバンク事業を興し 母子食堂を構想企画する
食堂の2階は 子どもたちの学習室
隣の空き家を 子どもの遊び場に開放する
地域で子育てしようと 子どもを大事にしてきた法人だ
「実は500坪ほど隣に土地を買ったんですよ」

案内されて現場に立った
古い家屋も解体し 更地にしていた
「ここに老人の終の住処を建てようと思ってるんです」
「老人アポートのようなもの?」
「立派な家にいても、一人ぼっちになって寂しい思いをしている人がずいぶんいます。空き家にするところも目立ってきてます。いっそ元気なときに断捨離で財産整理をして、同じような境遇の人たちと肩寄せ合って暮らすのもいいかなと。墓じまいではなく家じまいですね。そんな人を対象に、終活の家を建てようかと考えてるんです」
「すごい! サ高住よりも自立性が高くていいですね」
「アパートでも戸建てでもいいんですが、人生の残された時間を穏やかに過ごす小さな家づくりです」
「食堂もあるから、自炊が難しくなったら食事のことは心配ないですね」

こんな暮らし方を求める人がいれば 近い将来実現するだろう
子どもらの声を身近に聞きながら 一緒に時を過ごす
独り身なのか 夫婦世帯なのかで 家の大きさも違ってくる
戸建てを 横につなぐ回廊をつけるのも楽しい
支援が必要になれば NPO法人の仕事づくりにもなる
隣の畑も活用できると Y氏のビジョンは広がる
木立に囲まれた更地に いつか終活の里が実現する
更地に立って 二人で空想を巡らした

「ただ私もそろそろ自分の終活を始めなければなりません」
このビジョンを引き継ぐ人たちが 新たな在宅福祉を創る担い手となる
83歳は 「ゆめみーる」現場のいまも福祉人だと痛感した
敬愛してやまない先駆者の生き様とビジョンを 強く心に刻んだ
久しぶりの里帰りは 突き動かされる熱いものに満たされていた

〔2021年9月14日書き下ろし。発想も行動も凄い! 圧倒されます〕

老爺心お節介情報/第30号(2021年9月6日)

「老爺心お節介情報」第30号

Ⅰ 「新型コロナウイルス感染症特例貸付に関する社協職員アンケート報告書」(2021年8月、関西社協コミュニティワーカー協会)の感想

〇以前から、兵庫県社会福祉協議会の広報紙に掲載されていた特例貸付に関する社会福祉協議会職員の取組の姿勢、考え方に共感しており、私の知っている関係者にもそれを情報共有させてもらってきていた。
〇また、同じような思いから、私が関わっている富山県や香川県等の関係者に、この特例給付事業を単なる“貸付”に終わらせることなく、この事案は社会福祉協議会にとって“宝の山”と考えて、これらの問題に対応できるように社会福祉協議会の活動、組織を見直すべきだと言い、特例給付関係の資料の整理の必要性を述べてきた。
〇この報告書の「自由記述欄」に書かれていることは、まさに社会福祉協議会の活動のあり方を考え直すヒントがたくさんある。新型コロナウイルスの件に伴う生活困窮の問題は、かつて1960年代に江口英一先生が指摘していた「不安定就業層」の問題であり、それがリーマンショックの時と同じように、顕著に表れたと考えている。この対策は、経済的支援の問題が最も重要ではあるが、それ以外に、今日の生活困窮者自立支援法で問題にしている課題や地域でのソーシャルサポートネットワークの脆弱性にも社会福祉関係者は目を向けるべきである。その点を社会福祉協議会関係者が最も関心を寄せるべき点であり、その上で、それらの課題にどう対応してきたのか、反省も含めて組織のあり方を考え直すべき課題であると思っている。その点で、P.128~9の自由記述の欄の内容とP.144の第1章のまとめ、P.150の第2章のまとめとの間にはやや齟齬があると思えた。経済的給付に関わる制度及びその対応体制の問題と“生活困窮を抱えている人へのソーシャルワークアプローチ”とは、意識して分けて考える必要がある。私は、後者の問題を重視し、そのソーシャルワークアプローチができないと、今後社会福祉協議会は生き残れないと考えている。それらの点について、大いに論議したいものだと思った。

Ⅱ 『生活クラブ千葉グループの挑戦――生協がなぜここまでやるのか』(2021年8月、中央法規、2000円)の感想

〇従来の消費者生協とはやや異なる発想で、住民の多様な生活課題に対応してきた「生活クラブ生協」の実践をまとめた本である。千葉県の生活クラブ生協の実践は、2000年代以降の千葉県における地域福祉に大きな影響をもたらした。時あたかも、労働者協同組合法が2020年12月に議員立法で成立し、2022年末までの施行となる。
〇韓国、ソウル市で実践している「ソンミソン」の実践も、一定地域に集積して、医療、芸術、コミュニティカフェ、学校などの多様な活動を重層的に、生協組織として展開している。ある意味、「コミューン」のイメージがあるとみてきましたが、それと同じような発想で生活クラブ生協は活動を展開しているのではないかと思った。

Ⅲ 『伴走型支援――新しい支援と社会のカタチ』(奥田知志・原田正樹共編著、有斐閣、2000円、2021年8月)の感想

〇生活困窮者支援法や地域共生社会政策作りに関わった研究者、実践家の“思い”が凝集された本である。社会福祉協議会関係者、地域福祉研究者は是非学んで欲しい。
その感想の一端を記しておきたい。

(1)生活困窮者、生活のしづらさを抱えている人を発見し、その人々との「つながり」を作り、信頼関係を構築して支援していく姿勢、哲学、関わり方の際の言葉遣いなどに込められた気持ちには学ぶことが多々ある。
(2)そのうえで、強いて述べるとすれば、ソーシャルワーク実践としての支援において、かつ地域福祉研究として深めなければならない点が幾つかある。

①生活のしづらさを生み出す社会的要因と個々の生活のしづらさを抱える人の問題とが、やや安易につなげて論じれている。同じ、社会的要因の中でも、その影響を“受けている”人は、どのような関り、個別要因が働いてそのような状況になったのかを丁寧に分析する必要がある。マス、マクロとしての社会的要因が、ある人には影響がさほどでなく、ある人には厳しく働いてしまう点へのアプローチ、分析を丁寧にする必要がある。そのことは、生活困窮者や生活のしづらさの“事象”を問題にするだけでなく、それらの問題を抱えている人の個人的要因とその人の置かれている社会的環境、要因との接点に関わるというソーシャルワーク実践の根幹の問題である。
②ソーシャルワーク実践には、生活のしづらさを抱えている人の生きる希望、生きる意欲、生きる見通しを引き出し支援する機能があり、戦前においてはそれを“積極的社会事業”として位置づけていた。このようなソーシャルワーク実践の歴史に触れることなく、“新しい支援”というのは、ソーシャルワーク研究をしてきたものにとっては悲しい。社会福祉の歴史も含めてソーシャルワークをきちんと学んで分析することが研究者としての務めである。
③「新しい支援」はどういうシステムで行われるべきなのか、その点での論述がない。「社会のカタチ」という言葉を使っているが、それはどのようなシステムを通して具現化されていくのか、地域福祉研究としては考えていかねばならない課題である。とりわけ、生活のしづらさを解決するために、厚生労働省も言っている参加支援、地域づくりをも考えた重層的支援では、地域におけるソーシャルサポートネットワークの構築に関わることが重要であると筆者は考えているが、それが「社会のカタチ」につながると思うのだが、論述がない。このことは、①の論点ともつながる。
④生活のしづらさの“事象”は、「ホームレス」(ハウスレスとは違う)やごみ屋敷といった“事象”に現れ、それを解決するために支援を展開することになるが、それらの“事象”を抱えている人の「生きづらさ」の実態、事象と「生きづらさの理解」(向谷地生良)はどれだけ深められて、かつ関係者の共有化が図られているのであろうか。その「生きづらさ」は、その人の生育過程にかなり関わる場合もあるし、その人の生活技術能力・家政管理能力との関りもある。また、それは、その人の人間関係、社会関係の持ち方にも関係があるのか、それとも自己表現能力との関りや自分の気持ちの言語化に問題があるのかといった要因が十分に分析(アセスメント)されず、“事象”の解決だけに目がむいてしまうことは、①の論点とも関わるが、ソーシャルワーク実践としては如何なものであろうか。
生活のしづらさを抱えている人々の特色的概況を社会福祉関係者が情報共有したうえで、個々の事案に“レッテル貼りで臨む”のではなく、その人の個人をよくアセスメントして対応することが肝要なのではないか。

(3)コミュニティソーシャルワークの特色は、生活のしづらさを抱えている人(経済的困窮者への経済的給付だけでは解決できない人、在宅福祉サービスなどの非貨幣的ニーズへのサービス提供(三浦文夫)だけでは解決できない“問題”を抱えている人)の“問題解決”(課題解決とは違う)において、制度化されたフォーマルケアサービスを最大限に活用しつつ、それと住民が有しているインフォーマルケアとを“有機的に結びつけて“支援を展開するところに特色がある。
したがって、コミュニティソーシャルワークは“個別支援と地域づくり”ではなく“個別支援を通して、その問題と切り結ぶことによる地域づくり、地域住民の意識変容を図る営み”である。そこがコミュニティワークとも違うところであるし、“地域を基盤としたソーシャルワーク”とも違うところである。
生活のしづらさを抱えた人への重層的支援の重要なポイントの一つは、この個別支援を通じて、その人の地域生活支援と社会活動支援を展開する上での地域のかかわり方、社会のかかわり方を変えていく営みである。

Ⅳ 雑感

〇このところ、司馬遼太郎の『峠』(新潮文庫、全3巻)や『山田方谷伝』(宇田川啓介著、上下、振学出版)、『山田方谷』(童門冬二著、学陽書房)を読んだ。幕末の混乱期に老中を勤めた藩の家老を勤めた山田方谷と河井継之助に関わる小説である。『峠』は越後長岡藩の河井継之助を取り扱ったもので、『山田方谷伝』、『山田方谷』は備中松山藩の山田方谷を取り扱っている。
〇これらの本を読んでいて、驚いたことは、幕末の歴史に登場している人間、例えば勝海舟、西郷隆盛、福沢諭吉、大久保利通らは、相互に訪問して、交流をしている関係にあったということを改めて認識させられた。幕末の力学に関しての自分の無知ともいうべきことを痛感した。江戸時代という交通が不便な時代に、お互いが切磋琢磨して、意見を戦わし、情報を収集し、行動規範を求めていたことは本当の驚きであった。
〇と同時に、福沢諭吉の『西洋事情』が当時15万部ともいわれるほど刊行されており、 多くの識者が“西洋事情”を知りながら、“尊王攘夷”を掲げた意味等を改めて考えさせられた。と同時に、地域づくりの持つ意味も考えさせられた小説であった。

Ⅴ シルバー産業新聞連載第9回

『地域共生社会づくりに必要な
新しい地域包括ケアシステムとコミュニティソーシャルワーク』

「地域共生社会政策」の理念である全世代対応型重層的・包括的支援を展開していくためには、新たな地域包括ケアシステムとコミュニティソーシャルワーク機能が必要になる。
新しい地域包括ケアシステムの構築には、現在の介護保険法に位置づけられ、全国に約4500ある地域包括支援センターが改組・発展整備されることが最も可能性のある取組であると筆者は考えている。
既存の地域包括支援センターは、市町村を基盤としつつ、日常生活圏域毎に既に設置されており、重層的支援の一つのシステムとして構築されている。その名称が“高齢者包括支援センター”でなく、“地域包括支援センター”と命名されたのは、厚生労働省の担当者がいずれは高齢者のみならず、子ども・家庭支援、障害者支援をもできるように考えて命名したと仄聞している。
市町村圏域では、障害者分野の支援における障害者相談支援専門員制度があるし、母子保健分野では子育て世代包括支援センターの制度等があるが、これらは日常生活圏域毎の展開にはなっていない。福祉サービスを必要としている人や家族の困りごとが、縦割りの社会福祉行政でたらい回しにされず、かつ家族全体の抱える問題に対し日常生活圏域においてワンストップで対応するシステムとして既存の地域包括支援センターを改組することが最も近道であり、それにより住民の距離的、心理的福祉アケセシビリティは格段に飛躍する。
新たな「地域包括支援センター」システムの運営においては、現在属性分野ごとに、かつ制度ごとに、その担い手である職員の養成・研修を行っている仕組み自体を変え、新たな「地域包括支援センター」を担える職員(ソーシャルワーカー)を育てなければならない。
筆者は予てより、日本には社会福祉行政を含めて社会福祉実践を担う分野横断的な一元的職員論がないことが問題であると指摘してきた。その職員は、地域自立生活を支援するために、地域のあらゆる社会福祉問題に最低対応できるジェネリックソーシャルワークによる職員養成が必要であると指摘してきた。と同時に、そのソーシャルワークを展開できるシステムを市町村に構築する必要性も指摘してきた(註)。
市町村の日常生活圏域ごとに構築される新たな「地域包括支援センター」には、従来にない新たな機能であるソーシャルワーク機能、とりわけコミュニティソーシャルワーク機能を遂行するできるシステムを構築することが求められている。
それは、①相談を持っているだけではなく、アウトリーチによる問題発見ができるシステム、②サービス提供だけでなく、伴走的、継続的支援ができるシステム、③複合的問題に対応する専門多職種のコーディネート機能ができるシステム、④住民のインフォーマルケアの力を醸成し、福祉サービスを必要としている人の個別問題解決につなげるコーディネート機能などである。
ところで、地域共生社会の理念である福祉サービスを必要としている人を孤立させず、それらの人々が地域から蔑視、排除することなく、地域、社会においてそれなりの役割を担い、社会的に評価される重層的、包括的支援を展開することが今喫緊の課題として求められている。
それを実現していくメルクマールは、福祉サービスを必要としている人や家族のソーシャルサポートネットワーク(情緒的支援、手段的支援、情報的支援、評価的支援の4つの機能)を地域で個別課題毎にどれだけ構築できるかである。
しかも、地域で暮らす単身の高齢者や障害者が増大していく中で、従来家族に依存していたゴミの分別、各種契約書類や行政からの書類の管理・申請手続き、預貯金の管理、時には入退院等に際しての保証人の有無、更には看取りや葬儀、遺骨の取り扱い等の終末期ケアが日常生活圏域で社会的システムとして必要になってきており、新しい「地域包括支援センター」では、それらの課題にも対応することが求められている。
新しい「地域包括支援センター」に求められる機能を端的に述べるならば、「福祉サービスを必要としている人のナラティブを尊重した社会生活モデルに基づき、ICFの視点でケアマネジメントの手法を活用したコミュニティソーシャルワーク機能」であり、そこでは制度化されたフォーマルなサービスと近隣住民のインフォーマルケアとを有機化させる機能がシステムとして不可欠である。
筆者は、このような機能が求められる新しい「地域包括支援センター」ではコミュニティソーシャルワーク機能が必要であると考え、その養成・研修を全国各地で展開してきた。
これらのコミュニティソーシャルワーク機能の実践を展開していくためには、地域を基盤として成り立つ社会福祉法人としての市町村社会福祉協議会が大変重要なポジションにある。
全国の市町村社会福祉協議会が、これらの課題に堪えられるように、現状の“行政以上に官僚的な組織で、硬直した姿勢”と揶揄される状況からどう脱皮し、社会福祉協議会の組織としても、職員個々人の資質としてもコミュニティソーシャルワーク機能を具現化できる力量をどう高めて、新たな「地域包括支援センター」の一翼を担えるかが大きな課題である。
全国的には、「まるごと相談員」やコミュニティソーシャルワーカーを日常生活圏域に配置して、その取組を展開している市町村社会福祉協議会がみられるが、全体的には未だ十分とは言えない。福祉サービスを必要としている人を地域から排除せず、地域で包摂できるようにするためにも、ソーシャルサポートネットワークを身近な地域で構築できる可能性を秘めている市町村社会福祉協議会への期待は大きい。

(註)筆者は日本学術会議の第1部会員をしている2003年に、「ソーシャルワークを展開できる社会システムづくりへの提案」を日本学術会議の対外報告として取りまとめ、全国の市町村に配布をした。

(2021年9月6日記)