阪野 貢 のすべての投稿

「お政(まつ)りマンボ」

私の知ってるおっさんは
北の生まれで チャキチャキ道産子(どさんこ)
お政りさわぎが大好きで
呑んでくだ巻いて 政りを語る
習はたくらみ トランプ脅す
朝から晩まで ぼっちゃんかついで
ワッショイワッショイ
ワッショイワッショイ
支持率上げろ 金もっとおくれ
ワッショイワッショイ
ワッショイワッショイ
ソーレ ソレソレ お政りだ

おっさんおっさん 大変だ
やばいよぼっちゃん ボチャンと落ちる
すげ替え近いよ 選挙はすぐだ
何をかいわん ワッショイショイ
盛り上げようぜ ワッショイショイ
ワッショイワッショイ
ワッショイワッショイ
ソーレ ソレソレ お政りだ

ぼっちゃんぼっちゃん 飽きられた
恥をさらすの みっともない
政りさわぎも 絶好調
寒い懐(ふところ) 里帰り
今度の選挙も 勝たせて下さい
朝から晩まで 支持者を回る
ワッショイワッショイ
ワッショイワッショイ
景気を上げろ 金もっとおくれ
ワッショイワッショイ
ワッショイワッショイ
ソーレ ソレソレ お政りだ

戦い終わって 日が暮れた
つめたい世間に しばかれて
バッジなくした おっさんは
へたりくさった おっさんは
そっぽ向かれて ただ恨み節
いくら泣いても かえれない
いくら泣いても 後の祭りよ

ワッショイワッショイ
ワッショイワッショイ

〔2020年6月23日書き下ろし。原六朗作詞作曲・美空ひばりの「お祭りマンボ」を替え歌に。ひばりさんフアンには平にご容赦ください〕

噴水に戯れる幼子

札幌大通公園の噴水が 
夏の暑い日を浴びて
キラキラと 硝子のように屈折する
それを一瞬遮(さえぎ)るように
幼子(おあさなご)二人が 陰となる

嬉しそうに 池の中で はしゃぐ
風向きが変わり
煌めく飛沫を 顔に浴びて
屈託のない大きな笑い声をあげる
噴水の音は 一瞬に消され
光と水の世界に戯れる㓜子らを
冷たい飛沫が やさしく包み込む

さりげなく幼子のいる夏の風物詩
見守る者たちの 安らぎの時を刻む
風に踊る飛沫は
幼子らに キラキラ世界を夢見させる

〔2020年6月22日書き下ろし。札幌市は6月19日、大通公園などの噴水を通水させた。いつもの夏と変わらぬ夏であってほしい〕

共感の世界:「教育は集団的営為であり、市民的成熟に資することである」ということ―内田樹著『サル化する世界』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)は「鳥居一頼の世界」(本ブログの「鳥居一頼の世語り」)が好きである。その理由は、切れ味の良い厳しい言葉とともに、多くの発言内容に「共感」することにある。とりわけ、これまで積み重ねられた地域・生活経験や知識・知性に基づく尖鋭(せんえい)で確かな批判的言説、にである。鳥居は、多岐にわたる地域・生活の実相を多角的に鋭く分析し、的確に評価する。問題点を深掘りし、課題を容赦なく抉(えぐ)り出す。そして、それらを「散文詩」に乗せる。そのジャンルは、福祉や教育、政治、経済、社会、文化などと広い。また、たまに登場するウイットに富んだ一節も面白い。
〇鳥居は、詩作の際には、時に仏の顔になり、時に鬼の形相(ぎょうそう)になっているのであろう。しかも、その過程で鳥居がとる立ち位置や姿勢は、多様な地域・生活課題を「我が事」として引き受け、自分の言葉に体を張る、というところにある。また、その基底には、人間の実存すなわち、いまをよりよく生きようとする人たちへのこだわりと覚悟があり、その人たちとの相互実現がある。
〇鳥居にあっては、その人たちとは、人間の尊厳が踏みにじられ、地域・社会から邪険(じゃけん)に扱われ、切り捨てられる人たちである。「鳥居一頼の世界」を別言すれば、「人間愛」の世界であり、「福祉と教育の思想」である。
〇筆者は「内田樹の世界」への旅を重ねてきた。今回は内田の新刊書『サル化する世界』(文藝春秋、2020年2月。以下[1])を旅することにした。[1]は、雑誌のコラムや講演録、対談やインタビューなどを加筆修正し、再構成したものである。内田にあっては、挑発的なタイトルの「サル化」とは、「今さえよければ、自分さえよければ、それでいい」という時間意識の縮減や自己同一性の委縮した人たちが主人公になっている歴史的趨勢(過程)のことを言う。「サル」は、中国の「朝三暮四」(ちょうさんぼし)という説話に由来する(補遺① 参照)。
〇日本社会ではいま、「身の丈(たけ)にあった」「期待される」「自分らしい」生き方が推奨あるいは強制されている。それは、生き方の定型化・固定化を促すものである。「成熟」とは多様に「変化」し「複雑化」することであるが、それを認めないのが現代社会である。人びとが感じている「生きづらさ」や「息苦しさ」の原因のひとつは、ここにある。そのような視点から、内田は[1]で、自分の身の丈を超えて自由に多様に生きることを提案する。人間は、成長するにつれて、「考え方が深まり、感情の分節がきめ細かくなり、語彙(ごい)が豊かになり、判断が変わり、ふるまいが変わる」(8ページ)。それが「成熟」である(「なんだかよくわからないまえがき」)。
〇以下に、[1]で筆者が「共感」する2つの視点・言説に限ってメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

教育の主体は集団であり、「共同体の存続」をめざす営為である
教育する主体は集団である。そして、教育の受益者も集団である。教育は集団の義務である。教育の受益者は子どもたち個人ではなく、共同体そのものである。共同体がこれからも継続して、人々が健康で文化的な生活ができるように、われわれは子どもを教育する。(216ページ)。
「教師団」には、今この学校で一緒に働いている人々だけではなく、過去の教師たちも未来の教師たちも含まれている。そういう広々とした時間と空間の中で、教育活動は行われている。そして、そういうような時代を超えた集団的活動が可能なのは、教育事業の究極の目的が「われわれの共同体の存続」をめざすものだからである。(219ページ)
教育政策の適否を計る基準は一つしかない。それはその政策を実行することが子どもたちの市民的成熟に資するかどうか、それだけである。市民的成熟に関係のないこと、それを阻(はば)むものは教育の場に入り込ませてはいけない。そういう基準で教育政策の適否を判定する習慣をわれわれは失って久しい。それが現在の日本の教育の混乱と退廃をもたらしている。(219ページ)

相互扶助的な共同体は「持ち出し」覚悟の私人から立ち上がる
地域社会の相互扶助的なマインドは簡単に無くなってしまった。共同体は簡単に崩れてしまう。これから先、日本社会はゆるやかに定常経済に移行してゆく。そんななかで、相互扶助的な共同体を再生する必要がある。(260、261ページ)
相互支援の共同体を立ち上げるというのは、基本的には行政の支援を当てにするのではなく、私人が身銭を切って、自分で手作りする事業である。「持ち出し」である。私人たちが持ち寄った「持ち出し」の総和から「公共」が立ち上がる。はじめから「公的なもの」が自存するわけではない。公的なものは私人が作り出すのである。(269、270ページ)
今、市民たちはどうやって「公的なもの」から私権・私物を取り出すことができるかを競っている。政府は、国民に対して「私権を抑制しろ、私有財産を差し出せ」とうるさく命令している。逆である。国民が自発的に私権を抑制し、私有財産を贈与するときに、そこに公共が立ち上がる。(270ページ。補遺② 参照)

〇内田の新刊書に、平川克己との対談本『沈黙する知性』(夜間飛行、2019年11月。以下[2])がある。対談のテーマや内容は、言葉や世論にはじまり、日本社会の衰退やグローバリズムの終焉、そして村上春樹や吉本隆明等々、多面的かつ多層的である。ここでは、[2]における次の3つの言説だけを再認識しておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

言葉に対する怯えや覚悟
何かを語ろうとしてる人間はみな「自分が発信している言葉は、誰かの言葉をパラフレーズ(言い換え、置き換え)しているだけかもしれない」ということを自覚しておく必要がある。その自覚がないから、自分たちの思考がパターン化した思考の枠組みをなぞっているだけだという自覚もないし、逆に、お気楽に傲慢で攻撃的な言葉を発することができるとも言える。言葉に対して、怯(おび)えや覚悟というものがあってもよい。(平川:35ページ)

身体感覚と生活実感のある言葉
「ほんとうのこと」「本音」を言うためには、命を賭けなければならない。生身の身体(身体性)や現実生活の常識から乖離した言葉には、説得力がない。一方で、身体感覚に裏付けられた言葉だけではなく、抽象度の高い言葉を使っていかないと思想は形成できない。そこで、抽象度の高い言葉を、生活実感のある言葉で裏打ちしていく作業(「伝わる言葉」への変換)が必要になる。(平川:57、58、305ページ)

孤独な沈黙のなかでの知性
見聞の狭い人間は、目の前の現実を見てすぐに「前代未聞」だと浮き足立ったり、有頂天になったりする。知識人は逆に、何を見ても「これはどこかで見たことがあるんじゃないかな」というところから吟味(ぎんみ)をする。そして、どういう文脈で「こういうこと」が起きたのか、過去の事例を参照しながら理解しようとする。知識人の、この孤独な沈黙のなかでの営為が、未来を切り拓く。これが本物の知性である。(内田:106、109ページ)

〇なお、筆者はかつて、「まちづくり」のための市民性形成(市民的資質・能力の育成)と市民運動に関して、次のように述べたことがある。「市民運動は通常、自らの、あるいは他者の尊厳や生命・生活が脅かされるときに、多くの市民が集合し、集合行為として展開される。その際、その運動は、必ずしも環境や立場を同じにする人びとが集まって展開されるものではない。運動に参加する人びと(運動主体)は多様であり、運動の目的も直接的に自らの利益や地位向上などのための利己的なものではない。運動主体の多くは、利己主義を超える人間観や社会観をもっており、社会的な事象や出来事に積極的に関与し、自己決定し、共通認識のもとに連帯して行動する自発的で能動的かつ自律的な個人である。また、その個々人は、運動展開の過程で他者理解を深め、自己を再発見し、自己変容・変革を促す。それを通して、他者との相互連携がより深化・発展するのである。」(<まちづくりと市民福祉教育>(3)福祉のまちづくり運動と市民福祉教育/2012年7月4日投稿)。これは、まちづくりのための市民運動や市民福祉教育についての理念的な管見である。本稿のサブタイトルに関して付記しておくことにする。

補遺 ①
中国の春秋時代の宗(の国)にサルを飼う人がいた。朝夕四粒ずつのトチの実をサルたちに給餌(きゅうじ)していたが、手元不如意(てもとふにょい。家計が苦しく金がないこと)になって、コストカットを迫られた。そこでサルたちに「朝は三粒、夕に四粒ではどうか」と提案した。するとサルたちは激怒した。「では、朝は四粒、夕に三粒ではどうか」と提案するとサルたちは大喜びした。
このサルたちは、未来の自分が抱え込むことになる損失やリスクは「他人ごと」だと思っている。その点ではわが「当期利益至上主義」者に酷似している。「こんなことを続けていると、いつか大変なことになる」とわかっていながら、「大変なこと」が起きた後の未来の自分に自己同一性を感じることができない人間だけが「こんなこと」をだらだら続けることができる。その意味では、データをごまかしたり、仕様を変えたり、決算を粉飾したり、統計をごまかしたり、年金を溶かしたりしている人たちは「朝三暮四」のサルとよく似ている。([1]22ページ)

補遺 ②
スモールサイズの「顔の見える共同体」で、地域・住民自らが医療や福祉・介護などに関するサービスや事業活動を相互支援的に手作り・手売り・手渡しし、自律的なコミュニティをつくることが肝要である。「こんなところで小さくやったって社会は変わらないよ」ではなく、逆に「小さくやるから変われる」のである([1]324~325、326ページ)。
次の新聞記事を紹介しておきたい(『岐阜新聞』2020年1月18日付朝刊)。キーワードのひとつは「覚悟を決める」「便利や割安を我慢する」(持ち出す、身銭を切る)である。

まていに生きる

人との隔たりが 生まれた
行き交う道で 互いに気遣い距離を取る
人の輪は避けて 通り過ぎる

知人との挨拶も 
顔見知りの子らとの会話も
薄っぺらになりつつある

蕎麦屋に入って席に着く
ゆとりをもって 席を空ける
混み合う時間も 半数しか座れない

スーパーのレジに並ぶ足下に
1メートル間隔で ラインが引かれ
客は 静かに番を待つ

病院も店もどこでも 
無機質な透明のアクリル板が垂れ下がり
対面での会話は 事務的に取り交わされる

学校の教室は 席を離して授業を受ける
マスク越しだと しゃべりにくく 表情もよくわからない
給食の配膳も フェースガードで ものものしい

このままでは 人の暮らしの根が腐る
こんなときだからこそ
ぬくもりあって 気遣いあって
まていに人とつながりたい

このまま警戒する目がはびこると 社会が凍る
こんなときだからこそ
困ったことや心配事に 聴く耳持って 
まていに人とつながりたい

一つひとつのおこないを
ためらうことなく 
まていにする
そう生きる人が 世の救いです

※まていに:より丁寧に、心尽くす心構えやその態度。

〔2020年6月21日書き下ろし。すれ違う人たちの悪気のない距離間。店での警戒体制。コロナ禍での警戒意識がまだまだ続く。〈まていに〉生きるひとたちの存在が有難い〕

君だけのうた

君だけの うたがある
哀しいときに
ふと口ずさむ うたがある
耐え忍ぶときに
嗚咽(おえつ)を堪(こら)える うたがある
懐かしむときに
涙枯れる うたがある

君だけに 響くうたがある
辛くて逃げ出したいときに
踏みとどまる うたがある
不安にかられたときに
払いのける うたがある
悔いるしかないときに
立ち上がり歩きだす うたがある

誰かと 歌えるうたがある
嬉しいときに
こころも踊る うたがある
愛を確かめるときに
勇気をもらう うたがある
仕合わせなときに
ともにわかちあう うたがある

君にしかわからぬ うたがある
人生を噛みしめる 
苦くて甘い うたがある
人生の迷いを晴らす 
目覚めに誘(いざな)う うたがある
人生を彩る 
こころ模様が刻まれた うたがある
人生に希望をもたらす 
意気に感じて動く うたがある

君だけのうたとともに
君は 明日を生きる

〔2020年6月20日書き下ろし。コロナ禍できっと歌や詩が、生きる力を与えている〕

腐っても鯛

本来上等なものは 
たとえ腐っても その品格を失わない
だから 腐っても鯛

本来上等ではないものは
腐ったら 捨てるしかない
だから 腐ったら生ゴミ

腐る前に 予兆がある
賞味期限が ひとつの目安
切れてしまえば 匂いを嗅いでみる
気に障らなければ 大丈夫と太鼓判を押す
悪臭がすれば ためらわずにゴミ箱イン

腐ったものが いつまでも居座っていた
国会は 腐敗臭に満ちていた
ガードした者たちは 嗅覚が麻痺していた
思考力も低下し 自らも腐って異臭を放っていた
でも自覚症状は ほとんどなかった
6月17日 国会を閉会した
腐っても鯛の名分は 守り果(おお)せた

すぐに ケチがついた 
18日14時51分 東京地検は
河井克行・案里議員を ようやく買収容疑で逮捕した
あいつが賭け麻雀さえしなければ…
国会での追及を逃れて 早々に幕引きできた
夕方の記者会見は 慣れた謝罪でジエンド
他人事のような振る舞いに 観ていてうんざりした
隠しおおせぬ綻びは 
東京地検の威信をかけて
白日の下にさらされることを 切望する

ひたすらに 〈信〉の一字を捨ててきた
腐っても鯛は 腐ってタダの生ゴミとなった
その品格すら 跡形もなく消されてゆく
その日は 決して遠くはない

〔2020年6月18日書き下ろし。これ以上なにをか言わん〕 

付記
安倍首相会見も…「大変遺憾」全く同じセリフ繰り返す
安倍晋三首相は18日、午後6時から通常国会閉会に伴う会見を行い、冒頭「わが党所属であった現職国会議員が逮捕されたことは大変遺憾であります。かつて法務大臣に任命した者としてその責任を痛感しております。国民の皆さまに深くおわび申し上げます。国民の皆さまの厳しいまなざしをしっかり受け止め、我々国会議員は改めて自ら襟を正さなければならないと考えております」と陳謝した。
しかし、代表質問で「総理総裁として具体的にどう責任を痛感しているのか」と問われると、答えは「わが党所属であった現職国会議員が逮捕されたことは大変遺憾であります。(中略)我々すべての国会議員は改めて自ら襟を正さなければならないと考えております」。全く同じ言葉を繰り返した。
「自民党総裁としてより一層襟を正し、国民に対する説明責任を果たしていかなければならないと考えています」と付け加えたものの「捜査中の個別の事件」を理由に「詳細なコメントは控えたい」。説明責任は果たさなかった。事件を巡っては自民党本部が振り込んだ1億5000万円の政治資金の一部が買収に使われた疑いが持たれている。安倍首相は「昨日、二階幹事長より『巷間(こうかん)言われているような使途に使うことはできないことは当然である』という説明が行われたと承知している」と話し、自身の言葉で説明しようとしなかった。(日刊スポーツ2020年6月18日)

世界の感染者800万人超える

3月11日 WHOは「パンデミック(世界的流行)」の状態と認定
1ヶ月後の4月16日 200万人
12日後の4月28日 300万人
13日後の5月11日 400万人
11日後の5月22日 500万人
10日後の6月1日  600万人
8日後の6月9日   700万人
そして8日後6月17日 800万人を超えた
およそ1ヶ月単位で 倍々になった異常な増加急曲線
死者は 2ヶ月前の13万7千人から43万9千人
3.2倍にも膨らんだ

欧州と中東は ピークは一旦収まったようだが わからない
中国は 北京で2ヶ月ぶりに集団感染が発生 再び厳戒態勢を敷いた
米国は 200万人をゆうに超えた
経済活動再開の矢先に 黒人暴行死事件が起きた
これを契機に人種差別・コロナ・失業の三重苦の不満が 一気に爆発
トランプの分断を煽る挑発的な言動も 火に油を注ぎ
「Black Lives Matter」を掲げた抗議デモは 全米から世界に拡散した
新たな感染リスクを抱えて 収束はまだ見えない
ブラジルの政権は 感染防止に何の手立ても施さず 完全放置
ここ数日中に 100万人は超えるだろう
ロシアもインドも まだまだ収まる気配はない

この2週間ほぼ毎日 十万人以上の新しい感染者がカウントされる
これから南半球が 冬に入る
新型コロナの感染は 途上国を中心にさらに勢いを増すだろう
南米やアフリカ諸国の 爆発的な集団感染を憂畏(ゆうい)する
アフリカや中東などの難民や避難民のキャンプも 不差別にコロナにさらされる

数を見ながら 思いたい
その数に見合う対策は
その数に見合う治療は
その数を支える家族の数は
その数を支える人と資金と物資の数は
その数は単に数として積み上げられ数えられていく
際限なく増え続ける〈無機質な数〉

カウントされるだけでは 
〈その人の存在〉は無となる
そこに生きる・生きた一人ひとりの存在
生き残った者は
死に至った者を悼み
悲嘆を超えて 生き続けねばならぬ
彼らの痛みを想像し 
心を添えることこそが 共生への道標となる 
そう信じたい

悲惨な事態を回避する 
その努力を続けねばならぬ最中に
いがみ合うバカどもが 
子どもらの未来を 無惨に踏みにじる

〔2020年6月18日書き下ろし。無機質な数をどうとらえるのか、その想像力がいまこそ求められる〕

付記
「世界の難民、8千万人に 過去最多更新、全人口の1%」
【ジュネーブ共同】国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は18日、迫害や紛争の影響で国外に逃れた難民や難民申請者、国内で居住地を追われた避難民などの総数が、昨年末時点で7950万人に上ったと発表した。2013年末に戦後初めて5千万人を超えた後も、過去最多の更新が続いている。
グランディ難民高等弁務官は「世界人口の1%に相当する規模」と危機感を表明した。
内訳は国内避難民が4570万人、難民が2600万人、難民申請者が420万人のほか、難民の厳密な定義から外れるものの、政情不安が続く南米ベネズエラを脱出した国外移住者が360万人に上る。(北海道新聞2020年6月18日)

小さな音

世界で一番小さな音って?

アリが餌を巣に運んでいるときに
餌が地面を擦る音

ミツバチがホバリングしながら
花の蜜を吸う音

朝露に濡れた葉の雫(しずく)が
花心に落下していく音

貧しさに囚われし子らの涙が
世の風に舞い 大地に浸みてゆく音

〔2020年6月16日書き下ろし。自然の音の世界の豊穣さに比べ、なんと人間世界はさもしいのだろうか〕

東京アラッと

小池百合子東京都知事
時局を読むのは 見事だった
オリンピック延期を決めた途端に 
コロナ対策に 大きく舵を切った
首都ロックアウトは 強烈なメッセージでもあった
政権の尻を叩いて 非常事態宣言を促した
そこには 首都のリーダ然とした姿を見せていた

記者会見の語りも演出も 上手かった
安倍首相など どうあがいても足下にも及ばない
テレビカメラに送る ぎょろ目の視線はさすがだった
質問に的確に答える 威風堂々の立ち振る舞いは 
政治家の貫禄としたたかさを 如実にアピールした
コロナ対策で出遅れた 失地回復のギアアップは さすがだった

さもさもらしい大袈裟なことが大好きだった
「東京アラート」と銘打って 
都庁とレインボーブリッジの色を 赤や青にライトアップ
アラッと見せた ただそれだけのことだった
10日も経たずに解除して 放った一言
「これからは自粛ではなく自衛の局面に入った」
政治がなすべきことを放棄して
都民を突き放し 自己責任を強いてゆく
これも 政治家の冷酷さの一面だろう
その声の乾かぬうちに
15日には 解除後最多の48人が感染した

前回の都知事選では
「7つの0(ゼロ)」公約をアピール
達成は「ペット殺処分ゼロ」 のみ
改善は「待機児童ゼロ」
「満員電車ゼロ」「残業ゼロ」は 緊急事態宣言中のおまけ
検証困難「都道電柱ゼロ」「介護離職ゼロ」「多摩格差ゼロ」

築地市場の移転の大失態
その跡地問題も そのまま放置して
2期目の都知事選に向けた新たなスローガン
「東京大改革2.0」
中身は何か分からないブラックボックス

7月5日投開票日 小池都政の評価が下る
コロナ禍で その都民度と自衛力が試される
都民よ 賢くあってほしい

〔2020年6月15日書き下ろし。地方自治がこれからはもっと重要になる。都知事選は民主主義と地方自治を問う重要な選挙。都民の小池都政への検証が急がれる〕

不登校どうする?

携帯の着信音が鳴った

「もしもし、あっ大家さん、ご無沙汰してました。お変わりありませんか?」

「ここんと電話がないので、忘れられたかと、つい寂しくて…」

「のっけから、嬉しいことをおっしゃいますね。ありがとうございます」

「いやいや、そう言えばきっと喜んでくれると思いましてね」

「なんですか、そのおっしゃりようは」

「いやいや自粛生活が終わって、あんたも仕事で忙しくしていることだろうと電話のないのは良い便りと思いながらおりました」

「さすが年の功、お見通しで」

「仕事でお忙しいことは重々承知で、この電話いまはいいですかね」

「大丈夫です。ちょうど仕事の手がすいたところで、グッドタイミングです」

「電話をしたのは、ちょっと相談に乗ってほしいことがありましてね」

「私のような者でもお役に立つんですかい?」

「これといって相談する人もいなくて、あんたに電話した次第です」

「またまたおっしゃいますね。これまた嬉しいやら哀しいやら」

「相談というのは、子どものことです」

「えっ、隠し子ですか?」

「バカ言っちゃいけないよ。そんなこと口が裂けても言えません」

「身に覚えがあるってことですか?」

「いやいやそうじゃなくて、身の覚えもなにもこれっぽっちもありません。潔白です」

「さっきのお返し、ちょっとからかってみただけですよ」(笑い声)

「ほんとに人が悪い」

「それで、子どものことってなんですか?」

「そうそう、そこんところが今日の用件、話の腰を折らんでくださいよ」

「すいません。それじゃ正座してお聞きいたします」

「改まってもらうと話ずらいね。実はね、学校が始まって、近所の子どもらも元気に通い出したんだが、ひとり小学校に行けない子がおりましてね。うちのばあさんが親御さんから話を聞いてきて、そのお鉢が私に回ってきたという次第です。どうしたもんかと思っていたら、あんたが不意に現れて、電話をしたという次第です」

「まるで妖怪ですね。なにか用かいって」(笑い声)

「またまた腰を折りますね」

「すみません。腰も口も軽いようです。あっしにはもう小学生の子はいないので、なんとも分かりかねますが、子どもにも子どもの事情ってんもんがあるんでしょうね」

「まるで大人だね」

「今どきの子は、けっこうしっかりとした考えを持っている子もいますんで、学校に行けなくなったわけもいろいろあるようです。まあ、学校の先生に相談ぶつのが一番ですね」

「ばあさんもそう話したようだが、どうも学校行けなくなったのはいまさらの話ではないようです。担任の先生も新学期で変わって、一度も会ったことがないっていうんだね」

「コロナのお陰で、春休みからこっち学校もお休みになっていたから、余計に行きずらくなっているんですかね」

「前の先生とは、折り合いが悪かったこともあったようだが、新しい先生ならと少しは期待したようだけど、子どもはなかなか行こうという気持ちにはなれないっていうんだね」

「無理に学校にやろうとしても、かえって子どもは行きたがらない。あっしも児童委員で子どものことやら親御さんのことで相談に乗ることもあるんですが、いろいろと双方訳ありで、こればっかりは難しいですね。子どもの言い分もあるんでしょうけど、小さい子なら、うまくそのあたりの事情を話すことができずに悩んでいることもありましょう」

「今度4年生の女の子。3年生の時に何かいじめられたことがきっかけで、学校に行くのを渋りだしたそうだ。親は先生にも相談したらしいが、いじめた子らと握手をさせて、さあおしまいと解決した気になっていたらしい。でもその後も陰で続いていたようで、親はまた先生に相談するんだが、さっぱり埒(らち)があかなくて、そのうち子どもがいやなおもいをするなら、学校に無理して行かせることはないと思ったんだね。でも子どもは子どもで、勉強のことがだんだん気にかかってきて心配しだした」

「親もきっと気が気ではなかったでしょうね。勉強が遅れたらどうしようと心配にはなるわね。特に3、4年生って、大事な学年だっていわれていますよ。国語や算数の基本中の基本をマスターしなければ、そのあとは〈落ちこぼれ〉になってしまうって。だから親の気持ちも子どもの気持ちも痛いほどよく分かります」

「そこで新学期、クラス替えで担任も替わるから行こうって、親子で話していたそうだ。ところがどっこい、コロナがやってきて3ヶ月も突然休みになってしまった。学校からは宿題がたんと出されたが、実は母子家庭でね、母親は一日中仕事に出ている。子どもはいつも留守番。だから母親の本心はせめて日中は学校に通ってほしいと思っていたんだが、いじめで不登校になっちまって、困っていたんだね。だから宿題を見てあげることもできず、早く学校が始まってくれれば、この子も立ち直れるだろうと期待していたんだ」

「ところがいつまでも学校が始まらない。宿題も思うようにできない。さて子どもはどんどん不安になっていく。学校が始まっても勉強についていけない、またいじめにあうかも知れないと思うと、だんだん気が重くなって、行きたくない、行けないって考えてしまったんでしょうね」

「さすがだね。私もそう考えた。だからこの子のことが不憫(ふびん)でね。何かいい方法はないかとおもい、あんたに相談した次第」

「一つは、学校の先生はスーパーマンじゃないってことですね」

「なんだい、それは」

「正義の味方で、どんな難事件も解決する能力の高い人ではないということです。ごく普通の大人です。教育者として特別な才能を持っているわけじゃない。世の中、先生、先生と持ち上げるから勘違いする人が出てくる。教育のことなら専門家なんだから何でも知ってるって。そんなわけないでしょう。仕事ですから、専門ともなればそれなりの知識や技術はありますよ。仕事上必要なことですよね。看護師さんや介護士さんは、国家資格を持っていらっしゃる。命を預かる仕事ですから、当然です。でも学校の先生は、教育系の大学出れば教員免許が出るだけです。大学出たくらいで、特別なものを持っているわけがない。直接子どもの生き死にに関わる仕事じゃないから、覚悟が足りない。だからしっかりと自分を磨きながら現場で経験を積んでいかない限り、一人前にはなかなかなれない。だからスーパーマンじゃない、ただの人です。〈ただものじゃない人〉になるには、子どものいのちとこころをしっかりと護るという覚悟が必要だと思うんですね。世間では、学校の先生だからという過度な期待感があって、学校のことや子どものことなら、なんでも解決できるものと勘違いされているんじゃないですかね。勉強を教えることが仕事だとおっしゃる方も多くいますが、肝心なところが抜け落ちているように思います」

「だから」

「不登校やいじめの問題がなかなか解決できないのも、子どものことを棚に上げて、こっちが悪いあっちが悪いって、責任の押し付け合いばかりしているからじゃないでしょうか。お互い出来ることと出来ないことがある。家庭の事情も親の仕事もそれぞれですから、せめて先生は先生なりに一人ひとりの子どものおもいを受けとめられる人であってほしいですね。分かったふりをする先生は、子どもには見透かされていることを知っておくべきでしょう。そんな先生に相談しても埒はあきません。だから余計にこじれていくんですね。親は我が子のことしか頭にないから、こうしてほしいああしてほしいといろんな注文をつけます。それができないとクレーマーになって、いいだけ先生を責め立てる。そうされないように、できるだけ防波堤を築いて自衛しなければならない。一概には言えませんが、先生と親との信頼関係はそもそも無理かもしれません。なにか利害関係になっているようで、間に挟まれた子どもたちが心配になります」

「親に先生の言うことは絶対だって、私らの頃にはそう教わって、先生に叱られて叩かれたと親に言えば、お前が悪いとまた叩かれて、しまいには先生に感謝したくらいだからね。いまは、体罰教師で訴えられるから、叱り方も難しいね」

「あっしらも、よく叩かれた口ですが、その後の先生がすまんかったと謝ったときには、なんだか不思議でしたね。先生もまた自分のいたらなさを責めていたのかと、いまはそう思っています。叩かれたときは〈こんちくしょう!〉ですがね。でもその先生好きでしたよ」

「先生はスーパーマンでなくていいと思うね。出来ること出来ないこと、苦手なこと得意なこと、人としてあって当たり前のことなんだから。子どもたちにもそんな姿を見せながら、まずは先生と子どもとの信頼関係をつくることが一番じゃないの。それこそ教育のプロとしてわきまえなければならないことだと思うけどもね」

「おっしゃるとおりです。子どもの問題の起こった学校の記事なんかを読みますと、子どもをかばうというよりは、自分たちのやったことを正当化することに躍起になっているって気がしてなりません。コロナ禍で勉強の遅れを取り戻すには、先生を増やさなければならないって言っていますが、問題は数ではなくて〈質〉ですよね。教えるだけなら、家庭教師のアルバイト学生を動員して、雇い入れればいいんじゃないですか」

「面白いね、その発想。学生もバイトがなくて困っているという話、一挙両得じゃないか。学生も教育系の学生にこだわることはないね。いろんな学部の学生たちが、授業を通して子どもたちに、先生じゃ伝えきれない〈学ぶ〉ことの面白さを伝えられるかも知れない。若い新鮮な感覚で、学校の閉鎖的で保守的な空気が変わるかも知れない。そんな改革をするなら、いまかも知れないね」

「学習サポーターって、いままでも学生が学校でボランティアしてましたからね。これを学生の就学援助というカタチで一律お金を配るんじゃなくて、別に労働対価として当たり前に学業と両立する仕事を与えるところに、意義がありますね」

「いままでどおりの学校では、子どもの多様性に先生が対応できないから、そのしわ寄せが不登校であったり、いじめといった問題がうまれる土壌をつくってきたかも知れない。だいたい世の中は、現状維持ではやりきれないという過飽和状態になったときに、英断を持って改革を為そうとする波が起こるね。その中核には、必ず若者たちがいるという歴史的な事実に気づくべきだよ。明治維新をやり遂げていくのも若者たちだった。この間の話で、60年安保闘争も挫折はしたが、確かに若者たちの新たな時代を創ろうとした息吹は感じたね。学校への〈子どもたちの反乱〉が起こってからずいぶんたつが、学校という閉鎖的な世界を開ける力は、若者たちが子どもたちと真剣に〈学ぶ〉ということを通して、お互いに成長し合うことが、いまこそ大事なことかもしれない。ただ世迷い言と一笑されてしまいそうな話になってしまったが、さっきの話に戻しましょうか」

「そうですね。きっと子どもが抱えている心配事って、一人だけじゃないと思いますね。率直に学校の先生と話し合うことと、それ以前に学校の方で子どもたちの不安を解消するための手立てを講じて受け入れなければならないのが、本来の仕事ですね。だから、そんな子がいることを前提に、他の子どもたちにも不安が起こらぬよう親にも話しておくべきことです。何せ2ヶ月も時間があったのですから、たっぷり教育書も読んで、教師としての資質の向上をはかったことでしょうから、是非その成果を見せていただきましょうか」

「学校に行けないで心配してる子に、あんたならどうする」

「あっしは、頭で考えるくらいならすぐに動く方ですから、深刻がらないで子どものもとにすっとんでいって、膝をつき合わせてお互い納得するまで話をしますね」

「おっしゃるとおり、そこだね。でも危ないね。マスクしてソーシャルディスタンスは取らなきゃいけないよ。親の相談の前に、心配な子どもの情報は持っているのだろうから、本来教師はそうあってほしいね。まあ、そこんところはしてない様子。まずは親が行くしかないが、仕事は休めないから、電話でお願いしてもらいましょうかね」

「あっしも、なにかお役に立てるといいんですが。新米の民生委員児童委員のあっしには、学校の敷居は高いもんだと行けずにおりましたが、それを承知でまずは気負わず動くことにいたします」

「そうすることも大事ですね」

「学校というところは、ただ勉強を教えるなら塾でも家庭教師でもできますが、人との関わり方や人としてのあり方、生き方は生身の人間同士がぶつかり合って、はじめて〈学ぶ〉ことができるってことですよね。勉強の成績しだいで人間の序列が決まるかのような教育は、やっぱりよくない。東大出て検察庁のお偉いさんになっても、賭け麻雀で自滅する姿をしっかり教えるべきでしょう。なぜそうなったのかって。偉人だけではなく反面教師もね」

「その通りだね。人間の能力を学力という物差しだけで測ろうとするいままでの教育が、少しでも変わっていくと嬉しいね。その前線で先生方には、子どもに信頼されるに足る人間力をつけてほしいと願うばかりだ」

「子どもばっかしじゃなくて、お年寄りも障がいのある方も、ここには心配ごとを抱えて困っておられる方がいらっしゃいます。まずは学校訪問、そして心配事の御用聞きも仕事の合間に精を出します。なんだか忙しくなりそうです」

「ありがたいね。あんたが近くにいるだけでどんだけ心強いことか。私もお世話になる身、よろしくお願いします」

「何をおっしゃいますやら。大家さんにはこれからもどんどん心配事を持ち込んで、あっしの知恵袋として、末永くお願いします」

「もう厄介事は勘弁していておくれ。楽隠居をしたいのだから」

「無理ですよ。なんせ世間がそれを許しません。世間が許してもあっしが許しません」

「おいおい、老い先短い年寄りになんてことを。まあ許してあげましょう」

「さすが情に厚い大家さん。今日もいい話をお聞きしました。ありがとうございます」

「こちらこそ、ありがとう。今度は顔を見せてください。今日はこれで」

「ごめんください」

〔2020年6月14日書き下ろし。学校が始まりました。心配な子どもたちへのフォローが気にかかります。〈忙しい〉という前提は、まずやめにしませんか〕